2。

文字数 3,248文字

「……お?今日はよく食べたな」
「うん。おいしかった」
 病院食をしっかりとたいらげた私は、満足な笑みを称えて兄を見る。
二美子(ニミコ)はパンが好きなんだな」
「ああ~…そうかも。……食べやすい」
 咀嚼(そしゃく)の数が少ない方が今は食べやすい。もう随分回復してきているのだけど、私の食事量はなかなかもとには戻らない。
裕太が心配してくれてるのが分かってるので、頑張って食べているが、兄はそれでは納得しないようだ。
「そか。朝は米粉パンにするか」
「ええー。裕太(ユウタ)(にい)、気にしすぎ……」
「いいじゃねえか。きちんと食べた方がいいに決まってる」
「そうだけど…」
「そうだろ?」
 朝食のお膳を片付けに廊下へ出る裕太。その姿を見つめながら、ベットから足を下ろす。すんなりとはいかずとも、このぐらいは一人で出来るようになった。
 目覚めて3週間ほど経とうとしている。
 まあ、厳密には18日目だ。
 その間に様々な検査をした。日常生活を送れるようになるまで入院を継続しようということになり、検査とリハビリの生活を送っていた。毎日、毎日、朝から昼までは裕太兄が訪ねてきて、そばについてくれた。仕事の事を聞くと、いつも

「大丈夫、心配すんな」

と笑った。
 昼から顔を見せてくれる尚惟(ショウイ)(タケル)兄さんは、ちょっと奇妙な裕太兄の言動について

「退院するまでは聞かないで」

と言った。
 何だか分からなかったが、それなら(なお)のこと早く退院しなくちゃと、私なりに頑張った。
 検査には慣れっこだったが、リハビリは少々戸惑った。今までなにも思わずしてきたことに、(つまず)いている自分に驚き、無力感に(さいな)まれた。例えば、身体を起こすことひとつとってみてもそうだ。仰向けで起きようとしたら、足にも手にもお腹にも力を伝えて体を起こす。横向きから起きようとしたら…うん、できることからしていこう。そう言い聞かせながら朝を迎えていた。
 ベット横のキャビネットから歯磨きセットを出す。それだけの動作だが、当初は腕を伸ばす動作も、歯磨きセットを掴むことも難しかった。筋力が衰えるということは、こういうことかと実感した。“体を支える”ということ、それが出来なかったとき、呆然とした。少しずつ行うリハビリで体が動き始めると、他の動作や頭の中の動きもスムーズになってきた。どこの筋肉が使われているのかが、何となく分かってくると、感覚の戻りも手伝って、体の使い方は早くに取り戻していけた。
「二美子、退院の手続きしてくる」
 トレイを持っていってくれた裕太が部屋に帰ってきた。キャビネットのとこに置いてあった書類を手にする。
「うん……」
 歯を磨こうとしてるのを見て、微笑む裕太。「ゆっくりでいいからな」と声をかけ、再び部屋を出る。

 危ない……歯ブラシ、落とすとこだった…。

 爽やかな裕太兄に、まだ、私は慣れない。



 一方、その頃
壽生(ジュキ)
 呼ばれて振り返るとそこには気心知れた男がいた。
「さすが、二美子さんの事となると、動きが速いな…」
 少々あきれがちに発言したところがあるのだが、相手は全く意に介してないようだった。
「何?当然だろ?壽生こそ遅いんじゃない?」
「……ほんと、尚惟(ショウイ)ほどまっすぐな男はいないわ……」
 俺たちは今、二美子さんの家に向かっている。
 長く入院生活を送っていた二美子さんが、今日、退院をした。
 いつもの入院とは少し違う……いや、違わないか。ここのところ、驚くほどトラブルに遭遇している彼女は、病院のお世話になる頻度が上がっている。心臓が弱い二美子さんは、持病以外にも心理的なトラウマと闘っている。そんな中での事件への関わりは、良いわけがない。
「尚…、大丈夫か?」
「え、なにが」
「なにがって……」
 尚惟(ショウイ)は高校の時からの友人だ。その頃から、芯の強さは見え隠れしていた。まあ…“見え隠れした”出来事はここでは省いておこう。
 彼は、名実ともに二美子さんの“彼氏”である。彼女の兄たちは、なかなかおっかないのだが…彼らも尚惟を認めているようだった。
いつもは難なく

