王都にてDAY.02 ④『喧嘩』

文字数 5,000文字

「お前達、なぜ奴に言い返さなかったんだ?」
改めて私が問うと、二人は顔を見合わせた。
「奴が医学院側の人間だとはいえ、好き勝手言われて悔しくないのか?」
「彼の言い分も間違いではありませんし、医学院を出た者としてはむしろ正しい部分が多い。好き勝手言われたのとは少し違います」
「……」
ところが、返ってきたのは小男を庇うどころか、私を否定するような言い方だった。私の心に苛立ちの火が着いたのは言うまでもない。
「医学院に従わなければ、今この王都(まち)で医者として生きていく事は難しいですし、僕が勝手に診察する事で、本来は診察所(むこう)に行くはずだった患者を奪っているのも事実。妨害と言われても仕方ありません」
「アイツの考え方は極端で口も悪ぃけどよ、大筋で言やぁ間違っちゃいねぇ。俺だって診療所から逃げたと言われりゃ否定は出来ねぇしな」
「……」
大男もまた、小男を擁護するような言い方をした事が、私の苛立ちを更に募らせた。
「情けない事を言うな。医者としての自分の生き方を侮辱されているんだぞ?」
「わかってるさ。ただ――」
言葉を切ると、大男は太い腕を男の首に回した。
「俺もコイツも"意味ねぇ喧嘩"は買わねぇだけだ」
「どういう事だ?」
「僕達が彼に自分の信念を伝えたところで、彼は納得しないでしょう。君もさっきも言っていたように、今の医学院の理念に反してるのは僕達の方ですから。それに――」
男は、空を見上げた。
「彼が少し、気の毒でもあります」
「気の毒?」
あの無礼な小男を気の毒だと言うこの男の考えがわからなかった。
仮に向こうの言い分が正しかったとして、一方的に生き方を侮辱してきた相手を憐れむ。その理由がわからなかった。
「あの小男の何が気の毒だと言うんだ?」
王都(ここ)から長く離れてた君は忘れてしまったかもしれませんが――」
男は空から私に視線を戻した。
「この街の人々が通う診療所は、今でも大きく2種類に別けられています。平民以上の人間は診療院と第二診療所に通い、その他の人々は第四、第五診療所へ通う」
「覚えている。"格差工作"の結果だろう?」

