12.5章―1
文字数 4,239文字
ミルド島東部の霊園で一夜を過ごした[家族]は翌日、『家』に向けて出発した。ラガー兄妹の親族の墓参り、ヒビロとフィオラの悲しい過去。誰もがこの一日で起きた出来事に想いを馳せ、しんみりとした雰囲気のまま『家』に到着する……はずだったのだが。
「……ありゃ?」
ノレインの間の抜けた声に、アース達は一斉に顔を上げる。ここは道路のど真ん中。閑静な住宅街を走行中だったが、銀色のキャンピングカーの速度は段々と落ち始め、遂に停止してしまった。
「ちょっと、どうしちゃったのよ?」
「アクセルは踏みっぱなしだぞ。いったいどういうことだ?」
メイラに急かされつつ、ノレインは再びエンジンをかけようとする。しかし銀色の車体は、苦しげに唸り声を上げるのみ。
「はぁ……こないだみたいに、人力で引っ張るしかないかな」
「そうね。ナタル、ちゃちゃっと済ませちゃいましょ!」
アースの背後から、ナタルの大きな溜息が聞こえてくる。メイラも腕まくりをしながら席を立った。
――
駐車可能な空き地に到着したのは、それから数分後だった。ノレインの見立てでは、エンジンに不具合がありそうだ、とのこと。彼は工具を広げてメンテナンスを始め、ラウロとメイラは隙を見て仕事に取りかかってしまう。残された子供達は特にやることもなく、暇を持て余すのだった。
「おっ、この公園なんかよさそうだな」
アースはモレノと双子に連れられ、遊び場を探しに来ていた。停車中の空き地は狭く、ノレインの作業の邪魔になるからだ。徒歩数分圏内に広々とした公園を見つけ、四人は物置から持ち出したかごをベンチに置いた。
「いろいろ持ってきたけど、何して遊ぶ?」
大きいかごの中には縄跳びのロープ、バット、ラケット、野球やらテニスやらのボールがごろごろと入っている。アースが三人に問うと、双子は同時にラケットを持った。
「バドミントンやろうよ♪」
「ちょうど四人いることだし♪」
「いいじゃねーか! よっしゃ、チーム分けはジャンケンで決めようぜ。最初に勝った奴二人が同じチームな!」
モレノの合図で、四人は一斉に構える。ジャンケンの結果、アースとドリ、モレノとデラのペアに決まった。
「ほらよ。お前が一抜けだから、最初に打っていいぜ!」
かごからシャトルを取り、モレノはアースに向けてラケットで高く打ち上げる。アースは手でキャッチし、臨戦態勢の相手に向けてサーブを放った。
スパン、スパンと小気味良い音を立ててシャトルが宙を舞う。時折誰かが空振りして笑いが起きるが、すぐに試合が続行される。四人は夢中になって、ラリーを続けていた。
「あっごめん、飛ばしすぎた!」
ドリは思わず声を上げる。彼の打ったシャトルは相手側から大きく反れ、ジャングルジムの方向に飛んでいったのだ。
「なんの、これくらい!」
すると、モレノが走り出した。彼はジャングルジムに飛び乗り、ひょいひょいと頂上まで登る。そしてパイプの上に立ち、飛んできたシャトルを打ち返した。
「うわぁ、さっすがモレノ……」
「すごいすごーい! まるで公演の本番みたい♪」
アース達は足を止め、驚くべきファインプレーに拍手する。モレノは[潜在能力]を発動させ、バランス感覚を強化したのだろう。
彼は調子に乗って片足立ちになり、ウインクと投げキッスをばら撒いている。こんな有頂天な状態でも、落ちる気配はなさそうだ。
「そうだ、シャトルはどこいったんだろう?」
「向こうの木の陰に飛んでいったよ♪」
アースの問いに、デラは彼らの背後を指差す。公園の敷地内に沿って木が植えられているようだ。アースとドリは根本を探すが、なかなか見つからない。くまなく探すと、公園の入口近くに白い羽根が落ちていた。
「うわっ、ちょ、止めろよ!」
アースがシャトルを拾い上げた瞬間、モレノの悲鳴が聞こえた。「モレノを放せ!」というデラの声も耳に入り、二人は慌てて茂みを出た。
目に映る光景に、二人は息を飲む。金髪の男が、モレノとデラを乗用車に無理やり押しこんでいたのだ。
二人は急いで駆け寄るが、辿り着く前に車は発進してしまう。モレノとデラの泣きそうな顔が、去り際の車窓に一瞬映った。突然の出来事に、アースとドリは呆然と立ち尽くす。
「……ローレン・ライズ」
車が視界から消えた頃、ドリはぽつりと呟いた。疑問に思っていると、彼は「あの男の人の名前だよ」と答える。
「デラが過去を読み取ったんだ。でも、それ以外の話は、間に合わなかった……」
ドリは崩れ落ち、地面に拳を叩きつける。アースも悔しくて堪らなかったが、目元をぐいっと拭い、彼の両肩を力強く叩いた。
「デラがヒントをくれたんだから大丈夫。ドリ、僕たちで二人を探そう!」
アースとドリは近隣住民に聞きこみし、モレノ達を攫った犯人の情報を集めた。デラから伝えられたのは名前だけだったが、思いのほか簡単に身元が判明する。『穢れた科学者』、ローレン・ライズ。この辺りの住民にはよく知られた人物だった。
