悪魔の正体が明かさる――

文字数 6,317文字

第九話
 緋河神社をウィキペディアで検索してみる。最近の事柄らしく記述が追い付いていない。写真や図面、地図もなく簡単な概要だけが記されていた。
 令和〇年八月に狭山湖畔に〇市白鷺神社と〇市一乗寺の共同事業として建立された。祭神は饒速日命。総檜造り。本殿と拝殿からなる。
 菊池夏樹はこれを読んで驚いた。一乗寺とは妻の裕子が寺務をしている寺だったから。あの十字路の悪魔は確かにヒガワ神社と云った。ヒガワと呼ばれる神社は探したがここしかない。神社と云うからには日本国内にあるとは思っていたがこんなに近くに、それも身内に関係者が居るとは思いもよらなかった。
 時間軸を考えてみてもあのクロノマジックが使われた時期に造営されたという。建売住宅じゃあるまいし神社はキノコのようには生えては来ないだろう。なんらかの理由があったからに建てられたに違いない。その理由とは、世界に興りつつある惨事を阻止するためか?
 夏樹は妻、裕子に訊いた。
「緋河神社って知ってるかい? 」
 妻はすぐに反応した。
「うん。ついこの間、狭山湖の畔に造られたのよ。私も竣工式に行ったわ。ほら、狭山湖(山口貯水池)を造る時に当時の住民が置いて行っちゃったんだって。それから五十年以上、小さな祠だけが落ち葉に埋もれてたそうよ」
 裕子はケチャップまみれの子供の口を拭いながら続けた。
「隣りの〇市に白鷺神社ってあるじゃない。そこの神主さんが狭山湖畔の清掃活動でその祠を偶然見つけて、幼馴染だったうちの寺の住職がお金を出して再建したのよ。何でか分からないけど、とにかく急いでいて、私も寺の経理でお金の件であちこち走り廻った。でも驚いたわ、ホントに三ケ月もかからずに出来上がっちゃった」
 子供が気に入らないニンジンを床に投げつけた。
「こら、ダメでしょ! 」
 裕子はニンジンを拾い、床をティッシュで拭った。
「そんな突貫工事だったから粗末な建物かと思ったけど実際見てみてビックリ! 結構大きいの。それは靖国神社とはいかないけれど、真新しい檜造りで、ヒノキの佳い香りが漂っててそれは綺麗な建物よ。私はその後も時々、神社に行ってお詣りをしてたの」
 裕子は自分と違ってとにかく信心深い。障害を持つ子供の母親だからかもしれないが、今回の祈願の内容を夏樹はよく知っている。だから心境は複雑だ。
 哨戒任務での自分の無事を祈っていた。自分がいまこうして居られるのもひょっとしたらその神さんのお蔭かもしれない。
「それで、何か変わったことはなかったかい? 」
「えー、変ったことって? 」
 裕子はピンと来ない。
「そうだな。例えば社の周りの空気が蠢いたとか、神様の居場所から眩い光が出たとか」
 裕子はケラケラ笑った。
「それは、あなたが好きな魔法のお話じゃないの。なんにもございません。それはそれは厳かで靜かな神社で御座います、はい」
 裕子からは何も聞き出せそうもない。夏樹は諦めた。そもそも時の魔法が使われたことなど誰も覚えてはいないのだ。恐らくは白鷺神社の神主と一乗寺の住職の二人は緋河神社の神が大事を成したことを感付いているかもしれない。十字路の悪魔は緋河神社の関係者だけしか知らないと告げた。
 けれど、神様の成したことを今さら確認して何になる?
