王都にてDAY.04 ④『利用』

文字数 4,786文字

「旦那様は先生様と共にあの村へ常駐されていた時代に出会った奥様を見染められて、そのまま――」
「黙れクエル」
これまでで一番低く、重い声が部屋に響いた。
「そんな話をさせる為に、お前の同席を許したのではない」
「……申し訳ありません」
父の"本気"を感じ取ったのだろう。クエルは頭を下げると、乗り出していた身を引いた。
図らずも父と母の馴れ初めを知ってしまったが……父がかつてあの村に居た事よりも、母の生まれ故郷があの村だったという事に驚いた。私が人生の半分近くを過ごしていたあの村と、自分の母親にそんな繋がりがあったなんて知るはずがなかった。
私が村への派遣を言い渡された時、父と老師(ジャワワ)はもちろん、クエルも"その事"を知っていたに違いない。きっとクエルは父に口止めされていたのだろうけれど、父達がそれを私に秘密にしていた理由まではわからなかった。ただ――





驚いたのと同時に、私の中にずっとあった"謎"がひとつ、確信に変わった瞬間でもあった。
「話を現在(いま)に戻す。お前を呼び戻した理由は、もうわかっただろう」
「……15年前、私が出来なかった事を今からやれ、という事ですか」
「そうだ」
それはつまり、もう一度この王都で医者として勤め、今度こそ女医の見本を示せ。という事だった。
「人並みの評判を得られるようになった今のお前ならば問題はないだろう。男尊女卑を嫌うお前にとっても、女の地位を底上げする事は本望ではないのか?」
「……」
確かに、私が王都(このまち)で医者として勤める事が未来の女医を生み出す事、しいては女の地位向上に繋がるのであれば、それは望ましい事ではあった。
けれど、私にはその返事をする前にはっきりさせておきたい事があった。
「……なぜ、今なのですか?」
「どういう意味だ?」
「父上から最初に帰省の命を受けたのは2年前になります。医者としての自分を過大評価するつもりはありません。私の評判が王都(このまち)に届いたのがいつなのかもわかりません。ですが……帰省命令が私の耳に届くのに13年は長いように思えるのです」
「……」
「何か他に、この時期になった理由があるのではありませんか?」
「……」
「それは――」
「黙れクエル」
黙っていた父の代わりに口を開こうとしたクエルを、再び父の"本気"が制した。
「私が、機が熟したと考えた。それ以外の理由はない」
「……そうですか」
父が何かを隠している事は明らかだった。けれど、今は"そこ"を追及している場合ではない事はわかっていた。
「15年前にお前が医学院を出て以来、未だに女の医者は誕生していない。お前が女医の評判を落としたのも15年前。人々の記憶からも消えている頃だろう」
「……」
父の言い方は、まるで"ほとぼりが冷めるのを待った事"が唯一の理由だとでも言いたげだった。
「お前には診療院か、第二診療所に勤務してもらうつもりだ。理由は、必要か?」
「……いえ」
これまでの父の話。私が見た王都(このまち)の景色と、男達から集めた王都(このまち)の現状。それらを考えれば、父の思惑は自ずとわかった。
「父上は、王都(このまち)が国の中心だと仰いました。王都(このまち)の人々の声が、この国の常識を築くと。そしてそれは人の数だけではなく、富が多く権力が強い者の声の方がより"常識を築く力"を持っているという事でもあります」
それは、私が嫌いな王都(このまち)の壁の一つでもあった。
「"格差工作"の結果、裕福な権力者が多く通うようになった診療院か第二診療所に私を配置し、権力者達に女医(わたし)医術(うで)を見せる事で、より迅速に事を運ぶ。そう目論んでいらっしゃるのではないですか?」
「多くは違ってはいないが、随分自分に自信があるような物の言い方だな」
「自信ではなく誇り(プライド)です。私の、医者としての」
