9章―1
文字数 5,457文字
柔らかな陽光が眠気を誘い、大きな欠伸がついて出る。
交番勤務の女性、ウェルダ・シアコールは勤務中にも関わらず、時間を持て余していた。赤みがかった黒い前髪が顔にかかり、気だるげに手で払う。
事務椅子の背もたれに寄りかかり、窓に目を向ける。外は晴れているが、雲が多く風が強い。色づいた木の葉が複数風に飛ばされ、宙を舞った。
「ウェルダ、暇してるんなら見回りでも行って来いよ」
同僚の男性は資料に目を通しながら溜息をつく。ウェルダは床を蹴り、座ったまま椅子を回転させた。
「嫌ですよ、外寒そうだし」
「あのなぁ、こんな僻地の交番には一人いれば充分なんだよ。見回り出来るのは当直が被った日くらいだぜ?」
ウェルダは回りながら、げんなりと顔をしかめさせる。
「じゃあビルさんが行けばいいじゃないですか」
「俺は資料整理で忙しいんだ。お前が行けよ」
これ見よがしに資料を持ち、トントン、と机に打ちつけられる。椅子の回転が止まり、ウェルダは彼を恨めしげに睨んだ。
「分かりましたよ、行けばいいんでしょ」
どっこいしょ、と立ち上がり、壁際のハンガー掛けから白い帽子を取る。「気をつけてな」という声に返すことなく、ウェルダは交番を出た。
白い自転車に乗り、舗装されていない林道を走る。制服である白いベストだけでは風が寒く、ウェルダは「ジャケットにすればよかった」と早々に後悔した。
左手を放し、ベストの下に潜りこませる。脇の下に左手を挟むと、その部分からじんわりと温かくなった。
「この[
走り続けること五分。途中で『家族』が営む診療所を通りかかったが、今立ち寄ると長話になるだろう。寄るとしたら見回りの帰りだな、とそのまま通り過ぎた。
その後はすぐに、街が見えてきた。乾いた地面はいつの間にかコンクリートの道路に変わり、両脇の広葉樹も少なくなる。どのルートで見回りしようか、などと考えていると銀色の光が一瞬目に映り、ウェルダは自転車を停めた。
「ん? あれは……」
道路の対向車線から、銀色の車が向かって来る様子が見えた。豆粒程の車体は、近づくにつれて大きくなる。その車は乗用車ではなく、大型のキャンピングカーのようだ。
ウェルダは目を見開いた。その車の持ち主は、彼女の『家族』なのだ。
「え、待って! ルイン達が来るのって、今日だっけ?」
慌てて自転車から降り、道路端に寄せる。ウェルダはジャンプしながらその車に向けて、満面の笑みで手を振った。
――――
赤と黄色、橙色に茶色。鮮やかな紅葉に彩られた林道の中、銀色のキャンピングカーはひたすら北上する。
[家族]はようやく、
「うん十年前までは、この町もなかったんだ。だから買い物に出る時は遠出する必要があってな。それと比べて、今はいい時代になったものだな!」
ぬはははは、と運転席でノレインが笑う。アースとラウロ、ナタル、更にシャープとフラットは窓にかじりつき、町の様子を眺めた。
木々の間から住宅がちらほらと見え、商店街だろうか、幅の広い一本道の両側に数件の店が並んでいるようだ。小規模な町だが人の姿はそれなりに多く、活気のある印象だ。
その時、助手席のメイラが前方を指差した。
「ねぇ、ルイン。あの人……」
「おぉ、ウェルダじゃないかッ!」
アース達も目を向ける。道路の向こう側で、人が手を振りながら跳ねていた。徐々に速度を落とし、道路端に停車する。玄関から一人の女性が飛びこみ、夫婦は笑顔で出迎えた。
赤みがかった肩までの黒髪に、茶色の瞳。長袖Tシャツにジーンズというラフな服装だが、ワンポイント刺繍が入った白い生地の帽子とベストを身に着けている。彼女は[政府]の警官のようだ。
ノレインは、アース達に彼女を紹介した。
「この人は私達の『家族』、ウェルダだ。ちょうどアビとソラの間の年代だな」
アースは、カルク島での『同窓会』を思い出した。メイラが見せてくれた卒業写真、いがみ合うアビニアとソラの間に挟まれていた少女は、彼女だったのだ。
「おっ、この三人が新しい[家族]だね?」
「えぇ。黒髪の子がアース、金髪の子がナタル、その連れのフラットとシャープ、あと茶髪の彼がラウロよ」
メイラは(ラウロだけ『彼』と強調する形で)アース達を紹介する。ウェルダは帽子を取り、三人に笑いかけた。
「ウェルダ・シアコールだよ、よろしくね。この先の交番にいるから、いつでも遊びにおいで」
