第2話
文字数 2,514文字
ドアを開けてやる。
妹は片手に袋を持っていた。中には、この年のゴールデンウィークに行った旅行の菓子が入っている。にこにことして「甘くておいしいよ」とそれを渡してきた。
甘いことぐらい、教えてもらわなくても知っている。旅行が終わってすぐ、その日のうちにはすべて味わってしまったからだ。
それに、佳奈ちゃんへのおみやげを選別しておかなければならなかったから、随分熱心に味見をした。まだどのお菓子がどんな味だったのか、思いだせるほどだった。
用事はそれだけかと言うと、妹は頷く。夕飯を食べたばかりだよと言うと、ちょっと困ったような顔をした後「デザート」と一言返してきた。
実は、風呂に入る前に歯磨きを済ませてしまっていた。今更来られても遅い。「いらない」と言ってばたんと扉を閉めたが、閉まり切るより前に、隙間からお菓子を投げ込まれた。とんでもないやつだ。さすがに食べ物を投げ返す気にはならず、しぶしぶ机まで持っていく。
そのうち、宿題も終わった。その頃にはお菓子の袋も空っぽだった。「ひとつだけ」を繰り返しているうちに、このありさまだ。歯にはチョコがついている。それから、何か飲み物がほしい。
キッチンへ行って、水を飲む。また歯磨きをして、部屋に戻ってきた。そのままごろんとベッドに寝転がる。はーっと息をついたところで、鍵を閉め忘れたドアがギィとあいて、妹が現れた。また袋いっぱいの菓子を手に持っている。私は怒って、妹を追い返した。
そしてまたベッドに転がる。その日の晩、読むと決めていた本を手に取ったけれど、面倒になってやめてしまった。活字を追うのが、ちょっとつらい。だから、ただ大の字になって、ぼうっと天井を見つめた。蛍光灯が眩しい。それでも薄目になって天井を見ていたら、虫でも死んでいるのか、蛍光灯の灯りの中に、ぽつぽつと黒い点があるのが見えた。
佳奈ちゃんに、その虫のことを言われたことがあるのをふと思い出した。「あれなに」と言うから、私は「虫が入っちゃったんだね」と返した。
佳奈ちゃんは感心したのか退屈したのか、気の抜けたような声で「はぁん」と漏らした。「今度遊びに来る時までには掃除するよ」
と私は笑った。それが、そのまま残っている。掃除は、しなかったんだろう。
私はベッドから起き上がる。椅子を持ってきて、蛍光灯のカバーをはずした。なかにあった虫の死骸とゴミとをティッシュにくるんで捨てる。カバーをつけて、またごろんと横になった。うん、きれいになったと満足する。こんな簡単なことを、どうして今までやらなかったんだろう。
そう考えた私に、頭の中の誰かが「知ってるでしょ」と囁いてくる。つまるところ、私はそういうやつなのだ……。
「姉ちゃん! ゲームやろう!」
どかんと音がして、私は思わず跳ね起きた。妹が扉を叩いたのだ。爆撃じゃない、妹だと頭で理解したら、驚かされたことも含めて猛烈に腹が立ってきた。
わたしは思い切りドアをひらいて、
「うるさい! いい加減にしてよ!」
と怒鳴った。その衝動的な行動にわたし自身が気づいたときには、もう妹の目には涙がいっぱい溜まっていた。そら泣くぞ、と思っていたら、妹が「わーっ!」とわめきながら階段を駆け下りていく。お母さんに言いつけるつもりだ。
私はうんざりして、布団にくるまった。どうせ私が怒られるんだ、そうに決まってる。考えるだけで嫌になって、泣きたくなった。
やがて、お母さんが部屋に来た。私を包む布団をはがしていく。そしてベッドにちゃんと座らせると、お母さんは困ったような顔をして「どうして怒鳴ったりするの」と言い始めた。お決まりのセリフだ。
「なに、そのむすっとした顔。やめなさい」
「じゃあどうすればいいの」
「普通にしてればいいの」
「普通ってなに。じゃあ笑っとこうか」
お母さんは不満そうに眉を尖らせた。
私はふんとそっぽを向く。胸の奥から涙がのぼってきた。そのままお母さんと目を合わせていたら泣いてしまいそうだった。
お母さんは私の目をまっすぐ見て、言った。
