いよいよ神剣「天羽々斬」への途がはじまる

文字数 4,665文字

第十七話 魔剣への途 ちらかし様
 ここは誓詞橋。モモが欄干の根元をクンクンと嗅いでいる。経蔵での鬼たちの話しを聞いた蒼井空はどうしても行くと主張した。梨恵、マーハも同意する。神、釈迦、鬼たちの声を聴く子だ。資格はある。
 晩秋の夕陽が狭山丘陵にさしかかっていた。悪魔にとっては異世界など造作もないだろう。ことは一刻を急ぐ。

 「ニッティヤ、サーダカ! 」
 梨恵は姿勢を正し低く称えた。これは真剣にお願いする、との意味合いの言葉。ゴータが一国の城門をくぐる時にいつも称えていた。
 すると眼の前の空間に裂け目が現れた。誓いの詞は通用したようだ。三人は目配せをし、梨恵、空、マーハの順に裂け目に入る。問題はモモだった。裂け目は地上よりだいぶ高い処に出来た。小型犬では背が足りない。マーハが一度地上に戻り、モモを抱いて異世界への扉をくぐった。
 異世界には人間、建物など一切ない。ついさっき見た夕陽も見えない。周囲は濃い霧靄が立ち込める薄暗い荒野。真っ直ぐな一本途のみ続く。
 梨恵はゴータとの救済の道行を思い出していた。誰も居ない原野を進む。ロバが引く荷車の音のみが響く。食糧飲水薬草が載っているため荷馬車に載れるのは三人のみ。年かさの多い者に譲り若い者は歩く。ゴータは常に先頭を行く。仲間たちは日々奴隷たちの救済に疲れ果てほとんど言葉を交わさない。
 想えば、ゴータも寡黙な人だった。(ジャータカ{釈迦の伝記}では菩提樹や沙羅双樹のもとに人々を集め優雅に経典{言葉}を垂れる) 他者に命じることもなく己のことは己で。他人と喋るのが好きではない様子だった。自分の出自を語ることも将来のことも話さない。いつもただただ遠くを見つめていた。
 一度だけ、ゴータは自分の心根をつぶやいた。嘆きの言葉とも想えた。よく覚えている。
「私は苦しみしか知らぬ。生きること、病に罹ること、老いて行くこと、そして死ぬこと。自分の気持ちを抑えられぬこと、恨みや憎しみを抱いてしまうこと、いずれ皆と別れねばならぬこと…。人間の性とも云える。ただ、そんな苦しみすら持てないのが奴隷たち、さらに最下層のパンチャマ。(不可触民) 私は、どうしたらよいのか? 」

