プロスペローの「紙の本」

文字数 695文字

私は紙の本が大好きである。
 井上ひさしが、かつて、「本は紙でなければならない」といっていた。それを聞いて、私は激しく同意したものだが、彼が「紙の本が滅びない理由」として挙げた主張、「紙しかもたらさない境地があるのだ」には、心もとない気がしたものだった。
 時代は移り、市川沙央さんが顕著な仕方で読書バリアフリーを訴えた。おくればせながら、本の電子化は必要なことだと私も理解した。積極的に推進すべきことである。
 しかし、市川さんも、クリアな(たと)えをしている。「城にエレベーターをつけてほしい。でもだからといって、それは階段をなくせといっていることではない」

 かつて、ニュー・アカ(デミズム)ブームなどといって、浅田彰さんの『構造と力』などをこれみよがしに持ち歩くことがトレンドだった時代があったという。じっさいのところ、浅田さんの著作を理解できないばかりか、そもそも読みもせず、ただ持ち歩いているだけというひとも多くいたようだ。
 本をファッションとして再生させよ、などというのは論外だが、それも紙の本が日常に帰ってくるひとつの契機とはなろう。
 アナログとデジタルの共存こそが、私の願うところである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d2a267fc2921ce4436e5e71c6fe926cf3e0e32be

 テクノロジーによって、五感をとおして紙の本となんら変わらぬというデジタル本は早晩可能になるだろう。
 
 私が紙の本に対してもつ信頼というのは幻かもしれない。それは私に消えない幻だ。
 別の惑星に移住が可能になったとしよう。
 私はそこで紙の本を開きたい。
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