父が、私の医者としての誇り(プライド)王都(このまち)に抱いている嫌悪感を利用して何かを果たそうとしている事はわかっていた。利用される覚悟もしていた。だから私も、父を利用するつもりで屋敷(ここ)に戻って来た。父が王都(このまち)で築き上げてきたものを利用する為に。
「父上が私を呼び戻した理由はわかりました。私に何をさせたいのかも。その上で聞きたい事があるのですが、宜しいですか?」
私が訊くと、父は黙って頷いた。
「そもそも父上は、どうして王都(このまち)に女医を増やそうとお考えなのですか?」
それが一番の疑問だった。
「現王の膝元である王都(このまち)には男尊女卑の風潮が色濃く、根強くあります。しかも、今の医学院は現王側との繋がりも以前より強くなっていると聞きました。王都(このまち)での医者の権力は強いものになっているとも聞きました」
私がこの2日間で見て、聞いて、感じた事だった。
「父上が仰った通り、女医を増やすという行為は王都(このまち)での女の地位を底上げする事に繋がるでしょう。ですが、父上のそのお考えは現王側の考えに反する事なのではありませんか?」
「……」
男尊女卑を重んじる現王側と、女の地位の底上げを図ろうとする父。その考えの違い。
老師(ジャワワ)や大男の話からも、医学院(ちち)は現王の言いなりだとばかり思っていた私は、そこに大きな矛盾を感じた。
「私が一言でも、"それ"を望まないと言ったか?」
ところが、父の返答はさっきと同じか、それよりも早いものだった。
「この国が女を軽んじている事を、一度でも良しと言ったか?」
「……いえ」
正確には、そんな話などこれまで一度もした事はなかった。ただ、私に対する父の言動が"それ"を語っていたようなものだったから、私は昔から"そう"思っていた。父は私の事が……女の事が嫌いなのだと幼い頃からずっと――
「ずっと旦那様の冷たい態度に(さら)されてきたお嬢様が、そう勘違いなさるのも無理はありません。責任は旦那様にもございます。責めるような言い方はお止めになって下さい」
まるで私の心を読んだかのように、クエルが言った。
「お嬢様、よく考えてみて下さい。もしも旦那様が本当に女を軽んじる事を良しとするお方なら、奥様のように対等に物を言うお方を伴侶に選びますでしょうか?」
「……」
確かに、クエルの言う通りだった。
母は父に遠慮なく言い返す人だった。妻は夫に服従するのが当然という王都(このまち)の女性としては珍しい人だった。
「私のように、主人に盾突く使用人を何十年もお雇いになるでしょうか?」
「……」
そしてそれもまた、説得力のある理由だった。自分で胸を張って言える事かは別として。
「旦那様は、昔から女を服従させようなどという考えはお持ちではありません。この私が身を持って保障致します」
「……それでは」
例えばそれが事実だとして、更に浮き彫りになったのはまったく別の疑問だった。
「どうして父上は、ご自分の考えに反してまで現王側と繋がりを保とうとするのですか?」
「……"力"を得る為だ」
そう返事が返ってくるまでに、少し間があった。けれど父の声に迷いは感じられなかった。
「どんなに医学が他国より進もうが、医者は"人"の一つ。"国"の力には勝てん。だが、国も所詮は人の集まり。どんなに権力を持とうが人の体の仕組みが変わる事はない。医学の前には人は皆平等だ。私が得た医学の力が、権力者に太刀打ち出来る力だとするならば、私はこれを最大限に利用するだけだ」
「……」
眼鏡の男と話している時もそうだったように、私はそこに父の話の"核"を感じた。
自分の"信念"を語る時、人は皆同じ()をする。曇りのない、宝石のように鋭く輝く()だ。
そして、もしもこの話が医者としての父の信念だとするのならば、昔から医学についてのみ言葉数が増える父にとっては、この上ない饒舌も理解できた。
(まつりごと)が海だとすれば、国は船だ。人間の小さな力で大きな船を動かす事は出来ないが、船の舵をとる人間を動かす事は出来る。その為には例え思想が違っても共に舵を握る。そして、いざとなれば私が舵を切る。この国が