――格差工作

医学院側は診療所ごとの診察対象者に身分の区別をつけず、さも差別のない医療を提供しているように謳っていた。しかし実際には人々の心理を利用した格差がしっかりと出来上がっていた。
王室直属の診療院はもちろんだが、第二診療所もまた他の診療所に比べて建物内外の造りが凝った様式で建てられていた。もちろん、造りが立派だからといって診察料金に違いがあるわけでもなく、診療院以外は医者の腕にも大きな差はなかった。
ところが、建物相応の身なりで通ってくる平民以上の患者達からの無言の圧力に、平民の患者達は徐々に第二診療所から追いやられていった。格差を見せつけられる診療所にかかりたいとは誰も思わないからだろう。
しかもそれは、同じ平民同士が通う第四、第五診療所の間でも起きていた。結果、この街で最も低層と思われる者達は自然と第五診療所に通うようになっていた。
結果、建物を立派にするだけで、医学院は診療所の差別化を成功させた。この街に数多くある壁の中の一つ。仕組まれた格差作り。私はこれを、皮肉を込めて"格差工作"と呼んでいた。
今思えば、この格差工作で患者を分ける事すらも、医学院が人々を心理的に支配する為の材料にされていたのかもしれなかった。
「奴の勤める第三診療所は、その2種類の人間が唯一通っている所だろう?」
平民の中でも比較的裕福な者と、平民以上身分でも所得の少ない者。いわゆる"中層"の者達が通う診療所。それが第三診療所だった。だから、所長である奴が"平民以上の者しか診ない"と言っていたはずだった。
「"当時"はそうだったかもしれませんが、今ではもう平民以上の者が第三診療所に通う事は滅多にないんです」
「そうなのか?」
「さっきも言いましたけど、王都(このまち)の貧富の格差は、前よりも大きくなっています。それだけ、人々の"見栄"の張り方も大きくなっているという事です。平民以上の身分にも関わらず平民と同じ診療所に通う事をプライドが許さないのでしょう、彼らもまた無理に身なりを整えてでも第二診療所に通っているようです」
私が居た頃から、この街では纏う服や住まう屋敷と同じように、通う診療所もまたその人間の等級を現す材料になっていたのだが……その風潮は、この15年で更に強くなっていたようだった。
「もうわかっただろ?第三診療所で平民以上の患者しか診ないっていう、今のアイツの仕事が何なのか」
「……」
大男に言われて、私はようやく男が奴を気の毒と言った意味がわかった。
第三診療所に来る事が滅多にない平民以上の患者を診る。それがあの小男の医者としての仕事。つまり、あの小男には医者としての仕事がほぼ与えられていないという事だった。
「所長だからといって平民を診てはいけないという規則ないはずです。彼のプライドがそうさせてるのか、そもそも彼に何か問題があって医学院側が"あえて"そう指示したのかはわかりませんが……医者として患者と関われない事は、やはり気の毒かと」
「医者であって医者じゃねぇ。そんな"今の"アイツと信念(しごと)の事で喧嘩したって意味ねぇだろ?」
だからこの男達は、奴と言い合う事を"意味のない喧嘩"と言ったようだった。
「……お前達の言い分はわかった。では――」
二人の言い分を聞いた上でも、当然私の不満が解消されたはずもなく――
「"そう"である事をあの小男に直接聞いたのか?」
私は"いつものように"反論を始める事にした。
「直接?」
「ああ。お前は第三診療所で何も仕事を与えられていないのか?医者としてお前はそれで満足なのか?と、奴に聞いたのか?」
「いえ、直接聞いたわけではありませんが……医者ならばそう思うものだと」
「それは全てお前の想像だろう?」
予想はしていたが、予想以上に予想通りな答えに私の苛立ちは呆れへと変わっていた。
「奴は今の暇な暮らしを満喫しているのかもしれないぞ」
「……それは、否定しませんが」
「お前は昨日、私の考えが机上論の域を出ないと言ったが、お前の想像の方が机上論の域を出ていない。たった一人の人間の本音すら聞けないお前に、私の考えを否定する資格があるのか?」
私が二人を睨むと、事情を知らない大男は首を傾げたが、事情を知っている男は私から視線を逸らさなかった。
「医者が皆、自分と同じ想いを持って仕事をしていると決めつけるな。お前は奴を哀れんでそうしたのかもしれないが、私に言わせれば奴を見下しているようにしか思えない。医者として働けていない奴を見下し、"負け犬の遠吠え"くらいにしか感じていない。だから何を言われても頭に来ないんだ」
「……」
男が何も言い返して来ないのはいつもの事だった。小男の時とは違う沈黙。この男が反論の機会を伺っている事を、私は十分にわかっていた。
「お前はさっき沈黙には意味があると言ったが、そんなものは自分の真意を伝える勇気も、相手の真意に触れる勇気もない者の言い訳にしか聞こえない。私のように殴ってやった方が、奴に伝えられるものはあるはずだ」
「だったら、殴らずに口で言ったら良かったじゃないですか」
案の定、男は私の上がった足をすくいに来たが――
「口ですら言わないお前に指摘される覚えはない!」
私は"昔"の感覚で、バッサリ切り捨てた。
「そもそもお前は昔からそうだ。相手も自分と同じ感覚で物事を捉えていると考える。だから何も言わないでも平気でいられるんだ。相手もきっといつか自分の考えに気づいてくれるだろうと思っている。そんな甘い考えがでいるから――」
「わかったわかった。お前の言い分もよーくわかったからよ、続きは後でやってくれ」
大男が再び私達の間に入ってきた。
「お前ら、昔っからそんな言い合いばっかしてたよな。口喧嘩して何が楽しいんだ?」
「口喧嘩ではなく議論だ。楽しいからではなく、自分の考えを証明する為にしているんだ 」
「正確には"討論"ですね。彼女は自分が納得出来るまで、引き下がる事はありませんから」
「それはお前の方だろう!」
「わかったわかった!もういいって。要するに言葉で責め合う痴話喧嘩が好きって事だな」
「違う!」
ボリボリと頭を掻きながら苦笑いを浮かべる大男に、私は怒鳴った。
「どんな理由があろうと、あんな無礼な振る舞いを容認出来るお前達の気が知れないと言ってるんだ」
「……やっぱ、気付いてねぇか」
私が腕を組むと、大男は声を潜めて男に言った。
「まぁ、そうでしょうね」
「何の話だ?」
こそこそ言い合う2人に、私は聞いた。
「もう一度聞くがよ……お前、さっきのアイツの態度どう思う?」
「態度?無礼の一言だな」
「昔のお前、あんな感じだったぞ」
大男が言うと、男も隣で黙って頷いた。
「……冗談を言うな。私があんな無礼な訳がないだろう」
「まぁ、あそこまで嫌味じゃあなかったがなぁ。雰囲気とか口調とか、だいたいあんな感じだったぞ。なぁ?」
男は再び黙って頷いた。
「俺達がアイツの態度にあんまり苛立たなかったのは、昔のお前を知ってたからかもな」
「……」
悔しいが、過去の自分を引き合いに出されると否定する自信はなかった。
「最初は、アイツが昔のお前を真似してるようにも見えたくらいだ」
「馬鹿を言うな。何の為に私を真似る必要がある?」
「さぁな。医学院時代のアイツは無口だったからな。同じ無口でも、気に入らない事があると誰にでも本気で噛みつくお前に憧れてたんじゃねーか?」
「……」
「もしくは、

