アノの村にてDAY.06 ① 『約束』

文字数 4,901文字

「ねぇパシーマ、何か見える?」
「……いや、まだ何も」
シュルティナに訊かれて、私は細めた目を更に細めてみたけれど……道の果てには何も見えなかった。
先生(シーファ)が村を経って今日で6日。そろそろ先生(シーファ)が代わりを頼んだ医者友達が、村に着く頃だった。



先生(シーファ)にそう頼まれていた私達は、時間を見つけては村の入口に足を運んで道の果てを眺めていた。ちょうど、6日前に先生(シーファ)を見送った場所から。
「見えたら直ぐに教えてね」
「ん」
最近、シュルティナは目が悪くなってきた。
昔は二人とも同じくらいに目が良くて、たまに村の外からやって来る商人の人達にも驚かれたりしていた。
シュルティナの目が悪くなった原因はわかってる。本の読みすぎだ。
字が読めるようになった頃から、シュルティナはよく本を読むようになった。
もともと村にはあまり本はなかったらしいけど、15年前に先生(シーファ)が村に来てからは、商人や王都の医者友達に頼んだりして本を村まで届けてもらうようになったらしい。
先生(シーファ)の診療所と隣の勉強小屋には、医学(しごと)の本だけじゃなく、子ども向けの簡単な本から、大人向けの難しい本までいろいろと揃うようになった。
そのお陰か、どんどん読む本の量が増えていったシュルティナはずいぶん賢くなって、村の大人達も知らないような事を教えてくれたりもした。
シュルティナは本を読むのが楽しいらしいけれど……あたしにはその楽しさがよくわからなかった。
「医者友達って、どんな人かな?」
シュルティナが言った。
「さぁ」
「男の人、なんだよね」
「らしいね」
先生(シーファ)は"ただの古い友達"って言ってたけど、本当かな」
先生(シーファ)がそう言うんだからそうなんでしょ」
「男の人と何年も手紙のやり取りしてたんだよ?本当にただの友達なのかな?」
「知らないよ」
「本当は……恋人だったりして」
「知らないってば」
「パシーマはどう思う?」
「どーでもいい!」
ついでに……本のせいかはわからないけど、最近シュルティナはませたことを言うようにもなってきた。


その日の昼過ぎだった。
いつものように道の果てを確認しに来た私の目に、見慣れない人影が写った。
遠くの人影なんて誰だって見慣れないはずだけど……その人影は見慣れない"人の動き"、というか変な歩き方だった。
「……何か、いる」
「何かって?」
荷車を引いていないから商人じゃない。旅人が村に来ることはめったになかったけれど、歩くのに慣れた旅人が"あんな"足取りだとは思えない。あれは……山歩きに慣れていない人の歩き方だと思った。
「行こう!たぶん人だ!」
「たぶん?!
あたし達はその人をめがけて走り出した。
「ーー大丈夫?!
「……やぁ、ようやく人に会えた」
あたし達が駆け寄ると、その人はゆっくり顔を上げてそう言った。杖の代わりに持っていた木の棒が、ミシミシと音を立てた。
「……君達は、この先にある村の子ですか?」
「うん」
「村の名前は、"アノ"で間違いないですか?」
「間違いないよ」
ずいぶん細身の男の人だった。背が高いぶん余計に細く見えたんだろうけど……きっと、山歩きなんかしたことがないんだろうなと、直ぐにわかった。
「……良かったぁ。ようやくアノだ。無事に着いたって事ですね」
無事かどうかはわからないけれど……その人は安心したように笑って、ずれていた眼鏡を直した。
「……あの」
ずっと黙っていたシュルティナが言った。
「王都から来たお医者様、ですか?」
「そう。僕は代理を仰せつかった王都の医者です」
そういうと、男は肩からさげていた大きな鞄を地面におろすと、その場に座り込んで空を見上げた。
「……なかなか厳しい旅路でした。旅荷を欲張り過ぎたようです。


