フェイレン

文字数 3,187文字

「金色に染まる空、色男、ため息、絵になるな。相談なら乗るぞ。」

少し枯れた男の声が背後のテントのある方角から聞こえた。どうやらため息を聞かれたらしい。声の主のことをヴィクトルは子供の頃からよく知っている。父親の元部下で、今は操縦士のフェイレンだ。父親よりずっと話しやすく、会話も身内同様に交わす仲である。

しかし、今は彼と話をする気にはなれなかった。寝不足の顔を見られたら何があったのか色々と質問攻めにされるだろう。ヴィクトルはフェイレンに顔を向けることなく口を開いた。

「酒飲みの癖に随分早起きだな。酒臭くて居室から追い出されたんだろ。」
「見られたくない姿を見られたってところか。いつもより辛辣さが冴えてるな。」

フェイレンは苦笑いをして、ヴィクトルから少し離れたところにある椅子を、ヴィクトルが向いているのと同じ草原と湖がある方向に向けて腰を下ろした。地上の朝を存分に満喫している様子で、背もたれにもたれかかり、ゆったりと足を伸ばして組んだ。
 そして、手に持っていたマグカップに口をつけた後、生まれたばかりの朝日を浴びながら、称賛するような口笛を鳴らした。

 フェイレンに顔を向けることなく前を向いたままのヴィクトルだったが、フェイレンの口笛が気になり、様子を伺うために制帽のブリムをゆっくりと指でほんの少し押し上げた。

 夜明けはクライマックスを迎えた。山々の影からまもなく完全に解放されようとしている陽の光があたり一面を照らしはじめた。優しく撫でるように渡る風に小さくさざ波だつ湖面は、光を受けてキラキラと煌めきを増して行く。光で輪郭が際立った草の葉は、風を受けてゆらゆらと炎のようにゆらめいた。そして、水辺で夜を過ごした水鳥たちが溢れ出した陽の光を迎えるように、一斉に飛び立つのを目の当たりにし、ヴィクトルは思わず息を呑んだ。

「地上はいい。」

 フェイレンの少し枯れた低音で響く声は、今までヴィクトルが聞いたことがない甘さと優しさを含んでいた。普段とはだいぶ違う雰囲気が気になって、ヴィクトルはブリムの下からフェイレンの表情を横目で確認した。彼は眼前に広がる景色を瞳に映し、愛おしそうに目を細めていた。

 フェイレンはヴィクトルの視線に気づくと、少し照れ臭そうに笑いながらカップを口につけた。

「昨晩は夜風が気持ちよかったし、何度見てもリューンに雲がかかる姿は見飽きないもんでね。居室で寝るのは勿体ないから、警備も兼ねて司令部のテントの中で寝たんだよ。同室のカイルはカーテン閉めるタイプだしな。」
「…酒臭いのもダメだろ…」
 
 ヴィクトルは短くそう言うと、ブリムをまた鼻先まで引き下げた。今はこれ以上話すつもりはない、一人にして欲しいという意思表示のつもりだったが、フェイレンに通じていないのか、それとも知っておきながらの強行か、彼はヴィクトルに人懐こい笑みを向けた。

「今日はいつになくとんがってるな。」
「べつに…」

会話が続かないことを願いながら、取り付く島を与えないようヴィクトルはできる限り短い言葉と無愛想な声で応対した。ヴィクトルにとって彼は話しやすい相手とはいえ、少し下世話な話を好む傾向があるところは扱いに苦慮することもしばしばだ。特にマヤのことを今はあまり深く話す気にはなれなかった。

「新天地での初夜はどうだった?何か進展あったか?」
「何考えてんだか…。何度も言っているけど、僕らはそういう関係じゃない。」

ヴィクトルの願いはいとも簡単に崩れ去った。フェイレン相手に、この手の話題を避けることができると考える方が無理がある。やはり彼が一番気になる話題はマヤとのことらしい。

