夢十夜 玖

文字数 623文字

 私は読んでいた本を閉じ、顔を上げ、向かいの席に座っている女を見た。
 髪の長い女は、大事そうに袋を抱えていた。
 下り電車のボックス席。車内には私たちの他に乗客の姿はない。にもかかわらず、一つ前の駅で乗ってきた女は、なぜか私の向かいに座った。
 色の白い女は、大切そうに袋を抱えていた。
 二十四の言葉が印刷された布の袋。彼女の荷物はそれだけのようだ。
 女と目が合う。瞳が冥い。吸い込まれるように、じっと見つめる。飲み込まれるように、じっと見つめ返される。気が滅入って顔を背けた。それは女も同じだったようで、彼女もまた首を横に向けた。
 窓ガラス越しに、再び目が合った。
 私は笑った。あまりに滑稽だったからだ。女も笑っていた。気分がよかった。
 話し掛けてみたいと思ったので、先刻から気になっていたことを尋ねた。
「その袋の中身は何ですか?」
「これは時間なのです」
 女が答えた刹那、袋がわずかに膨らんだ。
 私は己の時間が奪われていることを知った。
「失礼ですが、それは私のものではないのですか?」
 なるたけ穏やかな口調で言った。無言の返答。袋がまた膨らんだ。
「返してくれませんか?」
 声を荒げ、彼女を睨んだ。涼やかな視線が返ってきた。袋はさらに膨張していく。
「もう、返すことはできません」
 電車が駅に着いた。女が袋を脇に置き、立ち上がる。私はそれをすばやく奪い取り、中を覗いてみた。
 女は言った。
「思い出せましたか?」
 袋の中身は空っぽだった。


【第三夜 夢中】
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