ノレインは口髭を弄りながら、彼女に問う。
「それにしても、こんな所で会うとは思わなかったぞ。見回りでもしてたのか?」
「あっ、そうだそうだ忘れてた。いい加減戻らないとね。診療所は今日休みだし、挨拶したら喜ぶと思うよ」
「えぇ、そうさせてもらうわ!」
ウェルダは皆に手を振り、車内を出た。
「よーし、席に着いてくれ。実はな、この近所で暮らしている卒業生は多いんだ。これから挨拶に行くぞッ!」
ノレインのかけ声に従い、全員がわくわくしながら席に着いた。
銀色のキャンピングカーは再び走り出し、自転車に乗るウェルダを途中で追い越す。彼女は片手で大きく手を振る。アース達は窓から身を乗り出し、彼女に手を振り返した。
舗装された道路はいつの間にか、乾いた地面になっていた。
ウェルダと別れて数分もしないうちに、最初の目的地に到着した。白木で出来た小さな一軒家。同じ素材の看板には、『ナイトレイン診療所』と書かれてあった。
敷地内の駐車場に停車し、(スウィートとピンキーを除く)全員が下車する。辺りは静かだが、鳥の声と風の音が心地良い。ノレインがドアを開けて中に入り、アース達はその後ろに続く。待合室には誰もおらず、メイラはスッと息を吸いこんだ。
「リベラー、ニティアー! 遊びに来たわよー!」
彼女の大声に、全員が耳を手で塞ぐ。それから数秒も経たないうちに、奥のドアが開いた。
「メイラ!」
「リベラ、会いたかったわ!」
黒髪の女性が駆けこみ、メイラに抱きついた。その後ろから白と黒のボーダー柄のマフラーを巻いた白髪の男性が現れ、夫婦を見て目を潤ませる。アースは、『卒業写真』のメイラの隣にいた二人だ、と咄嗟に思った。
「新しい[家族]も一緒に来てくれたんだね」
女性はアース達に気づき、微笑みかけた。癖のある長髪に、右の口元のほくろ。白いニットにグレーのスカート姿であり、彼女からはとても優しい印象を受ける。
ノレインは二人の横に並び、アース達に紹介した。
「院長のリベラと、薬剤師のニティアだ。二人は夫婦なんだぞ!」
「はじめまして、リベラ・ブラックウィンドです。この人は夫のニティア。私はメイラと、ニティアはルインと同い年なの」
「…………」
リベラはニティアに寄り添い、彼を見上げる。ニティアは無表情で黙っているが、興味深そうにアース達を見つめている。
服装はマフラー以外黒一色だが、鍛え上げられた肉体の持ち主だと分かる。長身なこともあり威圧的に見えるが、その雰囲気はむしろ小動物を連想させた。
リベラは彼を見て微笑み、再びアース達の方を向く。
「ニティアも、皆に会えて嬉しいって」
「えっ、喋ってないのに分かるんですか?」
ナタルが驚いて質問すると、リベラは大きく頷いた。
「うん。それが私の[潜在能力]だからね。私は『目が合った人の感情と体調が分かる』んだ」
「ちなみにニティアは『風を操れる』んだぞ!」とノレインが自慢げに言う横で、ニティアはその頭を見下ろす。窓も空いていないのに暖かい風が吹き、彼の薄い髪の毛が、そよそよと踊った。
そういえば、ノレインは『同窓会』の時『SBに集まった生徒は皆[潜在能力]に目覚めていた』と言ったような。この二人だけではなく、先程会ったウェルダもそうなのだろう。アースは「今度会ったら聞いてみよう」と思った。
ノレインは夫婦に、アース達を簡単に紹介する。紹介が終わった後、メイラは名残惜しそうにリベラと抱き合った。
「まだまだ話し足りないけど、ユーリのところにも行かなくちゃ」
「そうだろうと思った。皆、私達も『家族』の一員だから、困った時はいつでも力になるからね」
リベラはニティアの腕を組み、アース達に笑いかけた。ニティアは何も言わなかったが、彼女の言葉に力強く頷く。三人を代表してナタルが、明るい笑顔で返した。
「はい、これからお世話になります!」
診療所を出発し、銀色のキャンピングカーは林道を進む。途中で交番らしき建物を通り過ぎ、間もなく、次の目的地に到着した。
水色に彩られた木造の一軒家。玄関先には深緑色のプランターが所狭しと並び、秋の花や植物が植えられている。看板には可愛らしい丸文字で、『植物園・プラントフィリア』と書かれていた。
アース達は下車し、ノレインを先頭に店内へと入る。カラン、とドアに取りつけられた呼び鈴が鳴った。
「ユーリ、久し振……」
