アノの村にてDAY.36 『変化』
文字数 5,269文字
――男が村に来て、あっという間にひと月が過ぎた
男はびっくりする早さで診療所の使い方と村の人達の顔と名前を覚えた。
診療所には先生 が残していった村人全員分の診察簿はあったけど、男はたった1週間でそれも全員分を覚えたらしい。
本人は「職業柄、顔と名前を覚えるのは得意なんですよ」なんて笑っていたけど、あたしもシュルティナもその早さに驚いた。
男が村に来てからのひと月で、変わったことが4つあった。
1つ目は、診療所の隣にある勉強小屋で大人達に向けた勉強会が開かれるようになったこと。
村に来た最初の日に言ってた通り、男は怪我や病気の予防にすごく力を入れていた。なんとか村の大人達にも病気や怪我の予防法を知ってもらおうと、夜に勉強会を開くと言い出した。
村の大人達だって暇じゃないから、最初は全然人が集まらなかった。一番最初に来てくれたのはリーグルの母さん だったことはよく覚えてる。男はどんなに人が少なくても、熱心に話をした。
小さな村では噂が広がるのも早いし、あたしとシュルティナも父さん や母さん に声を掛けた。リーグルの母さん のお陰もあって、一人、二人と夜の勉強会に参加する大人は増えていって、いつの間にか勉強小屋にはたくさんの人が集まるようになった。大人だけじゃない。あたしやシュルティナみたいに下の子の面倒をみるくらいの歳の子ども達もちらほら来ていた。もちろん、あたし達は毎回欠かさず参加した。
“アマダニ対策”、“炎天病の予防方法”、“食中毒の予防方法”、“出血がひどい時の応急処置”など……今の季節に注意しなければならない病気や怪我を中心に、男はどこか回りくどくもわかりやすく教えてくれた。アマダニ対策で藪が刈り取られたのはずいぶん前になる。
診療所で医者の仕事をしながら子ども達に勉強を教えていた先生 も働き者だと思っていたけど、それに加えて夜に大人の相手までする男は、更に忙しそうだった。
2つ目は、男の呼び名が狼 から賢狼 に変わって、今では村中の人達からそう呼ばれていること。
みんな男の本当の名前を知っていたし、最初は名前で呼んでいた。一番近くに居たあたしとシュルティナだけが“狼 ”と呼んでいたのだけれど、それは直ぐに勉強小屋の子ども達に伝染 った。それが子ども達を通して村の大人達にも伝わってしまった。
その後直ぐに大人達から村長 から直々に男に話が通ってしまった。
男は「自分が頼んだのは狼じゃなくて“犬”です」なんて言ってあたしのついた嘘は男にバレてしまったけど、「犬なんてもってのほかだ」と周りの大人達に反対されて、男の呼び名は賢い狼、イーナ語で“賢狼 ”で決着した。
最初に嘘を教えたからといって賢狼 があたしを叱ることはなく、むしろそれを機にもっとイーナ語を学びたいと眼を輝かせていた。
それが3つ目に繋がって、夜の勉強会が終わるとシュルティナが毎晩のように賢狼 にイーナ語を教えるようになった。
「“賢い”はイーナ語で“ファジ”と言います。賢者のことは“ファジャワ”。ちなみに、先生のことは賢者が語源の“ファジア”。女の先生の場合は女を意味する“シー”が頭について“シーファジア”。でも、それでは長いからか私達は物心ついた頃から先生 と呼んでいました」
「へぇ。彼女の本当の呼び名は“シーファジア”だったんですね」
そんな風に、男の身近にあるものの名前から教えていった。
あたしの名前だったらパ ・シーマ 。
シュルティナだったらシユ ・ルティ ・イーナ 。
他にも水 、火 、風 、などなど……今ではほとんど使われなくなったけど、あたし達でも知ってる単語を教えていた。
「“星”はイーナ語で星 というんですか?」
天気のいい夜に星空の下で星 の話をした時だった。
「そうです。星は“ティオ”です。ちなみに流れ星は流星 です」
「……リュス、ティオ?」
「はい。早く流れるものには“リュス”、ゆっくり流れるものは“リュ”だけが付きます」
「……そうなんですか」
その時、賢狼 が少し驚いたような顔になったことを覚えてる。
最初は勉強会の後の少しの時間でやっていたシュルティナのイーナ語講座だったけど、その時間は日に日に長くなっていって、今では賢狼 の勉強会と同じくらいの時間がかかるようになっていた。
