5章―2
文字数 5,118文字
「さっきから駄目って何回も言ってんじゃないのよおおおおおおぉぉ‼」
突然の怒号に、アース達は飛び上がる。いつの間にか、ヒビロとメイラがノレインを巡って再び、修羅場を繰り広げていた。
「こうなったらまた、[催眠術]で本物の夢を見せてやろうか?」
「何度も同じ手が通用するようなあたしじゃないわよ! ソラ、あの変態にこの世の絶望を見せてやりなさい!」
「えー、その前に私がやられちゃうでしょー?」
「うん、確かにそんな未来が見えるよ。このままじゃルインが危ないかもね」
「ちょっ、アビ、何とかしてくれ!」
メイラはヒビロを睨みながら(よく見ると、ヒビロの目を見ないようにしている)フライパンを構え、その一方で取り乱したノレインがアビニアを激しく揺さぶっている。
アース、ラウロ、ナタルは揃って首を傾げた。会話の中に、聞き慣れない単語がなかったか。
「催眠術?」
「この世の絶望?」
「未来が見える?」
些細な呟きを聞いた五人は動きを止め、互いに顔を見合わせると、一斉に笑い出した。
「ぬはははは! そうだったそうだった、すっかり忘れていた!」
「あっはははは! あたし達ったら馬鹿ねぇ。こんな大事なこと言い忘れるだなんて!」
笑いが治まった頃、ノレインは気まずそうに咳払いした。
「実はな、ここにいる友人達も皆、[潜在能力]に目覚めているんだ」
アースだけでなく、ラウロとナタルも息を飲む。ノレインは口髭を弄りながら窓に向かい、説明を始めた。
「私達の故郷ミルド島では、時々[潜在能力]に目覚めている子供が生まれるらしい。昔、レント先生が教えてくれたことだ」
ノレインは振り返り、テーブル上のグラスを手に持つ。
「先程も説明したが、レント先生は考古学者だ。この世界の神話を研究しているそうだが、先生が言うには[潜在能力]も関わっているらしい。だが文献が少ないことから、それについて研究している考古学者はほとんどいないそうだ。……おっと、話が反れたな」
アースは、[家族]になった日のことを思い出した。ノレインは『先生』という人物から[潜在能力]について教わったと言ったが、その人物はレントと見て間違いないだろう。
「不思議なことに、SBに集まった生徒は全員[潜在能力]に目覚めていた。私達の親が能力を気味悪がって捨てた、と仮定するなら、自然なことかもしれないが」
ノレインはグラスの中身を飲み干す。空になったグラスを見つめるその目は、哀しみに満ちていた。先程まで楽しげに笑い合っていた彼らでさえ、それぞれが辛く苦しい過去を背負っている。そう思うと、アースは心が痛んだ。
すると、メイラが空気を切り替えるように手を叩いた。
「でも過去は過去! 大事なのは今『幸せ』って言えることだと思うわ!」
「あぁ。メイラの言う通りだ。辛い経験をしたからこそ、小さな幸せを全力で喜ぶことが出来るのさ」
ヒビロは夫婦に、柔らかな笑顔を向けた。
「それを教えるために、[オリヂナル]があるんだよな?」
ノレインとメイラは顔を見合わせ、ヒビロに笑顔を返す。
「その通りだ。レント先生のように、世界中の人々を『癒して救う』のが私の『夢』なんだッ!」
その言葉に、ラウロが小さく息を飲む。アースが思わず彼を見ると、目を見開きながらただ震えていた。
「昔話はこれくらいにしておこう。それより、そろそろ新しい[家族]に自己紹介したらどうだ?」
ノレインはソラとアビニア、ヒビロに提案する。ヒビロは「えー、まだネタばらししたくねーな!」とぼやいていたが、メイラに睨まれると黙りこんだ。
「はいはーい、じゃあ私から♪」
ソラはアコーディオンを取り出し、ゆったりとした三拍子の曲(アースがソラに会った時に聴いた曲)を演奏し始めた。
「私はソラ・リバリィ。二十五歳のピッチピチの乙女だよ♪ 一回言ったような気がするけど改めて説明するね。私はミルド島で大活躍してるアーティストなの。得意な楽器はもちろんアコーディオンよぉ」
アビニアから「自分で大活躍してるとか言うなー!」という野次が飛んだが、ソラは無視して続ける。
「私の[潜在能力]は[感情操作]。『目が合った相手の感情を操作出来る』の」
「それってどういうことですか?」
ナタルから質問が上がる。ソラはにっこり笑うと、ナタルの目線に合わせた。
「こういうこと♪」
すると、ナタルは驚いた様子で周りの様子をきょろきょろ見回した。普段の彼女より、若干テンションが高めなのは気のせいか?