 見通しがきかない。薄暗くもはや数十歩先しか見えない。三人は用心深く進む。もちろんモモは空に抱かれている。しばらくすると、右手に祠らしき建物が見えた。近所のお稲荷さんといった風情。
 祠の前に立つと額に「六斎」とある。事前の調べでは、八、十四、十五、二十三、二十九、三十日の六日間のこと。悪鬼が人命を奪う不吉な日で古来よりこの日に何かを成すことを避けた。でも今日はどの日にも当たっていない。祠に一礼し先に進もうとするが透明な壁に阻まれている。
 振り向くと腰の曲がった年のほども分からない老女が道の真ん中に杖を頼りに立っていた。綿入りの長い褞袍(どてら・厚手の着物)の裾が地面に達している。野放図な白髪が顔をも覆い表情が窺い知れない。
「私は禍津日神(マガツヒ)。六つの厄災(病気、貧乏、飢餓、災害、暴力、老い)の神。人によっては疫病神、貧乏神とも云うがな…フフッ。私の占術はここを通る者を仕分け(タグ付け)る。それにより次の大六天が片付ける。どう始末しておるのか、愉しんでおるようじゃて。ヒヒ」
 声はシャガレているが鋭い。
 ここはただ通過するだけと考えていた梨恵たちは困惑した。
「アメノハバキリが悪魔に奪われるのを阻止したい」
 マーハが毅然として理由を述べた。
「ほう、どうやって阻止するのか? そんな力があるとは思えぬが。フフッ」
「だからと言って黙ってることは出来ない。私は衆生に「施無畏」を誓った」
 梨恵も続く。
「これは勇ましい女子たちじゃ、そちらのお子には神印がついておるな。ふむ。それにその手にあるモノの放つ輝きは十里(約40キロ)先からでも見える。神でも容易くは触れぬ聖なる仏具じゃよ。(梨恵が持つ如意{棒}のこと)」
 マガツヒは杖をつきながらゆっくりと祠前の置き石に腰を降ろす。
「ヌシたちの魂魄が占えぬわ」
「コンパクって? 」空が誰に云うともなく。
「死者の行き場所じゃよ。普通は魂魄両方ともあの世に行く。だがまれに魂(コン)だけが昇天していても魄(はく・肉体)の方はこの世に留まり続ける者がおる。魄は妖(あやかし)が入り込んで悪さをしおる」老婆は続けた。
「あの神剣・アメノハバキリのもとにはとてつもない厄災が隠れておる。触れれば神も無事ではおれぬ。確かに眠らせて置くにこしたことはないがのう。どうしたものか。ただ大変な道程になるぞよ、覚悟せぬばならぬ」
「私は2500年前に釈迦と共にした。釈迦自身は輪廻の法則を外れている。だから釈迦の替わりに悪魔の陰謀を阻止するために転生した。私はそう考えている。おそらくマーハも同様」
 梨恵は老婆を見据えた。マーハも頷く。
「ちょっと勘違いもあるようじゃが凡そはヌシの云う通りじゃろう。もう、佳い。イヌ(去れ)! 」
 三人は老婆に一礼して道を歩み始めた。透明な壁は失われていた。頭上の霧靄が一部晴れ、大小の月が二つ並んで見えた。やはりここは異世界。
 大六天にさしかかる。ここはお稲荷さんよりも大きなお堂になっている。ただ辺りには多くの白骨が散らばる。建物の廻り、叢、道端にも所狭しと、髑髏も在るので人骨か。梨恵とマーハは「奴隷たちの死に場所」を思い浮かべた。
 お堂の脇に空と同い年くらいの女の子が見える。朱色の絣の着物、黒地に椿の半幅帯を締めている。髪はボブ。モモを見かけると、「あ、可愛い! おいで! 」と声をあげた。モモは小首を傾げながら空を見上げている。
 異世界に人間は存在できない。油断は出来ない。空はモモを抱っこした。
「あなたは誰? 」梨恵が尋ねた。
「私の名前は大六天。人は(散らかし様)と呼んでるよ」
 空はその声を聴いて友達の茉里奈ちゃんを思い浮かべた。素直な可愛い女の子。
「私は祟り神。天魔とも云われる。ここから先を六斎と共に守護している。あんたたちはなんでか六斎に御印(タグ)を貼られてないね。これは珍しい。あの永久(とわ)の婆さんでも正体が分からないってことか。こんなことははじめてっ! 」
 天魔はひとつはねた。下駄の音が響く。
 梨恵とマーハは顔を見合わせた。荷馬車で荒野をさ迷っていると、時折、精霊のような生き物が突如、眼の前に現れる。彼らは必ず何かを強請(ねだ)る。ゴータはそのつど、「欲しいものは何でも持ってゆくがよい。我々は衆生を救うのみ。欲すら持たぬ」そう云って笑っていた。
「私は他人の楽しみを奪って自分の楽しみとする。もう何千年もそうして来た。しかし癒されぬ。だから時には憂さ晴らしでお祟り様に変化する。子供を攫って来てはここで一緒に遊ぶ。(それを村人は{神隠しだと}怯える)。だがもう疲れた。私は何故ここにいるのか? あんたちは釈迦の縁者だろう。釈迦に一度尋ねてみたかった」