惚れてたとか」
思わず背筋がゾワッとした。
「二度と言うな」
「冗談だって」
「冗談でも二度と言うな。……もういい、いい加減解散しよう」
私は大男の胸板を軽く殴ると、大きく息を吐いた。
「これ以上、子どもに大人の言い合いを見せる事はないだろう」
「それもそうだな。夫婦喧嘩は犬も食わないって――」
私がもう一度胸板を殴ると、大男は言葉を切った。
「――じゃなくて、そろそろ爺さんの店に行かねぇと、今日の晩飯が食えなくなっちまうと悪いなぁ」
大男がわざとらしく顔を向けた西の空は、少しずつ茜色になりはじめていた。
「じゃあな、続きは二人で仲良くやってくれ。せーぜー中身のある喧嘩にしてくれよな」
私が黙って睨み返すと、男は笑いながらリュスティオを連れて老師(ジャワワ)の店へ向かって歩き出した。
「……中身のある喧嘩、か」
私は、遠くなっていく親子の後ろ姿を見ながら呟いた。
「私達の議論を口喧嘩と言うなら、確かにお前との喧嘩は中身のないものばかりだったかもしれないな」
お互いが自分の主張を言い合うだけ。どちらかが折れるなんて事もなく、折衷案なんて出る事はなかった。意見が合うか、合わないか。常にその二択だった。
「もし君の言葉を借りるなら――」
不意に、男が言った。
「これまで君に売られた喧嘩を一度も

僕は、君を見下してはいない、という事になりますか?」
「……まぁ、そういう事ではあるが、それがどうしたのか?」
「いえ、それならいいんです」
「……」
そうだった。
この男は……この男だけは、医学院の頃から私と同じ目線だった。他の男達が「しょせん女の戯れ言」と聞き流すような事にも、本気で応えてくれた。結果、意見がぶつかって言い争いになったとしても、それはこの男が私を対等に扱ってくれた証拠でもあった。
遠回しにとはいえ、私は今それを自分から認めてしまっていたようだった。
「僕は、これまでの君との口喧嘩が意味のないものだったとは思いません」
「……」
男は、妙に真剣な眼差しを向けた。
「僕にとっては有意義な時間でしたし、君にとってもそうであったと信じています。だから君は、あの部屋に戻って来てくれた。違いますか?」
「……どうしたんだ、急に」
いつもとは違った角度から反論された私は、返す言葉につまった。
「君の言う通り、僕は臆病者という事です。自分の真意を(さら)すのも、他人の真意に触れるのも怖い」
これまで、この男が自分の弱味を認める事などなかった。いつも必ず、言い訳にも似た反論をしてきたから。
「でも、君とはどんなに口論なっても怖いと思う事はありませんでした。不思議ですね」
「……」
その顔も、その言葉も、男が私に初めて見せた姿(もの)だった。
「そろそろ日が暮れます。僕達も帰りましょう」
そう言ってうっすら微笑んだその顔に西日が差し、男は眩しそうに目を細めた。


つづく。
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