王都にてDAY.02 ②『不躾』

文字数 5,180文字

「あれぇ、お前もしかして」
老師(ジャワワ)の薬屋を出て、城下町へ続く細い裏道を歩き始めた私達に、すれ違いかけた男が声をかけてきた。
「……やっぱ見間違いじゃねぇよな?」
「誰だ?」
上から顔を覗き込まれた私は、その男を見上げた。
体格の良い、日に焼けた大男だった。その傍らには幼い少年がいて、大男の大きな手でその小さな手はすっぽり包まれていた。
「お前、もしかして

かぁ?」
「さっきから何を言っているんだ」
「おい、コイツもしかして

なのか?」
「だから、何の事をーー」
「ええ。その

ですよ」
思わず怒鳴りそうになった私と大男の間に、男が身を挟んだ。
「いきなり喧嘩しないで下さい。子どもの前です」
私には覚えがなかったけれど、男にとってこの大男達は見知った存在だったらしい。
「一体誰なんだ、この不躾(ぶしつけ)な大男は」
方や、"コイツ"だ"アイツ"だ言われた私は、不満と一緒に大男を睨んだ。
「おいおい、学友の顔も忘れちまったのか?」
「学友?」
「彼は医学院の同期ですよ」
「同期?」
私が聞き返すと、男はほんの少し笑みを浮かべながら言った。その視線の先には、恥ずかしそうに私達を盗み見る少年が居た。
「随分、大きくなりましたね」
「ああ。お前と最後に会ってから半年位経つか?」
この男が私以外の医学院の人間と関わりを持っていたことは、正直意外だった。私と同じように、この男もまた誰かと(つる)む事をしなかった記憶があったからだ。
「久し振りですね。元気でしたか?」
男が少年に向かって言った。
「……げんきだよ」
「そうですか。それは良かった」
「……」
少年の視線の高さまで身を屈め、優しく微笑んだ男の横顔に不覚にも見入ってしまっていた私は、急いで思考を過去に飛ばした。
「……ああ」
そして思い出せたのは、どちらかといえば物静かで体の線の細い男が多かった当時の医学院の中で、妙に暑苦しかった大男の存在。
私が覚えている限り、成績はそれほど良くはなかったが無駄に明るく、声が大きい男。その15年後の姿が、この大男だったようだ。
「そう言えば……居たな」
「おお、思い出したか。完全に忘れられてなくて安心したぜ」
「こっちはお前の息子か?」
「ああ。せっかく王都まで買い出しに来たんでな、連れてきた」
大男が手を引くと、少年は更に恥ずかしそうにその小さな身を大きな父親の陰に隠した。
「……お前には似ていないな」
「ああ、皆そう言う。顔も性格も女房似だってな。お転婆な上の娘は俺に似てるぞ」
そう言って、大男は声を上げて笑った。
「ほら、ちゃんと顔を見せてみろ」
「……」
父親の陰から無理矢理押し出された少年は、黙って私を見上げていた。
「初めてお目にかかるな。私はお前の父の古い学友だ」
「……がくゆーって?」
「友人、いや……ともだちという意味だ」
実際には友達と言うほど仲が良かった訳では決してないのだが……子ども相手に過去の関係を持ち出しても仕方がない。
「お前、名は?」
「……リュスティオ」
その名を聞いた私は、少し驚いた。
「……いい名だな。この名は、お前がつけたのか?」
「いや、女房だ」
私が聞くと、大男が答えた。
王都(ここ)じゃあ考えられないかもしれねぇがな、うちの町じゃ珍しい事じゃない」
「……そうか。詮索するようで悪いが、お前の妻は異国の者か?」
「ああ、女房の死んだ両親が隣国出身だった」
「……そうか」
「それがどうかしたか?」
「いや、何でもない。野暮な事を聞いた」
私は少年に視線を戻すと、男の隣に膝を折ってかがんだ。
「リュスティオ、父は好きか?」
「うん。父ちゃんは立派な船の医者だって、母ちゃんが言ってた」
「船の医者?」
「うん。父ちゃんが、船のみんなを守ってるんだって」
「……そうか。お前の父は船医をしているのか」
「……お前、変わったなぁ」
私が少年の頭を撫でていると、大男が言った。
「"あの頃"のお前だったら、"子どもは五月蝿いから好かん"って切り捨ててたのにな」
「……まぁ、私もいろいろあったからな」
村での子ども達との日々を思い出して、笑みが溢れた。
「確かお前、どこかの村に飛ばされたんじゃなかったか?」
「まぁな。そういうお前も、船医をしているとはどういう事だ?」
「診療所に缶詰な暮らしが性に合わなくてな。今は雇われで商船や客船の船医をやってる。海はいいぞ。広くてデカい。何より自由だ!」
大男は日焼けした顔から、真っ白い歯を覗かせて笑った。
「次の出港までに薬を揃えたくてな。"爺さん"の店に買い出しに来たんだ」
「お前の他にも老師(ジャワワ)を頼る医者がいるのだな」
私が言うと、男が隣で強く頷いた。
大先生(おおせんせい)は、医者として従事する者であれば誰であっても等しく扱ってくれます」
「ああ。爺さんの店は助かる。俺みたいな"爪弾き者"にも薬を売ってくれるからな」
「船医をする事が、なぜ弾かれる理由になるのだ?」
「医学院の"理念"に反する奴はみんな弾かれる。俺もコイツと一緒さ」
大男はそう言って、顎で男を指した。
「俺が船医をやってるのは、医学院の命令じゃなくて、自分の意志だからな」
「どういう意味だ?」
「医学院の理念は覚えていますか?」
大男に代わって、男が口を開いた。
「ああ。"医学で創る強国"の事だろう?」

