6章―4
文字数 3,989文字
「ラウロさんは、本社の地下倉庫に連れて行かれた」
「入口の辺りは使われてるみたいだけど、奥だと人の出入りはほとんどない」
「薄暗くて、寒い場所だった」
「倉庫の一番奥に入ると、『蛇』は落ちていた鎖でラウロさんの両手を縛って、扉に南京錠をかけた」
「倉庫の部屋は鉄格子で……この空間は、檻そのものだった」
窓もない、明かりもない檻のような空間。想像するだけで悪寒が走る。双子の言葉は、徐々に濁り始めた。
「『蛇』はラウロさんに襲いかかった」
「いつの間にか、檻の外には会社の人が何人か集まってきていた」
「檻の外に気づいた『蛇』は、仕方なさそうに扉を開けた」
「みんな、すぐに……檻の、中に……!」
双子は堪えきれず、ぽろぽろと涙を流す。アースは、自分も泣いていることに気づいた。ラウロが感じただろう身を引き裂かれるような苦痛。話を聞いているだけなのに、その痛みが伝わってくる。
双子は必死に涙を堪え、話を続けようとする。
「その後、噂を聞きつけた、会社の人たち、が……絶えず、やって来て」
「毎日、たくさんの……人の、相手を、させられた……」
「食べ物も、飲み物も、ろくに与えられ……なくて」
「身体も、心も、ぼろぼろ、だった……」
「ラウロさんは、生まれて初めて……死にたい、と、思った……」
双子は嗚咽を上げ、床に崩れ落ちた。
「本社の出口を探索してた時、私はラウロを見たの」
泣き止まない双子に代わり、ナタルが話し始めた。彼女にしては珍しく、困惑したような口調だ。
「ちょうど外に繋がる新しい出口を見つけて、母さんに報告しようと近道を使った時だった。苦しそうな叫び声が聞こえてきたの。気になって近づいてみたら、フィードが、あいつに……」
ナタルは、唇をぎゅっと噛みしめる。
「私は、何とかあいつを助けたいと思った。でもその時は、何にもできなかった……」
彼女は悔しそうに床を睨む。涙が一粒、零れ落ちた。
「あの後母さんに全部話して、あいつを助けたい、ってお願いした。助けてもすぐばれるし、フィードのことだからきっとしつこく探し回る、と思ってたけど、母さんは賛成してくれた」
シーラが亡くなった、と聞いた時、ラウロが誰よりもショックを受けていたことを思い出す。彼にとってこの親子は単なる知り合いではなく、命の恩人だったのだ。
「私達は倉庫に行って、急いであいつを助け出した。暖かい服を着せて、食べ物と飲み物を与えたら、回復してくれた。ふらついていたけどちゃんと歩けてたし、もしかしたら、[潜在能力]がはたらいていたのかも」
命の危機に曝されると、[潜在能力]が一時的に目覚めることがある。ラウロの能力は、『治癒能力が高い』こと。三年もの長い間、極限状態にありながらも生き延びたのはきっと、そのおかげだ。
「私はラウロに事情を話して、遠くへ逃げるように伝えた。その時に、あいつが『娼夫』だったことを聞いたけど、フィードが追ってくるからもう止めて、ってお願いしたの。母さんが殺されたのはすぐ後で、私が誰にも気づかれずに逃げられたのはきっと、フィードがあいつを探し回っていたから」
金色の髪をくしゃくしゃに掻き回し、深くうなだれる。彼女の右耳の赤いイヤリングが、大きく揺らめいた。
「まさかここで再会するとは思わなかったわ……ラウロが生きてて本当に嬉しかったけど、あいつも私も、いつかフィードに見つかるんじゃないかって。ずっと、怯えてたの」
ナタルが沈黙すると、平静になった双子が再び語り始めた。目は泣き腫らして真っ赤だったが、もう大丈夫のようだ。
「ラウロさんは、ひたすら遠くに逃げ続けた」
「体力が続く限り、なるべく遠くへ」
「ようやく郊外に出た時、僕たちがテントを組み立てているのを見かけた」
「他人同士なのに、すごく仲が良さそうだったから」
「思わず足を止めて、こっちをずっと眺めていた」
アースはあの時の違和感を思い出した。街路樹に消えた薄茶色の綺麗な曲線。やはり、ラウロがいたのだ。
「僕たちは気づかなかったけど、ラウロさん、夜になってからもずっと、そばにいたんだよ」
「生きることに必死だったラウロさんは、初めて別の夢を持った」
「もしも、僕たちの『家族』になれたら、って……」
「次の日の公演で、僕たちはラウロさんを見つけたんだ」
「ラウロさんは何度も何度も、ありがとうって言いながら、ずっと泣いてた」
彼の明るい笑顔は本心を隠すものではなく、心からの喜びと、[家族]に向けられた感謝だったのだろうか。
「ラウロさんが過去を話さなかったのは、見捨てられると思ったから」
「ナタルとの約束は守っていたけど、僕たちがお金に困っていることを聞いて、また仕事しようと決めた」
「僕たちは止めようとしたけど、みんなに恩を返すんだ、って聞いてくれなかった」
「だから、また捕まるかもしれないって思いながら、約束を破ったんだと思う」
「心の中ではきっと、嫌だったはずなのに……」
