第19話 ベルリン・ミッテ区
文字数 2,487文字
ベルリンは、ドイツ北東部、ベルリン・ブランデンブルク大都市圏地域の中心に位置する。市域人口はおよそ370万人で、ドイツ最大の都市である。
第二次世界大戦後、社会主義の東ドイツと資本主義の西ドイツに長らく分かれていて、両国の間には、東ドイツがいわゆる「ベルリンの壁」を築いた。東ドイツから自由を求めて西ドイツに亡命する者が後を立たず、東ドイツの警備兵に見つかると射殺された。ベルリンに行くとベルリンの壁、歴史観光ツアーに参加して、今も一部が残るベルリンの壁を見ることができる。
壁は、東ドイツにあるベルリン市が東西に分断され存在した。戦後、西ドイツと東ドイツに分かれたが、ベルリン市は東ドイツ側の東ベルリンと西ドイツ側の西ベルリンに分かれた。そのため、西ベルリンは東ドイツ内にある西ドイツの飛び地のようになった。
萩尾望都の漫画『ポーの一族』シリーズ『小鳥の巣』には、東西ドイツ分断の歴史が、西ドイツのギムナジウム(修了後大学入学までの、古典語必修の9年制中等教育機関 独和大辞典第2版電子辞書より)が舞台の物語に登場する。
ソビエト連邦の崩壊にともない(私見だがプーチンは親日家のいい男だと思っていたが、このときロシアを完全に叩いておけば、ウクライナとのトラブルもなかったかもと今では思う)、1989年11月9日、東西ドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊し、1990年10月3日が「ドイツ再統一の日」(祝日)となった。また、東ヨーロッパの元ソビエト連邦の衛星国の独立が進み、ドイツは西側の軍事同盟NATOに加入した。それから私がアウシュビッツ収容所を訪問するためポーランドのクラクフを訪れた頃、東ヨーロッパの国々がこぞってEUに加盟していた。ウクライナ戦争の原因となったEUの拡大である。ちょうど東京のゲーテ学校でドイツ語を勉強していた頃、EUの拡大をテーマにした授業があったが、こんな結果があるとは思いもしなかった。
ベルリンには、ナチスドイツのホロコーストの暗い歴史(国家議事堂近くの「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」や「テロのトポグラフィー」など)の大小多数の「警告碑」が存在する。ベルリン・コッペンプラッツには、まさにいま連れ去られるユダヤ人の家のテーブルと倒れた椅子の碑があり、その周りをスウェーデンに亡命したユダヤ系のノーベル賞詩人、ネリー・ザックスの詩が囲んでいる。ネリー・ザックスと、5か国語の文芸翻訳者でもあるが、自作の詩はホロコーストの言葉「ドイツ語」だけで書いた、ユダヤ詩人パウル・ツェラン(強制収容所を描いた詩「死のフーガ」が有名)との往復書簡は日本語にも訳されて出版されているが、非常に美しく、かつ涙なしでは読めない(『パウル・ツェラン ネリー・ザックス往復書簡』飯吉光夫訳、ビブロス。余談だがこの出版社はBLを発行していた青磁ビブロスである)。
ベルリンはナチスだけでなく他にも長い歴史を背負っているが、ヒップホップなど若者カルチャーの発信地でもあり、大都市の例に漏れず常に新しい物が生まれている。また、カラヤンやサイモン・ラトルで有名なベルリンフィルなどクラシック好きにも外せない地である。ベルリンの人々は、夏には野外のコンサートをまるでピクニックみたいに楽しみ、年末もジルベスター(大みそか)コンサートを楽しむ。東ドイツで活躍したベルトルト・ブレヒトの劇場、ベルリーナー・アンサンブルのマークもベルリンでクルクル回っている。歴史的にトルコやイスラムの移民も多く、元々のドイツの住民と亀裂も発生している。
ベルリン発祥のファーストフード、カリーヴルスト(カレーソーセージ)は、高くて出てくるのが遅いドイツのレストランより、寸暇を惜しんで駆け回る旅行中に、お腹いっぱいになる優れものである。
ベルリンの紹介が長くなった。
ミッテは、その名のとおりベルリンの中心に位置する広大で賑やかな地区だ。ブランデンブルク門やムゼーウムス島の美術館、美しいベルリン中央駅や広々としたティーアガルテン(動物園)がある。戦後に修復されたウンターデンリンデンなどのエレガントな大通りや、ジャンダルメンマルクトなどの広場が有名。またハッケシャーマルクト(アンペルマン、東ドイツの信号機のライトをモチーフにしたレストランと雑貨店もある、私が行ったときはあった)の迷宮のような中庭には、おしゃれなカフェや店が建ち並ぶ。
きれいで、治安も悪くなく、観光スポットもたくさんあるようだ。
そこで、二人の住まいである。
ドイツの大製薬会社勤務ということで二人は家主の面接は問題なく通過したが、大都市の賃貸料は日に日に上がっていた。潮見は広い食堂兼居間、寝室、小さなゲストルームのある、バストイレ、キッチン、バルコニー付きの部屋を選んだ(エピソードの間取り図を参照)。公共交通機関(路面電車と地下鉄)が近く、生活に必要なスーパーもあり、治安も申し分ない。冬の暖房費込みの値段は少し高かったが、観光スポットも近くにあり、夜もおおむね静かだった。共同の玄関を上がって二階にあることで、少し値段も抑えられた。
「わあ! 天井が高いですね」
が、スーツケースを押して部屋に入った聡の第一声だった。
二階ということで中を覗かれる心配も少なく、寝室と二部屋のカーテンは、分厚いドレープカーテンを掛けず夜空が見える薄いものにした。家具は買うと高いので、二人で相談のうえ、割り切ってレンタルにした。それでもIKEAなどとは違う、落ち着いた感じの製品だった。
何より19世紀後半から20世紀初頭に建てられた石造りのアパートである「アルトバウ」(ドイツ語で「古い建築」)で、天井が高く、光をたっぷりと取り入れる大きな窓と広々とした間取りが、新築アパートにはない魅力だった。これが住居好きの潮見の嗜好にマッチした。