ーー医学で創る強国

医学の水準を高め、その規模を国中に広げる事で怪我や病気で落とす命を減らし、国の地盤を固めるという理念。それを元に医学院は創設されたと、私達は教えられた。
「国の礎である人の命を守ろうという事だろう?組織から外れたとは言え、お前達がやっている事もその理念に反しているとは思えないが」
「"それ"は、今となっては表向きの理念です」
「表向き?」
「……医学院が医者を育て国中に派遣する事で満遍(まんべん)なく医療の幅を広げているように見えるでしょうが……その裏では、医者(ぼく)達を道具に、国中の患者(ひとびと)を支配しようという思惑があるようです」
男は、どこか言いづらそうに言葉を選びながら話しているようだった。
「待て。そもそも医者(わたしたち)に人を支配する事など出来ないだろう?」
「実際に従わせるのではなく、心理的な支配です。怪我や病気になれば、ほとんどの患者(もの)が医者の指示に従います。いつ病魔に襲われるかわからないその恐怖心が、医者を人の上に押しあげるのです。医者には従うべきだ、と。救われた時の感謝を忘れない、人の優しさをも利用した策略です」
「……」
思い当たるものがないと言えば嘘になる。診察を終えたとき、ほとんどの患者とその家族は私に頭を下げ、その後しばらくは会う度に礼を欠かさない。もちろん、私に彼らの上に立っている気はないのだが。
「心理的な支配を広げる為にも、医学院は自分達の息のかかった医者を国中に派遣します。だから、僕や彼のように医学院の命に反して診療所を辞めたり、新たに何かを始めようとする医者に医学院の風当たりは強いんです。医学院から離れた僕達の医療行為(こうどう)は、医学院にとって不利益でしかない」
「……」
同じ医者として人々を救っているのに弾かれる。その理不尽な理由を知った。
「"法"と"医療"が上層で()るみ、生活と命を握られていては、人々は下手に逆らう訳にはいきません。君が危惧している"壁の建設"も、そうです。"疫病から守る為"と言われれば、人々は反発しにくくなるでしょう」
「……利益を巻き上げる為という真の目的を、命を守る為という肩書きで覆い隠そうとしているという事か」
私が言うと、男は小さく頷いた。
「今の医学院は、かつて大先生(おおせんせい)が掲げたあの理念を、全く違った解釈で進めつつあります。……恐らく医学院に現王側から何かしらの圧力がかかっているだと、僕は思っています」
「……なるほど、な」
老師(ジャワワ)が言っていた"たんこぶ"の意味が、この時になってわかった。
医者(おれ)達で国を強くするつもりが、逆に国の操り人形になってちゃあ世話ねぇぜーーって……医院長はお前の親父だったな。悪ぃ」
「構わん。私も学院長(ちち)に抗議する為に戻ってきたのだからな。随分と厄介な立場にあるようだが」
「……」
少なからず父に恩を感じているからだろう。男は黙っていた。
「……あの頃から、私達は国と医学院の掌で踊らされていたのかもしれないな」
15年前の私は、当然そこまで考えを廻らせる事は出来ていなかった。ただ純粋に医学を極める事で、自分の力を知らしめる事が出来ると思っていた。男女の間に高い壁が築かれていたこの国で、女として生まれたというだけで奪われていた人権(もの)を取り戻す事が出来ると信じていた。
ところが、医学院を次席で卒業しても、女という理由だけで、私は辺境(あの)村へ飛ばされた。
結局どんなに努力をしても、私はこの国の壁を乗り越える事は出来なかった。15年前の私にはその事しか考えられなかった。

