第8話 香子の問題

文字数 3,168文字



「では僕からも、ぶしつけな質問ですが、奥さまと離婚された理由は何ですか?」
香子(こうし)ちゃんのことでも、お二人の協力関係は素晴らしいように思えますが。

そう来たか。でも、(さとる)は自分の辛い体験を話してくれた。私もその気持ちに応えたいと思う。何より、こんなに距離の縮まった聡とさらに親密になるには、相手の信頼を得なければならない。
告白するが、私は小児性愛者ではない。18歳の青年を相手に小児もないが、これまで男性と深い関係になったことはない。ベッドの中で男相手に何をするかについては、昔政子が自分の学生と作っていたボーイズラブの同人誌をちらっと読んだだけだった。政子は教授になった今でもペンネームでこっそり寄稿しているらしい。彼女に言わせれば、10代のときから20年、BL小説を書き続けた私はもはや「腐女子」を通り越して「貴腐人」だわ、と。男や実際の男性どうしの恋人には分からない女のファンタジーなのよ。自分や自分の身体が前面に出ることなく、萌える思いを美しい少年や青年に仮託して語るBLは、女性の究極の幻想なの、と政子は言う。おばあさんになっても、きっと書き続けているわね…。
女性にとっては幻想でも、私にとっては立派な実用書だった。あれがなければ、涙を流して混乱し、怯える聡を前になすすべもなく、途方に暮れていただろう。

「実は香子は、僕たちの間の子じゃない」
「周りにもそう言い、自分たちにもそう言いきかせていたが、6つだった香子を軽度の知的障害があることを承知で施設から引き取った」
「ちなみに香子(こうし)の読みはもともと《かおるこ》だったが、歴史の好きな政子が紫式部を表す香子(こうし)に正式名を変更した」
聡は少し驚いたようだった。香子ちゃんに知的障害があるとは思いませんでした。他の子より少し声が大きくて、あまりじっとしていないかな、とは感じましたが。
「香子を引き取る前、私たち夫婦は揃って不妊治療に取り組んだ」
検査の結果、私には生殖能力があり、その能力が欠けているのは妻の政子だと判明した。私は政子に寄り添い、彼女の強い希望に従って、長い間妻があらゆる方法に果敢に挑むことを支持した。それでも天は私たちに子どもを与えてくださらなかった。
その頃ちょうど、政子は萌原市立大学の日本文学部で初めて教授の地位を求めて論文の執筆中だった。私は彼女に、キャリアを優先し、まだ20代だったし不妊治療は少し休んで、二つを同時進行する無理は避けた方が良いのではと語った。
子どもを作るのは夫婦の共同作業だが、不妊治療については当然ながら「産む性」である女性の負担が明らかに大きい。
賢明な政子は僕のアドバイスを入れて学問に注力し、見事に博士号と教授の地位を手に入れた。私は心から彼女にお祝いを言い、豪華な食事や態度でその喜びを表した。政子も私のサポートに感謝してくれ、私たち夫婦の絆は深まると思えた。香子を引き取ったのもこの頃で、血はつながっていなくても、二親(ふたおや)に愛されて香子は夫婦の文字通り「子はかすがい」となってくれた。
しかし、政子も、そしてクレセント製薬の日本研究所の立ち上げに奔走していた私も、お互い組織から求められ、とてつもなく忙しくなり、長いことお互いの顔すら見ないすれ違いの日々が続いた。そして、ある日政子から離婚届を見せられた。
「私たち別れた方がいいと思うの」
政子はストレートに言った。
「このままじゃ香子の面倒をよく見られないし。私はやっと教授になって博士号も取ったから、子育てのため授業は最低限にしてもらって、在宅中心で香子を看ることができるわ」
「もちろんあなたには今までの協力を感謝しているし、幸い私にはそれなりの収入もあるから慰謝料なんて請求しない」
私はお手伝いさんを雇うとか、私も子育てに関われるよう外資系のクレセント製薬本社に掛け合ってみるとか、いろいろ提案したが、政子には私との結婚生活を維持する情熱がもうなかったらしい。
その後、私は政子に最低の提案をしてしまったんだ。

