アノの村にてDAY.06 ③『責任』
文字数 5,336文字
「……なに、あれ?」
あたし達が戻ると、さっきまで誰も居なかったはずの診療所には人集りができていた。
最初は、"アイツ"のことに気付いた村のみんなが診療所に集まっているんだと思った。けれど……少しずつはっきり見えてくるみんなの顔が、それとは違うことを教えてくれた。遠くからでもピリピリと緊張した空気が伝わってきた。
「ねぇ、どうしたの?」
「あたしも良くわかんないんだけどさ、畑で子どもが倒れたって」
診療所の入口から溢れていたおばさん に訊くと、そう教えてくれた。
「よりによって先生 が居ない時に――って思ってたら、新しい医者が来てるって話じゃないか。今は中で診てもらってるって言うからさ、どんな人なのかと思ってね」
「それって」
「ちょっと、通して!」
あたしとシュルティナはお互い頷くと、人混みを割って診療所の中に入った。村のみんなは、あたし達がよく診療所 で先生 の手伝いをしていたことを知っているから、文句も言わずに中に通してくれた。
「リーグル?!」
下着姿で診療所のベッドに寝かされていたのは、あたしの家の向こう隣に住むリーグルだった。まだ10歳にも満たない男の子で、私にとっては弟みたいなものだった。
「リーグルどうしたの?!」
「わからないの。畑で急に倒れていて……ぐったりして返事もしないの」
リーグルの母さん は、目に涙を浮かべていた。その隣ではリーグルの父さん が何度もリーグルの名を呼んでいた。
「……」
診療所のベッドの脇には、あの男が黙って立っていた。
リーグルに触れるわけでもなく、腕を組んだまま、苦しそうに息を荒げるリーグルを見下ろしていた。
「ねぇアンタ!黙って見てないで何とかしてよ!医者でしょう?!」
「……そうですね」
あたしが怒鳴ると、男はまるで他人事 のように呟いた。
「だから今、こうして"診て"います」
「みてる……って」
先生 だったら絶対にこんな"診方 "はしない。リーグルに触れて、リーグルの母さん にも声をかけて、安心させてやるのに、この男は、本当にただ見てるだけだった。
「こんなのどう見たって"炎天病 "じゃない!あたしにだってわかるよ!」
暑い日に長い時間外にいるとなってしまう炎天病。日差しが強いこの村で生まれ育ったあたし達は、炎天病には気をつけるように小さい頃から親にも言われてきた。暑い日には長い時間外に出るなって。
「……」
けれど、あたしがそう言っても男は黙ってリーグルを見下ろしているだけだった。
さっきは皮肉で王都の医者は腕がないって言ったけど、本当にここまで頼りにならないとは思わなかった。きっと"いろんなもの"が整っている上に、畑 で長い時間働く人が居ない王都では、炎天病にかかる人なんていないんだと思った。だから、この男は炎天病のこともよく知らないんだ、って。
あたし達は先生 から炎天病になった時の対処の仕方も聞いていた。そもそも、子どもの頃から先生 の隣にくっついて手伝いをしてきたシュルティナとあたしは、村の大人達よりも病気や怪我の処置の方法もずっと詳しい自信があった。実際、先生 が村を出てから、遊んでいて腕を怪我した子どもの手当ても2人でやった。
あたし達は子どもじゃない。ちゃんと先生 の代わりだって務められることを、男に見せつけてやりたかった。
「おじさん、水は飲ませてあげてないの⁈」
「ああ、俺達も最初はそうしようと思ったんだが、この先生が待つようにって――」
「そんなの待ってらんないよ!早く水を飲ませてあげなきゃ益々酷く――」
「やめなさい!」
あたしが診療所の脇に置いてある"瓶 "から器に水をすくって、リーグルに飲ませようとした時だった。男は鋭い声でそう言ってあたしの腕を掴んだ。
「正しい知識を持たない者が、勘で動くのはやめなさい」
「……何よ、医者のクセにアンタが何もしないから――」
「そう。僕は医者です。そして君は医者じゃない」
