3章―3
文字数 4,607文字
カルク島民なら誰もが知っている会社、リバースカンパニー。『RC』のロゴがついたトラックやコンテナ、きっと見たことあると思います。私は、その社長の娘なんです。
RCといえば、世界各国に子会社を持つ大企業で、巨大な輸送会社。世界中の島々が貿易できるのは、それのおかげだと言われています。
でも、それは表向きの顔。世界に向けて麻薬や武器の裏取引をする……そんな噂が後を絶たないんです。
まだあの会社がなかった時代、私の母さんは大財閥の跡継ぎでした。でも実業家だったあの男の提案で結婚したと聞いています。財閥の協力もあってRCが作られたけど、最初は国内だけの配達程度でした。
でも急激に範囲を広げていって、会社も大きなビルに移転して、ようやく他の[島]との貿易が始まった頃……あの男は突然、まだ幼かった私と母さんを会社の中に閉じこめてしまったんです。
物心ついた頃にはもう、私にとっての世界は社内住宅のある一つの階だけでした。
食べる物も着る物も良い物を与えられたし、先生になってくれた人や、相談に乗ってくれる親切な人もいたけど、それでも嫌だった。私はRCに、あの男に縛られることのない、自由な生活が欲しかった。
私達は夢を叶えるために、他の人には内緒で『逃げる準備』を始めました。身を守るために体を鍛えたり、通気口を探索して逃げ道を調べたり。
半年前、ようやく外に繋がる場所を見つけました。でも計画なしに出るのは危険すぎる。母さんにそう言われて、作戦を練り直すことにしました。武器の密輸情報が出始めたのは、ちょうどその頃だったと思います。
ある日、母さんが呼び出されました。『すぐ戻ってくるから、心配しないで』母さんはそう言っていたけど、一時間たっても戻ってきませんでした。
どうしても待てなくて、会社の人の目を盗んであの男の部屋へ行きました。
部屋のある階に着いた途端、銃声が聞こえました。急いで部屋まで走って、ドアを開けると、母さんが倒れていた。私は必死で止血しようとしました。それでも、血が、止まらない……
母さんはその時、弱々しく……力強く言いました。
『ここを今すぐ逃げ出して、自由を手に入れるんだ。そうすれば、きっと幸せは見えてくるから』。
いつも身に着けていた赤いイヤリングの片方を私の手に握らせ、母さんは……。
涙が止まらなかった。目の前が暗くなった。でも、母さんの言葉、願いを無駄にしたくない。
私は急いで部屋に戻って、通気口を伝って外に出ました。星が明るく瞬く、静かな夜だったのを鮮明に覚えています。あの景色は、窓もない檻のような部屋で過ごしてきた私にとって、初めての『外の世界』でした。
それから、私は遠くへと逃げた。ほとんど休むこともなく、ひたすら走りました。
シャープ、フラットとはその時に出会いました。この子達も私と同じような目に遭ったんだと、出会った瞬間に感じました。
皆で助け合いながら、数ヶ月間旅を続けてきました。『外の世界』のことを見て学んで、時には修行のために色んな経験もして。
毎日が自由で刺激的だったけど、母さんが言っていた『幸せ』は何なのか、分からなかった。
そして今日、赤と黄色の目立つテントに目が留まりました。
『愛と希望を運ぶサーカス、[オリヂナル]』。私は、何故か公演を見たいと思いました。無料だったからでもなく、特別興味があった訳でもなかったけど。この公演を見たら何かが変わる。そんな気がしたんです。
私は、[オリヂナル]の公演を見て初めて『楽しさ』を味わいました。うぅん、『楽しさ』だけじゃない。言葉に表せないくらい色んな気持ちが溢れてきて、じっとしていられない!
もしかして、これが『幸せ』ってことなのかな? だから、ドリに声をかけてもらえて、とても嬉しかった。
私は、皆と一緒にいたい。でもきっと、あの男は私を探していると思う。いつか見つかって、皆にも危険が及ぶかもしれない。
それでも、ここにいていいんでしょうか?
