7章―4
文字数 4,260文字
そして計画通り、[家族]総出で資金調達をする予定だったが、事態は急変した。
話に寄ると敷地内で起きた事故で、スタッフも生徒も混乱しているらしい。そこで急遽予定を変更し、その日のうちにミルド島を出ることになった。
カルク島とミルド島を繋ぐ連絡船に乗るために、港町の岸壁にキャンピングカーを進める。ノレインの話では、カルク島に来る時も利用したらしい。
前方の車は検問を済ませ、連絡船に入る。どうやら検査員の車両チェックが行われるようだ。
制服姿の検査員が二名、車内に入る。しかし彼らは、座席後方に用意したケージを見るなり悲鳴を上げた。膝を抱えて縮こまるスウィートは、ケージの中で飛び上がった。
「じょ、乗船は認められない! こんな危険なライオン、他の乗客に被害が出る!」
検査員は逃げようとする。メイラは我慢出来ず、ダッシュボードから一枚の証書を取り、彼らに突っかかった。
「この子は呆れるくらいびびりだから、人を襲うような大胆なまねは出来ないわ! それに、あたし達は承認団体なの! 船での移動も初めてじゃないって何度言ったら分かるのよおおおおぉぉぉ‼」
メイラは[世界政府]認定証兼、[島]間通行許可証を検査員の眼前に押しつけた。検査員はこの書類と、泣き出しそうな顔で懇願するスウィートを交互に見ながら迷っている。
「あぁっ、どっかで聞いたと思ったらやっぱり!」
その時、急にドアが開いた。検査員とは別の制服の女性が、メイラと彼らの間に割って入る。マリンブルーの長髪を無造作に纏めた姿を見て、夫婦は咄嗟に声を上げた。
「乗船を認めてやってちょうだい。このライオンちゃんは確かに、人を襲うような子じゃなかったわ」
女性は検査員に指示する。彼らは困ったように顔を見合わせると、スウィートに向かって勢い良く敬礼し、車から降りた。
「あなたとは確か、ミルド島の検問所でお会いしましたよね?」
「えぇ。ちょうど今みたいに乗船拒否されて怒鳴ってたわね」
メイラは思わず赤面する。女性はひとしきり笑うと、懐から革製のケースを取り出した。
「私は[世界政府]の国際海上保安官、ラテナリー・ルミナスです。あの時は急いでいて名乗れなかったわね」
全員の頭の中に、長身の『変態』が一瞬ちらつく。ラテナリーは皆の心を読んだかのように、その『変態』の名を出した。
「あのヒビロがすっごく推してたから、一度会って話したかったのよ」
「えっ。私達のこと、ご存じで?」
ノレインが目を丸くすると、ラテナリーは豪快に笑った。
「もちろん! 団体承認の時に揉めに揉めたんだから簡単には忘れられないわ。でも私はあなた達のこと、賛成派だったのよ? これからも活動、頑張ってね!」
アースは突如不安に襲われる。この非常事態の中、以前のように公演出来るだろうか。[家族]の様子をこっそり伺うと、予想通り、全員が表情を曇らせている。それでも、ノレインはラテナリーに感謝の言葉を述べた。
検問は無事に終わり、銀色のキャンピングカーは連絡船の入口を抜ける。
船内に入る直前、『RC』のロゴが入った貨物用コンテナが一瞬映る。ナタルはそれを鋭く睨む。ラウロはそれを、避けるように顔を伏せた。
――
二週間後、ミルド島に到着した。
連絡船から出た後、銀色のキャンピングカーは港町の小さな広場に停車した。ここからSBまでは、一、二週間かかる。
元々予定されていた資金調達が出来ず、アース、ラガー兄妹、ナタルと二匹の従者は、不要な物を抱えて質屋に出かけていた。
「うっ」
その帰り道、アースは急に吐き気を催す。すぐ近くの海から、潮風の香りが流れてきたのだ。
「そっか、海を見るのは初めてだったっけ。その気持ちすげー分かるぜ」
モレノに肩を抱かれ、アースは動揺した。ミックが恐ろしい形相で、兄を睨んでいる。ナタルが吹き出す声も聞こえる。気まずい雰囲気もあり、吐き気はなかなか引かなかった。
アースとナタルにとって、海を見るのも、船に乗るのも、ミルド島を訪れるのも初めてだった。
カルク島とミルド島は、深い繋がりがある。カルク島は長い間不毛の地だったが、約百年前、ミルド人によって開拓されたのだ。カルク人は元々ミルド人であり、特徴の違いはない。だがこの地に足を踏み入れた瞬間、故郷に帰って来たような錯覚を覚えた。
落ち着いた造りの街並みは眺めているだけで、荒んだ心が穏やかになる。留守番中のラウロにも見せたかったな、と、ナタルはしみじみ呟いた。
豊かな自然に囲まれた、四季に溢れた風土。カルク島にいた頃はあまり感じなかったが、季節は段々と、冬に向かっていた。街の至るところにある街路樹は、赤や黄色に色づいている。
「(まるで、[オリヂナル]のテントみたい)」
アースは鼻を摘まみながら、街路樹を見上げた。ゆっくりと考える暇はなかったが、今後を思うと寂しくなる。
公演は続けたいが、今はそれどころではない。それに、安全な場所に逃げられたとしても、今までのように公演出来る状態ではなかった。ラウロは心の損傷が激しく、夫婦も『家族』を失ったショックが癒えていないのだ。