ーーけれど、今は違う

あの村で過ごした日々が、広い視野で見る事を教えてくれた。お陰で、あの頃私が抱いた不満よりもっと深く、乗り越えられなかった壁よりもっと高い……この国に巣くう病魔が見えるようになった。
「診療所に勤める事を悪だとは思いませんし、先生の立場もわかります。けれど、医者もまたもっと自由で有るべきだと思うんです。僕達が医者になったのは、誰かを支配したいが為ではなく、誰かを救いたいが為のはずですから」
そう言う男の視線の先には、リュスティオが居た。
「まぁ、難しい事はお前ら優等生に任せるけどよ、俺ぁ診療所辞めた事、後悔してねぇぞ」
大男は太い腕を組み直しながら言った。
「コイツが先陣切って"それ"をしてくれたお陰で、俺も自分がやりてぇ事をやる決意が出来た。爪弾きにはされちゃいるが、前以上に遣り甲斐はある。航海はいつも命懸けだ。そんな奴等を、俺はこれからも助けてやりてぇからな」
大男がそう言うと、男は黙って頭を下げた。
「……考えが変わったのは、私だけではないという事か」
「一番変わった奴が言ってりゃあ世話ねぇぜ」
「15年、ずっと村の診療所に居たからな。限られた設備で怪我や病気に挑む恐ろしさは、私も身に染みている」
それでも、私はずっとあの村で診療所を続けたいと思っている。この2人と同じように、自分の意志で救いたい人達がいるから。
誇り(プライド)の塊みたいなお前が、よく15年も田舎に居れたなぁ。しばらくは王都(こっち)にいるのか?」
「ああ。そのつもりだ」
「隣の港町に俺の家があるから、いつでも来いよ。女房と娘も紹介したいしな」
「そうだな。近い内にお邪魔させてもらうとしよう」
「……」
私が言うと、大男はこれまでで一番驚いた顔をしていた。
「……お前、本ッ当に変わったなぁ」
「そうか?」
「昔のお前だったら、"五月蝿い。私に構うな"って、切り捨てられてたとこだ。なぁ?」
「そうですね。僕も昨日、彼女に同じ事を言ったばかりです」
「だよな?コイツ変わったよな?昔は本当に人とは思えねぇーー」
「……五月蝿いな。私の過去に構うな」
決してわざとではなく私の口から溢れた昔の口癖に、2人は声をあげて笑った。
悪い気分ではなかった。この2人に悪意がない事は、ちゃんとわかっていたから。
「ーーで、いつの間にお前らはくっついたんだ?」
そんな不躾な質問が飛んできたのは、私が大男を認めかけた時だった。
「……別にくっついてはいない。仕事の引き継ぎをしているだけだ」
私が「なぁ」と男を見ると、男は「ええ」と答えた。
「なんだぁ?"男嫌い"だけは昔のままなのか?」
「……大きなお世話だ」
そう言うと、大男は軽々と息子を肩に乗せた。
「まぁいいけどよ。じゃあ、そろそろ爺さんの店に行くわ。また異国の本が手に入りそうになったら教えてやるよ」
「ああ、ありがとうございます。期待してますよ」
どうやら"これ"が、この2人を繋いでいた理由のようだった。
「ついでに嫁探しも続けといてやる。コイツに嫁を紹介してもいいんだよな?」
「……なぜ私に聞く」
「後で恨まれても嫌だからなぁ」
「誰が恨むか。お前達の好きにしたらいい」
「……何で僕を睨むんですか?」
「睨んでなどいない」
「言っておきますが、僕が頼んだ訳ではありません。彼が好意でーー」
「なぜ私に言い訳をする?」
「じゃあ、どうして睨むんです?」
「だから睨んでなどいない」
「じゃあ、どうして怒ってるんです?」
「怒ってなどいない!」
「はっは!やっぱお前らくっつけよ!家族を持つのはいいぞ?なぁリュスティオ」
意味がわかっているのかいないのか……そんな私達のやり取りを、大男の肩の上から少年が楽しそうに眺めていた。


つづく。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み