をクリアしていく尚惟ではあるが、今回はさすがに…参っているんじゃないだろうか?
「入院してる間、思うように会えなかっただろ?」
 今回の入院では、買い物中に行方が分からなくなり、見つかった時には意識がなかった。ちょっと前に危険な目に遭ったそのときの犯人が絡んでいるかもしれないてことで…裕太さんと尊さんはとてもセンシティブになっている。
 何しろ……戻ってきた二美子さんの記憶が、あやふや……というか。混乱してるのかもしれないが、以前の事を考えると、消えてもおかしくないんじゃないだろうか?素人の俺だってそんな考えが浮かんできてしまう。今回の裕太さんはいつも以上に妹保護に力が入っている。それは聴取をしたい警察に対してもだし、往診に来る医者も例外じゃなかった。何しろ、主治医の梨緒先生も裕太さんが同席でないとOKしないって……どう?
 そんな中、俺たちが自由に会えるわけがない。理解できるけど、ちょっと困惑する。
「え?平気だよ。言われたこと守ってたら会えるんだからさ」
「……ほぅ……。それってあの妙なルールの事だろう?」
「妙かな?まず、裕太さんに連絡いれて、裕太さんがいるときに会う。二美子さんに会いにいくことについては、裕太さんと尊さん以外にはその事実を他言しない。手土産は持ってこない。帰りはどこか寄り道して帰る。これぐらいだよ。大したことないさ。二美子さんに会えるんだから」
「そんだけしても30分しか会えないんだろ?はぁ……おまえはすごい」
「心配なんだろ?仕方ないさ。当然だよ…。俺だって心配だもん」
「はぁ…。お前の器は深いんだな~」
「壽生」
「ん?」
 尚惟、感心したように俺の方を見る。
「うまいこと言うな…。確かに、俺の器はでかくはない」
「……あのな~……。どこに感心してんだよ」
「何で?やっぱり壽生はすげえな」

 ……おまえの方がすごいです。

 長い付き合いだけど、俺は尚惟のそこの深さを実感している。
 俺も二美子さんの事を特別に思っているが、相手が尚惟だと知った時、ちょっと二美子さんを誇らしく感じたのも事実だ。こいつを選んだ二美子さんは素敵な女性だと…無条件に再び惹かれた。
「それよりさ、輝礼(アキラ)は今日来るんだよね?」
「来るよ。用が済んだら来るってさ」
「あいつ最近忙しいのな」
「あー……そうだな…」
 輝礼のことを思い浮かべながら、思わず苦笑してしまう俺。
 そもそも、俺、尚惟、輝礼は3人して同じ相手に恋心を抱いちゃったんだよな。直接確認はしていないけれど、各々、気付いていたと思うんだよね……。誰が二美子さんに気持ちを伝えてもおかしくないぐらい、高ぶってた。俺も輝礼も2人が上手くいったことに不満はない。この関係性が俺は好きだから。輝礼は俺と全く同じかというと…そうではないということだけ分かってる。ただ…どうするのかは、分からない。
「壽生、俺さ、ビシソワーズを作りたいんだ。八百屋よっていい?」
「ああ…二美さんにいいかもな」
「だろ?」
「じゃさ、八百屋寄ってこ」
「お、商店街のな。OK~。尊さんにコンソメと牛乳あるか聞くわ」
「お」
 二美子さんは今、上手く食事もできないとの事だった。量が食べられないと聞いている。それが心因的なものであるのか、3週間も意識なく口からモノを摂取していなかったことによるモノなのかは分からないが……随分しんどいじゃないかっ!と犯人への憎悪が吹き出た。
 俺よりもきっと、裕太さんや尊さんの方が、そして、尚惟の方がキツいだろう。
 尚惟が電話をしているときに、俺の携帯が鳴った。画面を見ると【輝礼】の表示。

 ん?

「はい」
 『お、壽生。もう着いた?』
「いや。今から八百屋によろうと思ってるけど…どうした?」
 『悪ぃ、ちょい遅れる』
「ああ、分かった。無理すんな」
 『はぁ?何言ってんだよ。無理するんだよ』
 通話が切れる。

 ……意図せず同じ答えだし

 壽生、大きなため息をひとつ。
 表し方は違うけれど、考え方は似てるんだと思うんだよな。
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