 女の子は肩を落とし赤い鼻緒の下駄で土を蹴った。どうやら、人智を超えた神にも悩みはあるようだ。梨恵は少し考えてから、
「それは苦しみのひとつ。成れるようになれない苦しみ。求めてもを得られない苦しみ。釈迦はそう謂っていたよ。それに教えてあげる。釈迦は修行などしていない。ただ、来る日も来る日もお腹を減らした人、病に苦しむ人を救っていただけだよ。あなたは神さん、人間の苦しみは分かるよね」
「そうか覚者は語らず、だね。言葉尻のみ美しいモノの正体は暗たるものだ。分かった。我欲がもたらすものであったのか。ありがとう! 」
 天魔はそう言い。いつのまにか懐に抱いていたモモを空に還した。
「そんな愛らしい生き物は初めて見た。大事にね。それから、ついさっき六斎で御印を貼られた五人組がやって来た。白印の人間二人は元の世界に戻した。朱印を貼られた妖魔とは闘いになった。久々楽しかった。ワクワクした。
 あの女は半分人間半分妖怪(ネフィリム)。真っ黒の番犬(地獄の猟犬・ハウンド)まで連れ出した。雲隠れの術(瞬間移動の魔法)や金縛りの術(身体拘束の魔法)まで操りおった。神に術法など愚かな。私は光より速く動ける。動きを封じて首を折ろうとしたが背後からの妖炎(魔王の仕業か)に邪魔をされた。殺せはしなかったが速神光(ハヤヒ)をぶつけてお空の果て(犬たちも一緒に)まで翔ばしてやった。ざまぁ、みろ(ニヤッと微笑む)。ただちょっと手間がかかったので、人間が二人すり抜けてしまった。すまぬ。これは礼だ。あとで役立つ」
 そう云うと女の子は掻き消えた。
 道には帯の絵柄の椿が一輪。空が拾ってテッドのパーカーの襟元にさした。
「これは、あんな可愛い女の子がやったことなの? 」
 おびただしい人骨を改めて見渡してマーハが。
「いえ、私には背後に荒ぶる神(天魔)の姿が見えた。あれは魔王(ルシフェル)にも匹敵する」
 梨恵は「クロノマジック」を使って第三次世界大戦を一瞬で失くしてしまった神の御業(ミワザ)を知っている。八百万の神々も正しい世の在り様を望んでいるんだ。
 しばらく進むと人影が見えた。円形の石垣の廻りクルクル歩き回っている。年かさの男性。どう見てもウダツが挙がらない様相。下を向きブツブツとつぶやいている。近づいてもこちらには気が付ない風。
「私たちはその昔、釈迦と共に旅した者。あなたは十王ですか? 」
 梨恵が尋ねた。男は驚いた様子で脚を止めた。
「ここが何処かも知らないなんて」 
 井氷鹿(イカヒ)は迷惑そうだ。舌打ちもしている。
「ここは神の死に場所。私は今から石垣の中の穴に飛び込んで十王の審判を受ける。黄泉の国に行く手順。さっきから最期の思案をしている。邪魔をしないで貰いたい」
「はあ、すいません」梨恵は謝った。
「え? でも、私たちは瀕死の神を救いました。何か助けになれば。アッ、もしよければですが」
「それはなんていうカミさんだい? 」イカヒはまた歩き出した。
「ヒカワヒメです。今は新しい社(やしろ)にお祀りしています」
「それは大物のカミさん。神もいろいろ、ワシらみたいな小物は死ぬしかない」
 イカヒは悲壮な顔付をする。
「やっぱり信仰がなくなったせいですか? 」
 梨恵は気の毒になってきた。何なら緋河神社の境内に新たな祠を建ててもいい。清人もきっと賛同してくれるだろう。
「いや信仰する必要がなくなったが正確だ。私は江戸の井戸の神。それで分かるじゃろ」
 イカヒは立ち止まった。いよいよ決心がついたようだ。
「ちょっと待ってください。今は必要なくなっても、将来大きな厄災がやって来て井戸が必要になるかもしれませんよ。衆生のためにも生きてください」イカヒは振り返った。
「アンタは釈迦の縁者、やはり優しいお人じゃな。しかしそん時は新たな神を創る。人間の心とはそんなもんじゃよ。最後に嫋(たお)やかな人間にお詣りしてもろうた。礼を云う。さらばじゃ」
 イカヒは消えた。
「なんか切ないね。長い間、助けになって来たカミさんが死んでゆく」とマーハが。
「アイヌの神はみんな死んでしまったって。ヒメさんが言ってた」
 空はヒカワヒメの嘆きを思い出した。そん時は、よく分からなくて眠くなってしまった。いまようやく理解出来た。
 そうだ。運よく娑婆に帰れたら、清人に頼んで信仰を失くしたカミさんの一覧を作って貰おう。何か出来ることがあるはず。梨恵は井戸の神・井氷鹿の冥福を心より祈念した。

第十七話 魔剣への途 砂上の楼閣 に続きます
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