「……」
男の鋭い声と眼差しに、あたしは初めてこの男が怖いと思った。痛くはなかったけれど……掴まれた腕から力が抜けた。
「それに診察ならもう終わっています」
男はあたしの腕からリーグルを受け取ると、もう一度横にして、その手をリーグルの口許に当てながら言った。
「この子は炎天病ではありません」
あたしだけじゃない。診療所に詰めかけていた人達みんなが驚いたと思う。
「説明は後です。誰か、この診療所の使い方に詳しい者はいますか?」
「私、わかります!よく先生 の手伝いをしていました!」
そう言って名乗り出たのは、ずっと黙っていたシュルティナだった。
「いいでしょう。ではご両親以外の方は外へ出て下さい。お父さんは息子さんの両足を胸より高い位置になるように持ち上げていてください。シュルティナは医療器具や薬の保管してある場所を教えてください」
「はい!」
シュルティナは男と一緒に診療所の奥へ消えた。あたしは……
「……」
その後ろ姿を追いかけることが出来なかった。
手伝うことも出来ない。家族でもない。“以外の方”でしかなかったあたしは、他の人達と一緒に診療所を出た。
シュルティナ達が診療所から出て来たのは、1時間位経ってからだった。
「……リーグル、大丈夫?」
「ええ。お薬を注射してもらったら、呼吸も落ち着いたみたい」
あたしが聞くとリーグルのお母さん が言った。
「……本当に、大丈夫なの?」
「今は静かに寝てる。夜のうちにも目を覚ますだろうって。それまで診療所にいるよう勧められたんだが、あの先生も村に来たばかりで忙しいだろうからな。家に帰ることにしたんだ」
リーグルを抱きかかえたリーグルのお父さん も安心した様子だった。
「……そう。本当にリーグルは炎天病じゃなかったの?」
「ええ。新しい先生が言うには――」
「待って」
リーグルのお母さん の言葉を遮るようにシュルティナが言った。
「それは、自分で聞いた方がいいと思う」
「なんで⁈」
「きっと、その方がいいと思うから」
「だからなんで⁈」
「そう思うから!」
強い口調で言い返されて、腕を掴まれて、あたしは半ば強引に診療所に連れていかれた。
「いやー、着任早々大変でした」
あたし達が診療所に入ると、男はいつもの笑顔を浮かべてそう言った。
「シュルティナ、手伝ってくれてありがとう。とても助かりました」
きっとリーグルが眠っていたベッドのシーツだろう、男は器用な手つきで畳んでいた。
「これを煮沸消毒したいのですが、確か釜戸があるんですよね?」
「あ、はい。診療所の裏に」
「わかりました」
「……待って」
診療所を出ようとした男に、あたしは声をかけた。正確には、シュルティナに肘で脇を小突かれて、声が掛けざるを得なかったと言った方が正しかった。
「あたしにも教えてよ。リーグルは……その、何だったのか」
「……」
男はどこか不思議そうな顔であたしを見返すと、微笑みながら指を1本立てた。
「原因は日差しではなく、"ダニ"です」
「ダニ?!」
予想も出来ない返事に、あたしは声を挙げた。
「毒性を持つダニ、恐らく"アマダニ"に噛まれた事が原因の過敏な免疫反応……簡単に言えば"ショック症状"のようなものです」
「……」
信じられなかった。あたしは絶対に炎天病だと思っていたから。
「僕も最初は暑さによる炎天病を疑いました。炎天病も重症化すると意識を失ってしまう場合がありますからね。ショック症状の場合は血圧が下がった事で意識を失ってしまうので、一見症状は似ているかもしれない。どちらも夏場に多い症例なので見極めが難しいのですが、呼吸の深さに違いが出ます。炎天病は規則的で浅く早い呼吸ですが、ショックの場合は呼吸障害が出る事があるので不規則な呼吸の場合が多いのです。あとはアマダニに噛まれた跡を見つける事ですが……噛まれた直後はなかなか見つけるのが難しい。彼の場合、衣類の内側から内腿を噛まれていたようで、なかなか見つける事が出来ませんでした」