シュルティナは一生懸命になっていたみたいけど……あたしはそのやり方に、少し疑問を感じるようになってきていた。
「ねぇ賢狼 、毎日疲れないの?」
夜の勉強会を終えて、いつものように診療所の裏の釜に火を起こそうと準備を始めた賢狼 にあたしが聞いた。
「何がですか?」
賢狼 は不思議そうに首を傾げながら、慣れた手つきで小枝を折り始めた。
「朝早くから夜遅くまで、ずっと働いてるからさ」
賢狼 の朝は村人 よりも早いことをあたしは知っていた。
そもそも朝が早い村人 より早く起き出してシユ河へ水を汲みに行く。本人は、自分は力も弱い上に体力もないから、水汲みにも時間がかかるからだと言っていた。
「ずっと働いているのは、この村の人達ならみんな一緒じゃないですか。朝から晩まで、みんな休みなく働いている」
半月くらい苦戦していた火起こしにも慣れて、今では一人で火を起こして釜戸でお湯を沸かせるようになった賢狼 は、麻紐をほぐし始めた。
「そうだけどさ。賢狼 は先生 よりもやってることが多いと思う。先生 は夜に大人を集めて勉強会なんてしなかったもん。本当に違うんだね、同じ医者なのに」
あたしが言うと、賢狼 は「そうですね」と少し微笑んだ。
「それはきっと、彼女が医者としての自分に自信と誇りを持っていたからというのもあるのでしょう」
「どーゆーこと?」
「どんな怪我や病気が自分の前に立ち塞がったとしても、必ず乗り越えてみせるという彼女の強い意志の現れ。とでも言うのでしょうか?同じ医者ではありますが、あいにく僕には彼女程の自信も勇気もありません」
賢狼 は麻紐から視線を逸らすことなく続けた。
「もちろん医者としての僕を頼ってくれる事は嬉しいですし、期待に応えられるよう精一杯頑張ります。でも、僕は独りで全てを背負って病気や怪我と戦うよりも、たくさんの“味方”に支えてもらった方が心強いんです。彼女に比べればずいぶん頼りないと思われるかもしれませんが、前にも言った通り僕は臆病者です。これも臆病者 なりの医者としての戦い方なんです」
賢狼 は解いた麻紐の束を両手で包むと、こすり合わせて球を作った。まだ力加減がわかっていないのか、それとも心がどこか別の所にいってしまっていたのか……ずいぶん小さくて硬そうな麻球ができあがっていた。
「実際、このひと月の間で“先生 だったら――”という言葉を何度も聞いています。当然だ。医者の腕の良し悪しは患者の命に直結します。医者を選ぶ事の出来ないこの村の皆さんには、僕と彼女を比較する権利がある」
「……そりゃあ先生 はすっごく頼りになる人だったし、本当に腕も良かったよ。怪我も病気もきっと先生 が何とかしてくれるって思ってたけどさ――」
あたしは賢狼 から麻球をひったくると、指で解 した。
「あたしは賢狼 のやり方も好きだよ」
“嫌いじゃない”じゃなくて“好き”という言葉を自然と使ってしまったことに気付いて――
「みんなで力を合わせるのが好きってこと!あと、麻球硬くし過ぎ!もっとふんわりさせないと火着き悪いよ!」
あたしは急いで言い直して、柔らかく丸め直した麻球を投げるように賢狼 に渡した。
「……ありがとう。そう言って貰えると嬉しいです」
受け取った麻球を小枝と枯葉の下に置くと、賢狼 は火打石を打ち鳴らした。飛び散った火花は真っ直ぐに麻球に飛び込んで……一息吸う間に小さな火が起こった。
「火打ち"は"、上手になったね」
「お陰さまで。きっと先生が良かったのでしょうね」
そう言って笑いながら、賢狼 は生まれたばかりの小さな火に少しずつ枝をくべ始めた。
炎が大きくなるにつれて、賢狼 の横顔がはっきり見えるようになった。映った炎のせいか、眼鏡が白く光って見えた。
「……王都で話した時、彼女が言っていたんですよ。アノの村には"壁"がないって」
急に、賢狼 が言った。彼女というのが先生 のことだと直ぐにわかった。
「……壁?まぁ、どの壁も隙間だらけだから無いのと同じだけど」
言いながら、あたしは目の前にある診療所の外壁を見上げた。診療所はもちろん、隣に建てられた勉強部屋の壁も隙間だらけだった。夏は虫が入ってくるし、冬は冷たい風が入ってくる。秋の収穫が終わると、藁を練り込んだ畑の土を壁の隙間に埋めるのは、この村では恒例だった。