 夏樹は自分が成すべきことを改めて問うてみた。
 私は魔法を実践術として捉え、また天使や悪魔また神の存在を識った者だ。そして人智を超えるこの三者が短期間に世界をどのようにしたかを知っている。
 果たして悪魔はこれで引き下がるだろうか? 今回の謀略は長時間をかけて綿密に練られたもの。恐らくは数年前に人類未知のウィルス・新型コロナを世界の貯蔵庫、流通拠点である中国にバラ撒き、観光やビジネスを通じて自然と世界中に拡散されるのを待ったのだ。
 その間に米中対立を先鋭化させる。そのために陰謀論やフェイクニュースをネットでバラ撒く。さらに両国の政治の中枢機関へのサイバー攻撃(発信元が辿れる)を通じて互いの不信感を煽って行く。
 中国には宗教・信仰がない。悪魔たちは恐れる相手が居ない。一部の民衆を統率する共産党指導部だけをターゲットにする。ほんのひと握りの指導者たちがどんなに贅沢な暮らしぶりなのか、民衆は知る由もない。真実は徹底的に隠される。けれど悪魔は見抜く。欲望溢れるただの人間のすること。欲望を操るのは造作ない。
 十年前、冷戦の主役だったロシアには欧州に関心を向けさせた。手始めにウクライナ、クリミア半島を占領させる。
 欧州各国はロシアからの侵攻を怖れEUヨーロッパ連合と団結するが、アフリカや中東からの難民を大量に送り込む。職を奪われた白人は移民排斥を訴え政府も自国民の生活を護る政策を取らざるを得ない。次第に自国優先主義となり右傾化して行く。右傾化は戦争の導火線となる。
 また、中東を再度不安定化させる。米国はテロと云うが、アラブ人にとっては米国からの民主主義という名の元の干渉、侵略から身を守っているだけ。悪魔はこのようにアラブ人の耳元に囁く。
 悪魔にとって北朝鮮は扱いやすい玩具のようなものだ。いつでも爆発させるように資金だけは滞りなく提供してい行く。北朝鮮は自国産の優秀な兵器(役に立たない)を石油産油国が潤沢なオイルマネーで購入してくれていると思い込んでいる。
 このように細部にまで練りに練った調略が一瞬のクロノマジックでパーになってしまった。悪魔が怒るかどうかは分からないが、二度と起こらないようにはしたいだろう。つまりは今回の魔法を掛けた神を封じたいと思うはず。
 夏樹は自分のなすべきことを知った。悪魔たちの動きを阻止する。それが魔法を操る者の成すべきことだ。まずは時の魔法を掛けた神のことを調べ始めた。
 緋河神社の祭神、日河緋売命(ヒカワヒメノミコト)は天皇家の始祖である神武天皇と共に天磐舟に乗って天から下り、奈良の大和朝廷を支えた主要な神。一説によるとアマテラスとスサノオ姉弟との不仲の折にアマテラスを護ったされる。ヒカワヒメという名前からして陽や光に関係している神のようだ。ただ、大和から遠い辺境の地になぜ由緒ある神が配されたのか? 素朴な疑問として残るが。
 夏樹は、この神についてクロノマジックを興すには充分な力がある神だと結論づけた。従って、悪魔のターゲットになるだろう。もう二度とクロノマジックを使わせる訳にはいかない。恐らく神を封じ込めにやって来るだろう。
 キリスト教発祥後の欧米では、それ以前の自然由来の神々はほとんどが悪魔によって封じられた。太陽の神、月の神、風の神、水の神。欧米では居なくなっている。
 それにしても、どうやったら悪魔たちを阻止出来るのか?