――――
「当たり前だ! 君はもう、私達の[家族]なんだから!」
「そうよ! もし追っ手が来たとしても、あたし達が全力で守るわ!」
話を静かに聞いていたノレインとメイラは、ナタルを抱きしめる。ナタルは目を輝かせながらも、不安な表情で「ありがとうございます……!」と声を滲ませた。
彼女の纏う雰囲気が鋭く張りつめているのは、見えない『敵』に追われているせいなのだろう。だが、殺伐とした世界で生きてきたナタルは[オリヂナル]と出会い、初めて『幸せ』を見出したのだ。
自分達[家族]は間違いなく、人々の心を『癒して救う』ことが出来ている。アースはその事実をひしひしと感じ、心が温かくなった。
「ところで! 君は[潜在能力]を知っているかッ?」
ノレインは大げさに声を張り、ナタルだけでなくアース達[家族]も飛び上がりそうになった。彼はナタルの返答を待たずに[潜在能力]の説明を始める。シャープとフラットを気遣ったのか、スウィートが同時通訳した。
強面のライオンが犬語と猿語を交互に話す様子は、どことなくシュールな光景だ。モレノと双子は必死に笑いを堪えており、ミックでさえ口元を押さえていた。
「……という訳だ。君達の力、開花させても良いだろうか?」
説明は一通り終わり、ミックによる鑑定も済んだ。ナタルは両隣の相棒と顔を見合わせる。彼女らの目に迷いはない。ナタルは「お願いします」と静かに了承した。
ノレインは満足げに両手を広げ、『手品』の口上を始めた。
「よーし、早速始めるぞッ! それでは、貴方の[
「あっ、ちょっと待って!」
だがナタルが突然声を上げ、ノレインは真後ろに引っくり返った。何とか起き上がったノレインは、薄い頭を擦りながら嘆いた。
「い、いったいどうしたッ⁉」
「ごめんなさい。さっきからずっと気になってたんですけど」
ナタルは聞いていいものかと逡巡していたが、モレノと双子に視線を移し、不思議そうに首を傾げた。
「あの三人、どうして顔が腫れてるんですか?」
一瞬間を置き、ノレインとメイラ、スウィートとピンキー、そしてラウロが笑い出した。冷ややかに兄を睨むミックから目を逸らし、アースは憐みの目で当事者三人を見る。彼らはようやく反省したようで、苦々しく黙っていた。
ラウロは得意げに事情を話していたが、ナタルは「やりすぎよ!」ともっともな意見を述べる。その親しげな様子は、ただの『知り合い』とは思えない。
彼らはどこで出会ったのだろうか。と疑問に思うが、ノレインの『手品』が始まってしまう。アースは言いかけた質問を飲みこむのだった。
――――
その日の夜。ナタルと従者の[家族]記念日パーティーは、一層賑やかなものとなった。
利口で頼りになるシャープは[潜在能力]で分身し、散らかったリビングを片づけたり皿洗いを手伝ったりと大活躍した。だが、[潜在能力]で『人間』になったフラットが足を滑らせ、その拍子に皿を数枚割る大惨事が起きた。
一騒動あったが、皆笑ってナタル達を歓迎してくれた。最愛の母以外の[家族]を得て、ナタルは生まれて初めての『幸せ』を噛みしめていた。
パーティーが終わったのは深夜近く。[家族]も皆寝床に入り、辺りは静けさを取り戻す。
月の明るい静かな空の下、地平線がどこまでも広がる。ナタルは部屋の窓際の椅子に身を預け、外を眺めていた。今日は何となく眠る気になれない。RCの本社ビルを飛び出した時も、このような空模様だった。
ふと、外に人影を見つけた。束ねた長髪が月の光に輝く。ラウロのようだ。ナタルはミックと従者達を起こさないように、そっと部屋を抜け出した。
玄関のドアを静かに開け、車体の裏手に回る。ラウロは立ったままぼんやりと月を眺めていた。こちらには気づいていない。ナタルは表情を緩め、彼に声をかけた。
「あんたも眠れないの?」
ラウロはゆっくりと振り向き、「まぁな」と笑った。初めて会った時の彼とは別人のようで、ナタルは安堵した。
「そういえばあんたの笑顔、初めて見た気がする」
「ははっ、そりゃそうだ。普通に笑えるようになったのは、[家族]のおかげかもな」
ナタルはラウロの横に並び、共に月を見上げる。言葉はない。話したいことは山ほどあるが、どの話題から手をつけたら良いか分からなかった。
気まずさに耐えられなかったのか、ラウロは弱々しく呟いた。
「まさか、お前がここに来るなんてな……」
ナタルは「そうね」と微笑む。正直、ラウロと再会するとは思わなかった。もし[オリヂナル]のテントに入らなかったら、自分達はもう二度と会うことはなかっただろう。この奇跡のような偶然は、『偶然』ではないような気がした。
「それはこっちの台詞。でもまた会えるなんて、きっと運命よ」
「ハッ。……運命、か」
ラウロは自虐するかのように笑い飛ばした。ナタルは咄嗟に彼の『過去』を思い出し、慌てて話題を変える。
「皆から聞いたんだけど、仕事やってるそうね。新しい仕事、見つかってよかっ……」
ナタルは途中で口をつぐむ。ラウロは微かに震えていたのだ。ナタルは思わずその腕を強く掴み、激しく揺さぶった。
「あんたまさか、前と同じことしてるの⁉ そんなつらいこと続けたら、また……」
「嫌に決まってるだろ‼」
腕を乱暴に振りほどき、ラウロは背を向けた。その姿は当時の『彼』そのもので、ナタルの心に痛みが走る。
「でも、俺に出来るのはこれしかねぇんだよ」
束ねた髪が流れ、首筋が露わになる。そこには、痛々しい大きな傷跡が残されていた。
「わかったわ。その代わり、危なくなったらいつでも言って。私が絶対に守るから」
ナタルは地面から拳程の石を拾い上げ、おもいっきり宙に投げた。石は落ちることなく、ぐんぐんと、空の彼方へ消えてゆく。
ナタルの[潜在能力]は『一時的に筋力を上げられる』こと。幼い頃から鍛えていたこともあり、[潜在能力]に目覚める前だって、成人男性を倒したことがあるのだ。今の自分なら、誰にも負ける気はしない。
だが、ラウロは石が消えた方向を見据えたまま、苦しげに呟いた。
「……ごめん」
彼は踵を返す。数秒置いてドアの閉まる音が耳に入り、辺りは再び静まり返った。
ナタルは振り返ることなく、黙って空を見上げた。この新しい[
「あんたを守るだけじゃない。いつか必ず、RCを潰してみせる……!」
静かに拳を握りしめる。顔も思い出せない『
――――
真っ暗な車内は、耳をつんざくように静かだ。ラウロは部屋に戻ろうとして立ち止まる。無意識のうちに、体が震え出した。
「(ナタルがいれば、確かに安全かもしれない。……でも)」
ある光景が脳裏を過る。灰色に彩られた景色、薄暗く冷え切った空間。そして、威圧感を放つ青い眼光。
震えに耐え切れず、ラウロはその場に膝をついた。ナタルと再会したことが『
恐る恐る顔を上げる。そこにいるはずのない者が、見えたような気がした。
The dog, the monkey, and the girl
(犬と猿、そして少女)
(ログインが必要です)