第41話 死んじまえ

文字数 1,260文字

【お題】 これでもくらえ!!

 なんて、とても言えません。
 でも、ひどい言葉も恥ずかしい言葉も彼なら許せちゃうんです。

「くそくらえ」とか「死んじまえ」とか、「嘘こくな、このやろう」とか。

 またまた岡林信康さんの話で恐縮です。

 歌手の高石友也さんが地元の教会に来ると聞き、「高石友也って誰や?」という認識だったけど、山谷にいたという共通点から興味を持ち、「反戦フォークの夕べ」の実行委員になった。

 当日その高石友也の歌を聴き、うまいとは思わなかったが、まいったと思った。自分の思ったことを歌にして歌っていいんだと。
 それで自身も歌を作りたくなり、友達のギターを借りて、高石のアルバムを聴きながらコード進行などを勉強して、ちょっとずつ歌を作った。
 その中の1曲が『くそくらえ節』

 再び高石が来るということで、飛び入りで歌わしてくれと頼む中で、できた歌を聴かせたところ、どれもこれもつまらんと言われて、やけくそで歌ったのが『くそくらえ節』
 これがおもしろいと言われて歌うことになった。
 そしたら、高石よりも受けてしまい、その場にいた音楽事務所の秦政明より、「うちに入って歌わないか」と誘われ歌手になる。

 デビュー前にいろんなステージに出て受けたことから、デビューさせる計画が持ち上がった。  
 1968年に当初一番条件のよいビクターレコードと契約して、4月始め『くそくらえ節』をA面に、『山谷ブルース』をB面で吹き込み、「山谷出身の歌手」ということで、5月15日から大々的に売り出す予定だった。 
 ところが、レコード発売直前になって、倫理規定委員会から
「思想的偏向性(国家権力や政治家を徹底的に風刺した歌詞となっている)」があるということ、『くそくらえ節』と言うタイトルではまずいと言うことで『ほんじゃまあおじゃまします』とタイトルに改名されたものの、歌詞に問題あり(歌詞の中の政治家を批判する内容が、近く行われる参議院選挙に影響が出る)と言うことで、その歌詞も見直し、見本盤までは作られたが、発売中止になった。

 結局、B面に収録されていた「山谷ブルース」をA面にして(B面は「友よ」)、デビュー曲として発売。

 秦は、当時の新聞記事で、
「政治家個人を中傷したわけではないし、落語家でもこのくらいのことを言っている。行き過ぎで、このままでは何も言えなくなる。どうしてもダメなら自主販売も考えている」
ということで、翌年立ち上げたURCレコードから、ライブ録音された物がシングル盤として発売。B面は「がいこつの唄」。

 7インチレコードながら、A面が収録時間8分弱ということで、33・1/3回転、B面は通常の45回転である。(わからないでしょうね)

 1969年8月21日、「題名自体が下品なもの」である上に、
「歌詞の内容についても一方的な発言が多く、国家の誇りを傷つけ、個人、職業などをそそしるものとして」
日本民間放送連盟による要注意歌謡曲指定(放送禁止)を受けた。
 同時期には、岡林の他の曲も要注意歌謡曲指定(放送禁止)を受けている。
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