「……」
あの時、男が“診ている”と言った本当の理由がそれだったと知った。
「アマダニに噛まれてた全員が免疫ショックを起こすわけではありません。彼の場合、ダニの毒に対して人よりも過敏に免疫反応が出てしまったのでしょう。こればかりは生まれ持ったものがありますからね。完全に無くするのは難しい。とりあえず血圧を上げる薬を射ったので、間もなく目を覚ますでしょう。明日、もう一度診察に行きます」
「……」
一度だけ、隣のシュルティナを盗み見たけれど、シュルティナは真剣な眼差しで男の話を聞いていた。
「“雨壁蝨 ”はその名の通り雨季に活発に活動するダニです。シュルティナはさっき今年は長雨だったと言っていましたね。もしかしたらそれもアマダニを増やした原因なのかもしれません。偶然とは言え、先に情報をもらっていた事でアマダニを疑うことが出来ました。それに数年前、"彼女"からの依頼でショック症状用の薬を王都から送った記憶があったんです。思った通り、ちゃんと保管してありましたから助かりました。これも場所を覚えていてくれたシュルティナのお陰です」
「私は……何も。先生 がメモを残していってくれたお陰です」
「いいや。今回、君の活躍は大きかった。ショック症状は早期の発見と処置が大切ですからね。この診療所に慣れていない僕だけでは迅速に動く事は出来ませんでした。決して大げさではなく、もう少し対応が遅れていたら命に関わっていたかもしれません。シュルティナ、君はあの少年の命を救ったといっても間違いではないんですよ」
「……」
男から何度も名前で呼ばれているシュルティナが、なんだか遠い存在に思えた。
そして、嫉妬にも似た対抗意識から男を毛嫌いしていた上に、いざという時に何の役にも立たなかった自分が、子ども扱いされたことに腹を立てていた自分が、ちっぽけで情けなく思えた。
「そしてパシーマ、君にも言っておかなければならない事があります」
「……なに」
急に名前を呼ばれて、あたしは戸惑った。
「あの時、君はあの少年に水を飲ませようとしていましたね。炎天病は脱水が原因にもなりますから、あの時君がそう判断したのもわかります。けれど、それは軽傷の場合であって、あの場では大きな間違いです。意識が朦朧とした相手に何かを摂取させるのは大変危険な行為です。誤飲や窒息の原因になり、最悪命を落とします」
「……ッ⁈」
それを聞いた時、体中から血の気が引いていくのを感じた。
「君は君なりに考えてあの少年を救おうとしたのでしょうが、あの時の君の行為は逆にあの少年の命を奪いかねなかった」
「……」
もしもあの場に男が居なくて、あたしが水を飲ませていたらリーグルは……そう考えると急に怖くなった。
「厳しい事を言うようですが、“知らなかった”が通じるのは子どもまでです」
男は静かに言った。
「もしも君達がまだ子どもなら、僕はここまで言うつもりはありませんでした。けれど、さっきも言った通り君達はもうすぐ大人になります。そんな君達だからこそ、“真実”の重みを知ってもらいたいんです。良い事でも、良くない事でも」
男はシュルティナとあたしを交互に見ながら言った。
「ただ、もうすぐ大人になるとは言え、まだ守られるべき存在の君達に頼ってしまったのは、医者を不在にしてしまった僕達 の責任です。申し訳なかった」
男は私よりも先に謝ると、あたしの方に歩いてきた。そして――
「さっき親御さんに聞きましたが、あの子は君の弟のような存在だったそうですね。怖い思いをさせてしまいましたね」
そう言って、頭にそっと手を置いた。
「身内の急変は、医者 ですら動揺するものです。そんな中、我先にあの子を助けようと行動した君の勇気は素晴らしい」
――その優しい眼差しは、先生 みたいだった
「……ごめんなさい」
自然と、その言葉が零れた。涙と一緒に。
ただ、それ以上の言葉を続けることができなかった。
