第3話

文字数 2,198文字

 小学五年生になって、私は副班長になった。登校するとき、班の最後尾に立って、下級生が通学路からはみ出さないように見張る役職だ。おかげで、毎朝憂鬱だった。四月はじめの班集会できっぱり断ればよかったものを、それができなかった。損な性格だ。
 いくら嫌といっても、仕事のある以上は放り出せない。それまで四年間は班を抜け出してよく佳奈ちゃんと二人きりで登校した。本来まっすぐ行くはずの十字路を折れて、朝の静かな道を二人で歩いた。あの頃はなんでもないように思っていたが、今になってみると本当に有難く感じられる。

 佳奈ちゃんは道の途中に流れる小川に、よく飛び込んだ。普通に道を進めばいいのに、そういう変な場所を通りたがった。「そんなことしたら濡れちゃうよ」と言っても、佳奈ちゃんは一向、気にしなかった。むしろ、濡れるためにやってるんだと言わんばかりに、にこにことしていた。
 私は正直ちょっと呆れてもいたのだけど、そんな佳奈ちゃんを見るのが何よりも楽しかった。私も、やろうかと思った。でも結局やらなかった。やっておけばよかったと、今は本気で後悔している。現実は過去に流れ、飛行機雲みたいに今は夢だけが残っている。いや、逆か。あの日の出来事が、夢だったのかもしれない、……夢なのかもしれない。

 班登校は、校門で終わる。
 班長と軽い挨拶してから、私は自分の靴箱に向かった。ちらと見たところでは、佳奈ちゃんはもう来ているらしい。昇降口にある時計を見て、このぐらいの時間ならまだ教室で遊んでいるだろうなと考える。それか、今年になって引っ越してきた転校生と仲良くしているか……まぁ、どうせそうだろう。佳奈ちゃんはその子と仲良くしているから、私とは話さないんだ……。

 俯きがちに歩いていたら、
「よお、何やってんだよ」
 と突然頭を殴られた。わざわざ誰か確認しなくてもわかる。こんなことをしてくるのは、一人しかいない。小田原健という男の子だ。

 彼は佳奈ちゃんの幼馴染で、クラス一番の乱暴者。ケンちゃんなんて可愛い愛称があるが、人の頭を見れば反射的に手が出るほどに暴力的だ。しかも気難しいから女の子からの評判はすこぶる悪い。
 私はハハと曖昧に笑いながら歩き去ろうとしたが、向こうは決して承知してくれない。

「無視するんじゃねえ」に始まり、
「お前最近一人だよな」と続き、
「ただでさえ暗いのに、一人でいたら余計暗くなって誰からも見えなくなるかもな」

 と責め立ててきた。
 反抗する姿勢を見せると不機嫌になるから、笑っておくことしかできない。やりたいようにさせておけと覚悟して、ケンちゃんが話すのを黙って聞くことにした。

「お前、この頃昼休みとか教室にいないよな。二組に行ってるらしいじゃん。帰りの会が終わってもすぐ出て行くしさ。もしかして、相田のやつとケンカでもしてんのかよ。それにお前……」

 ケンちゃんが言葉を言い終わらないうちに、教室にたどりついた。彼はなぜか、教室では私としゃべるのを嫌がった。私ばかりじゃない。佳奈ちゃんとも嫌がる。女と話すと面子が立たないからだそうだ。わけがわからないが、今回はそれが役に立った。

 ランドセルを置いて席につき、ほっと一息ついたところで「実里ちゃん、おはよ!」と話しかけられた。わたしはびくっとして身を小さくする。いかにも体調悪そうにゴホゴホと咳きこんでみせた。

「おはよ。ごめん、ちょっと」

 とだけ言って、私は立ち上がる。ごほごほとしながら、女子トイレの個室に駆け込んだ。いくら佳奈ちゃんでも、個室までついてくるほど非常識じゃない。だからこの四角い空間は、私を守ってくれる。少々臭いのが難点だが。

 私は佳奈ちゃんのことを気にしているのに、佳奈ちゃんのほうは私を気にしていない。全然平気なものだ。

 どうしてこんな奇妙な関係になったのか、それを説明するのは簡単ではないし、それを説明するつもりもない。ただひとつ言えるのは、佳奈ちゃんにとって、私なんかもういなくてもいいし、むしろいないほうがいいということだ――私みたいな奴が一緒じゃないほうがいいからだ。

 教室に戻ると、佳奈ちゃんは例の転校生と楽しげに話をしている。教室に戻って来た私に気づいてもいない。私のことは忘れてしまったみたいに、楽しげに笑っている。これでいい、これでいいんだ……。
 そんな嫌な気持ちで席に着くと、ちょうどチャイムが鳴って、先生が入ってきた。
 この先生は今年からの新しい先生だ。いつも面白くなさそうな顔をしている。なんで教師になったんだと言わんばかりの退屈そうな顔だ。顔だけ切り取って、その下に「おもしろくない」という文字をつければ、いいハンコになるだろう。しかし、私も人のことは言えなかったかもしれない。はぁ、とため息をつく。おもしろくない。

 一時間目は体育だった。
 なにも朝からやらなくても良さそうなものだ。時間割がどういう風に決まるのだか、今をもって知らないが、きっとパソコンか何かで適当に振り分けるんだろう。そうでなければ、朝から体育をやらせるわけがない。

「ね、今日の体操、ペアになろうよ」

 と、私は佳奈ちゃん以外の子を適当に捕まえて、声をかける。
 その子は「いいよ」と返事をしてくれたが、すぐに「佳奈ちゃんとペアにならないの?」と訊いてきた。私はにっこり笑って、「佳奈ちゃんは私以外の子とやるから、いいんだよ」と言った。
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