兄弟

文字数 3,230文字

 二人の様子を見ていたフェイレンが気を遣って席を外そうとしたところを、「席を外す必要はない。」とカイルは片手を上げて制止した。

「ヴィクトルだけではなく、父の友人であるあなたにも聞いておいてもらった方がいい。」

 フェイレンは上げかけた腰を元の椅子に収めた。何が話されるのか、彼には全く見当がつかなかった。しかし、二人の関係性が一年前より悪化していることに関連する話が聞けるかもしれない。原因が気になっていたフェイレンにとっては、引き止められて都合が良かった。

 一年前は、カイルがヴィクトルを遠ざける態度を取っている程度で、そこには強い感情は伴っていなかった。その状態は、兄弟のセロの事件以降ずっと続いていたので、仕方ないとは思っていた。しかし、今は張り詰めた緊迫感のようなものを感じさせていた。

 セロの事件についての後ろめたさや罪悪感から、カイルの前でのヴィクトルは依然として感情を押し殺し、表情がないと言った様子だ。変わったのはカイルの方だとフェイレンは見ていた。カイルが指揮官を任命され、隊を任されるようになってからちょうど1年経つ。指揮官になってから何かあったのだろうか。

 フェイレンが着席したのを横目で確認し、カイルは話を続けた。

「今回に限らず、私がこれから指揮官としてキャリアを積む上での基本的な考え方だから、心に留めておいてほしい。」

 そう言って、カイルは顔の前に組んでいた手に額をあて一旦目を閉じた。ここで口火を切れば、カイルの立場や性格上、簡単に後戻り出来なくなる。

 決断を下すときには、例え明確な理由があっても、一抹の不安は付きまとうもの。これまで、言い放った後に後悔が生じても、それすら肯定できる結果に繋げてきた。今までもそうであったように、今回も同じこと。 
 
 カイルは言い放った後の相手の反応に動揺しないため、強く心に言い聞かせた。そして、今一度、彼の中の決意を自身の信念に照らし合わせ、曇りないことを確認すると、ゆっくりと目を開いた。そして、顔を上げ、感情が読み取りにくい冷めた視線で真正面からヴィクトルを見据えた。

「ヴィクトル、私にお前のようなバケモノは不要だ。」

 カイルの冷たい刃のような言葉がヴィクトルの胸を深く抉った。彼はわずかに目を見開き、表情を変えることも、カイルから視線を逸らすことも、瞬きすらできずに立ち尽くした。

 ヴィクトルはここ最近のカイルの言動から、忌み嫌われていることは薄々気づいていた。ヴィクトル自身、自らをバケモノだと嫌悪しているのだから仕方のないことだと割り切ってはいた。いずれ、カイルの口から直接何かしら言われるかもしれないと覚悟もしていた。それでもなお、直接面と向かって言われることは、想定外のタイミングで言われたこともあり、予想以上の衝撃だった。カイルは感情がないかのように無表情なまま、ヴィクトルの様子を全く気にせず続けた。

「私が当主を継いだ暁には、エクストラアップデートの慣習から脱却し、シャンドラン家が本来あるべき方向に軌道修正するつもりだ。私の代のシャンドラン家には、ヴィクトル、お前を含め、エクストラを受けている者の在籍を認めない。不要ということだ。」

 しかし、ヴィクトルよりも驚いたのはフェイレンだ。何があったのかを知るどころか、頭の中はさらに散らかりを見せた気がした。二人の関係は、フェイレンがシャンドラン家に一年ほど出入りしなかった間に、想定外の変わりようだった。これは大きな動きがあったせいなのかもしれないとフェイレンは考えた。

 部外者のフェイレンが持っているシャンドラン家の情報など、噂程度の内容しかない。限られた範囲で思い当たることがあるといえば、次期当主の序列争いだ。半年ほど前、シャンドラン家現当主第二子のラドル・シャンドラン、つまりカイルの弟も指揮官になったと聞いていた。ラドルが指揮官を引き受けたということは、次期当主の座を意識し始めたということに他ならない。その動きが関連しているのかもしれないとフェイレンは思いをめぐらせた。