「どう? 何か変わったかな?」
「えっ、ちょっと待って。何だか、とっても、楽しいような……」
ナタルは満面な笑みを引きつらせる。普段の彼女は冷静な方だからか、シャープとフラット、そしてラウロは呆気に取られていた。
「うふっ、じゃあ今度は……」
ソラはモレノに近寄り、先程と同様に目線を合わせた。その瞬間モレノは崩れ落ち、床を叩きつけながら慟哭した。兄を見下ろすミックの視線は、冷たいを通り越して痛ましい。
「モレノくん、今のお気持ちは?」
「うおおおお! ソラさんなんてことするんすか! 哀しくて哀しくてしょうがないっすよおお‼」
「そういうことか!」
ラウロは何かに気づいたのか、両手を合わせる。ソラは胸を張りながら、自信たっぷりに言い切った。
「楽しい、苦しい、哀しい、嬉しい。そんな『感情』を、自由に操ることができるのよぉ♪」
アースは、ソラの歌を聴いて楽しい気分になったことを思い出す。サングラス越しだったが、あの時は確かに目が合っていたはずだ。
ただし、彼女の気分次第では『この世の絶望』を喰らうはめになる。その実例を目の前で見せつけられた一同は、未だに立ち直れないモレノを見て震え上がるのだった。
「次は……僕の番かな」
ソラの自己紹介が終わっても動き出す気は全くなさそうなヒビロを睨み、アビニアは仕方なく立ち上がった。
「アビニア・パール、二十八歳。年齢まで言わなきゃいけないのかな? まぁいいや。言っとくけど男だからね」
その瞬間ナタルが「えぇっ⁉」と叫び、アビニアは顔を赤らめながら反論した。
「ち、ちなみに、物心つく前からこんな格好させられてたから、好きで女装してる訳じゃないからね? 文句なら昔いた施設の馬鹿共に言ってよ!」
一時的に取り乱したアビニアだったが、深呼吸してから頬を両手で思いっきり叩き、何事もなかったかのように続けた。
「職業は占い師。君達は客じゃないから言うけど、僕は[未来透視]で『目が合った相手の未来が見える』んだ」
「えぇっ⁉」
今度はナタルだけでなく、アースとラウロも叫んでしまった。ラウロは恐る恐る手を挙げ、質問する。
「ってことは、い、今も俺達の未来が見えてるんですか?」
「昔は会った人皆見えてたけど、本当は見たくないからね。今は『見えない見えない絶対見えない!』って言い聞かせてるから仕事以外では見えないかな。ね、デラもそうでしょ?」
「うん!」
『目が合った相手の過去が見える』デラは、アビニアの問いに元気良く答えた。
しかし笑顔の裏では、アビニアと同様の苦悩があったのだろうか。疑問に思うアースはドリと笑い合うデラを見てみるが、二人は無邪気な笑顔のままだった。
「あっ、そうだ。未来が気になるなら特別に、タダで見てあげてもいいよ?」
「ほ、本当ですかっ⁉」
アビニアの提案に何故かラウロが過剰に反応した。彼に続き、ナタルも慌てて手を挙げる。
「私も気になります! アースも自分の未来、気になるよね?」
「えっ? ぁ、うん」
ナタルに突然促され、アースは無意識のうちに頷いてしまう。返答を聞いたアビニアは満足そうに腕を組んだ。
「うんうん、やっぱりそうだよね。皆の前だと気が散るから、後で個別に見てあげるよ」
「えええぇ! じゃあついでに俺の未来も見てくださいよ!」
「君は前に一回占ってあげたじゃないか。まぁ、ちゃんと料金支払うなら別だけど」
そんなぁ、と崩れ落ちるモレノを見て皆笑い出す。ミックは呆れるどころか、もはや見下していた。
「遂に俺の素性を明かす時が来たか……」
脚を組みながら悩ましげに呟いたヒビロは、間髪入れずにフライパンを持ったメイラに殴られた。
「無駄にかっこつけてないでさっさと白状しなさいよ!」
「いてぇな! はいはい、素直に言えばいいんだろ?」
彼は殴られた頭を手で擦りながら立ち上がる。そして、咳払いをひとつ。
「俺はヒビロ・ファインディ。こう見えて三十五歳、ルインと同い年なのさ」
ついノレインと見比べてしまうアース達。ノレインからは「私を比較対象にするなッ!」という苦情が飛んだ。