「荷物、持ちましょうか?」
「ああ、ありがとう」
「……」
ずいぶん、頼りない男。それが、私の第一印象だった。



「あ~、生き返った。美味しい水ですね」
私とシュルティナは、男を村の診療所に連れてきた。村の大人達に報告するのも大事だけど、先ずは少し休ませた方がいいと思ったから。
「これが噂の、シユ河の水ですか?」
「そうだよ」
何が噂なのかは知らないけれど、あたしは一杯目をあっという間に飲み干した男に二杯目の水を渡した。
「これは……一度煮沸している水ですか?」
「しゃふつ?」
「沸騰させるって意味だよ」
シュルティナに言われて、あたしは「ああ」と頷いた。
「煮沸して使うのは、診療所で使う水だけです。村の飲み水はシユ河の水をそのまま使っています」
「へぇ~…煮沸しないで飲めるなんて凄いなぁ」
「……」
男が悪気なく言ってるのはわかっていた。けれどあたしは、なんだか馬鹿にされてるような気がした。
「改めて、助けてくれてありがとう。ひょっとして、君達がパシーマとシュルティナですか?」
男はあたし達の方に向き直ると、あたし達の顔を交互に見ながら名前を呼んだ。男があたし達の名前を知っていたことに驚いた。
「そうです。私がシュルティナです。こっちがパシーマ」
「"彼女"から話は聞いています。出迎えを頼んでくれていたようで助かりました」
先生(シーファ)に会ったの?!先生(シーファ)はちゃんと王都に着いた?!
男が先生(シーファ)と直接話していたことを聞いたあたしは、弾かれたように身を乗り出した。
「ええ。ちゃんと王都に着きましたし、話もしましたし、君達の事も聞いています」
「良かっーー」
「どんなこと?!
シュルティナの声を遮って、あたしは聞いた。
「あたし達のことって、先生(シーファ)どんなこと話したの?!
「パシーマ、少し落ち着いて」
「村に、本当の娘のように親しくしている娘がいる。2人とも、とても頼りになる自慢の娘、だそうですよ」
「聞いたシュルティナ!自慢の娘だって!」
先生(シーファ)に褒められたことが、素直に嬉しかった。
先生(シーファ)はいつになったら戻って来るの?!意地悪な父さん(パンファ)にはもう会った?!
「……意地悪な、パンファ?」
「"パンファ"というのは父親のことです。先生(シーファ)が王都に戻る前に教えてくれたんです。パンファ……お父さんに嫌われて、この村にやってきたんだって。その人と話をするために王都に戻る、って」
「……そうだったんですか」
「酷い父親(パンファ)先生(シーファ)だって本当は王都になんか戻りたくないのに!あたし達だって、ずっと村に居て欲しいのに!」
「……」
男は黙ったままだったけど、あたしは気にせず続けた。
「だいたい、なんで今さら先生(シーファ)の腕がいいから戻って来いなんて言うの?!王都の医者ってよっぽど頼りないんだね!」
「パシーマ!言いすぎ!」
「何で?」
あたしは、本当のことを言っただけなのに。まぁ……少しは皮肉も込めたけど。
この男が先生(シーファ)を王都に連れていったんじゃないことはわかってる。それでも、"王都の人間"というだけで、あたしは……直ぐにこの男を受け入れようという気になれなかった。
「……ずいぶん、彼女の事を大切に思っているんですね」
「当たり前だよ。あたし達、生まれた時からずっと一緒に居たんだ。家族も同然なんだから」
だから男に教えてやりたかった。あたし達の絆は、薄っぺらいものじゃない。簡単に引き剥がすことなんてできないんだって。
先生(シーファ)だって約束してくれたんだ。必ず戻って来るって」
「……彼女がそう言っていたんですか?」
「もちろん!」
どうして男がそんな当たり前のことを聞いてきたのか、あたしにはわからなかった。
「そうですか。あいにく、僕にも彼女がいつ戻って来るのかはわかりません。彼女からの連絡を気長に待つことにしましょう」
そう言って立ち上がると、男は診療所の中をぐるっと見渡した。
「……ここが"彼女"の根城ですか。思ったよりも綺麗に整えているんだなぁ」
男は診療所の中をウロウロ歩き回った。
「……へぇ、結構本を置いているんですね。ああ、これは何年か前に頼まれたものですね」
「……」
引き出しを開けたり、本棚を覗いたり……
「……この医学書(ほん)は少し古いな。今度新しいものと交換しましょう」
そう言って、男は本棚から白くて分厚い本を抜き取って脇に抱えた。
「……」
きっとそれは当たり前のことだったと思う。どこに何があるのかわからなきゃ、これから診療所(ここ)で働く事は出来ないし、自分が使いやすいようにするのもそう。けれどーー
「……ねぇ、あんまりベタベタ触らないでよ」
あたしは、そんな男の行動が気に入らなかった。だってここはーー

