12章―1
文字数 3,985文字
銀色のキャンピングカーに戻った一同。気絶していたメイラは瞼を震わせ、ようやく目を覚ました。
「良かった、一時はどうなることかと思ったぞ!」
オレンジ色の瞳が、ほっとした様子のノレインを捉える。その途端メイラは飛び起き、彼の胸ぐらに掴みかかった。胸を撫で下ろしかけた[家族]は、揃って飛び上がる。
「ルイン、あんたいつの間にヒビロの子供なんて産んでたの⁉ あたしがいるっていうのに、酷いじゃないのよおおおおおおおおぉぉぉ‼」
殴りはしないものの、首が取れそうな程激しく揺さぶりをかける。ノレインは必死に、声を絞り出した。
「ぉ、落ち着いてくれ……そもそも、私は男だ! 子供を産める訳ないじゃないかッ‼」
メイラは我に返り、手を放す。無様に落下したノレインを助け起こしつつ、彼女は「ご、ごめんなさい!」と慌てた。突然の修羅場を越え、[家族]は今度こそ、胸を撫で下ろした。
アースは振り返る。夫婦の真向いの座席には、暗い表情で黙るヒビロと、メイラの怒号にすっかり怯えてしまった少年がいた。二人の容姿はそっくりであり、どう見ても、彼らは親子にしか見えない。
メイラはヒビロを鋭く睨もうとしたが、少年の様子に気づいて目元を和らげ、彼の目線まで腰を落とす。
「怖かったわよね? いきなり怒鳴っちゃってごめんなさい」
「うぅん、だいじょうぶだよ」
少年は一瞬背を震わせたが、彼女の柔らかい言葉を聞いてようやく笑う。その笑顔は、やはりノレインにも似ていた。
「ヒビロ、そろそろ説明してもらおうか」
ノレインは彼らの前の座席に膝をつき、背もたれに腕を乗せる。意中の相手に真っ直ぐ見られているにも関わらず、ヒビロは彼と目を合わせようとしない。そのまま一分が過ぎ、ヒビロはようやく口を開いた。
「こいつは、俺の息子のフィオラだ。もうすぐ九歳になる」
[家族]全員が息を飲む。茶色い癖っ毛の少年フィオラは、あどけない笑顔で「よろしくおねがいします!」と挨拶した。メイラはノレインの隣に並び、混乱した様子でヒビロに迫る。
「きゅ、九歳って……[オリヂナル]結成からちょうど十年前だから、その翌年じゃない! あんたまさか、あの時にはもう……」
「あぁ。ちょうど、妻の妊娠が発覚してすぐだった。結婚したのは、それより数ヶ月前だ」
アースは困惑する。目の前でうなだれるこの人は本当に、男好きの『変態』と呼ばれた人物なのだろうか。ヒビロは顔を上げずに、言葉を続ける。
「今となっては言い訳にしかならないが、本当は十年前の同窓会の時、報告するつもりだったのさ。だが、[オリヂナル]結成の盛り上がりにタイミングを失っちまって、結局言えなかった」
数ヶ月前、カルク島で『同窓会』が行われた日。十年前に開催された同窓会の中で[オリヂナル]が結成された、と彼らは歓談中に語った。確かに、メイラが気絶するほどショッキングなこの事実は、楽しい雰囲気をぶち壊してしまうに違いない。
「そ、それで……お前の奥さん、は……」
ノレインは恐る恐る問う。ゆっくりと顔を上げ、ヒビロは窓の外を見た。既に薄暗いが、寂しげな霊園の風景がはっきりと映っていた。
「四年前に亡くなった。今も、あの場所にいる」
フィオラは両手をぎゅっと握りしめ、寂しそうに俯く。彼の痛ましい姿に、[家族]全員が沈黙した。
ラガー家の火災事故は三年前だった。そうなると、ヒビロの妻は一年も早くこの霊園にいた、ということか。
「病気、だったの?」
「いや」
ヒビロはメイラの問いにゆるゆると首を振る。抱き上げたフィオラを膝に座らせ、その癖っ毛を優しく弄りながら、彼は悔しげに呟いた。
「殺されたんだよ、俺達の目の前で」
[家族]は言葉を失う。ヒビロは一呼吸置き、過去を語り始めた。
「俺の妻、ルミと出会ったのは十一年前、交番勤務から[政府]の刑事に昇進した頃だ。捜査中に偶然、四、五人の男が女性を取り囲む現場に出くわしたんだ。そいつらを取り押さえて、彼女からお礼を言われた。その女性が、ルミだった」
[政府]の刑事にはよくある、日常の一部分。同性を好む彼にとっては、彼女との関わりはそこで切れそうに思えたが、彼はその直後信じられない一言を放った。
「普段の俺なら女性の顔はあんまり気にしないんだが、この時ばかりは釘づけになっちまった。彼女はな、お前とそっくりだったんだよ、ルイン」
ヒビロは顔を上げ、ノレインを見る。彼の目は妖しく輝くことなく、真剣な様子だった。ノレインは「ちょっと待て」と言いかけるが、口元を手で押さえ、再び閉口する。
「思わず『ルインなのか?』って聞いちまうくらい、そっくりだった。まぁ、髪は全然薄くなかったんだがな。彼女はそのまま立ち去ろうとして、気がついたら、引き止めてしまった」
髪の情報を聞くや否や拳を振りかぶったメイラだったが、後に続く言葉にピタッと止まる。
