消息

文字数 1,340文字

 シャンドラン邸の中庭の地下にユニオノヴァの名誉騎士、アリシャ・シャンドランの研究室がある。名誉騎士に似つかわしくないこの部屋の存在を知るものはごくわずかだ。壁一面の棚には、実験器具や機器、サンプル、そして古い科学の書籍が所狭しと並べられていた。

 アリシャの孫、カイル・シャンドランは現在進行中の任務について報告を終え、不安そうな表情を浮かべるアリシャの頬にキスをした。彼が研究室から出ていくのを、アリシャは深い皺の刻まれた手を振って見送った。ドアが静かに閉められると、アリシャは両方の腕を肘掛けに乗せ、アームチェアに体を埋めた。そして、目を瞑って上を向き、溢れる思いを落ち着けるために、大きく息をついた。ついに始まる…。

 アリシャ・シャンドランの末息子、グレン・シャンドランは10年前、東の大都市シャーンクウの南側に位置する中都市が大規模な水害に見舞われた際、救助活動のため現地に派遣され、数日後に消息を絶った。本人の反応もスーツの信号もないことから、死亡とされていた。

 しかし、2週間ほど前にグレンのユニヴェルスーツの微弱な信号が突如確認されたとの報告が入った。騎士の活動が記録されたスーツは機密性が高いデータを多く含むため、至急回収する必要がある。すぐに捜索任務が組まれ、10日ほどの準備期間を経て、ようやく本日、任務に当たる隊員に通達が出された。迅速性が重要とされる案件のため、出発は明日とされた。

 騎士しか着用が許されないユニヴェルスーツは騎士の誇りであると同時に厳格な管理体制のもと各家、各騎士団で管理することが義務付けられている。今回はシャンドラン家とアカデミア騎士団の管理下にあるスーツのため、陣頭指揮はカイル・シャンドランが取ることとなった。

 アリシャの幼少期から仕えるネウロノイドのヴェガがカイルが残したティーカップを片付けるために部屋に入ってきた。アリシャの椅子に座っている様子から、疲れていると察した彼女は、何も言わずに静かにテーブルに近寄り、カイルとアリシャの空になったティーカップを順番にトレーに乗せた。

「グレンのスーツの反応が出た…」

 アリシャは目を閉じたまま、そう言った。ヴェガに話しかけたのか、独り言なのか、判断が難しいほど、声はいつになく細くしゃがれたようにヴェガには聞こえた。

「10年かかっている…この機会を無駄にはできない…」
「私にできることはありますか?」

 それからしばらく沈黙していたアリシャだったが、ふと目を開き、真っ直ぐヴェガを見た。

 様々な思いが入り混じったその表情はヴェガがアリシャに仕えてから見たどの表情よりも複雑で、同時に強い意志も感じられた。

「彼らは貴重なデータを持ち帰るはず…あなたの力も必要になるでしょう。」

 それを聞いたヴェガは穏やかな表情を浮かべ、右手を左胸に当ててアリシャに丁寧なお辞儀をして見せた。

「私のような汎用型のネウロノイドに務まるかわかりませんが…」
「汎用型ねぇ…よく言うわ。ふふふ…ジョークだと受け取っておくわ。」

 アリシャは少し悪戯っぽい笑みを浮かべ、目を細めながらヴェガを見た。そして今度は「さて、始めましょうか」と言うようにもう一度深く息をついた。

 翌朝、捜索隊は地上に向けて出発したのだった。
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