「気心知れた若い男女が狭いベッドに一緒に寝て何も起こらないってあり得るのか?」

“みんな自分と同じと思うなよ”。心の中ではそう思いつつも、この会話を続けたくはないので、言葉を返す気も起きない。この話は誰かに話して解決するものでもないと思っていた。ヴィクトルはリクライニングチェアに体を預けたまま、うんざりしたように口をへの字に歪めて少し首を傾げてみせた。制帽の下に見えている銀髪が湖から吹くそよ風にキラキラと揺れた。

ヴィクトルの様子から少しやりすぎたと自省し、フェイレンは真面目な表情になって話題を変えた。

「ところで、ここからが本題だ。この地域を安全に航行するには、高度な操縦技術と判断力、位置情報システムが必要ないくらいの方向感覚を持つ、例えば、俺みたいな操縦士が必要だ。」
「何を言い出すかと思えば…自慢話かよ…」

 極端な話題転換に驚いたが、話がマヤから逸れたことにヴィクトルは少し安堵した。極度の寝不足状態で、何を訊かれるか警戒しながら会話するのはかなりこたえる。ほんの少しだけ緊張の糸が緩んだ気がして、肩から力が抜けるのを感じた。
 先ほどまでの会話の流れから、すんなり認めるのは癪に障るが、フェイレンの考えにはヴィクトルも同感だった。この地域の移動を任せられる人間は、ユニオノヴァと地上を合わせても、フェイレンくらいしかいないだろう。この地域はユニオノヴァからの飛行艇が直接離着陸できる平らな開けた場所がないから、一番近い復興拠点のシャーンクウから移動する必要がある。しかし、道が整備されていないため、その時々の状況により、陸路、水路を臨機応変に選択する判断力と操縦技術が必要になる。また、方向感覚や経験だけでなく、天候や砂漠、森林などの自然環境の知識も必要不可欠だ。さもなければ安全な移動は難しい。

「まぁ、確かに多少自慢話のつもりだ。」

フェイレンは片目をつぶってウィンクして見せた。そして両肘を膝につけ、少し前屈みの姿勢になって、草原と湖の境界線をなぞるように視線をゆっくり動かし、あたりを広く見渡した。

「ここは、この惑星に存在するどの地域よりも僻地で、復興の予定すらない。俺はユニオノヴァ直属だから、個人的に力を貸すことは禁じられている。だから、よく考えるんだ。簡単に結論を出さないほうがいい…ユニオノヴァで衛星間を行き来するのとは訳が違う…。マヤがサトカシに帰ってしまったら、気軽に会いにくるなんてことはできなくなるぞ。」

 ほっとしたのも束の間、またマヤの話に戻ってしまった。どうしても彼女の話をしたいらしい。寝不足で思考がまともに働かないこの状況でよく考えるなんて無理だ。しかし、それを伝えたところで、話がすんなり終わるとは到底思えなかった。むしろ面倒なやり取りが長引く可能性だってある。ならば逆に、フェイレンが言いたいことを言わせて、聞くだけに徹したら早く話が終わるかもしれない。ヴィクトルは言葉を返さず、フェイレンの出方を待った。
 フェイレンはヴィクトルの作戦には気づかなかったが、何も言葉を返さない彼の方を見て、不満げに少し口を尖らせた。

「しかも、サトカシに限らず、この地域の移動集落は復興を望んでいない。しかも、ユニオノヴァの動きを警戒して復興拠点との関わりすら最低限にしている。今回あの子を手放したら、もう二度と会えない可能性の方が高いだろう。」

そんなことは言われなくてもわかっていると言うように、ヴィクトルは鼻先で笑った。少なくとも、ヴィクトルが生きている間に、この地域とユニオノヴァの間で往来が盛んになることがないのは確実といっていい。
 
 今回、サトカシとの接触が実現したのは、マヤを帰還させる目的も任務に含まれたからだ。仮に、この地にもう一度降り立つことがあっても、サトカシがメリットを感じなければ、こちらの呼びかけに応じることはないだろう。

「たまには、どうするべきかじゃなく、お前自身がどうしたいかを考えてみたらどうだ。あの子を手放したくないだろ。」

2人の会話が途切れた。ヴィクトルは言葉を返さなかったが、頭の中の雑然とした状態はなんとか解消する必要があると感じていた。

 

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