第1話 カーテンの向こうのご令嬢・アメイシャ

文字数 2,371文字

 稀代の女好きから予告状が届いてから三日が経とうとしていた

 轟く雷鳴。黒々とした重たい雲。ぼとぼとと雨が地面に突き刺さる。
 小さな島のまんなかに一軒の屋敷があった。その窓辺にたたずむのは、メイド服を着た一人の女。背後にある扉から使用人が出て行くと、ばたんと天井の板が一枚はずれて、忍び装束を身にまとうくのいちが姿をあらわす。

 その女 くのいち しのぶ

(ごろごろごろ ぴしゃーん)メイドの顔が白く輝く。
「予告状にあった日付からもう三日も過ぎています。まだ見つからないのですか」
 しのぶは何も言わず、ただ首を振る。「そうですか」(ふぅ……)メイドは額をおさえた。まさか、もうあきらめたのか。いやそんなはずはない。あの予告状を差し出したのはほかでもない、あの稀代の女好き、変態のオリンピック、スケベの求道者……。もう既にこの屋敷にもぐりこんでいる。

 予告状
 お嬢さまの乙女をいただきに参ります
 エロ仙人

「ふざけた予告状」しのぶは眉をひそめた。「だいたいなんだ。このエロ仙人とは」
「それで、お嬢さまはいまどちらに」
「ご自分のお部屋にいらっしゃる。なにせ状況が状況だから」
「エロ仙人に狙われたからには、仕方がありませんね」
「ああ。男の姿を生で見れるかもしれないと大はしゃぎで」

 令嬢アメイシャ

 世界で一番の大富豪の娘
 第四夫人の末女
 大切に大切にされ 存在さえ隠されている

「まさか年に一度の休暇を狙うとは。日程などは機密事項のはず。スパイがいるようだ」
 しのぶは飛び上がり(ばっ)、再び天井板をひっくりかえし(ばたん)、邸内を駆け回る(しゅたたた)。いったいこの三日間で、何度パトロールを繰り返したことだろう。いまだエロ仙人の姿は見つからない。
 しのぶの任務はアメイシャの護衛。もし彼女が襲われるようなことがあれば、下手人を殺害する許可を得ている。ここは誰の目も行き届かぬ無人島。たとえ何が起ころうと咎める者はない。腰に差した刀が揺れる。人を殺害するのに躊躇はない。それが仕事なのだ。だがお嬢さまになにかあることだけは耐えられない。「私をはじめて、認めてくれた御方」忠義を尽くす。

 アメイシャの部屋

(ぽりぽり)薄いカーテンの向こうにアメイシャがいる。(ばりばり)雨が入るというのにわざわざ開け放った窓から風が吹き込み、ふらふらと布地に映る影絵を揺らす。(むしゃむしゃ)(ぽいっ)スナック菓子の袋が飛び出てくる。
「あーもう、じれったい! いらっしゃるならいらっしゃればいいのに」
 影絵が窓のほうを向く。
「ああやって窓も開けていますのに」
 影絵の頬がぷっと膨らむ。
「お菓子もたくさん用意させていますのに」
 影絵が腕を組む。
「それとも枕元に靴下でも吊るしておいたほうがよかったかしら?」
(しゅるしゅるしゅるしゅる)
(すとん)
 一人の男がカーテンに迫る。しかしアメイシャは気づかない。男の口角が(にやっ)と上がった。「ああ、麗しきアメイシャ嬢。ずいぶん焦らしてしまったようですね」
 声に気づいたアメイシャが振り向く。「まあ、カーテンの向こうにいらっしゃる、あなたは」
「申し遅れました。私こそが稀代の女好き」
「そして変態のオリンピック……」
「それからスケベの求道者で……」
「エロ仙人でしたわね」
「ちょっと多すぎましたね」(ごほん、気を取り直して……)「私の名前はリュコス。親しい人は私をランと呼びます」
 ランは右手を伸ばし、指で小さく筒を作った。それを左手で覆い、(ぱっ)と離したとき、赤い色の薔薇がどこからともなく現れる。「これを美しいあなたに」
「あら、きれいなお花。なんという名前?」アメイシャはきょとんとしている。
「バラといいます。ご存じないのですか」
「炊事洗濯お裁縫、家事以外のことは何も教わらないのです」
「それは退屈ですね」
「ええ、とても退屈。だからたまにこう思うの。死んだほうがましじゃないかしらって」
「それはまた、なんとも」ランは悲しそうな顔をする。
「あなたは世界中で女の子のお尻を追っかけまわしているでしょう。でもそれってむなしくならないかしら。そもそも生きてるってとてもむなしいことよ。どんな素晴らしいことが起きたって、最後の最後には神様にみんな取られてしまうのだから。なら最初から死んでいたほうがましだわ。そうでしょう?」
「ああ、アメイシャ。なんと哀れな女性だろう」
「なんですって」
「鳥には空が必要なように、人間には自由が必要なのです。いつまでも隠れ家に押し込まれているから、そのように気持ちまでふさいでくるんですよ。よろしいですか。おっしゃる通り、神様は最後に何もかも奪っていってしまいます。どんな宗教者が出てきて『それはもともと神様から借りたものなのだ』と言い返してきたって怯みませんよ。神様ときたらとんだワガママ野郎ですよ。どんなに美しい胸だって年をとると垂れてくるんです。借り物なもんですか。私が育てたものです(しくしく)」ランはハンカチを片手においおい泣く。
「ずいぶん切実な悩みですわね」
「それにどうせ死ぬのですから、生きたって構わないわけです。チャラになる借金なのだから、使い尽くすべきなのですよ。どうせ返さなければならないのだからと惜しむのは、あまりにも不経済というものです。ちがいますか」
 アメイシャははっとした顔をする。ランは(にっ)と笑ってみせた。
 彼女の手が、そっと男のほうに伸びる。カーテンの隙間から真っ白で、華奢な腕が現れた。ランはアメイシャに見えないぐらいに小さく、自分の唇を舌先で舐めた——(ひっひっひ)もうすぐこの女も俺のものだ。薔薇も知らないうぶな娘は、ちょっと遊んでやればどっぷりハマってしまうだろ。
「ああーっ、風が吹いて足が滑ってしまったぁ」(つるんっ)
 ランはそう叫んで、アメイシャのほうに飛び込んだ。
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