第9話
文字数 2,480文字
良子ちゃんと目が合った。私が親指と人差し指でマルを作ると、向こうも同じようにマルを作った。
報告も済ませて、これで色恋沙汰から完全に脱することができた。かんぴが「なにやってんの」と訊いてきたが、「まぁいろいろね」とはぐらかす。
かんぴは「ふうん」とつまらなそうに言って、それから急ににこっと笑った。
「あ、そうそう。ごめんね、借りてる本まだかかりそうなんだ。あれ面白いね」
貸したのはそれほど長編でもない文庫本だった。この様子だと繰り返し読み直しているんだろうなと察した。あれは新刊で、まだ図書館にも入っていない。今のうちにたくさん読んでおけというつもりだろう。
「私からもなにか貸すよ」
と言って、かんぴが引き出しから小説を取りだした。まだ読んだことのない作家だった。書店で見かけたときは、他に買うものがあって手をつけなかった。ありがたく借りることにする。
「私も長引いてるし、いつまで借りてたっていいよ」
とかんぴが言う。当分返さないつもりだなと私は笑ってしまった。「私は明日には返せるよ」と言う。読むの早すぎ、と苦笑いするかんぴに、私はこう続けた。
「放課後は暇だから、読む時間はあるしね」
「えっ、放課後暇してるの?」
かんぴが不思議そうに言った。失言だったかと、内心慌てる。かんぴの目つきに、なにか探られているような気がして、息苦しい。佳奈ちゃんのことを訊かれたらどうしようと黙っていたが、幸い、かんぴは何も訊いてこなかった。
それから昼休みが終わり、続けて五時間目も終わった。私は授業の合間の五分間に、かんぴに借りた本をぱらりとめくってみた。教室では佳奈ちゃんが騒ぐ声が聞こえてちょっとうるさいけれど、私は声をできるだけ無視するように努めた。
さて一文目に取り掛かろうと、最初の文字を捉えたところへ、視界の端に真奈ちゃんが現れた。私はびっくりして、なぜか思わず文庫本で顔を隠す。
真奈ちゃんはいつものおどおどした様子で、どんどん教室の中に入ってきて、なんとケンちゃんのほうに歩み寄っていった。彼女の横には、良子ちゃんはもちろんいない。一人きりだ。何をするつもりだろう、と不安になる。
私は文庫本から頭の半分を出してこっそりその様子をうかがう。
真奈ちゃんはケンちゃんの前まで来ると、か細い声で彼に話しかけた――あぁだめだめ、教室でケンちゃんに話しかけるなんて――私ははらはらしていた。まさか真奈ちゃんまで殴るんじゃないかと、心配だった。
話しかけられたケンちゃんは「あぁ?」と低い声を出した。とりあえず相手を威圧しにいかないと会話ができない例の習性だ。あの二人が、告白し告白された関係だなんて、普通誰も思わないだろう。ケンちゃんもケンちゃんで、もうちょっとまろやかに対応すれば良いのに。
周りにいる男子が、ひゅうひゅうと囃している。彼のところに女子が訪ねて来たからだろう。ああいうことをするからケンちゃんが凶暴になるのだが、何年付き合いがあってもそれが理解できないらしい。
「あのね、私たち、帰り道同じでしょ。良かったら、一緒に帰らないかなって」
と真奈ちゃん。それを聞いた周りの男子が余計にわいわいと盛り上がった。デートのお誘いかとか、好きなのかよとか、告白されるんじゃねえのとか言っている。
私は内心、ふふんと思った。君たちは知らないだろうけども、その二人は既に告白し、告白された関係だ。君たちの想像をはるかに超えているんだけれど、知らないものは仕方がない……つい最近まで私も知らなかったし。
ケンちゃんは、不愉快そうな様子で、
「どうして俺がお前と帰らなくちゃいけないんだ」
と眉を尖らせた。多分、公衆の面前で恥をかかされたと怒ってるんだろう。
真奈ちゃんは答えられずにもじもじとしている。そんな彼女の様子が気の毒だったのか、周りの男子たちが急に、帰ってやれよとか、察してやれよとか、色々言って真奈ちゃんに同情し始めた。
