6章―1
文字数 4,307文字
ビル街に、陽気な音色が響き渡る。赤と黄色のテントの前で同色の衣装に身を包んだ女性、ではなく、男性道化師は一際元気に踊っていた。
ノレインとメイラの『家族』、セントブロード孤児院の卒業生達との同窓会が終わってから数日後。[オリヂナル]はこの場所で公演を開くことにしたのだ。
相変わらず道行く男性にナンパされるラウロを眺め、呼びこみ中のアースは溜息をついた。
「(こんなに男の人にモテるラウロさんって、もしかしたらヒビロさんよりすごいかも)」
怒号を上げて彼らを追い払うラウロ、わくわくしながらテントに入る大勢の観客。一見いつもの光景のようだが、今回はこの場に、スペシャルゲストがいる。
心地良い楽しげなメロディーが耳に入り、アースは隣を見上げる。灰色の帽子とコート、真っ黒なサングラスを身に着けた人物が、アコーディオンを演奏しつつ口笛を吹いている。そう、変装したソラだ。
軽快なマーチのリズムに、鳥のさえずりのような口笛のメロディー。ソラの肩に乗ったピンキーは、クラリネットの音色で歌っている。彼女らの音は絶妙に絡み合い、テント前に並ぶ観客を魅了していた。
アースは、ソラとピンキーが猛練習する様子を思い出す。
彼女は書き下ろしの楽譜とアコーディオン、通訳のスウィートを傍らに、歌いながらピンキーに教えこんでいた。なかなか上手くいかず心配だったが、いつの間にか、その苦労は微塵も感じさせない出来栄えとなっていた。
ラウロは曲に合わせて踊り出す。テントへ続く行列は止まり、観客は手拍子でこの場を盛り上げた。そして演奏が終わると、大きな拍手と歓声が起きた。
「皆さん、ありがとうございます! でもこれはまだまだ序の口。感動と驚きの続きは本番にてどうぞ!」
ラウロの一言で、観客の列は再び動き始めた。ソラが「大成功ね♪」と囁くと、ラウロは笑顔で親指を立てた。
その時、彼の肩を誰かが叩く。相手は見知らぬ男性だ。またナンパか、と思った瞬間、その男性は訝しげに切り出した。
「あんた、もしかして……『路地裏の蝶』か?」
ラウロの表情が凍りつく。その男性は彼の様子を気にも止めず、興奮したように続けた。
「そうだよな? こんな色っぽい男、あんたしかいねぇよな? ははっ、こんなところで会うとはよ!」
ラウロは黙ったまま俯いている。アースとソラ、ピンキーは顔を見合わせ、首を傾げた。この二人はどう見ても、知り合いには思えない。
一方的に捲し立てた後、男性はラウロの耳元に近寄り、厭らしい笑みを浮かべた。
「なぁ、今から取引しようぜ」
一瞬の間。ラウロは、急にその男性を突き飛ばした。
「今すぐ帰れ! もう二度とここに来るな‼」
人目を憚らず、ラウロは彼に激しい怒りをぶつけた。様子を見守っていたアース達はもちろん、道行く観客も彼らを注目する。
「な、何怒ってんだよ。ったく……」
男性は人目を避けるように、足早に立ち去った。その後は何事もなく、行列は流れ出した。しかし、ラウロはその場で震えながら立ち尽くしている。
「ねぇ、さっきのは」
「何でもない」
ラウロはソラの問いに振り返ることなく、話を遮った。彼女は困った様子でアースに笑いかけ、「呼びこみ、続けよっか」と、再びアコーディオンを演奏し始めた。
アースもまた声を張り上げるが、電池が切れたように黙っているラウロを見て、不安に思うのだった。
――
観客の大歓声が、幕の向こうから聞こえてくる。アースは準備体操をしながら、出番待ちをしていた。今はちょうどモレノとミック(そして、スウィート)の演技が終わったところだ。通常なら、この後はアースの出番だが。
「やぁ。お先に失礼するよ」
いつもの質素な服ではなく、きらびやかな紫色のローブを纏ったアビニアが、アースの肩を叩いて舞台に消えてゆく。そう、アビニアが[オリヂナル]に出演するのだ。
彼と入れ替わるようにして、モレノとミック(そして、スウィート)が戻ってきた。二人は舞台袖に引き返し、幕をほんの少し開けて舞台の様子を眺める。
「あれ? ミック、戻らないの?」
モレノが出演後も、舞台の様子を見て楽しんでいることは知っていたが、普段なら、ミックはすぐに車内に戻って休憩している。アースが疑問を投げると、ミックは微笑みながらひっそり呟いた。
「……アビニアさんの演技、おもしろいの」
舞台上では、ノレインがアビニアの手を取り紹介している。アースは準備体操を止め、兄妹の横に並んだ。
「今回はなんと、ミルド島からスペシャルゲストが来てくれました! 未来を見通す巫女、アビニアです!」
『巫女』という単語に顔をしかめたアビニアだが、彼の容姿はまさにその通りだった。
ローブの裾の大胆なスリットから覗く、細い脚。大勢の男性客が彼をうっとり見る様子が、アース達がいる場所からでもよく見える。もし彼を『男性である』と言ってしまうと、恐らく大混乱を招くだろう。
「彼女はこれから起こる未来を見ることが出来ます。もちろん、自らに降りかかる災いも……」
ノレインが言い終わらないうちに、アビニアの真上から何かが降ってきた。アビニアは慌てる様子もなくスッと横にはける。
「フッ、やるわね」
その正体は衣装を身に纏ったメイラだ。アビニアが避けなければ、彼女のかかと落としが決まっていただろう。