ーーいつか先生(シーファ)が帰ってくる診療所(ばしょ)だから

「パシーマ、なんてこと言うの?!
シュルティナが、焦ったように言った。
「だって、あんまりいじくられると先生(シーファ)が帰ってきた時に困るでしょ」
「それは……」
「うん。君の気持ちはわかります。けれど、僕も医者として彼女から村を任せられた身です」
男は困った素振りもせずにそう言った。
「その為にも、僕はこの村の暮らしと、この診療所の使い方に慣れなくてはいけません。だから君達もーー」
そう言って、男はあたし達……いや、あたしを睨むように見た。
「早く彼女の

に慣れて下さいね」
「……ッ?!
その言葉を聞いたとき、あたしは確信した。あたしは……この男が嫌いだ、って。
「ねぇ、それってどういうーー」
「君達、歳はいくつですか?」
「二人とも14です!まもなく、15になります」
あたしの問いを無視するように男が聞いて、慌てた様子でシュルティナが答えた。
「……15歳。この国では結婚が認められる歳ですね」
そんな当たり前のことを、男は確認するように言った。あたし達がそんなことも知らないと思っていたのか……苛立ちが募った。
「結婚が認められるという事は、どういう事かわかりますか?」
「……家庭を持つ事が許される。大人として認められるという事です」
答えたのは、もちろんシュルティナだった。
「その通り。つまり君達は、もうすぐ子どもじゃなくなります」
「……」
「それなのに彼女……君達の先生(シーファ)は、まだ君達を子ども扱いしている。それは君達に失礼な事だと思いませんか?」
先生(シーファ)はあたし達を子ども扱いなんかしてない!」
「そうでしょうか?」
「そうだよ!あたし達に村の子ども達のことを頼むってーー」
「もしも本当に君達を子ども扱いしていないのなら、守れないかもしれない約束はしないはずです」
「……守れない約束って、なんですか?」
先にそう訊いたのはシュルティナだった。少し、声が震えているのがわかった。
「彼女が、この村に

という約束です」

ーー時間が、止まった感じがした

それはきっと、あたしだけじゃなくてシュルティナも同じだったはず。
「"必ず戻る"なんてものは、留守番をする子どもを安心させる為のお守りのような言葉(もの)です。"必ず"……つまり"絶対"なんてものは、この世に数える程しかありませんから」
「あんた……さっきから何が言いたいの?!
「パシーマやめて!」
あたしが怒鳴ると、シュルティナが私の腕を押さえた。
先生(シーファ)が嘘つきだって言いたいの?!
「いいえ。この村に戻りたというのは間違いなく彼女の本心でしょう。ただ、彼女が"必ず戻る"と言ったのは、本心よりも君達を安心させる為の方が強かった。君達を見てそう思ったんです」
睨み付けるあたしに動じる様子もなく、男は言った。
「大人になればなるほど、この世に絶対なんてものはないとわかるようになります。それと同じだけ口にする機会も減ります。そんな彼女が必ず戻ると言ったのなら、そこには本心以上に君達を不安にさせまいとする気遣いがあったからでしょう。つまり、彼女はまだ君達をお守りの必要な子どもだと思っている。という事です」
「……」
私はもう、この男には何も喋って欲しくなかった。
「もうすぐ君達は大人になります。だから僕は、君達を子ども扱いしたくありません」
「……」
私はもう、この男の顔を見たくなかった。
「君達の先生(シーファ)が、この村に帰って来ない未来もある。それを心に留めておいて欲しいんです。それくらい彼女のーー」

パンッ!!

診療所に響いたのは、あたしが男の頬を思いきりひっぱたいた音だった。
「パシーマ!!
気づいた時には、あたしは診療所を飛び出していた。涙で滲んだ目では、シュルティナがどんな顔で私の名前を叫んだのかもわからなかった。


つづく。
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