その頃 香子(こうし)は小学校低学年だったが、教室で問題を起こしていた。
授業中じっと座っていられなかったり、先生の話を意味なく中断したり、私たち夫婦は何度も香子のクラスの先生に呼び出されていた。
「このままでは特別支援学級へ行ってもらわなければなりません」
その私たち夫婦より20歳くらいも年かさのベテラン女性教諭はきっぱりと言った。
二人とも忙しかったが、娘のため、私たちは時間を作って話し合った。
「どうだろう、僕の勤め先、クレセント製薬にはADHD(attention deficit hyperactivity disorder注意欠如・多動症)の薬がある、これを処方できる医師に香子を診断してもらって、必要なら服用させてみるというのは」
政子は考えあぐねていたので、私の提案に賛成し、私たち夫婦は香子(こうし)をその精神科医の所へ連れて行った。

ADHDかどうかのテストが行われ、精神科医が軽度のADHDと診断したので、香子(こうし)には朝1回、いちばん少ない18ミリグラム1錠が処方されることになった。すると今まで見られた授業中に動き回る、大声を出すなどの行動がなくなった。私たち夫婦は、先生からの情報に喜んだ。
しかし、高学年になると、周りの子供たちの出す楽器の音などが五月蝿いと言って騒ぐようになり、医師と相談のうえ、薬の量を少しずつ増やした。
すると、しばらくは静かだったが、周りの子に噛みつくなどの攻撃行動が見られたので、医師と相談してしばらく服薬を止めた。
その後攻撃行動はなくなったが、身体がだるいと言って学校を休みがちになった。
医師との相談でこの薬を完全に止め、最終的に症状も落ち着き、副作用もなくなったが、その後 香子(こうし)は学校に行っていない。インターネットやテレビの授業と年に何回かある対面授業(スクーリング)に切り替えた。それで今は小学校6年生で学んでいる。

私は香子(こうし)軽々(けいけい)に自社の薬を与えたことを悔やんだ。
香子が他人を傷つけるなど重篤な行動はなかったが、添付文書を読むとこの薬は「劇薬」とはっきり書いてある。
学校からの要請に押され、薬で子どもを大人しくさせ、いい子にしてホッとするなんて何という毒親なんだろう!
その後いろいろ調べてみると、解決策は薬だけではなく、地域などで子どもを支えていく方法がいろいろ見つかった。
私は別れた妻にその情報を与え、リクレーションや相談会など、こんなものがあるんだよとできる限り知らせてきた。
政子も無理のない範囲でそのような活動に香子と参加している。

「私はそんな不完全な人間だ」
と黙って口を挟まずじっと聞いている(さとる)に言った。
「壊れた建物を特許で建て直した藤沢さんみたいなスーパー保護者ではない」

「藤沢さんは凄い人だけど」
私の話が完全に終わってから、(さとる)は初めて口を開いた。
「潮見さんも元の奥さまも、香子(こうし)ちゃんのことを本当に大事にしている。たとえ夫婦でなくなっても、二人の間には信頼関係がある」
と小さな研究員は判断した。
「僕も学校には適応しなかったし、職場も潮見さんが上司でなければやっていけるか疑わしい」
「藤沢さんや潮見さんなど、僕に良くしてくれた人たちの期待に応えたいと思います。同時に薬は毒にもなる諸刃の剣ですから、処方される患者さんの生活を第一に考えて、患者さんの生活が楽しく明るいものになるような薬を開発するのが重要だと、香子ちゃんの件を伺って改めて痛感しました」
と総括した。
私たちはその後夜景も見ずにパエリアを食べ、適量なら健康に良いと言われている赤ワインをたくさん飲み、食器やグラスをキッチンの食洗機にかけてから、世界のどこにでもいるような恋人たちと同じように、ベッドで睦言を交わした。聡のぎこちない手が私の敏感なところに触れ、この小さな若者は香子や政子のように私の大事な人間になった。
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