 ヴィクトルが何も反応を返せず、ただ茫然としている様子を見ても、カイルは動じることなく淡々と続けた。

「地上を離れた生活をするならば、遺伝子アップデートが推奨されるのは当然だ。地上の環境に十数万年かけて適応してきた肉体を、全く異なる環境に適応させるためには、人工的に手を加えることなしに短期間で進化させるなんて不可能だ。」

 カイルは決してアップデートに対して理解がないわけではなく、むしろ必要だと考える立場だ。騎士に施されるイヴォルヴアップデートも、騎士の業務上必要不可欠だと認識している。過酷な現場を少ない人数で効率よくこなすには必須で、安全性がある程度確認されていれば多少の負担は致し方ないとも考えている。

「しかし、私が理解に苦しむのは、科学者や上官たちが興味本位で進める実験のために、愚かな名門諸家どもが自らの特権維持のために子供を被験体として差し出す馬鹿馬鹿しい慣習だ。」

 カイルが感情的な言葉を口にすることは珍しい。それまで張り詰めていた空気が一層緊張感を増した。

 フェイレンは兄弟に視線を向けないまま、神妙な面持ちで腕を組み、テーブルの一点を見つめていた。確かに以前からカイルは、エクストラアップデートに対しては否定的だった。しかし、この勢いは今までの様子とは違う。本気で慣習に逆らうか、壊すつもりでいるのだろうか。

「残念ながら我らシャンドラン家も例外ではなく、慣習に従っている。そしてお前のようなエクストリームさえ乗り越えるバケモノがいるせいでこの悍ましい慣習が未来に継承される。私はまずそれを、シャンドラン家から断ち切りたい。」

 これではヴィクトルの立つ瀬がない。彼の存在そのものが否定されているようにも捉えられる。フェイレンはヴィクトルが気になり、テーブルに落としていた視線を気づかれないよう、少し斜め上に向けてヴィクトルの様子を覗った。ヴィクトルは視線を落とし、唇を噛んでいた。感情を押し殺しきれず、その表情には悔しさや怒りが滲んでいた。しかし、それがカイルに向けられたものではないことをフェイレンは知っていた。

 以前「こんなこと他に誰にも言えないけど、エクストラとかエクストリームとか…こんなもん考え出した奴らが憎いね…。こんなのが無ければ、僕ら兄弟は幸せなのにな」とセロの一件が発生する少し前にヴィクトルは言っていた。この慣習を憎む気持ちは二人とも同じだが、ここでフェイレンが彼を擁護したり、二人の間を取り持つようなことを言えば、火に油を注ぐだけだろう。この場から少しでも早くヴィクトルを解放することを優先し、フェイレンはこのまま様子を見ることにした。

「数は極めて少ないが、慣習にならわなくとも地位を維持している家は存在する。シャンドラン家もそうあるべきだと考えている。」

そう言うと、カイルは再び顔を上げ、ヴィクトルにまっすぐ視線を向けた。

「先ほども言った通り、私の代にエクストラを受けている者は不要だ。お前に限っては、私が当主になるのを待たずとも、シャンドランからの除籍も可能だ。今回の任務後、地上に残っても構わない。お祖母様にはすでに了承済みだ。任務完了までの間に考えておけ。以上だ。もう行っていい。」

 そう言うと、カイルは立ち上がり、仕事を片付けるためにテントの隅にある机についた。そして、何事もなかったかのようにデバイスを開き、作業を始めた。

 バケモノと呼ばれたり、憎まれ、忌み嫌われることよりも、カイルの力になれないことが、そして何より、自身の存在がカイルにとっては不要であることがヴィクトルには大きなショックであり、涙すら出ないほどの悲しみだった。

 ヴィクトルは抜け殻のように無気力な様子で、足取り重く、ゆっくりとテントの出口に向かった。そして、フラップを静かに押し開くと、振り返ることなくテントを後にした。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み