 そうか!天使たちの力を借りるか。夏樹は十字路の悪魔のことを想い出している。出て来たのは厳密には悪魔ではなかった。エゼキエル、旧約聖書の預言者。どちらかと云えば天使に近い。
 もうひとたびエノク語で召喚して依頼する。動き出した悪魔たちを阻止することを。なんなら自分の魂と引き換えでもいい。自分は日本国を護る自衛隊員。本望ではないか。
 夏樹は二人の子供たちが床に投げつけたパプリカ、ブロッコリーを拾い上げながら、こんな倖せな日々が一日でも長く続くことを祈った。 

第十話
 パキスタン国諜報機関ISI所有のプライベートジェット機がカブール空港を発った。搭乗者はタリバンを率いたマーグラ・ハッカニとパキスタンの諜報員のマチルダ、それに二人のネフィリム。機影は日本をめざす。
 当然のことアフガニスタンのパスポートでは日本入国は出来ない。しかし西側同盟国パキスタンが要請したビザがあれば別だ。ハッカニらのビザはマチルダが日本政府から入手した。
 ネフィリムとはリトリート(眷属)と人間とのハーフ。端から人間の姿形を持つ。天使と悪魔は必要に応じて人間に憑依するが、ネフィリムは地上で人間に混じって暮らしている。その分、人間の考え方がよく分かる。今回は人界での行動となる。なので男のスハイブと女のラーニヤを同行させた。若い男女に見えても天使の力を持つ。
 ハッカニにはアフガンの行方には興味がない。米国は相も変わらず人権と民主化を盾に干渉しようとする。二十年にも亘る不毛な戦争を経ても自分たちの民主主義は正しかったと言い張る。
 米国はベトナムでも同じ過ちを犯している。正しいのならなぜ二つの戦争で負けたのか? 抵抗勢力に正義があったから負けたのだ。ベトナムにはベトナム人民の正義が、またアフガンには太古の昔より様々な部族が法を持ち、しきたり慣習を護って生き抜いてきた。だから彼の地の本質は何も変わらぬ。西側が求める民主化などは決してしない。
 中東は四大文明のうち二つが興り、この世界の精神世界の礎を形作った地域とも言える。四千年もの永きに亘り物質的にも精神的にも人々を富ませて来た。豊富な知恵と経験がある。その積み重ねを「歴史」と呼ぶ。後に産業革命で国を富ませた高価な毛皮だけを纏った国々とは訳が違う、と考えている。
 米国はそれが許せないらしい。勝手にテロの温床と決めつけ同盟諸国に連帯を求める。本当の意味でのテロの温床とは、非人道国のレッテルを貼り内政干渉し続ける米国のおごった姿勢そのものにある。イスラム戦士は誇り高く他からの干渉を嫌う。今後もイスラムを傷つける行為には刃を向け続けるだろう。
 さらに中東には紀元前十五世紀より後五世紀までに、メソポタミア、インダスと優れた文明(エジプト、中国文明を加えて四大文明)が根付き、そこにゾロアスター、ユダヤ、キリスト、イスラムと立て続けに預言者(指導者)が現れ、信仰が興った。世界の人口の半数がこのいずれかを信仰している。
 欧米諸国の政治家が中東を侮っても人口の半数はそこから興った信仰を宿している。その事実はデカい。初期の遺跡群は中東各地に点在し今でも信仰の対象であるし、何といっても主(神)が産まれた聖地。大切に思わない訳がない。信仰が深くなればなるほど中東への関心は深まる。
 主はあるレトリックを用いた。いつまでも発祥の地を大切にするよう。
 それがエルサレム。イスラエルの世界最古の都市のひとつでユダヤ、キリスト、イスラム教の聖市となっている。何時の世でも、帰属、定義を巡って人間たちが爭っている。
 もしこの三つの宗教の発祥の地が別々の国にあったならば、世界史は大きく変わっていたことだろう。万能の主にそれが見抜けなかった筈はない。
 神、天使、悪魔を産んだ聖なる地か。ハッカニは遠ざかる赤茶けた大地を愛おしそうに見つめた。プライベートジェットは順調に飛行する。高度一万二千フィート。もうすく成層圏。その上は宇宙。? では天界とは何処。
 答は次元、時空にある。神の居場所は六から八次元の異空間。
 遥かいにしえ、中東のある処に、生きることに苦しみ抜いた挙句に人間が最後に縋る信仰が産まれた。人々の篤き想いはやがて渦となり竜巻となり異次元、異空間を貫き天界を創り上げた。そこにはまず、主、ディエティ(deity/神)が存在した。
 主は次に使徒・リトリート(retreat/眷属)を創った。人は天使と云う。天使の数は増え、信仰する人間との間の子供=ネフィリムまでをも造っていた。天界は繫栄するかに見えた。が、ある事件が起こる。