しかしケンちゃんは譲らない。しっしっと虫を追い払うようにして、
「帰ってやる意味が分からないんじゃ駄目だ」
と言った。
真奈ちゃんはしぶしぶ教室を出て行く。
ケンちゃんに対する周囲の目は冷ややかだった。男子たちは「かわいそうに」とため息をついたりもした。「ありゃ恋だぜ」と気取って言う男の子もいる。そうだそうだと周りが同調した。
ケンちゃんは「くだらない話をするな」と気取った男子をぽかりと殴りつけた。この人はいつも暴力で解決しようとする。彼を好きになった良子ちゃんや真奈ちゃんが余計気の毒になってきた。
そこでチャイムが鳴り響く。結局、文庫本はまったく読めなかった。帰りの会が始まる前に少し読めばいいかと思って、文庫本を引き出しにしまう。
ところが、六時間目が終わってすぐに、今度は良子ちゃんが現れた。私は文庫本を思わず落としそうになりながら、また本に顔を隠す。良子ちゃんもまた、同じようにケンちゃんに近づいて行った。
私も、そして男子たちも驚いた。ケンちゃんのところに立て続けに女子がやって来るなんて尋常ではない。男子たちはさすがに恐れ入って、今度はじっと黙っている。
「なんなんだよお前らは」
とケンちゃんがうんざりしたような声を出した。「お前ら」といって二人を一括りにしたところを見ると、一応告白されたことは意識しているらしい。
良子ちゃんは緊張した様子もなく、堂々としていた。私のイメージでは、好きな人を前にするともっともじもじするものだと思っていたが、現実は違うらしい。
「ちょっと二人で話したいんだけど」
と、態度と同じく口調も堂々としている。周りの男子たちがひゅうひゅうとまた騒ぎ始めた。
これにはやはりケンちゃんも機嫌を悪くして、ぶすっとした顔をした。
「どうして俺がお前と話さなくちゃいけないんだよ」
真奈ちゃんを追い返した時の文句を、再び使いまわしている。一括りにするだけあって、対応の仕方まで同じらしい。
しかし良子ちゃんは、動じなかった。それどころか、
「理由が知りたいなら、一緒に来てよ」
とケンちゃんにやり返した。
報告も済ませて、これで色恋沙汰から完全に脱することができた。かんぴが「なにやってんの」と訊いてきたが、「まぁいろいろね」とはぐらかす。
かんぴは「ふうん」とつまらなそうに言って、それから急ににこっと笑った。
「あ、そうそう。ごめんね、借りてる本まだかかりそうなんだ。あれ面白いね」
貸したのはそれほど長編でもない文庫本だった。この様子だと繰り返し読み直しているんだろうなと察した。あれは新刊で、まだ図書館にも入っていない。今のうちにたくさん読んでおけというつもりだろう。
「私からもなにか貸すよ」
と言って、かんぴが引き出しから小説を取りだした。まだ読んだことのない作家だった。書店で見かけたときは、他に買うものがあって手をつけなかった。ありがたく借りることにする。
「私も長引いてるし、いつまで借りてたっていいよ」
とかんぴが言う。当分返さないつもりだなと私は笑ってしまった。「私は明日には返せるよ」と言う。読むの早すぎ、と苦笑いするかんぴに、私はこう続けた。
「放課後は暇だから、読む時間はあるしね」
「えっ、放課後暇してるの?」
かんぴが不思議そうに言った。失言だったかと、内心慌てる。かんぴの目つきに、なにか探られているような気がして、息苦しい。佳奈ちゃんのことを訊かれたらどうしようと黙っていたが、幸い、かんぴは何も訊いてこなかった。
それから昼休みが終わり、続けて五時間目も終わった。私は授業の合間の五分間に、かんぴに借りた本をぱらりとめくってみた。教室では佳奈ちゃんが騒ぐ声が聞こえてちょっとうるさいけれど、私は声をできるだけ無視するように努めた。
さて一文目に取り掛かろうと、最初の文字を捉えたところへ、視界の端に真奈ちゃんが現れた。私はびっくりして、なぜか思わず文庫本で顔を隠す。