「実里。あんた、佳奈ちゃんとなにかあったでしょ」私はどきっとした。私の顔色を見たのか、お母さんがはーっと息をつく。「やっぱり。実里がそういう風になるときは大概、佳奈ちゃんとなんかあったときなんだから」
「別になんでもないよ」
私はむっとする。それから小声で、知った風なこと言わないで、ともごもご言う。
お母さんは執拗に、佳奈ちゃんを使って攻撃してきた。
「最近一人で帰ってるでしょ」
「いいじゃん別に……」
「それに、遊びにも行ってないね。帰ってきたらずーっと部屋」
「お母さん、前に帰りが遅いって文句言ってたんだし、ちょうどいいじゃん……ずっと家にいたほうがさ……」
「そういうことじゃないでしょ」
「放課後ぐらい、好きにさせてよ。宿題もあるし、読みたい本だってあるの。友達と遊ぶばっかりが全部じゃないよ。違う?」
お母さんはおでこを押さえて、はぁと大きくため息をついた。厄介な娘の処置をどうしようか考えているのか、おでこにあてた手をぐりぐりと動かす。
「とにかく、八つ当たりはやめなさい」
「八つ当たりじゃない! 由里が邪魔するんでしょ! 宿題しててもお風呂入ってても歯みがきしても! うるさいのは向こうなんだから、あっちを叱ってよ!」
「あのね、由里はね、元気がないお姉ちゃんを心配してるんだよ。お菓子も持って行ったでしょ。あれ、本当は自分の分なんだよ。でもお姉ちゃんが元気がないからって持って行ったの」
「なに、そんな。お菓子ぐらい……」
私は内心、動揺した。ついさっき部屋に来た妹の顔が頭にちらつく。
お母さんは私の肩に手をやった。
「由里は、お姉ちゃんに元気になって欲しいの。少しでも力になりたかったの。その気持ちが、実里には伝わってないの?」
私は、とうとう何も言えなくなってしまった。それからお母さんに連れられて、リビングに下りた。テーブルには妹がぐすぐすしゃくりながら座っていた。真っ赤に腫らした目が、私を見つめてくる。
なんで私ばっかり……どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの……。
私は「ごめん」と妹に頭を下げた。
妹は片手に袋を持っていた。中には、この年のゴールデンウィークに行った旅行の菓子が入っている。にこにことして「甘くておいしいよ」とそれを渡してきた。
甘いことぐらい、教えてもらわなくても知っている。旅行が終わってすぐ、その日のうちにはすべて味わってしまったからだ。
それに、佳奈ちゃんへのおみやげを選別しておかなければならなかったから、随分熱心に味見をした。まだどのお菓子がどんな味だったのか、思いだせるほどだった。
用事はそれだけかと言うと、妹は頷く。夕飯を食べたばかりだよと言うと、ちょっと困ったような顔をした後「デザート」と一言返してきた。
実は、風呂に入る前に歯磨きを済ませてしまっていた。今更来られても遅い。「いらない」と言ってばたんと扉を閉めたが、閉まり切るより前に、隙間からお菓子を投げ込まれた。とんでもないやつだ。さすがに食べ物を投げ返す気にはならず、しぶしぶ机まで持っていく。
そのうち、宿題も終わった。その頃にはお菓子の袋も空っぽだった。「ひとつだけ」を繰り返しているうちに、このありさまだ。歯にはチョコがついている。それから、何か飲み物がほしい。
キッチンへ行って、水を飲む。また歯磨きをして、部屋に戻ってきた。そのままごろんとベッドに寝転がる。はーっと息をついたところで、鍵を閉め忘れたドアがギィとあいて、妹が現れた。また袋いっぱいの菓子を手に持っている。私は怒って、妹を追い返した。
そしてまたベッドに転がる。その日の晩、読むと決めていた本を手に取ったけれど、面倒になってやめてしまった。活字を追うのが、ちょっとつらい。だから、ただ大の字になって、ぼうっと天井を見つめた。蛍光灯が眩しい。それでも薄目になって天井を見ていたら、虫でも死んでいるのか、蛍光灯の灯りの中に、ぽつぽつと黒い点があるのが見えた。
佳奈ちゃんに、その虫のことを言われたことがあるのをふと思い出した。「あれなに」と言うから、私は「虫が入っちゃったんだね」と返した。
