2章―2
文字数 2,789文字
ノレインの呼び声と共に客席が沸いた。アースはメイラと兄妹に背中を押され、一歩踏み出す。観客は皆、舞台に登場した自分を温かい拍手で迎えてくれた。
スポットライトは真夏の太陽よりも眩しく、熱い。全身を包む水着は青緑に煌めき、魚の鱗のように七色に光る。こちらからは客席の様子は良く見えない。アースは少し安堵し、設置された梯子を登った。
舞台の中央には『とっておき』こと、ガラス製の巨大な水槽が設置されている。銀色のキャンピングカーのリビングほどの大きさだが、これは分離可能なガラス板で組み立てたものだ。
もし板の隙間が空いていたら、と心配したが、不思議なことにただの一度も漏水することはなかった。『家族』から譲り受けた物がこんな所で役に立つとは、とノレインが笑っていたことを思い出す。彼がこの方法を思いつかなかったら、自分は今頃舞台に立てなかっただろう。
アースは梯子を登り切り、台の上から水面を見下ろす。練習の際は半分のガラス板で簡易プールを作ったが、本番用の水槽で泳ぐのは初めてだ。
底には白い砂が敷かれ、海藻を模した色とりどりの布が揺れている。更に水槽の中と真上には、メイラが使用する物より小さめの輪が設置されていた。空中の輪を潜るには水中からジャンプしなければならず、成功率はまだ低い。
気を取り直し、ノレインに向けて準備終了の合図を送る。その時、舞台にいる双子も彼に目配せしていた。二人は両手を後ろに組み、手で小さな丸を描いている。
アースは心に話しかけられた時の状況を思い出した。双子と舞台で目が合った後、彼らは今のようなポーズを取っていなかったか。それを見たノレインも察したようで、彼は一層高らかに声を張り上げた。
「皆さん、彼が今から見せるのは華麗なる水中ショーです! その動きを一瞬たりとも見逃さないようご注目くださいッ‼」
照明が落ちる。スポットライトが指し示すのは自分だけ。アースは勢いをつけて水槽に飛びこみ、練習で鍛えた技を舞い始めた。
あの日写真で見たイルカのように素早く、優雅に。[潜在能力]のおかげで、息継ぎ無しで泳ぎ続けられる。水槽越しにうっすら見えた観客は皆、自分に釘づけだった。アースは嬉しくなり、緊張も吹っ飛んだ。
しかし双子の様子も気になる。彼らは今この瞬間にも、新しい[家族]に話しかけているはずなのだ。
観客の注意はこちらに向いており、不審な真似は出来ない。アースは方向転換の隙を狙い、双子の様子を盗み見ることにした。
「(えっ?)」
アースは目を疑った。彼らの表情は、恐怖一色だったのだ。
もっと近くで見たかったが、役割を放棄する訳にはいかない。気持ちを切り替え、演技に集中する。水中回転、輪を使ったパフォーマンス。そして懸念していた水面ジャンプも見事成功し、大きな歓声が上がった。
アースは梯子を伝って飛びこみ台の上に戻り、目を潤ませながら客席に手を振った。
どさくさに紛れて舞台の端を見てみたが、双子の姿は既になかった。
――
公演は無事終了する。アースは着替えを済ませ、リビングに顔を出した。終演から数十分は経っているはずだが、テント周辺にはまだ人の姿が見えた。
「いやー。やっぱり人、すごかったな!」
「だから今回探しづらかったんだね♪」
モレノと双子は着替えもせずに窓にかじりついている。メイラは、化粧落としを床に叩きつけながら叫んだ。
「いつまでも外ばっか見てないで、さっさと着替えなさいって何度同じこと言わせるのよおおおおおぉぉ‼」
「と、ところで、新しい[家族]はどんな人なんだ?」
暴れ出しそうなメイラを取り抑えつつ、ノレインは双子に訊ねる。だが、二人の顔は再度強張った。
「びっくりだよ、こんなにひどい目に合った人がいたなんて」
「ごめん。僕たちからは説明しない方がいいみたい」
アースは双子の言葉を思い出していた。『きみを見捨てたりしない』と強く誓った彼らでさえ、心が折れそうになっている。新しい[家族]はきっと、アースが想像するよりも遥かに辛く痛ましい過去を持つ人物なのだろう。
メイラや兄妹だけでなくスウィートやピンキーまで、深刻そうに黙っている。すると、ノレインは皆を励ますように呼びかけた。
「心に傷を負った人々を『癒して救う』のが、[オリヂナル]の役割だろう? どんな辛い過去があったとしても今は関係ない。温かく迎えてやろうじゃないかッ!」
「……そうよね。あたし達が沈んでどうするのよ!」
「こっちが不安だと、相手だって不安になるしな!」
メイラとモレノに笑顔が戻り、ミックと双子も僅かに表情を緩める。アースが[家族]になった時も、皆笑って歓迎してくれたではないか。『笑う』ことは出来ないが、せめて暗くならないようにしよう。と、アースは両手で頬をほぐした。
「さぁ! 気を取り直して、新しい[家族]を迎えに行くぞッ!」
ノレインは玄関を開け、[家族]は次々と銀色のキャンピングカーを飛び出す。アースも皆に続き、テントの裏口に駆けこんだ。
舞台裏に進むと、鋭い西日が漏れていた。アース達は舞台袖から覗く。テントの入口からオレンジ色の光が真っ直ぐに差し、舞台の淵に座る人物を明るく照らしている。
新しい[家族]は、どうやら女性らしい。薄茶色の長髪をぼろぼろの紐で緩く束ね、裾の破けた白い服は煤けたように汚れている。表情は分からないが、その背中からはどこか憂いを感じた。
「(もしかして、昨日僕たちを見ていた人?)」
腰までの長い髪が、夕日に煌めく。アースが昨日見た一筋の曲線は、彼女の髪に違いない。
こちらの足音に気づいたのか、その女性は振り向いた。整った顔つきに長い睫毛。表情は儚げで、傾ける首の角度も美しさが際立っている。スポットライトのような光に照らされた彼女は、絵画の中の乙女のようだった。
「あんた……あなた達が、[家族]?」
その薄い唇から、想像以上に低い声が発せられた。彼女はその場に立つ。驚いたことに、身長はノレインよりほんの少し高かった。
「あぁそうだ。ようこそ、[オリヂナル]へ! 君も今日から私達の[家族]だ!」
「さ、ここで話すのはなんだからこっちに……」
夫婦は一歩前に出る。すると、彼女は反射的に一歩後退った。
「俺は本当に、ここにいていいのか?」
彼女は口の端を震わせ、哀しげに笑った。嬉しいのか苦しいのか、その本心は図り知れない。だがアースには、彼女が何かに怯えているように見えた。
[家族]が訝しむ様子に気づいたのか、その女性は「何でもない」と慌てて首を横に振る。哀しい表情は跡形もなく消えてしまった。
「あっ、俺はラウロ・リース。ちなみに女じゃねぇですから」
アース達は絶叫する。その女性、ではなく男性ラウロは、哀しみを打ち消すように笑い飛ばした。
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