「ずいぶんキツク言ってしまいましたが……パシーマ、君の様に率先して行動する勇気も、人を救う為にはとても大切な力です。それは知識のように後から蓄えられるものとは違います。"今"は間違ってしまったとしても、あの場で動く事が出来た君も自信を持っていい。」
あたしは涙を拭いながら、小さく頷いた。
「きっとこんな君達が居たからこそ、彼女も安心して診療所 で務められたんでしょう。そして、アノ を離れる決意が出来た。さっきは初対面にも関わらず言い過ぎました。ごめんなさい」
男はあたし達にもう一度謝ると、何かを感じ取ろうとするかのようにゆっくり診療所を見回した。あたし達と先生 の思い出が詰まったこの場所を。
「確かに彼女のやろうとしている事は無謀なことかもしれませんが……大丈夫。大人には約束を守る責任もあります。一緒に彼女の帰りを待ちましょう。その間、この村の人達の命は僕が責任を持って守りますから」
もう一度盗み見た時、シュルティナは……やっぱり泣いていた。
その涙の理由をあたしは知っていた。あたしもシュルティナも、本当はずっと不安だったんだ。先生 がいない間、もしも何か大変なことが起きたらどうしようって。先生 が居ない寂しさよりも、その怖さの方が大きかった。
この男は、そんなあたし達の不安を拭い去ってくれた。まるで"そう"思っていたあたし達の心を見透かしていたように。
つづく。
あたし達が戻ると、さっきまで誰も居なかったはずの診療所には人集りができていた。
最初は、"アイツ"のことに気付いた村のみんなが診療所に集まっているんだと思った。けれど……少しずつはっきり見えてくるみんなの顔が、それとは違うことを教えてくれた。遠くからでもピリピリと緊張した空気が伝わってきた。
「ねぇ、どうしたの?」
「あたしも良くわかんないんだけどさ、畑で子どもが倒れたって」
診療所の入口から溢れていた
「よりによって
「それって」
「ちょっと、通して!」
あたしとシュルティナはお互い頷くと、人混みを割って診療所の中に入った。村のみんなは、あたし達がよく
「リーグル?!」
下着姿で診療所のベッドに寝かされていたのは、あたしの家の向こう隣に住むリーグルだった。まだ10歳にも満たない男の子で、私にとっては弟みたいなものだった。
「リーグルどうしたの?!」
「わからないの。畑で急に倒れていて……ぐったりして返事もしないの」
リーグルの
「……」
診療所のベッドの脇には、あの男が黙って立っていた。
リーグルに触れるわけでもなく、腕を組んだまま、苦しそうに息を荒げるリーグルを見下ろしていた。
「ねぇアンタ!黙って見てないで何とかしてよ!医者でしょう?!」
「……そうですね」
あたしが怒鳴ると、男はまるで
「だから今、こうして"診て"います」
「みてる……って」
「こんなのどう見たって"
暑い日に長い時間外にいるとなってしまう炎天病。日差しが強いこの村で生まれ育ったあたし達は、炎天病には気をつけるように小さい頃から親にも言われてきた。暑い日には長い時間外に出るなって。
「……」
けれど、あたしがそう言っても男は黙ってリーグルを見下ろしているだけだった。
さっきは皮肉で王都の医者は腕がないって言ったけど、本当にここまで頼りにならないとは思わなかった。きっと"いろんなもの"が整っている上に、
あたし達は
あたし達は子どもじゃない。ちゃんと
「おじさん、水は飲ませてあげてないの⁈」
「ああ、俺達も最初はそうしようと思ったんだが、この先生が待つようにって――」
「そんなの待ってらんないよ!早く水を飲ませてあげなきゃ益々酷く――」
「やめなさい!」
あたしが診療所の脇に置いてある"
「正しい知識を持たない者が、勘で動くのはやめなさい」
「……何よ、医者のクセにアンタが何もしないから――」
「そう。僕は医者です。そして君は医者じゃない」
「……」
男の鋭い声と眼差しに、あたしは初めてこの男が怖いと思った。痛くはなかったけれど……掴まれた腕から力が抜けた。
