いよいよ神剣眠る大社へ、魔王が待つ

文字数 3,785文字

第十八話 悪魔の武器
 ガサッ、ガサッ、土を掘る音があちこちで響く。
「一体、どこまで掘りゃいいんじゃが」鬼たちが囁き合う。
「文句いうなや。日の出までには米を喰えるじゃで、ひぃー」
「伴天連(バテレン)の妖魔さまたちはオイラ餓鬼にも飯をくりんしゃる。ありがたや、ありがたや」
 ―

 ここは小手指ケ原(通称、小手指っぱら)、台地ではあるが、関東ローム層の上に水を通さない粘土地盤が載っているため、雨がゆき場を失い地上に湧き出る湿地帯。だから都市開発も上手く行かず、大規模な病院と隣に老人介護施設が建つのみ。多くの土地が手つかずのまま放置されている。今年は少雨のせいで下草のタデ類に加えてススキやセイタカアワダチソウが陣地を競うが如く群生している。
 ― 朝を迎えても陽が顔を出さずに、辺り一面濃い霧靄がたつ。同じ小手指っ原。けれど建物は一切ない。車や人影も見えない。見渡す限り広大な大地。薄暗く地面さえ判然としない。ここは人間が営む三次元に「時」を加えた四次元。さらにその上の五次元の世界。
 中央に白い巨石が据わる。「日河緋売(ヒカワヒメ)」と刻まれている。ヒカワヒメの減衰を知った何者かがクレーンでしか動かせないような塞石を横にずらした。底跡には幾つもの堀穴が。しかし掘れども捜索物は見つからない。
 そもそも五次元の世界とは言え、神ともあろうものがそこらに穴を掘って大切なモノを隠すものだろうか? この問いに答えを出せたのはハッカニしか居なかった。 
 早速、ネフィリムが地元の悪鬼(餓鬼)たちを使って大規模に進めていた大地の掘り起こしを止めさせた。
 神ならではの流儀がある。主(しゅ)も同じことをしていた。神は念には念を入れる。魔王はハッカニの肉体を抜け出し、複雑に絡む六次元より捜索物を持ち出してき来た。
 ダークグレーの両翼を羽搏かせ、白い巨石の前に降り立った魔王の右手には、不気味な鈍色に艶めく一振り「天羽々斬(アメノハバキリ)」がしっかり握られている。
 堕天使の王に神代(かみよ)の剣(つるぎ)――
 その場に居合わせたネフィリムのスハイブは、魔王が
「世界は我が手中にある! 」
 と宣言するとてっきり思った。ところが違った。
「どうもしっくり来ぬ。この大剣には神の呪(しゅ)が掛かっている。あるいは契の詞があるか。いずれにせよ、このままでは使い物にならぬ」
 ハッカニに戻った魔王は不機嫌な面持ち。
 と、マチルダが藤野真奈を伴って駆け寄って来た。二人とも息があがっている。
「遅くなりました。生贄を連れて参りました」
 マチルダはハッカニの前に真奈を坐らせた。
 真奈は何がなんだか理解(わけ)が分からない。
 アラブ人の女性二人に伴われ、教団の若い女性二人と急に薄暗い一本道に入ったかと思うと、「天魔」と名乗る女の子に遭遇した。
 十歳くらいの女子の力は凄まじかった。嵐を呼び雷鳴が轟き大地が裂け、アッと言う間に教団員二人が姿を消した。二人の絶叫が今も耳に残る。不思議なことだが真奈には危害が及ばなかった。何かに守られているという感じがあった。
 「天魔」とアラブの女性との闘いの場は信じられないことに宙空。抗う様相のアラブ人だったが超迅速な「天魔」に難なく捕捉された。そして留めをさされるかと思いきや何処からか巨大な炎の塊(三俣の矛先に姿を変じる)が飛んで来た。背後を突かれた「天魔」は一瞬姿を消す。
 それを見た時にマチルダと名乗る女性に腕を引っ張られた。あとは夢中で走った。そしていまハッカニの前に座らされている。教団お仕着せの白麻の作務衣姿だが、先ほどの騒動であちこち泥だらけ、肘には擦り傷がある。
 こんな平和な時代に「生贄」とは何のことか。放心している真奈の眼前には鈍色に光る剣先があった。ひょっとしてこの剣で切られるの? そう思った瞬間に、胸のあたりが急に熱くなった。慌てて、もはや発熱で茶褐色に替わった黒石を引っ張り出した。
 その瞬間に真奈は魔王の放つ「サイキック・バズーカ(破壊的な念動力)」により後ろにスッと飛ばされた。
 唖然としているマチルダとスハイブにハッカニが、
「あの女はよりによって主(神)からの恩寵を首から下げておった! 生贄などにはできぬわ。汚(げが)らわしい! 」
 そして、ちょうど姿を現わした真野裕子に向って、
「お前の心根はすでに悪魔から離れようとしている。指輪の白濁がその証拠。お前の計画に乗ったのがそもそもの間違いであったわ」
 ハッカニは謀略の頓挫にすでに気付き始めている。
 ―
 こんなに地べたの上を転がるのは幼稚園の頃、「お結び山」と呼ばれる高さ十メートルほどの下草が生えた小山で遊んで以来かな。やっと止まった処に梨恵たちが居た。手足や顔も泥だらけ。一体どう見える?