何故かノレインの声が途切れる。後に続く[家族]は身を乗り出したが、彼の隙間から衝撃的な光景が垣間見え、唖然とした。三人の人物が、修羅場を繰り広げていたのだ。
「こんの泥棒『猫』! 目ぇ離した隙に何やってんだよ!」
深緑色のエプロンを着けた白髪の青年。服装はゆるく、彼は二十代前半か。
「うっさいわねエロ『兎』! 大人しく雑用してなさいよ!」
毛先のみ丁寧にカールをかけた、肩までの黒髪の女性。黒いレザーのジャケットに、同じ素材のミニスカートとピンヒールのブーツ。彼女も、青年と同年代だと思われる。
「ル、ルイン……た、すけ、て……」
青年と同じエプロンを着けた、水色の髪の少年。背丈はアースより少し低く、前髪は一筋、重力に逆らう状態で跳ねている。彼は二人に双方向から引っ張られており、ノレインに助けを求めた。
すると、ノレインではなくラウロが、彼らの前に飛び出した。
「誰かと思ったら、アンヌとオズナーじゃねぇか!」
青年と女性は驚き、少年から手を放す。二人は同時に瞬きすると、同時に「ラウロ⁉」と叫んだ。
「えっ、おま、ほんとにラウロだよな? カルク島に行ったんじゃなかったのかよ!」
「ていうか生きてたのね。もう会えないと思ってたわ!」
「まぁな。色々あって、今は[家族]と一緒にいるんだ」
三人は目を輝かせながら、嬉しそうに笑い合う。少年を抱き起し、ノレインは慌てて口を挟んだ。
「ラウロ、これはいったいどういうことなんだ?」
「あー、こいつらは俺がミルド島にいた頃、よくつるんでた仲間なんだ。『黒猫』のアンヌと、『白兎』のオズナー」
ラウロは二人を紹介し、二人はにこにこと[家族]に笑いかける。よく見るとアンヌの瞳は黄色で、オズナーの瞳は赤色。確かに猫とウサギみたい、とアースは思った。
「そういやお前ら、こんな所で何やってんだよ?」
「えっと、オズナーは僕の店のアルバイトなんだ」
ラウロの問いに答えたのは、水色の髪の少年だった。彼は少し緊張した様子で目を泳がせている。
「紹介が遅れたな。彼はこの店のオーナーで、私の『大親友』なんだッ!」
「ユーリット・フィリアです。あ、『ユーリ』でいいからね」
ノレインはユーリットの肩を抱き、嬉々として紹介する。アースは、『卒業写真』でノレインと共にヒビロに抱かれる少年を思い出した。彼の姿は写真と同様、どう見ても十代の少年だが、恐らくは夫婦と同世代なのだろう。
その隣で、ラウロはにやけながらオズナーの背中をドンと叩いた。
「まさかお前が真っ当に働いてるなんてびっくりだぜ! アンヌもここのバイトなのか?」
「いや、こいつはただの迷惑客な」
「失礼ね!」
アンヌはオズナーを一瞬睨んだが、すぐに目線をユーリットに移す。
「ていうかユーリ、いつもの『女性恐怖症』はどうしたのよ? あなたのすぐ隣にいる金髪の子、ぱっと見男の子に見えるけど、よく見ると女の子よ?」
ユーリットは反射的にナタルを見る。二、三秒程の間を置き、彼はほっと息をついた。
「ルイン達の大切な[家族]だからかな、大丈夫みたい」
「てなわけでアンヌ、お前はそろそろ帰れ」
「えー、何でよー!」
玄関を塞いでいた[家族]は思わず両側にはける。オズナーに背中を押され、アンヌは外に追い出された。
その間にノレインが新しい[家族]の紹介を済ませ、メイラは思い出したように切り出す。
「そういえば、あの時はたっくさんの野菜、ありがとね!」
「あぁ、どういたしまして。僕に出来ることはこれくらいしかないもんね」
ユーリットは照れながら返し、オズナーはその彼を惚気たように眺める。
足元の棚に陳列された野菜の肥料を見て、アースはあることを思い出した。『同窓会』の時、アビニアとソラは『『家族』からの仕送り』として大量の野菜を届けに来た。その送り主はどうやら、ユーリットで間違いないようだ。
ユーリットはふと表情を曇らせ、ノレインの腕をそっと掴んだ。
「そうだ。皆これから『家』に行くんだよね? コンバーのことなんだけど……」
[家族]は沈黙する。ミルド島の港で卒業生コンバーの訃報を聞いたのだが、連絡をくれたのはユーリットだった。彼は俯き、掴んだ腕をぎゅっと握った。
「こないだよりだいぶ落ち着いたんだけど、ファビがまだ、立ち直れないみたい。彼の様子、気にしてあげてほしいんだ」
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