真奈ちゃんはいつものおどおどした様子で、どんどん教室の中に入ってきて、なんとケンちゃんのほうに歩み寄っていった。彼女の横には、良子ちゃんはもちろんいない。一人きりだ。何をするつもりだろう、と不安になる。
私は文庫本から頭の半分を出してこっそりその様子をうかがう。
真奈ちゃんはケンちゃんの前まで来ると、か細い声で彼に話しかけた――あぁだめだめ、教室でケンちゃんに話しかけるなんて――私ははらはらしていた。まさか真奈ちゃんまで殴るんじゃないかと、心配だった。
話しかけられたケンちゃんは「あぁ?」と低い声を出した。とりあえず相手を威圧しにいかないと会話ができない例の習性だ。あの二人が、告白し告白された関係だなんて、普通誰も思わないだろう。ケンちゃんもケンちゃんで、もうちょっとまろやかに対応すれば良いのに。
周りにいる男子が、ひゅうひゅうと囃している。彼のところに女子が訪ねて来たからだろう。ああいうことをするからケンちゃんが凶暴になるのだが、何年付き合いがあってもそれが理解できないらしい。
「あのね、私たち、帰り道同じでしょ。良かったら、一緒に帰らないかなって」
と真奈ちゃん。それを聞いた周りの男子が余計にわいわいと盛り上がった。デートのお誘いかとか、好きなのかよとか、告白されるんじゃねえのとか言っている。
私は内心、ふふんと思った。君たちは知らないだろうけども、その二人は既に告白し、告白された関係だ。君たちの想像をはるかに超えているんだけれど、知らないものは仕方がない……つい最近まで私も知らなかったし。
ケンちゃんは、不愉快そうな様子で、
「どうして俺がお前と帰らなくちゃいけないんだ」
と眉を尖らせた。多分、公衆の面前で恥をかかされたと怒ってるんだろう。
真奈ちゃんは答えられずにもじもじとしている。そんな彼女の様子が気の毒だったのか、周りの男子たちが急に、帰ってやれよとか、察してやれよとか、色々言って真奈ちゃんに同情し始めた。
しかしケンちゃんは譲らない。しっしっと虫を追い払うようにして、
「帰ってやる意味が分からないんじゃ駄目だ」
と言った。
真奈ちゃんはしぶしぶ教室を出て行く。
ケンちゃんに対する周囲の目は冷ややかだった。男子たちは「かわいそうに」とため息をついたりもした。「ありゃ恋だぜ」と気取って言う男の子もいる。そうだそうだと周りが同調した。
ケンちゃんは「くだらない話をするな」と気取った男子をぽかりと殴りつけた。この人はいつも暴力で解決しようとする。彼を好きになった良子ちゃんや真奈ちゃんが余計気の毒になってきた。
そこでチャイムが鳴り響く。結局、文庫本はまったく読めなかった。帰りの会が始まる前に少し読めばいいかと思って、文庫本を引き出しにしまう。
ところが、六時間目が終わってすぐに、今度は良子ちゃんが現れた。私は文庫本を思わず落としそうになりながら、また本に顔を隠す。良子ちゃんもまた、同じようにケンちゃんに近づいて行った。
私も、そして男子たちも驚いた。ケンちゃんのところに立て続けに女子がやって来るなんて尋常ではない。男子たちはさすがに恐れ入って、今度はじっと黙っている。
「なんなんだよお前らは」
とケンちゃんがうんざりしたような声を出した。「お前ら」といって二人を一括りにしたところを見ると、一応告白されたことは意識しているらしい。
良子ちゃんは緊張した様子もなく、堂々としていた。私のイメージでは、好きな人を前にするともっともじもじするものだと思っていたが、現実は違うらしい。
「ちょっと二人で話したいんだけど」
と、態度と同じく口調も堂々としている。周りの男子たちがひゅうひゅうとまた騒ぎ始めた。
これにはやはりケンちゃんも機嫌を悪くして、ぶすっとした顔をした。
「どうして俺がお前と話さなくちゃいけないんだよ」
真奈ちゃんを追い返した時の文句を、再び使いまわしている。一括りにするだけあって、対応の仕方まで同じらしい。
しかし良子ちゃんは、動じなかった。それどころか、
「理由が知りたいなら、一緒に来てよ」
とケンちゃんにやり返した。