 主が預言者ノアに命じ地上生物いちツガイだけを方舟に載せ、地上には恵ではなく雨(厄災)のみを降らせ続けたのだ。結果、先の人類は抹殺された。
 天使ルシフェルは主の愚挙を嘆いた。何ゆえ? その後、ルシフェルは主に公然と反旗を翻すことになる。天界は真っ二つに割れ争いが興った。天使たちの力は拮抗し骨肉の争いは長期化を余儀なくされた。そして地上のネフィリムまでに惨禍が及ぶに至った。
 ルシフェルは眷属よりも人間を愛したとされる。人間の女を愛し最初のネフィリムを誕生させたのも彼だと噂されていた。
 ルシフェルは時ここに至って自ら天界を下る。
 それを見た眷属たちはその姿をまるで地上に堕ちて行くようだと錯覚する。それまで沈黙を護っていた主は、
 私は堕落した地上の人間を殺した。ルシフェルはそんな堕落した人間のための天使、堕天使であり、悪魔である。
 意に沿わない人間はすべて殺す。それは神だからこそやってはならない行為。
 天使の半数は天界をあとにした。
 悪魔誕生の物語……
 ―
「日本の神とはどのようなものなのでしょうか? 」
 マチルダはシートベルトを外し席を立ってワインの入ったグラスをハッカニに手渡した。
「それが不思議だ。リトリートに情報を集めさせたがほとんど実情がつかめない。そもそも天使も悪魔も数が少ない土地だ」
 ハッカニはワインの味とは別に、苦々しそうな顔付きをする。マチルダが不思議そうな顔をすると、
「日本は元は仏教国であった。伝播の東の外れ、まともな教えも入っては居なかったと思うが、それでも国教としてそれなりの信仰はあった。当然キリスト教は長く禁じられた。イスラム、ユダヤの蔭も薄い」
「なるほど、それで悪魔が少ない。信仰と神、悪魔は表裏一体ですから」
 マチルダはハッカニのワイングラスに血のような赤を注いだ。
「うむ、仏教に神は居ない。釈迦と云う人間の教えだ。思想とも云える。ホトケと書物にはあるがあれは人間が考えた後付け物語。天界にホトケなどおらぬ」
 ハッカニは口元に僅かな笑みを浮かべた。
「では、何故、クロノマジックが使われたのでしょう? 」
「お主は天界の眷属、メタトロンを知っていたかな? 神の書記だと嘯く知れ者だが」
 マチルダが頷くのを見て、
「あやつに調べさせた。そして日本には太古より八百万の神々なるものが居ることが分かった。欧米と同様に日本でも無信仰者は増えている。それでも古の神々への信仰は篤く人口の八割はなんらかの関係を持つようだ」
 飛行機からは星々が輝く。
「それではその神のひとりが時の魔法を操ったたということですか? 」
「委細は分からぬ。ただあの魔法を使える神の数は少ない」
 ハッカニは断定した。世界にはキリスト、イスラム、ユダヤ、ゾロアスター、ヒンズー、仏教がある。このうち神(主)、天使、悪魔の関係にないものは仏教とヒンズー教のみ。仏教には神は無い。だから悪魔たちがあずかり知らない神と云えばヒンズー教のシヴァ神だけになる。
 当初はシヴァの仕業と考えた。だが動いた気配がない。インドにはイスラム勢力も多数入り込んでいる。情報は容易に取れた。しかもシヴァなら対処出来たはず。隣りの時空にいる。
「日本でイブリース様を紹介するのは仏教系の新興宗教です。ここは目下マノーダラー(真野裕子)なる者が統率しています。この女はその昔、釈迦の三番目の妻でした。
 ところが妃になってまもなく釈迦は皇太子の身分を棄て、身勝手にも城を出て行ってしまったそうです。よるべない彼女は城を追い出され、実家にも戻れず、人に騙され挙句の果て性奴隷にまで身をやつした。ところが、釈迦は王族の地位を去り弱き者を援ける聖者として、その評判は日増しに高まって行った。死の床に就いた彼女は誓ったそうです。自分を見放した釈迦を絶対に許さないと。
 この思いは男性には分からないこと。私には身に沁みます。いずれにせよ、今に至るまで釈迦を恨んでいるようです」
 マチルダは女の横顔を見せた。
「ほお、それは面白い。嫉妬、恨み、つらみは思いも掛けないドデカイことをしでかす」
 悪魔は満足そうに頷き、朝陽が当たり始めた窓のブラインドを素早く下に引いた。

第十一話に続きます
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