 梨恵たち三人は足元に転がって来た女性に驚いた。そうそう人間は転がって来ない。「えにし」と記された作務衣を着ている。信者であることは分かった。でも、首には見覚えのある黒石が(橘美月のもの)。まだ熱を帯びていた。
 手短に事情を聞いた梨恵は真奈の体を気遣った。道端の大木を背に座らせ傷の具合を確かめ、手をとり「シャーンティ・サーダカ」と口ずさむ。ゴータから教わった傷病者への看護の仕方。真奈はスッーと体が軽くなったように感じた。精気も戻って来た。
「どう、歩ける? 」
 真奈は頷き三人に加わった。
 その時、空のチガヤが煌(きら)めく。
「梨恵さん、魔王は近いよ! 」
 やがて途が終わり周囲が開けた。重い霧靄もだいぶ薄れ中央には灰色の巨石が見える。傍には数人が立っていた。
 近づくとハッカニが口を開く。
「翡翠の瞳よ、お前の心根は乱れておるな? 」
 魔王は余裕の笑みを浮かべた。
「ゴータと取引をしたかを訊きたいのであろう……
 インダス河の畔で取引はあったぞ! ハハ、しかもヤツから申し出たことだ」
 梨恵とマーハ動揺する。
 ―それは魔王の漆黒の瞳を見た瞬間に興った。大きく感情が揺さぶられた。心が急に重くなり、思考が負の経験に導かれてゆく。
 あのゴータが悪魔と取引した。うう~ん、頭が痛い。脳みその中に黒い物体が産まれ拡がってゆく……
 そうだ、あの時、野盗の要求にゴータは憤然と拒否すればよかったのだ。なぜ、貢物として私を差し出したのか? やはり私が性奴隷だったからか? 私はゴータに対して主従関係以上の感情を持っていた。ゴータも自分を好いてくれているものと確信していた。なのになぜ? オトコはやはり信用出来ない。
 信用できない。梨恵はさらに結婚してすぐに四人と浮気した夫に考えが及ぶ。性欲を満たす為にアッサリと婚姻の契りを破った。何より耐え難かったのは相手が同僚、よく知るお客だったこと。今でも頭に血が上る。
 憎しみ、怒りは止め処(ど)がなかった。次から次へ想い出したくない映像が浮かび沸々と憤怒の感情が湧き起こって来る。
 梨恵はまんまと魔王最大の奥義に緊縛された。悪魔の本質とは人の心に分け入り、誰にでもある憎しみ、恨み、嫉妬心、猜疑心など負の部分、残虐性を掘り起こし別の人格に変えてしまう。おそらく人間ほど容易く操れるものはないのだ。殺すのは簡単、悪魔は同時に分身を創ろうとする。
 結果として梨恵は、やはり嫉妬・怒りで苦しむマーハの傍で動けないで居た。
 どうしてもゴータと夫の所業が許せない。絶対に仕返しをしてやる。相手が自分と同等の苦しみを得るまで追い詰める。そのシナリオまでアレコレと思い描く始末。
 梨恵は両腕で頭を抱えしゃがみ込む。おそらく次に立ち上がる時には「悪魔=リエ」として新生を遂げているはず。
 と、その時、
「梨恵さーん、しっかりして! 悪い奴らに負けちゃだめだよ! 」
 空の声とモモの鳴き声がドス黒く染まった頭脳にひと筋の光を届けた。
 兄の依織は貧しい子供たちを救っていた。児玉老僧も懸命にコロナ患者に寄り添った。両者は自分の命など二の次だった。私は一体何を考えているのか。「施無畏(見返りの無い施し)」を誓ったのは誰だ! ようやく翡翠の瞳に輝きが戻りつつある。
 梨恵はようやく立ち上がり再び魔王を見つめた。魔王の凄まじい「人格改悪の魔法」に打ち勝った瞬間だった。
 すると、藤野真奈を追って来たウッパラヴァンナーが姿を現した。
 服はあちこちで破け髪はボサボサ、腕からは血が滲んでいる。ここまでの途行(みちゆき)の苦労を物語っている。
 ウッパラバンナーは叫ぶ!
「ゴータは確かに悪魔と取引してた。それは奴隷たちに与える食糧飲水薬草を豊富に手に入れるため。(神になること、永遠の命)と引き換えにね」
 そうか。決して途切れない食糧飲水薬草の出処を仲間たちは常に不思議に思っていた。ゴータに幾ら尋ねても決して言わなかった。ゴータの口元からは微かな笑みのみ漏れていた。
 ただ、新しく荷が届くと真っ先に臭いを嗅ぎ自分の口に入れていた。いま考えるとアレは毒見をしていたのだ。
 転生しない理由も分かった。(「六斎堂のマガツヒ」はこのことを言いたかったのだ)
 でもそれはゴータが望んでいたことでもある。
 バラモン教のように偶像神を創り上げてはならない。人心は石や木でも神と名が付けば隷属してしまう。私を祀るのではなく、人には何時の世でも私と同じ行いをして欲しい、と。

第十八話 魔王との闘い に続く
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