暗礁に乗り上げる事のないように」
「再びというのは――」
「今回の件もそうだ。お前が"壁"を嫌うように、私も賛成はしない」
「……」
父は、まるで私の問いを"あえて"遮るように続けた。
「もしもお前が帰省せずとも、いずれ壁の件では口を出すつもりだった。それがたまたまお前の考えと一致していた。だから帰省の口実に利用させてもらったに過ぎん」
「……」
「壁の件は私に任せろ。お前は女医の見本としてもう一度――」
「お断りします」
父の考えの概ねを理解した私は、今度は逆に父の言葉をあえて遮った。
「父上こそ、私を見くびらないで下さい」
私がいつもそうするように、反論に転じる為だ。
「私は、自分の考えを持って王都(このまち)へ戻りました。あの村に大切な人達を残してきました。壁の建設を中止させ、必ず帰ると約束しました。例え考えが一致していようとも、全てを親に委ね、敷かれた道をただ歩く事など出来ません」
「ならばお前は何のために王都(このまち)に戻った?お前は現王に口利きが出来る私の力を利用するために戻って来たのではないのか?」
「はい。"半分"は父上のお力を利用させていただく為です。ですが――」
私はもう一度椅子から立ち上がった。
「もう半分は、私の力で壁の建設を止める為です」
「自惚れるな」
父の低い声が、再び部屋に響いた。
「お前ごときの力で動かせる程、この国の舵は軽いものではない。私が今の地位を得るのにどれだけの時間と労力を要したと思っている」
そこにはきっと、"面倒な立場"にあった父の長年の苦労が詰まっていたのだと思う。もちろん、私にはそれを否定するつもりなどなかった。
「では、父上はどのように舵をとられるおつもりなのですか?どのように現王側に進言するおつもりなのですか?」
「……医者として、壁の建設には危険(リスク)が多いと反対を進言する」
「恐らく、それでは国を動かす事は出来ません」
「……」
父の黒い瞳を、私は真正面から見据えた。
「私の友人が逆の事を言っていました。壁の建設は、合理的に考えれば医者にとって都合の良い政策になる、と」
患者を管理し、疫病の蔓延を防ぐ事が出来る。私は、壁が出来る事で生じるであろう医療的な利点を眼鏡の男の言葉を借りて父に伝えた。
「――そう、彼は言っていました。もしも父上が医者の立場から建設中止を進言しても、恐らく、現王は父上の立場を逆手に取るでしょう。"壁の建設は医学院としても利が多い"、と。これまで、父上が医者である事を武器に現王側と肩を並べておられたのならば、今回は医者(それ)は武器にはなりません。むしろ力を阻む(かせ)になり得ます」
「そんなものは、全てお前達の想像に過ぎん。ならばお前は、どうやって建設を止めるつもりでここへ来たのだ?」
「私は――」
私は、あの部屋で眼鏡の男に話した自分の考えを父に伝えた。
商人を援助し、街道を整え、人の流れを作る。時間はかかるかもしれないが、そうする事で国が潤う、と。
「……くだらん。そんなものは根拠を持たない子どもの発想と同じだ」
全てを聞き終えた後、父が言った。予想した通りの反応だった。



眼鏡の男が似たような事を言っていたのを思い出した。
「莫大な金と時間の浪費過ぎん」
それもまた、眼鏡の男と同じ苦言だった。
「私は、人を動かすのに必要なものは2つあると考えます。"信頼"と"見返り"です」
ここから先は、眼鏡の男にも伝えていない事だった。
「"信頼"は父上の築いたものを利用させていただきます。私のような新参者、しかも女が何を言おうと、きっと無駄な事は目に見えています。代わりに、私はこの国に対する"見返り"……つまり金を準備します。私の計画が実を結ぶまでの間、国の負担を支える為の金です」
「お前に、国を支えるだけの金があるとは到底思えんがな」
それは眼鏡の男からも指摘されていた私の計画最大の問題であり、要だった。
「……もちろん今の私にはそんな大金などありません。ですが、私には切札があります」
そう言って、私は腰に結んでいた小袋を解き"それ"を掌に乗せた。


つづく。






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