住宅街の外れに研究所を持ち、たった一人で研究を続ける変わり者。昔は大勢の助手を抱えていたそうだが、そのうちの一人に性的暴行を加えた事件が発生する。全職員が直ちに研究所を辞め、それ以降、ローレンは近隣住民にも忌み嫌われる人物となった。
ウェーブのかかった背中までの金髪、痩せ細った猫背気味の体。そして一瞬だけ垣間見た、土気色の顔と窪んだ瞳。アースはローレンの姿を思い返し、身震いする。モレノとデラが誘拐されたのは、再び凶行に及ぶためなのか。
「こうしちゃいられない、すぐに研究所に向かわなきゃ!」
アースは慌てて、走り出そうとしたドリの腕を掴む。
「待って、僕たちだけで乗りこむのは危険だよ!」
「でもデラたちが……」
「それにドリ、顔が真っ白だよ。具合悪いんじゃないの?」
ドリは口をつぐむ。彼は取り乱したように息が上がり、顔には冷や汗が浮いている。生まれてからずっと一緒だった
「とにかく、一度戻ってみんなに相談しよう」
二人は急いで空き地に戻る。銀色のキャンピングカーの周囲には誰もいない、と思ったら、ドア付近の車体の下から横たわる足が見えた。さすがにノレインの作業を中断させるのは気が引ける。
すると、二人の姿が見えたのか、ミックが外に出て駆け寄ってきた。
「……二人ともどうしたの?」
アースはごくりと唾を飲みこみ、事情を説明する。ミックは怪訝な様子だったが、兄が攫われたと聞いた瞬間表情を強張らせた。
「すぐに助けに行かなきゃ。でも……ナタルとママは、さっき出かけたばかりなの」
ミックの言葉に、アースとドリは顔が青ざめる。そういえば自分達が出かける直前、メイラは『修理が長引いたら今日中には帰れないわね、後で買い物に行こうかしら』と言っていた。ナタルも同行したのなら、きっとシャープとフラットも不在なのだろう。
車窓の奥には、スケッチブックに向かうラウロの姿が見える。しかし、フィードに狙われている彼を連れ出すのは危険すぎる。
「じゃ、じゃあどうすれば……」
ドリの体がふらつき、アースは肩を支える。ミックは険しい表情で黙っていたが、急に踵を返す。そして車内に飛び乗り、すぐに戻って来た。
「パパ、ピンキー借りるわ!」
ミックが叫んだ瞬間、車内からピンキーが飛んできてアースの頭に止まる。車体の下から「ぁ、あぁ?」というノレインの困惑した声が聞こえた。ミックは二人の腕を引っ掴み、そのまま空き地を出る。
アースは動揺したままミックの顔を見る。彼女はいつになく真剣な顔で、真っ直ぐ前を見つめていた。
「動けるのはわたしたちだけ。力を合わせて、お兄ちゃんたちを取り戻すのよ」
――
空き地から走って十分。アース達は目的地に辿り着いた。住宅街から離れた丘の上に、横に長い灰色の建物がひっそりと佇んでいる。入口の柱には、『ライズ研究所』というプレートがついていた。
建物も駐車場も、とても広い。ここに住んでいるのはローレンだけと聞いていたが、乗用車は二台停まっていた。
「あの車はさっき見たものと同じだね。もう一台はお客さんかな?」
アースは白い車を指差す。赤褐色の車は確かに、ローレンが乗っていた車に間違いない。ドリとミックは同時に俯き、沈黙する。
「あっ。ねぇドリ、ラウロさんを助けた時に使った『姿隠し』ってできる?」
アースはカルク島での救出劇を思い出し、ドリに問う。彼の[潜在能力]は、道行く人に自分達の姿が見えないよう錯覚させられるのだ。しかし、ドリは青い顔のまま頭を横に振った。
「今の調子だと、ちょっとだめみたい……」
「……そうね。これ以上、無理をさせられないわ」
ミックは二人の腕を掴み、緊張した声で告げた。
「とにかく、誰にも見つからないように気をつけましょう」
三人は建物に近づく。入口は自動ドアになっており、目の前に立つと音も立てずに開いた。玄関の先は『家』と同じように、横に長い廊下が続く。しかし一本道ではなく、迷路のように曲がりくねっているようだ。
「いったいどの部屋にいるんだろう?」
「……応接室、じゃなさそうね」
ピンキーを頭に乗せたアースを中心に、三人で寄り添いながら廊下を進む。ドアには部屋の名称が記されてはいたが、窓がついていないため外からは確認出来ない。
部屋の中からは機械の稼働音が勢い良く漏れてくる。これでは、足音を察知するのは難しい。そう思いながら廊下の角に差しかかると、三人は何かにぶつかって床に倒れた。
「いったたたた……」
目線の先には、三人と同じように尻もちをつく白衣姿の青年。華奢な喉元についた赤い首輪が印象的だ。アース達は悲鳴を上げかけたが彼はまだ気づかず、床に散らばった書類を慌てて掻き集めている。
三人はその隙に、全速力で廊下を引き返した。数秒遅れて「君達、ちょっと待て!」という緊迫した声が飛んでくる。青年に見つかったのだ。
「なんで? 助手は全員辞めたんじゃなかったの⁉」
「どうしよう、僕たちも捕まっちゃうよ!」
ドリは泣きながら叫ぶ。青年との距離は開いているが、いずれ追いつかれるだろう。アースは歯を喰いしばり、廊下の先に見えるドアを指差した。
「とりあえず、あの部屋に逃げこもう!」
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