「それがきっかけで、俺達はよく会うようになった。最初は彼女が何でルインに似てたのか確かめるためだったんだが、いつの間にか……俺は、彼女に惹かれていたんだ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
メイラは抑えきれず、遂に口を挟んだ。
「あんた、男しか好きになれないド変態じゃなかったの?」
ヒビロは反射的に「失敬な」と言い返したが何も反論出来ず、溜息をついて頭を掻く。
「俺だってそう思ってたさ。でも、こればっかりは分かんねーんだよ……見た目はルインだったけど、性格は全然違ってた。お調子者でもないし、おっちょこちょいでもなかった」
褒めているのか、けなしているのか。ノレインは不満げに眉根を寄せたが、文句を飲みこみ、真面目な表情になる。
「人を好きになる気持ちに理由なんてない。ヒビロ、お前は本当に、ルミさんを愛していたのだな」
ノレインは複雑な顔で微笑む。嬉しい気持ちと悲しい気持ち、両方が滲み出ていた。
「あぁ。ルミは俺の性癖を知っても軽蔑することなく、変わらずに接してくれた。彼女が男でも女でも関係ない。俺はルミの存在が好きだったんだ」
ヒビロはようやく、柔らかい笑みを見せた。その目元が優しげにほころぶ。きっと彼は、ルミのことを片時も忘れたことがないのだろう。アースは、心の中が温かくなるのを感じた。
ヒビロはノレインの両手を取ろうとするが、すかさず、メイラに払われる。
「どさくさに紛れて何やってんのよ!」
「ちぇっ、ばれたか。まぁいい。ルミと交際を始めて一年経った頃、俺は[地方政府]昇格が決まった。そのタイミングで結婚を決めて、レント先生には報告したんだが……お前ら『家族』には、どうしても言えなかった」
夫婦の目元が、同時に険しくなる。
「同窓会でも言えなくて、その後は仕事やこいつの出産育児で忙しくて、時間だけが過ぎた。フィオラが産まれてこれ以上ないくらい幸せだったが、お前らに言えなかったことが後ろめたくて、ずっと、苦しかった。そして四年前……あの事件が起きた」
ヒビロは、膝の上のフィオラを優しく抱き寄せる。彼は父親の震え声に、不安な表情を向けた。
「話は変わるが、ジルビス・ルーズラインって男を知ってるか?」
ラウロとナタルは疑問符を浮かべたが、二人以外の全員が何となく頷いていた。メイラは眉間に皺を寄せて記憶を辿りつつ、ヒビロの問いに答える。
「確か、通り魔殺人で捕まった犯罪者よね? ニュースで見たわ」
カルク人のアースにも、その名は聞き覚えがあった。数年前、ミルド島で数十件にも渡る殺人事件が次々と発生し、ミルド島の人々だけでなく、全世界が恐怖した。事件は連日のように報道され、アースも幼いながらに震え上がったものだ。
しかし、ジルビスの名が全世界に知れ渡ったのはその事件ではない。彼は逮捕された一年後、刑務所を脱走したのだ。
ヒビロは小さく頷き、目を落とす。ちらりと見えたその目には、憎悪が映っていた。
「奴を最初に捕まえたのは、この俺なのさ。[催眠術]で動きを止めて、凶器にも触れさせずにな。だが、奴は一年後に脱獄した。ミルド島全域で厳戒態勢が敷かれたんだが、奴はその目を掻い潜って、俺に復讐しに来た」
アースは、血の気が下がるのを感じた。記憶が定かではないが、ジルビスは脱獄後も数件の殺人を繰り返したはずだ。話の流れから考えると、犠牲者の中には、恐らく。
「その日は非番で、一家三人で外出していた。奴の目撃情報が出たらすぐ対応出来るように、道具一式は持ち歩いてたんだが、奴のターゲットは俺だった。音もなく背後から襲われて……ルミがいち早く気づいて、俺を、庇って……」
ヒビロは目を伏せる。彼の膝の上で、フィオラはきつく口を結んだ。
「振り返ったら、奴はフィオラにも手をかけようとしていた。俺は[催眠術]で動きを止めることも忘れて、気がついたら、奴を撃ち殺していたんだ」
アースは事件の顛末を思い出した。殺人鬼ジルビスは一人の女性に凶行を及んだ後、その場に居合わせた警官と揉み合い、射殺された。
こうして事件は幕を閉じたが、対応した警官については賛否両論巻き起こり、事件後もしばらく報道されていたように思う。
彼の[催眠術]を目の当たりにした、『同窓会』の出来事が脳裏に浮かぶ。その赤茶色の瞳と目が合った瞬間、体の自由が奪われる様を何度か見てきた。
誰よりも強力な『武器』を持つはずの彼でも、愛する人の命の危機に、我を失ってしまったのだ。
「ルミは緊急搬送されたが、事情聴取があって出られなかった。一日経ってようやく解放されて、すぐに病院に向かったが……間に合わなかった」
ヒビロの声が僅かに濁る。彼はフィオラの頭に顔を埋め、震えていた。
「その後しばらく謹慎となったが、結局これのおかげで、[世界政府]移籍が決まったのさ。……皮肉なことにな」
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