夢十夜 捌

文字数 859文字

 床に寝転がり、時折足をばたつかせながら、小さな子供が一人、散らかった部屋で絵本を読んでいる。
 ゆっくりと丹念に。じっくりと丁寧に。
 今、彼が読んでいる本は、数ある蔵書の中でも、特にお気に入りの一冊だった。
 もう何度も読んでいる。もう何度も何度も読み返している。もう何度も何度も何度も何度も数え切れないほど読み込んでいるので、誰が登場し、何と出会い、どんな話をし、どのように物語が進んでいくのかを、小さな読者は既に知っている。知っているのに何回も読んで楽しめる。楽しめることを知っているから何回も読める。
 こんなに楽しいことはない。
 初めて触れた時の緊張感と、幾度も読み終えた安心感を織り交ぜて、少年は読み進める。
 その手が、不意に動きを止めた。
 この先を捲ってはいけない。
 彼は知っている。そのページには、主人公が窮地に陥る場面が描かれているはずだった。大好きな物語の中で、唯一そのシーンだけは目に入れることも嫌悪してしまうものだった。彼は知っている。何度も読んでいるから、知っている。
 だから彼はいつも、二枚分のページを一緒に捲っていたのだった。
 だが、今日の彼はそんなことはしなかった。
 もっといい方法を思いついたのだ。
 彼は手にしたページをビリビリと破り始め、ついに本から切り離してしまった。
 破った紙は乱雑に丸め、投げ捨てた。彼は満足げな表情で続きを読み出し、最後まで読み終わり、そしてまた最初から読み始めた。それはとても楽しい物語だった。楽しいことしかない物語だった。
 やがて、部屋に子供の母親が入ってきた。彼女は、かつて絵本の一部を構成していた紙を拾うと、息子を問い詰めた。
 何故、このようなことをしたのか。
 彼は答えない。彼はいいことをしたのだ。恐ろしい目に遭う主人公を助け、楽しい物語を本当の意味で楽しいものに変えたのだ。それなのに、どうして自分は怒られているのか。
 母親は猶も責め続けた。
 代わりに私が答えてあげようとしたが、私は切り取られていたために、声を出すことができなかった。


【第七夜 破綻】
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