[家族]が大変な時に限って、自分は何も出来ない。アースは、己の無力さを痛感していた。
「ん?」
その時、アース達は前方に目を留めた。観光客が行き交う中、幼い少年が一人きりで、道端に佇んでいる。彼はぶかぶかの白いキャップを被り、アースやミックより背が低い。地図だろうか、一枚の紙を手に、きょろきょろと周りを見渡している。
ナタルは駆け寄り、少年の目線と合わせるように屈んだ。
「どうしたの? 困っているようだけど……」
少年は振り向く。キャップの間からパステルブルーの短い髪が覗き、同じ色の大きな瞳が見えた。
「叔父様の家に用があるのですが、迷ってしまいました」
少年はアースよりも年下のはずだが、この年代の子供とは思えないしっかりとした口調だ。ナタルは彼の持つ地図を覗きながら、首を捻る。
「うーん、近くに分かりやすい建物とかないかな?」
「……あっ。そういえば、隣にパン屋がありました!」
「オイ、それってさっき通り過ぎたところじゃね?」
モレノは来た道を振り返り、道の向こうを指差す。家が連なって歩道に面しており、小さなパン屋が一軒、その中にあった。その左隣は、二階建ての民家のようだ。
「そこで間違いありません、ありがとうございました!」
少年は丁寧に感謝を述べ、その民家に向かって駆け出す。アース達は手を振り、彼を見送った。
「なんか俺たち、いいことしたな!」
「何言ってんの、困ってる人を助けるのは当然じゃない」
ナタルは調子に乗るモレノを肘で小突き、ミックは鋭い目で兄を睨む。アースは、このありふれた光景を久し振りに見て嬉しくなった。
「さ、みんな待ってるから急いで戻るわよ!」
ナタルは走り出し、アース達も慌てて駆け出した。
その後ろ姿を、物陰から伺う者がひとり。白いキャップを被った少年はアース達から目を離さず、歩道に出る。そして音もなく、後を追いかけた。
――――
夕暮れの街中を、銀色のキャンピングカーが駆けてゆく。もう周りに海の気配はない。流れゆく景色は次第に、森の色が混ざってきた。
「雨か」
運転席でノレインが呟く。窓の向こうは黒々とした分厚い雲に覆われ、窓ガラスに雨の雫が一つ、二つ。すぐに大粒の雨が降り出した。
「すぐ止みそうにないわね」
「あぁ。もうすぐ夜だし、この辺に停めるとするか」
ちょうど道路の先に公園があるようだ。速度を落とし、公園内へ進む。キャンプ場としても使われているのか、周りは見晴らしが良く、静かだ。
「よし、皆ご苦労だった。夕食の準備をするからゆっくり休んでいてくれ」
エンジンが止まった途端、雨の音がひと際大きく鳴り出した。晴れてたら公園で遊びたかったのに、と、モレノが言いたそうだったが、全員おとなしく部屋に向かった。
ラウロは男子部屋に入る。モレノがいち早く駆けこみベッドに大の字になったが、今は寝転がる気分になれなかった。窓際の椅子に座り、外を眺める。雨は激しく地面を叩きつけ、視界はぼんやりと白い。
『檻』から脱出した後、ラウロはフィードと過ごした時間を頻繁に思い返していた。[家族]と再会出来て嬉しかったが、目を閉じる度に、青い『蛇』の姿がちらつくのだ。
物音に振り返る。モレノが自分のベッドから下り、アースの隣に寝転がったようだ。
「(こいつらには、気づかれてねぇよな?)」
ラウロは以前から、『蛇』に襲われる悪夢にうなされていた。『檻』に入る前から度々あったが、[家族]に助けられてからは毎日のように見ている。酷い時には、自分の悲鳴で目覚めることもあった。
ラウロは口を噛みしめる。認めたくなかった。しかし、一ヶ月近く濃密な時間を過ごして分かったのだ。
「(やっぱり俺の身体は、あいつを求めている……)」
雨音は相変わらず強く、窓の向こうの景色は、どこまでも白い。
ふと、公園の入り口に人影を見つけた。その人影は段々と、近づいてくる。
「な、っ……⁉」
ラウロは心臓が止まりかけた。その人影は紛れもなく、フィードだったのだ。
土砂降りの中、彼は傘を差さずに近づいてくる。オールバックの青い髪は雨に濡れ、顔に張りついている。フィードはキャンピングカーから五メートル離れた位置で立ち止まり、車内にいるラウロを睨んだ。
思わず立ち上がってしまう。椅子が倒れる音を聞き、モレノとアースが近寄ってきた。彼らは窓の向こうのフィードを見て、体が硬直した。
「ぁ、あいつを見るな。俺の後ろに隠れてくれ」
ラウロは震える声で、二人を引き寄せる。そのまま部屋の外に出ると、ナタルが血相を変えて飛び出してきた。
「いい? あんたはここにいて!」
ナタルはラウロに言い残し、廊下を駆け出す。キッチンで料理中の夫婦はその様子を見て不審に思ったようだが、窓の外を見て悲鳴を上げた。そして[家族]が止める間もなく、ナタルは外に飛び出した。
モレノとアースにしがみつかれたまま、ラウロも玄関まで辿り着く。ドアは開け放たれている。雨に打たれながら、ナタルは青い『蛇』と対峙していた。
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