「ははは。"物理的に"壁が無いのではなくはく、"心理的に"壁が無いという意味ですよ」
「心理的?」
「つまり、性別や身分を問わず、この村では皆が平等という意味です」
「……ああ、そういうこと」
賢狼 に言われて、あたしは自分の理解力の無さに恥ずかしくなった。
「どうしてそう思うの?」
「生活の端々を見てそう思うのですが……そうですね、例えば夜の勉強会に若い母親達も参加してくれていますよね」
「うん」
「それはつまり、家に残してきた小さな子ども達は父親達が面倒をみているということですよね」
「うん」
「王都では、幼い子どもの面倒をみる父親は決して多くはありません。子どもの面倒は母親がみるのが当然という風潮があるからです」
「へぇ~、そうなんだ」
「この村では代々女性が村長を務めていると聞きました。君達にとっては当たり前の事かもしれませんが、組織の長を代々女性が務めるというのは僕の知る限りは珍しい。この村の男性達が家事や育児といった女性が担いがちな事にも協力的なのは、ひょっとしたらそれも関係しているのかもしれません」
確かに、初めて村に来る商人はだいたい皆村長 が女の人だってことに驚いていた。
村には絶対守らなければならない掟のようなものはそう多くはないのだけれど、村長 だけは初代村長 の家系の女性が継ぐことだけはみんなが知ってる掟だった。
「君達の目に王都がどう映っているかはわかりませんが、王都では女性は男に従うのが常識、もしくはそれが理想とされています。それと同じ位に貧しい者と豊かな者の差が激しく、それがそのまま権力と直結しています。王都はそんな格差や差別という壁に囲まれているのです」
賢狼 に言われて、あたしは先生 が言っていたことを思い出した。確か先生 が父親の命令でこの村にやってきた理由は“女だから”だった。そして先生 は言っていた。この村に壁を作らせたくない、って。
「確かにこの村の暮らしは王都に比べて不便な事も多いでしょう。ですが、王都にはないものがきっとたくさんあるんです。それが、彼女をこの村に15年も留めた理由なんだと思いますし、僕もそれが知りたいんです。彼女とは違うやり方かもしれませんが……精一杯やってみますよ。違う医者ですが、同じ医者ですからね」
そう言って、賢狼 は小さくなって消えかけた火に、小枝を放り込んだ。パチパチと音をたてて、火はもう一度大きく膨らみだした。
「少々つまらない話をしてしまいましたね、すみません」
「……王都のことは良くわかんないけど、とにかくあんまり無理しない方がいいよ。夜は早く寝た方がいいと思う」
「ははは。まるで母親に小言を言われているようですね。どっちが年上かわからなくなるようだ」
そう言って、ずっと硬かった賢狼 の横顔が、最後は微笑みに変わった。
「心配してくれてありがとう、パシーマ」
「……別に、心配してるわけじゃ――」
「賢狼 、遅れてごめんなさい!」
あたしが思わず顔を背けた時、息を弾ませながらシュルティナがやって来た。
「やっと見つけました!イーナ語の基礎の本!」
シュルティナはあたしと賢狼 の間に割り込むように座ると、脇に抱えていた分厚い本を賢狼 に見せた。
「ずっと前に先生 と一緒に見た記憶があったんです!でもそのあとは先生 がどこかに片付けてしまって……」
「……」
シュルティナは目を輝かせながら、賢狼 にその本を渡した。
「ありがとうシュルティナ。探してきてくれたんですか?」
「あ……はい!賢狼 、ずっとイーナ語の基本が知りたいって言ってたから」
いつもなら夜の勉強会の後に始まるシュルティナのイーナ語講座がなかなか始まらなかった理由が、この時にわかった。
「イーナ語の勉強に、少しでも役に立てばいいなと思って」
本に目を通す賢狼 の横顔をシュルティナは嬉しそうに見つめていた。
――そしてこれが、4つ目の変わったこと
周りからよく鈍感だと言われるあたしでさえわかる、シュルティナの変化。
「ありがとう、シュルティナ」
「いいえ!」
シュルティナの顔が赤く見えたのは、ずいぶん大きく育った炎に照らされただけではなかったはずだ。
ひと月前にそう言っていたシュルティナの声が聞こえた気がして……小枝が弾ける音と一緒に、あたしの胸も小さく跳ねた。
つづく。