「それに診察ならもう終わっています」
男はあたしの腕からリーグルを受け取ると、もう一度横にして、その手をリーグルの口許に当てながら言った。
「この子は炎天病ではありません」
あたしだけじゃない。診療所に詰めかけていた人達みんなが驚いたと思う。
「説明は後です。誰か、この診療所の使い方に詳しい者はいますか?」
「私、わかります!よく
そう言って名乗り出たのは、ずっと黙っていたシュルティナだった。
「いいでしょう。ではご両親以外の方は外へ出て下さい。お父さんは息子さんの両足を胸より高い位置になるように持ち上げていてください。シュルティナは医療器具や薬の保管してある場所を教えてください」
「はい!」
シュルティナは男と一緒に診療所の奥へ消えた。あたしは……
「……」
その後ろ姿を追いかけることが出来なかった。
手伝うことも出来ない。家族でもない。“以外の方”でしかなかったあたしは、他の人達と一緒に診療所を出た。
シュルティナ達が診療所から出て来たのは、1時間位経ってからだった。
「……リーグル、大丈夫?」
「ええ。お薬を注射してもらったら、呼吸も落ち着いたみたい」
あたしが聞くとリーグルの
「……本当に、大丈夫なの?」
「今は静かに寝てる。夜のうちにも目を覚ますだろうって。それまで診療所にいるよう勧められたんだが、あの先生も村に来たばかりで忙しいだろうからな。家に帰ることにしたんだ」
リーグルを抱きかかえたリーグルの
「……そう。本当にリーグルは炎天病じゃなかったの?」
「ええ。新しい先生が言うには――」
「待って」
リーグルの
「それは、自分で聞いた方がいいと思う」
「なんで⁈」
「きっと、その方がいいと思うから」
「だからなんで⁈」
「そう思うから!」
強い口調で言い返されて、腕を掴まれて、あたしは半ば強引に診療所に連れていかれた。
「いやー、着任早々大変でした」
あたし達が診療所に入ると、男はいつもの笑顔を浮かべてそう言った。
「シュルティナ、手伝ってくれてありがとう。とても助かりました」
きっとリーグルが眠っていたベッドのシーツだろう、男は器用な手つきで畳んでいた。
「これを煮沸消毒したいのですが、確か釜戸があるんですよね?」
「あ、はい。診療所の裏に」
「わかりました」
「……待って」
診療所を出ようとした男に、あたしは声をかけた。正確には、シュルティナに肘で脇を小突かれて、声が掛けざるを得なかったと言った方が正しかった。
「あたしにも教えてよ。リーグルは……その、何だったのか」
「……」
男はどこか不思議そうな顔であたしを見返すと、微笑みながら指を1本立てた。
「原因は日差しではなく、"ダニ"です」
「ダニ?!」
予想も出来ない返事に、あたしは声を挙げた。
「毒性を持つダニ、恐らく"アマダニ"に噛まれた事が原因の過敏な免疫反応……簡単に言えば"ショック症状"のようなものです」
「……」
信じられなかった。あたしは絶対に炎天病だと思っていたから。
「僕も最初は暑さによる炎天病を疑いました。炎天病も重症化すると意識を失ってしまう場合がありますからね。ショック症状の場合は血圧が下がった事で意識を失ってしまうので、一見症状は似ているかもしれない。どちらも夏場に多い症例なので見極めが難しいのですが、呼吸の深さに違いが出ます。炎天病は規則的で浅く早い呼吸ですが、ショックの場合は呼吸障害が出る事があるので不規則な呼吸の場合が多いのです。あとはアマダニに噛まれた跡を見つける事ですが……噛まれた直後はなかなか見つけるのが難しい。彼の場合、衣類の内側から内腿を噛まれていたようで、なかなか見つける事が出来ませんでした」
「……」
あの時、男が“診ている”と言った本当の理由がそれだったと知った。