話が終わると、沈黙の中、メイラが声を震わせた。
「もっと、……もっと早く気づいてあげられたら、こんな辛いことをさせずに済んだのに……!」
ノレインはメイラを優しく抱きしめる。そして、悲痛な目でナタルを見た。
「今ここにいないということは……ラウロは、フィードに捕まったんだな?」
「アース、そうなのね?」
ナタルは、悲しげな瞳でこちらを見る。まだ体の震えが止まらなかったが、アースは勇気を出して口を開いた。
「黒いスーツを着た、青い髪の……『蛇』みたいな人が、ラウロさんを、捕まえました」
あの時の光景が蘇る。アースは我に返ったように早口で事情を説明した。
「ナタルがフラットを探しに行ってる間に静かになって、急にラウロさんが走り出して、帰ろうとしたけど道に迷っちゃって、行き止まりになって、逃げろって言われて川に落とされて、それからすぐに、あ、あの人が」
フィードがラウロの口元に噛みつく様子がフラッシュバックする。アースは言葉を詰まらせるが、必死に声を出す。
「ラウロさん、言ってました。みんなと会えて、幸せだった、って。自分のことは忘れて、逃げて……って、言ってた、けど……!」
目から大粒の涙を零しながら俯く。流れる涙を拭いもせず、アースは泣き叫んだ。
「ラウロさんに、会いたい……‼」
今まで黙っていたモレノは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにさせながら、アースに抱きついた。
「俺だってこんなの嫌だ! ラウロさんがいなけりゃ、意味ねえよ‼」
ミックは兄を睨むことすら忘れ、目を潤ませながら頷いている。メイラは手で目元を拭い、立ち上がった。
「そうよ、このまま逃げる訳にはいかないわ!」
「あぁ。大事な[家族]を見捨てるなんて、私達には出来ない! ラウロを助けに行くぞッ‼」
ノレインはテーブルの上に片足を乗せ、拳を振り上げる。皆歓声を上げようとしたが、双子が慌てて叫んだ。
「待って! ラウロさんはRC本社に連れて行かれたんだよ⁉」
短く息を飲み、ノレインはナタルを見る。ナタルは両手を固く握りしめたまま、悔しげに俯いていた。
男装してここまで辿り着き、平穏な日を過ごせていた彼女にとって、RC本社に乗りこむことは危険でしかない。もしラウロを助けようとして見つかれば、最悪、ナタルも捕まる可能性だってあるのだ。
そもそも、ラウロは本当にRC本社にいるのか?
証拠もない状態で突撃するのは、あまりにも危険だ。ナタルは、両目を固く瞑る。
「(あいつを放っておくことはできない。でも、見つかったら……)」
ナタルは両手で顔を覆う。その時、ある言葉が頭の中に響いた。それは、数日前に聞いたアビニアの予言。
「(『大きな決断の末、後悔をするだろう』……もしかして、『未来』は今なの?)」
静かに深呼吸を繰り返し、目を閉じる。ナタルは頭の中を整理しようと思考を巡らせた。
「(私は捕まるのを怖がっている? うぅん。そうだけど、違う。今の私が『私』だってことを知られたくないだけ。知られても、追われても、捕まらなければいい。そのために母さんと一緒に、強くなろうって決めたじゃない)」
ナタルは目を開け、天井を睨んだ。
「(後悔なんて、したくない!)」
もう迷いはない。ナタルは拳を握りしめ、[家族]に、自分自身に、力強く宣言した。
「RC本社に行って、……ラウロを助ける!」
――――
――カツン、カツン……
ラウロは、規則正しい無機質な足音に目が覚めた。
鳩尾が痛い。意識が混濁する中、辺りを探ろうと視線を回す。どうやら薄い照明がついた狭い廊下を、担がれた状態で運ばれているようだ。
「目が覚めたか」
耳元で低い声が響く。見なくても分かる。フィードだ。
「ここは、どこだ?」
「リバースカンパニー本社だ」
その一言で、記憶が一気に蘇る。反射的に身じろぐと、自分を押さえつける腕の力が強まった。
「た、頼む! 檻にだけは入れないでくれ!」
「ふん」
フィードは鼻を鳴らし、急に立ち止まった。
「当たり前だ。これからは誰にも邪魔をさせない。お前は、俺だけを見ていればいい」
強引に口づけられたことを思い出す。心臓の鼓動が早くなる。フィードは再び歩き出した。
「安心しろ、目的地は俺の部屋だ」
しばらくして再び立ち止まると、左に方向転換した。視界に金属製のドアが目に入る。
フィードは片手で器用に鍵を開け、ドアを開ける。部屋の様子を見た瞬間、ラウロは息を詰まらせた。
ドアの先には、もう一つ扉があった。更にそれを起点に鉄格子が部屋を取り囲んでおり、まるで、部屋に『檻』が入っているようだった。
ラウロは体の震えが止まらず、涙を零した。青い『蛇』は彼を担いだまま『檻』に入り、扉を閉める。
そして、南京錠をかけた。
“The Snake” in the building
(『蛇』の襲撃)
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