男はびっくりする早さで診療所の使い方と村の人達の顔と名前を覚えた。
診療所には
本人は「職業柄、顔と名前を覚えるのは得意なんですよ」なんて笑っていたけど、あたしもシュルティナもその早さに驚いた。
男が村に来てからのひと月で、変わったことが4つあった。
1つ目は、診療所の隣にある勉強小屋で大人達に向けた勉強会が開かれるようになったこと。
村に来た最初の日に言ってた通り、男は怪我や病気の予防にすごく力を入れていた。なんとか村の大人達にも病気や怪我の予防法を知ってもらおうと、夜に勉強会を開くと言い出した。
村の大人達だって暇じゃないから、最初は全然人が集まらなかった。一番最初に来てくれたのはリーグルの
小さな村では噂が広がるのも早いし、あたしとシュルティナも
“アマダニ対策”、“炎天病の予防方法”、“食中毒の予防方法”、“出血がひどい時の応急処置”など……今の季節に注意しなければならない病気や怪我を中心に、男はどこか回りくどくもわかりやすく教えてくれた。アマダニ対策で藪が刈り取られたのはずいぶん前になる。
診療所で医者の仕事をしながら子ども達に勉強を教えていた
2つ目は、男の呼び名が
みんな男の本当の名前を知っていたし、最初は名前で呼んでいた。一番近くに居たあたしとシュルティナだけが“
その後直ぐに大人達から
本人の希望とはいえ
王都から来た医者を獣の名で呼ぶのは失礼だと言われた。そこから話はどんどん大きくなって……どうしても“狼”と呼ばれたい
ならば、ただの狼ではなく“賢狼”にするようにと、男は「自分が頼んだのは狼じゃなくて“犬”です」なんて言ってあたしのついた嘘は男にバレてしまったけど、「犬なんてもってのほかだ」と周りの大人達に反対されて、男の呼び名は賢い狼、イーナ語で“
最初に嘘を教えたからといって
それが3つ目に繋がって、夜の勉強会が終わるとシュルティナが毎晩のように
「“賢い”はイーナ語で“ファジ”と言います。賢者のことは“ファジャワ”。ちなみに、先生のことは賢者が語源の“ファジア”。女の先生の場合は女を意味する“シー”が頭について“シーファジア”。でも、それでは長いからか私達は物心ついた頃から
「へぇ。彼女の本当の呼び名は“シーファジア”だったんですね」
そんな風に、男の身近にあるものの名前から教えていった。
あたしの名前だったら
シュルティナだったら
他にも
「“星”はイーナ語で
天気のいい夜に星空の下で
「そうです。星は“ティオ”です。ちなみに流れ星は
「……リュス、ティオ?」
「はい。早く流れるものには“リュス”、ゆっくり流れるものは“リュ”だけが付きます」
「……そうなんですか」
その時、
最初は勉強会の後の少しの時間でやっていたシュルティナのイーナ語講座だったけど、その時間は日に日に長くなっていって、今では
シュルティナは一生懸命になっていたみたいけど……あたしはそのやり方に、少し疑問を感じるようになってきていた。
「ねぇ
夜の勉強会を終えて、いつものように診療所の裏の釜に火を起こそうと準備を始めた
「何がですか?」
「朝早くから夜遅くまで、ずっと働いてるからさ」
そもそも朝が早い
「ずっと働いているのは、この村の人達ならみんな一緒じゃないですか。朝から晩まで、みんな休みなく働いている」
半月くらい苦戦していた火起こしにも慣れて、今では一人で火を起こして釜戸でお湯を沸かせるようになった
「そうだけどさ。
あたしが言うと、
「それはきっと、彼女が医者としての自分に自信と誇りを持っていたからというのもあるのでしょう」
「どーゆーこと?」
「どんな怪我や病気が自分の前に立ち塞がったとしても、必ず乗り越えてみせるという彼女の強い意志の現れ。とでも言うのでしょうか?同じ医者ではありますが、あいにく僕には彼女程の自信も勇気もありません」
「もちろん医者としての僕を頼ってくれる事は嬉しいですし、期待に応えられるよう精一杯頑張ります。でも、僕は独りで全てを背負って病気や怪我と戦うよりも、たくさんの“味方”に支えてもらった方が心強いんです。彼女に比べればずいぶん頼りないと思われるかもしれませんが、前にも言った通り僕は臆病者です。これも
「実際、このひと月の間で“
「……そりゃあ
あたしは
「あたしは
“嫌いじゃない”じゃなくて“好き”という言葉を自然と使ってしまったことに気付いて――
