第9話

文字数 1,042文字

 「芥川賞なんて年に二回もある新人賞なんであって、たいしたことない」という人がいるかとおもえば、「又吉、大江さんとか石原さんがとったようなすごい賞とったけど、そんな作品もう書けないんだから、処女作でやめておいたほうがいい。書いたら恥かく」とはナイナイの岡村氏の言である。
 又吉氏自身は、冷静に批判的なコメントをすくって、年二回ある、しかも文芸誌に発表された純文学作品という限定的なところから選ばれるものに過ぎないとはわかっているが、自分の後で芥川賞を受賞する人のことをおもえば、そんな言を目立つ場で発するべきではないという立場だった。(つまり、両方面にたいして謙虚であった)
 村上春樹氏は、「年二回もあって、毎回傑作が出るわけはない」という、これもまた、冷静な立場だ。

 いまにいたっても、わたしはまだ、ちょっぴりしか新人の作品というものを読んでないが、(芥川賞、あるいは野間文芸新人賞・三島賞)候補作、あるいは候補にもならないものを読んでみて、文学的才能ある人間がいかに多いか、裾野の広さに感じ入っている次第。(深さもある)

 才能はあっても、「読まなくてもいい感じだな」と読みながら感じる作品はある。
 それは読者の主観の問題であるが、たとえばわたしなら、ドストエフスキーは読まなかったらもったいなさすぎる。
 また、これもまた主観の問題だが、読んでいる最中、「これ読んでもまったく意味ない」と認知しながら、それでも読んでしまうという作品(作家)というものがあるる。

 作家としたら、生活がかかっているから、買ってもらえる作家にならなければ意味がない。
 村上春樹氏が国際的認知を得るまえに、ジョン・アーヴィング氏と対談した際、アーヴィング氏から「メインライン」してしまえば読者はついてくると村上氏に教示するような感じで発言している。麻薬を静脈注射するような作品を一作出せば、読者というものは薬物にハマッたように次の作品を買わずにはいられなくなるのだと。
 他の作家はそうはいかないし、実のところ、メインラインしたあとガッカリするような作品を出せば読者ははなれ、取り戻すことはむずかしいし、なんといっても現在、本は危機的に売れない時代だ。

 バーボンの酔いも思考を混沌とするレベルなので、このへんで筆を擱くが、得体のしれない作品を書く新人(まだ芥川賞も野間文芸新人賞も三島賞もとっていない)がいるということを知れたのは、なにか体の組成に影響がきているくらいに、わたしにとって深い体験となっている。
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