「アマダニに噛まれてた全員が免疫ショックを起こすわけではありません。彼の場合、ダニの毒に対して人よりも過敏に免疫反応が出てしまったのでしょう。こればかりは生まれ持ったものがありますからね。完全に無くするのは難しい。とりあえず血圧を上げる薬を射ったので、間もなく目を覚ますでしょう。明日、もう一度診察に行きます」
「……」
一度だけ、隣のシュルティナを盗み見たけれど、シュルティナは真剣な眼差しで男の話を聞いていた。
「“
「私は……何も。
「いいや。今回、君の活躍は大きかった。ショック症状は早期の発見と処置が大切ですからね。この診療所に慣れていない僕だけでは迅速に動く事は出来ませんでした。決して大げさではなく、もう少し対応が遅れていたら命に関わっていたかもしれません。シュルティナ、君はあの少年の命を救ったといっても間違いではないんですよ」
「……」
男から何度も名前で呼ばれているシュルティナが、なんだか遠い存在に思えた。
そして、嫉妬にも似た対抗意識から男を毛嫌いしていた上に、いざという時に何の役にも立たなかった自分が、子ども扱いされたことに腹を立てていた自分が、ちっぽけで情けなく思えた。
「そしてパシーマ、君にも言っておかなければならない事があります」
「……なに」
急に名前を呼ばれて、あたしは戸惑った。
「あの時、君はあの少年に水を飲ませようとしていましたね。炎天病は脱水が原因にもなりますから、あの時君がそう判断したのもわかります。けれど、それは軽傷の場合であって、あの場では大きな間違いです。意識が朦朧とした相手に何かを摂取させるのは大変危険な行為です。誤飲や窒息の原因になり、最悪命を落とします」
「……ッ⁈」
それを聞いた時、体中から血の気が引いていくのを感じた。
「君は君なりに考えてあの少年を救おうとしたのでしょうが、あの時の君の行為は逆にあの少年の命を奪いかねなかった」
「……」
もしもあの場に男が居なくて、あたしが水を飲ませていたらリーグルは……そう考えると急に怖くなった。
「厳しい事を言うようですが、“知らなかった”が通じるのは子どもまでです」
男は静かに言った。
「もしも君達がまだ子どもなら、僕はここまで言うつもりはありませんでした。けれど、さっきも言った通り君達はもうすぐ大人になります。そんな君達だからこそ、“真実”の重みを知ってもらいたいんです。良い事でも、良くない事でも」
男はシュルティナとあたしを交互に見ながら言った。
「ただ、もうすぐ大人になるとは言え、まだ守られるべき存在の君達に頼ってしまったのは、医者を不在にしてしまった
男は私よりも先に謝ると、あたしの方に歩いてきた。そして――
「さっき親御さんに聞きましたが、あの子は君の弟のような存在だったそうですね。怖い思いをさせてしまいましたね」
そう言って、頭にそっと手を置いた。
「身内の急変は、
――その優しい眼差しは、
「……ごめんなさい」
自然と、その言葉が零れた。涙と一緒に。
ただ、それ以上の言葉を続けることができなかった。
「ずいぶんキツク言ってしまいましたが……パシーマ、君の様に率先して行動する勇気も、人を救う為にはとても大切な力です。それは知識のように後から蓄えられるものとは違います。"今"は間違ってしまったとしても、あの場で動く事が出来た君も自信を持っていい。」
あたしは涙を拭いながら、小さく頷いた。
「きっとこんな君達が居たからこそ、彼女も安心して
男はあたし達にもう一度謝ると、何かを感じ取ろうとするかのようにゆっくり診療所を見回した。あたし達と
「確かに彼女のやろうとしている事は無謀なことかもしれませんが……大丈夫。大人には約束を守る責任もあります。一緒に彼女の帰りを待ちましょう。その間、この村の人達の命は僕が責任を持って守りますから」
もう一度盗み見た時、シュルティナは……やっぱり泣いていた。
その涙の理由をあたしは知っていた。あたしもシュルティナも、本当はずっと不安だったんだ。
この男は、そんなあたし達の不安を拭い去ってくれた。まるで"そう"思っていたあたし達の心を見透かしていたように。
つづく。