12章―3
文字数 2,836文字
時刻は深夜。ラウロはリビングで一人、絵を描いていた。座席に足を乗せ、窓に寄りかかるようにして絵に没頭する。駐車場の街灯が淡く手元を照らし、黒鉛筆で描かれた霊園の風景に哀愁を被せてゆく。
半日前まではラガー兄妹の悲しい過去に心を寄せていたが、ヒビロが背負った壮絶な罪によって上書きされてしまった。様々な想いが一気に押し寄せ、今夜は眠れそうにない。
本来なら『家』に帰宅しているはずだったが、[家族]は今も、霊園の駐車場にいる。ノレインはレントに電話連絡し、帰るのは明日になりそうだ、と伝えていた。用心深いナタルの忠告通り、出発前に食料を持ちこんで正解だったようだ。
「いっけね」
色鉛筆のケースが入った黄色い肩掛け鞄が床に落ち、ラウロは慌てて拾う。もしかすると、今の落下音で誰かを起こしたかもしれない。
男子部屋にはフィオラがいる。『アースおにいちゃんといっしょにねたい!』と言い出し、離れようとしなかったのだ。兄妹はしきりに引き離そうとしたが、双子もフィオラを擁護し、結局一泊することになった。
ヒビロの姿は車内になく、彼は自分の車にいる。きっと今も、愛する妻を失った悲しみと、『家族』への懺悔に沈んでいるのだろう。
「あ、また夜更かしして」
その時、聞き慣れた呆れ声が飛んできた。顔を上げると、苦笑するナタルと目が合った。
「ごめん、起こしちまったか」
「いいのよ、元々眠れなかったから」
ナタルはラウロの後部席に座り、腕を背もたれに乗せて絵を覗きこんだ。生垣と樹木は均整の取れた配置だが、感じ取れるのは美しさではなく、虚しさ。ナタルは深い溜息をつく。
「人が亡くなることって……ほんとうに、悲しいよね」
ラウロはその言葉の重さに、何も言い返せない。不慮の事故であっても、自らの手で終わらせたとしても、他者による犯行であっても、『死』によってもたらされる絶望に限りはない。
「ヒビロさんのことは許せないけど、その殺人犯を殺したくなる気持ちは、分かる気がするな」
ナタルは絵から目を離し、哀しげに笑う。その目に映るのは、ラウロの恩人でもある母親の姿か。
「父親のこと、殺したいのか?」
「……わからない」
腕の中に頭を埋め、ナタルはうなだれた。金色の髪がばさりと揺れ、街灯を受けて鈍く光る。
「殺意がない訳じゃないけど、あの男も、私にとっては『父』なのよね」
ラウロは、父子を泣きながら見つめていたアースの姿を思い出す。アースは実の父に虐待され、ナタルは実の父に母を殺されている。二人は『父』に恨みを抱いているはずだが、ヒビロとフィオラの強い想いに触れ、迷いが生じているのだろう。
両親の顔など知らず、長い間孤独だったラウロには、二人の苦悩など分かるはずもなかった。
瞼の裏に、青い『蛇』の姿が一瞬映る。数ヶ月前の余韻が一気に蘇り、思わず身体が震えた。幸い、ナタルは俯いたままで気づく様子はない。
愛する者を救うために逃げ出したが、求める心は日に日に強くなるばかり。欲求の全てを絵に向けることで平静を保っていられたが、いつ均衡が崩れるか分からない。そして、狂おしいほどの欲望に蝕まれているのは恐らく、自分だけではないだろう。
「生きて幸せになる、って……本当に、難しいよな」
もし、『愛』が『殺意』に代わってしまったら。
ラウロの呟きは宙に消える。ナタルは顔を上げることなく、何も返さない。
今の自分に出来るのは、亡くなった人々を想い、道を誤らないよう自身に言い聞かせることだけ。ラウロはこれ以上手を動かすことなく、長い間、寂しい絵に想いを馳せ続けた。
――――
『……さ……、に……さん』
ノレインは、どこか遠くから聞こえる声に意識が戻り、目を開けた。辺りは真っ白。霧でもなく、煙でもない。咄嗟に「これは夢の中だ」と直感した。
頬をつねって起きようか、と考えていると、背後からはっきりとした声が聞こえた。
『よかった、気がついてくれたのね』
落ち着いた女性の声。心地良いアルトの響きに、ノレインは何故か涙がこみ上げた。
振り返ると、白いワンピースに男物の黄色いジャケットを羽織った女性がいた。見覚えのある茶色の癖っ毛に、同じ色の瞳。髪の量こそ異なるが、その見た目はノレインと瓜二つだった。
「あなたは……ルミ、か?」
恐る恐る問いかけると、その女性はにっこりと微笑んだ。
『えぇ。会いたかったわ、兄さん』
視界が涙でぼやける。腕で目元を拭い、ノレインはルミに勢いよく抱きついた。何年も前に亡くなったはずだが、その体には温もりがあり、何故かヒビロの匂いも感じた。
「私もだ。ルミ、会えてよかった……!」
『本当は生きて会いたかったけど、今は夢でしか会えないの』
『生きて会いたかった』という言葉に、心が痛む。体を離すと、ルミは少しだけ寂しげに微笑んだ。
『でも、ヒビロさんを責めないであげて。私が死んだのは彼のせいじゃない。ただ運が悪かっただけだから』
「ルミ、あいつは大事なことをずっと黙ってたんだぞ? ヒビロのこと、恨んでないのか?」
『最初は悲しかったけど、今は全然よ』
ルミはノレインの両腕をそっと掴み、心を照らすように眩しく笑った。
『だって、初めて心の底から好きになれた、大切な人だもの!』
ノレインは愛に溢れた返答に再び涙し、ルミを抱きしめた。
『ヒビロさんとフィオラにも伝えて。私はずっと、あなた達の傍にいる。昔も今も変わらず、あなた達を愛しています、って』
耳元で響く温かい言葉。ノレインは彼女の頭を抱き寄せ、精一杯叫ぶ。
「あぁ、約束しよう。必ず伝えるから、安心してくれッ!」
『あっ、大事なことを忘れてたわ。男の人と関係を持つのは構わないけど、あんまり迷惑かけないように、って注意してあげてね』
ノレインは「それはさすがに」と言いかけるが、ルミの言葉が次第にぼやけ、慌てて呼び止めようとする。だが視界も徐々に暗くなり、意識も薄れてゆく。最後に聞こえたルミの声はとても柔らかく、優しかった。
『兄さん、私の声を聞いてくれてありがとう。……大好きよ』
――――
ノレインは飛び起き、辺りを見回した。ここは屋根裏の収納兼、夫婦の寝室。奥の収納スペースと手前の寝室は山積みの荷物で区切られており、彼はマットレスのみの簡易ベッドで眠っていた。
この屋根裏には彼と、メイラしかいない。視線を落とすと、涙が一粒落ちた。
やはり、あれは夢だったようだ。しかし、その温もりはまだ残っている。ノレインはベッドサイドのローテーブルに移動し、出しっぱなしのノートを開いた。
「ルイン、どうしたの?」
メイラは目が覚めたのか、体を起こしたようだ。テーブルランプの電源を点け、ノレインは振り返る。その顔は、今にも泣き出しそうな笑顔だった。
「夢の中でルミに会ったんだ。忘れないうちに書き写して、ヒビロとフィオラに伝えないとな!」
Relationship between his lovers
(ようやく繋がった、愛する人の想い)
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