「アビ、勝負よ!」
メイラは助走をつけ、アビニアに襲いかかった。
彼女の強烈な蹴りが、いつ、どこに来るか知っているかのように、アビニアは次々とかわしてゆく。
メイラが並みの人間より強いのは分かっていたが、その攻撃を簡単に避けるアビニアに、アースは驚きを隠せなかった。だが彼は徐々に追い詰められ、遂に壁際まで迫ってきた。
メイラは間合いを取り、とどめとばかりに全速力で駆け出す。アビニアは防御の姿勢を取っていたが、不意に顔をしかめる。すると急に高く跳躍し、メイラを飛び越した。
彼の咄嗟の行動に観客は揃って歓声を上げたが、一番驚いていたのは、何故かメイラだった。
その直後。先程までアビニアが立っていた場所目がけて、何者かが落ちてきた。
袖口が小さく、肩の広い真っ赤な服に、裾が膨らんだ黄色のズボン。顔の右半分は、白い仮面に覆われている。この人物は軽やかに着地すると、メイラの背後にいるアビニアを見据えた。
突然の出来事に観客はどよめき、メイラは困惑しながらこの人物とアビニアを交互に見た。
「……いつもと違うわ」
ミックが、ぽつりと呟く。
「えっ、どういうこと?」
「……いつもはね、ふたりの引き分けで終わるはずなの」
出演者ですら予測できないハプニング。アース達も動揺する中、舞台上のアビニアはひとり、苦笑した。
すると、モレノが大慌てでアースとミックに耳打ちした。
「なぁ。あいつ、ナタルじゃねーか⁉」
謎の人物の、仮面をつけていない横顔が、アース達のいる場所から見えた。相手を見据える綺麗な緑色の瞳。[オリヂナル]の舞台に初めて立ったナタルは、アビニアに向かって駆け出した。
彼女は目にも留まらぬパンチを繰り出し、すぐに華麗な回し蹴りで牽制する。メイラと負けず劣らず、ナタルは見事な技で観客を圧倒していた。だが、アビニアはその攻撃を避け続ける。
ナタルの攻撃に手加減はない。本気で相対する二人の取り組みは、まさに芸術だった。
その時、アビニアがナタルの攻撃を右腕で受け止める。そして間髪入れずに、背後に向かって蹴り上げた。
ローブの裾のスリットから、白い脚が一瞬露わになる。彼の脚が裂いた辺りで、犬の形をした白い残像がぼんやりと漂っていた。
アビニアが振り返ると、青い鎧を纏ったブルドッグと、お揃いの色の鎧と兜で武装した猿がいた。ナタルの相棒、シャープとフラットだ。
シャープは[潜在能力]で自らの分身を五、六体出現させ、フラットは青い槍をぎゅっと握りしめる。ナタルが指笛を鋭く鳴らすと、従者達はアビニアに襲いかかった。
「す、すごい……!」
アースは感嘆した。ナタルと従者達は、見事なコンビネーションで絶えず攻撃を続け、アビニアは舞い踊るように受け流す。観客の誰もが、彼らの虜となっていた。
「そろそろおしまいにしようか」
アビニアは名残惜しそうに呟き、両腕でナタルとフラットの攻撃を同時に受け止めた。取り残されたシャープは、分身を倍増させた。これではどれが本物か見分けがつかない。
シャープの軍団は横一列に並び、一気に飛びかかった。アビニアは走り出す。左端から四番目に向かって手を伸ばすが、それはすり抜けることなく、確かに掴んでいる。本物のシャープを当てたのだ。
分身達が白い煙となって消えると、観客はようやく歓声を上げた。
アビニアはシャープを抱えたままナタルに近づき、手を差し伸べた。ナタルは安堵したように笑うと、アビニアの手を取り、握手した。
「み、皆さん、今一度大きな拍手をッ!」
実況も出来ず魅了されていたノレインは、慌てて呼びかけた。拍手が鳴り止まない中、小走りで舞台の中央へ寄る。
「紹介が遅れましたが……途中から参戦してくれた勇敢な戦士達は、[オリヂナル]新メンバーのシャープとフラット、そしてグレイスです!」
舞台裏のアース達は拍手をしながら、揃って首を傾げた。
「グレイス? ナタルの間違いじゃ……?」
「RCにばれないように、おばあちゃんの名前で呼んでくれって、ルインに頼んでたみたい♪」
いつの間にか背後にいたソラは、舞台の様子をにんまりと眺めた。
「うふふ。ナタルの初舞台、どうやらサプライズ大成功のようね♪」
「えっ、ソラさん知ってたんすか⁉」
モレノが思わず大声を上げると、ソラは大慌てで注意する。
「しぃっ、向こうに聞こえちゃう! アビの[潜在能力]を活かすために、みんなには内緒だったの。知ってたのは私と、ルインだけよぉ」
「何も俺たちまで騙さなくてもいいじゃないすか」
「ごめんね。でも面白かったでしょ?」
モレノが文句を垂れる横で、ミックはアースに耳打ちした。
「……ルインさん、きっとメイラさんとアビニアさんに怒られるわ」
その時、舞台上からノレインの声が飛んできた。
「さて、続いての演技が最後となってしまいました。準備がありますので、少々お待ちくださいッ!」
「え、もう最後か? アース、そろそろ行かないと!」
「あっ、ぅ、うん、行ってくる!」
すっかり夢中になっていたアースは自分の出番を思い出し、舞台に急ぐ。
途中でナタル達とすれ違ったが、先程の戦闘劇はどこへやら、和気あいあいと互いに健闘を称え合っていた。
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