佳奈ちゃんは感心したのか退屈したのか、気の抜けたような声で「はぁん」と漏らした。「今度遊びに来る時までには掃除するよ」
と私は笑った。それが、そのまま残っている。掃除は、しなかったんだろう。
私はベッドから起き上がる。椅子を持ってきて、蛍光灯のカバーをはずした。なかにあった虫の死骸とゴミとをティッシュにくるんで捨てる。カバーをつけて、またごろんと横になった。うん、きれいになったと満足する。こんな簡単なことを、どうして今までやらなかったんだろう。
そう考えた私に、頭の中の誰かが「知ってるでしょ」と囁いてくる。つまるところ、私はそういうやつなのだ……。
「姉ちゃん! ゲームやろう!」
どかんと音がして、私は思わず跳ね起きた。妹が扉を叩いたのだ。爆撃じゃない、妹だと頭で理解したら、驚かされたことも含めて猛烈に腹が立ってきた。
わたしは思い切りドアをひらいて、
「うるさい! いい加減にしてよ!」
と怒鳴った。その衝動的な行動にわたし自身が気づいたときには、もう妹の目には涙がいっぱい溜まっていた。そら泣くぞ、と思っていたら、妹が「わーっ!」とわめきながら階段を駆け下りていく。お母さんに言いつけるつもりだ。
私はうんざりして、布団にくるまった。どうせ私が怒られるんだ、そうに決まってる。考えるだけで嫌になって、泣きたくなった。
やがて、お母さんが部屋に来た。私を包む布団をはがしていく。そしてベッドにちゃんと座らせると、お母さんは困ったような顔をして「どうして怒鳴ったりするの」と言い始めた。お決まりのセリフだ。
「なに、そのむすっとした顔。やめなさい」
「じゃあどうすればいいの」
「普通にしてればいいの」
「普通ってなに。じゃあ笑っとこうか」
お母さんは不満そうに眉を尖らせた。
私はふんとそっぽを向く。胸の奥から涙がのぼってきた。そのままお母さんと目を合わせていたら泣いてしまいそうだった。
お母さんは私の目をまっすぐ見て、言った。
「実里。あんた、佳奈ちゃんとなにかあったでしょ」私はどきっとした。私の顔色を見たのか、お母さんがはーっと息をつく。「やっぱり。実里がそういう風になるときは大概、佳奈ちゃんとなんかあったときなんだから」
「別になんでもないよ」
私はむっとする。それから小声で、知った風なこと言わないで、ともごもご言う。
お母さんは執拗に、佳奈ちゃんを使って攻撃してきた。
「最近一人で帰ってるでしょ」
「いいじゃん別に……」
「それに、遊びにも行ってないね。帰ってきたらずーっと部屋」
「お母さん、前に帰りが遅いって文句言ってたんだし、ちょうどいいじゃん……ずっと家にいたほうがさ……」
「そういうことじゃないでしょ」
「放課後ぐらい、好きにさせてよ。宿題もあるし、読みたい本だってあるの。友達と遊ぶばっかりが全部じゃないよ。違う?」
お母さんはおでこを押さえて、はぁと大きくため息をついた。厄介な娘の処置をどうしようか考えているのか、おでこにあてた手をぐりぐりと動かす。
「とにかく、八つ当たりはやめなさい」
「八つ当たりじゃない! 由里が邪魔するんでしょ! 宿題しててもお風呂入ってても歯みがきしても! うるさいのは向こうなんだから、あっちを叱ってよ!」
「あのね、由里はね、元気がないお姉ちゃんを心配してるんだよ。お菓子も持って行ったでしょ。あれ、本当は自分の分なんだよ。でもお姉ちゃんが元気がないからって持って行ったの」
「なに、そんな。お菓子ぐらい……」
私は内心、動揺した。ついさっき部屋に来た妹の顔が頭にちらつく。
お母さんは私の肩に手をやった。
「由里は、お姉ちゃんに元気になって欲しいの。少しでも力になりたかったの。その気持ちが、実里には伝わってないの?」
私は、とうとう何も言えなくなってしまった。それからお母さんに連れられて、リビングに下りた。テーブルには妹がぐすぐすしゃくりながら座っていた。真っ赤に腫らした目が、私を見つめてくる。
なんで私ばっかり……どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの……。
私は「ごめん」と妹に頭を下げた。