「みんなで力を合わせるのが好きってこと!あと、麻球硬くし過ぎ!もっとふんわりさせないと火着き悪いよ!」
あたしは急いで言い直して、柔らかく丸め直した麻球を投げるように
「……ありがとう。そう言って貰えると嬉しいです」
受け取った麻球を小枝と枯葉の下に置くと、
「火打ち"は"、上手になったね」
「お陰さまで。きっと先生が良かったのでしょうね」
そう言って笑いながら、
炎が大きくなるにつれて、
「……王都で話した時、彼女が言っていたんですよ。アノの村には"壁"がないって」
急に、
「……壁?まぁ、どの壁も隙間だらけだから無いのと同じだけど」
言いながら、あたしは目の前にある診療所の外壁を見上げた。診療所はもちろん、隣に建てられた勉強部屋の壁も隙間だらけだった。夏は虫が入ってくるし、冬は冷たい風が入ってくる。秋の収穫が終わると、藁を練り込んだ畑の土を壁の隙間に埋めるのは、この村では恒例だった。
「ははは。"物理的に"壁が無いのではなくはく、"心理的に"壁が無いという意味ですよ」
「心理的?」
「つまり、性別や身分を問わず、この村では皆が平等という意味です」
「……ああ、そういうこと」
「どうしてそう思うの?」
「生活の端々を見てそう思うのですが……そうですね、例えば夜の勉強会に若い母親達も参加してくれていますよね」
「うん」
「それはつまり、家に残してきた小さな子ども達は父親達が面倒をみているということですよね」
「うん」
「王都では、幼い子どもの面倒をみる父親は決して多くはありません。子どもの面倒は母親がみるのが当然という風潮があるからです」
「へぇ~、そうなんだ」
「この村では代々女性が村長を務めていると聞きました。君達にとっては当たり前の事かもしれませんが、組織の長を代々女性が務めるというのは僕の知る限りは珍しい。この村の男性達が家事や育児といった女性が担いがちな事にも協力的なのは、ひょっとしたらそれも関係しているのかもしれません」
確かに、初めて村に来る商人はだいたい皆
村には絶対守らなければならない掟のようなものはそう多くはないのだけれど、
「君達の目に王都がどう映っているかはわかりませんが、王都では女性は男に従うのが常識、もしくはそれが理想とされています。それと同じ位に貧しい者と豊かな者の差が激しく、それがそのまま権力と直結しています。王都はそんな格差や差別という壁に囲まれているのです」
「確かにこの村の暮らしは王都に比べて不便な事も多いでしょう。ですが、王都にはないものがきっとたくさんあるんです。それが、彼女をこの村に15年も留めた理由なんだと思いますし、僕もそれが知りたいんです。彼女とは違うやり方かもしれませんが……精一杯やってみますよ。違う医者ですが、同じ医者ですからね」
そう言って、
「少々つまらない話をしてしまいましたね、すみません」
「……王都のことは良くわかんないけど、とにかくあんまり無理しない方がいいよ。夜は早く寝た方がいいと思う」
「ははは。まるで母親に小言を言われているようですね。どっちが年上かわからなくなるようだ」
そう言って、ずっと硬かった
「心配してくれてありがとう、パシーマ」
「……別に、心配してるわけじゃ――」
「
あたしが思わず顔を背けた時、息を弾ませながらシュルティナがやって来た。
「やっと見つけました!イーナ語の基礎の本!」
シュルティナはあたしと
「ずっと前に
「……」
シュルティナは目を輝かせながら、
「ありがとうシュルティナ。探してきてくれたんですか?」
「あ……はい!
いつもなら夜の勉強会の後に始まるシュルティナのイーナ語講座がなかなか始まらなかった理由が、この時にわかった。
「イーナ語の勉強に、少しでも役に立てばいいなと思って」
本に目を通す
――そしてこれが、4つ目の変わったこと
周りからよく鈍感だと言われるあたしでさえわかる、シュルティナの変化。
「ありがとう、シュルティナ」
「いいえ!」
シュルティナの顔が赤く見えたのは、ずいぶん大きく育った炎に照らされただけではなかったはずだ。
「本当は……恋人だったりして」
ひと月前にそう言っていたシュルティナの声が聞こえた気がして……小枝が弾ける音と一緒に、あたしの胸も小さく跳ねた。
つづく。