「実はSB最初の生徒なんだ。だからしばらくはひとりきりで、まぁ寂しかったもんさ。でも二番目に来たルインと出逢ってから一年間、俺達は誰にも邪魔されない甘いひと時を……ぐほぉっ!」
「あらごめんなさい。つい手が滑っちゃったわ」
メイラはフライパンの角でヒビロの頭を容赦なく殴り、床に撃墜させた。表面上は涼しげだが、口調からは怒りと憎しみが滲み出ている。
その横で申し訳なさそうに赤面するノレインが目に入り、アースは慌てて目を逸らす。今の光景は見てはいけないような気がした。
「ぐふっ、もうちょっと美少年時代の話をしたかったんだがな……卒業後は何やかやあって、[世界政府]の国際犯罪捜査員になったのさ」
彼の肩書を聞き、アースとナタルは凍りついた。自分達の様子を見て首を傾げるラウロは、思わず呟く。
「こくさいはんざいそうさいん?」
今度は全員の動きが凍りついた。訳が分からない様子の彼に、ナタルは震えながら声を絞り出した。
「ぁ、あんた、知らないの? あの国際犯罪捜査員よ?」
「あのな。まともな教育も受けてない孤児が分かると思うか?」
ラウロにむなしく言い返され、ナタルは口をつぐむ。しかしヒビロは「仕方ねーよ」と爽やかに笑い飛ばした。
「設立からまだ五十年しか経っていない組織だ。知名度も努力も、まだまだ足りないってことさ。んじゃ、簡単に説明するぜ。世界の各国にある[政府]で実力を積んだ役人は、[島]を統括する[地方政府]に昇格出来る。ここまではいいか?」
「はい、何とか」
「よし、ここからが大事だ。[地方政府]で輝かしい実績を残した優秀な役人だけが、この世界の最高機関、[世界政府]に引き抜かれる。俺は警官として大活躍したからな、[政府]に入って十二年、今から四年前に異例のスピード出世で[世界政府]入りして、[島]を跨ぐ世紀の大犯罪を暴く国際犯罪捜査員になれたのさ」
「ってことは、ものすごいエリートってことですか⁉」
目を見開いて驚くラウロに対して、ヒビロは自慢げに「まぁな」とにやける。ただの『変態』かと思っていたが、まさか[世界政府]の役人だったとは。
アースはふと、数時間前のソラの言葉を思い出す。彼女は確か、『変態』は仕事先から直接来る、と説明したような。
「あの、もしかして、今も捜査中なんですか?」
アースが恐る恐る訊ねると、ヒビロは顎を擦りながら唸った。
「んー……ここだけの話、そうなのさ」
「えぇっ、何やってるの? 教えて教えて!」
「犯人はいったい誰なんすか!」
目を輝かせるソラとモレノに対し、ヒビロは両手を前に出しつつ首を横に振る。
「機密事項さ。捜査の内容なんて言える訳ねーだろ? まぁ俺の輝かしい経歴についてはこれぐらいにして、何か質問はあるか?」
「質問も何も、[潜在能力]の説明がまだじゃないのよおおおおおおぉぉ‼」
メイラの右ストレートがヒビロの顔面に命中する。端正な顔立ちが無様に潰れる瞬間、皆思わず目を背けた。
「ちっ、ばれたか。分かったからもう殴るなよ……」
鼻の辺りを押さえながら(思ったほどダメージは少なかったようだ)、ヒビロは渋々白状し始めた。
「俺の[潜在能力]は[催眠術]。思うがままに、『目が合った相手を操ることが出来る』のさ」
「もしかして、さっきラウロに変なことをしたのは……」
「もちろん、[催眠術]をかけたのさ」
ナタルは呆れたように肩をすくめた。一方、ラウロは思考が追いついてきたのか、混乱している。
「じゃ、じゃあ、さっき俺に[催眠術]をかけたのは」
「決まってるだろ? 体の動きを止めて、それから……むふふふふ……」
妖しげな笑みを向けられ、ラウロはへなへなと崩れ落ちた。
アースの頭の中で、散々耳にした忠告が蘇る。ヒビロと目を合わせてはいけない理由。それは目が合ったら最後、彼の餌食になってしまうということ。
アースは、絶対にヒビロと目を合わせないようにしよう、と改めて思った。
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