第12話

文字数 2,388文字

 良子ちゃんと別れて、私は信号を待っていた。他の子たちはとっくに帰っていて、もう人の姿はほとんどない。赤信号の光さえ、寂しく見えた。

 なにげなく、通りの向こう側に目をやっていると、横断歩道から少し離れたところに、ランドセルを背負った誰かがいた。どう見たって、真奈ちゃんとケンちゃんの二人だ。ベンチに並んで座っている。うまくいったのかもしれない。私はよけいに寂しくなった。

 信号が変わると、二人から見えないところまで走った。それから立ち止まって、はーっと息をつく。頭を巡る雑念が、私の鼓動を早くする――もしかすると、二人は意気投合して、付き合うことになったのかもしれない。いや、まさかケンちゃんに限ってそんな……。

 私はぶるぶると首を振った。またずいぶん、色恋沙汰に関わってしまった。別に、二人の関係がどうであろうが私にはどうでもよいことだ。私が気にすることじゃないんだ。そう決めて、また歩き出す。
 しばらく歩いたところで、お尻にこつんと何かが当たった。なんだと思って伸ばした手に、がつんと石がぶつかる。痛い、と手を引っ込めてすぐ、

「気づかねえぞ」
「もっと投げろ」

 と声がした。振り返ろうとする私の太ももに、ごすんと大きな石がぶつかってくる。私は振り返るのをやめて、一目散に駆け出した。考えている暇はない。早く逃げなくちゃいけない。人通りの多い商店街まで、全速力で走った。
 知り合いのお店の前まで来て、ばっと後ろを振り返る。第二小の人たちがいたら、店の中に飛び込むつもりだった。

 しかし、後ろには誰もいない。私は首をかしげる。太ももはまだ痛みを残しているし、声だって覚えている。だというのに、誰もいない。まさか、勘違いだったのか、いや、でも……と考える。
道を戻ってみようか、どうしようか、逃げたほうがいいか、神経質すぎじゃないかとか、色々考えて、ずっと道の先まで眺める。いつも通り、平和そのものだ。もしかしたら、車が跳ねた石でもぶつかったのかもしれないという気がし出した。

 横に佳奈ちゃんがいたらきっと、
「戻って確かめようよ」
 と言うだろう。しかし、わざわざ危ない目に遭うかもしれないのに、行ってどうするとも思う。帰ればいいのに、優柔不断にあれやこれや悩んで立ち尽くす。

「急いでたねえ実里ちゃん」

 と、接客を終えたお店の人が話しかけてきた。私はなんとも言えず、エヘヘとあいまいに笑う。

「そんなに急いで、忘れ物はしてないかい」
「え、いや、大丈夫だと思います……」

 と答えてすぐ、私はハッとした。ランドセルを下ろして、中を探る。そして、がくりとうなだれた。かんぴに借りた文庫本が、入っていない。入れ忘れたんだ……。私はもう一度、道を眺めた。店のおじさんはきょとんとして私を見ている。

 結局、私は引き返すことに決めた。悩んでいたが、引き返すとなると気が重たい。びくびくと怯えながら、進んでいく。
 しかし幸い、特になんということもなかった。もしかすると本当に勘違いかもしれないと思い始めた。第二小の人たちはおろか、ケンちゃんと真奈ちゃんの姿もなくなっていた。

 私はかんぴから借りた本をとって、また学校を出た。通りでまたケンちゃんと真奈ちゃんの姿を捜すが、やはりいない。もう帰ってしまったのか、それとも二人でどこかに遊びに行ったのか、どちらだろう。

 真奈ちゃんは、きっとケンちゃんとうまくいくだろう。あのケンちゃんが遊ぶのをそっちのけにして、二人の時間を選んだんだから余程のことだ。お互いに好き合って、理想的なカップルだと思う。
 けれど、真奈ちゃんが良子ちゃんの気持ちを知らないのは、残念な気がした。今日のことだって、良子ちゃんはばれないようにうまくやったはずだ。真奈ちゃんは今も、偶然が味方したと思っているのかもしれない。

 でも現実は違う。真奈ちゃんは助けられている。それを知らないだけだ。なんて幸せ者なんだろう。なんて幸福なんだろう。好きな人と一緒になれたら、どれほど嬉しいだろう。

 私は信号を渡り、第二小学校のことも忘れて、とぼとぼと歩き出す。
 真奈ちゃんに比べて、自分はどうだ。私は今日も家へ帰って、宿題をやって、ご飯を食べて風呂に入って、本を読んで寝る。空っぽの毎日をずっと繰り返しているのだ。一人っきりで、とぼとぼと。幸福にはほど遠い姿だ。何にもない私は、これからどうしていけばいいだろう。卒業まで、ずっとこうなのだろうか?
佳奈ちゃんの顔が頭に浮かぶ。また一緒にお話ししたいな、と思う。けれど今佳奈ちゃんが目の前に現れて「遊ぼう!」と手を伸ばしてきても、私はその手を掴めない。私はこう言う。「無理だよ」と。

 憂鬱な気持ちになった。早く帰りたい。けれど、走る元気はない。だから、とぼとぼと歩く。はーっとため息をつくのと一緒に、肩が落ちた。すると、

「何やってんだお前は!」

 といきなり頭を殴られた。ガツーンと鈍い痛みが響く。後ろを見ると、ケンちゃんが立っていた。ランニングでもしてきたみたいに、彼は息を荒くしていた。
 彼のそばに真奈ちゃんはいない。混乱する私の頭を、ケンちゃんはもう一発殴った。

「遅すぎる。何をボーッとしてんだ」
「え、い、いや、ちょっと忘れ物をして、それで取りに戻ってて……」
「第二小の奴がうろついてて気をつけろって言ったくせになんだそりゃ。お前が気を付けてないだろ」
「あ、いや、その」
「おら、行け!」ケンちゃんは私のお尻を思い切りひっぱたく。

 追い立てられて、私は走り出した。ケンちゃんはしつこく家までついてくる。私は玄関に飛びつき、バタンと扉を閉めた。

 リビングから、お母さんと妹が出てくる。何かあったのかと訊かれて、息も絶え絶えにケンちゃんに襲われたと答えたら、二人は愉快そうに笑い始めた。「それなら安心ね」と言って、お母さんたちは下がっていく。何が安心だ。
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