第六部「鐘の鳴った日」第1話(完全版)
文字数 11,131文字
そこから手を伸ばした
そこから手を伸ばせば
届く気がした
いつもそうしていた
例えそれが微かなものでも
届く気がしたから
☆
教会。
上から見ると、そこは十字架のような型の建物。
中心の
そこから差し込む光で照らされるキリスト像。
その聖堂の天井は高い。
聖堂の四隅には背の高い細い台。
その上には丸いライト。
ベンチ状の木製の長椅子が左右に分かれて四本ずつ。
聖堂の中心には初老の神父。
その側には、まだ幼い、男の子と、女の子。
☆
最近、よく見る夢。
週に二回から三回。
この夢を見るようになるまでは、あの子供たちが夢に出てくることはなかった。
そしてこの夢を見た時、
決して怖い夢ではない。起きた瞬間も気持ちが悪いわけではない。興味本位から一神教を勉強したことはある。だからこそ神や仏を信仰してはいない。そんなキリスト教徒でもない自分がなぜ教会の夢を見るのか
そしてなぜか〝あの二人の子供〟がいる。
それはこの世に存在しないはずの子供たち。かつて、子供を作ることの出来ない体であるはずの
そして、それでよかった。
それなのに、なぜその二人が夢に現れたのか。
意味を汲み取るのは難しい。
そういう夢は滅多に見るものではない。しかも今回の夢は見る頻度も高い。
ただ〝あの二人〟の事には
そのために
なぜか、関わらせてはいけない気がしていた。
──……これだけは、相談出来ないな…………
季節はもう秋と言ってもいいだろう。
蒸し暑かった夏が終わり、朝晩はだいぶ過ごしやすくなった。
夜型の
「そりゃあ汗もかくよね」
一人でそんなことを呟きながらベッドから腰を浮かせ、自然と両腕を大きく上に伸ばした。
──……あの夢の時だけ…………
シーツとタオルケットを外して持ち上げる。さらに少し考えてから枕カバーも外した。
──せっかくの日曜日なのに…………
洗濯機のスイッチを押すと、すぐに縁側に通じるガラスを大きく開いた。
一気に陽射しと外の空気が入り込む。
この時の気持ちよさは街中で経験出来るものではないだろう。土と葉の匂いが一気に家中に流れ込む。この瞬間がこの季節の醍醐味だと
そして、忘れたいはずの夢の内容が再び意識に浮き上がる。
それでも
分からない時点で考え続けるのは
同時に、それがいつも簡単なものではないことも知っている。
「シャワー浴びてご飯食べるか」
そんな独り言を言いながら、
シャワーの後、コーヒーメーカーのスイッチを入れてから外の物干し竿にシーツを広げた。
──……天気がいいからすぐに乾くね
今日の朝食はピザトーストとコーヒー。
オリジナルのピザソースに自家製のパプリカ。玉ねぎとソーセージはさすがに買った物。チーズはモッツァレラとゴーダにパルミジャーノ。最後に粗挽きのブラックペッパーを振りかけるのが好きだった。少し厚めのパンだと尚美味しい。
そんな美味しい朝食にプラスして、いつもの贅沢な朝を彩る物が新しく導入されていた。
新しくネットで購入したソファーだ。見た目の割には安かったので、届くまで少し不安だったことは事実。二人掛け用ということだったが、もう少し余裕があるようにも感じる大き目のタイプだった。そしてその印象は安っぽくはない。
そのソファーにゆったりと腰を降ろしながら、家の中を通り過ぎていく緩やかな柔らかい風を感じながらの美味しい朝食。風の通りやすさを考えてソファーは脚の高いタイプにしていた。ソファー下も風が渡りやすい。
そしていつも、周囲から聞こえる鳥たちの声が心地良かった。
「贅沢な朝だなあ」
──こりゃ独り言も増えるわ…………
「もうお昼の時間だけどね」
テレビの無いこの家にとっては、目の前の縁側から見える庭が大きなモニター代わり。
そして聞こえる聞き慣れた車の音。
途端に浮ついていた気持ちが落ち着く。
少しだけ鼓動が速くなってきたにも関わらず、この安心感はなんだろう。
やがて、足音と共に庭の映像の中に入り込む
「ソファー届いたんだ」
満面の笑みに合わない抑えた声。
「昨日届いた。早く隣においで」
その
そのソファーは一週間前に二人でネットで選んだ物だった。
カウチソファーではあったが、肘掛け等に木材が露出したスマートなタイプだ。足回りにも空間が多いので、風通しを意識したこの家にも丁度いいとの判断でもある。
「コーヒー飲む?」
そんないつもの
「うん」
「ピザトーストも食べる? すぐ出来るよ」
「うん。
いつもより少しだけ高い
そんな声に、マグカップを取り出し、ソファーに戻りながら
「どうしたの? 珍しく昼間から甘えた声出して」
「え?」
カップにコーヒーを注ぎ、それを
「一週間ぶりなんだから……会ってすぐにそんな声出しちゃダメだよ…………」
途端に
その隙間に手を滑り込ませた
「…………何か…………あったの…………?」
素直に
今まで、会ってすぐに体を重ねたことは何度もある。お互いにそういう気分の時はやはりあった。
いつもの
「……やっぱり……分かっちゃうんだ…………」
「
「そうだよね…………」
お互いに、自分を理解した上で自分を受け入れてくれる、たった一人の大事な人。
指を強く絡めながら、
「……ちょっとね……なんだか………………嫌な夢見ちゃって…………」
「……夢?」
〝夢〟という言葉に、反射的に返した
しかしその直後、
二人で顔を見合わせる。
それは足元の
「もう……誰よ。せっかくの日曜日なのに…………」
そう言う
「いいじゃん……時間はたっぷりあるよ…………」
その声に神経を揺さぶられた
「……どうする?」
画面には〝
「よっぽどだね」
「ええ⁉︎」
「──ちょっと……
すると
『────ということなんですよ。今回は私のオカルトライターとしての将来がかかってるんです。なんとかお二人のお力を借りたいと…………』
すると、それに応えたのは
「いつからライターが本職になったのよ」
元々
『え⁉︎
「どうしてそうなる」
☆
「〝
そう言ってコーヒーを
「これでもオカルトライターなんで、そういう情報はいくらでも集まってきますからね。
前回会った時とは違い、仕方なくライターをしている印象の口調ではなかった。それはそれで楽しんで続けているように
──……まあ、人様の迷惑にならなければね……
そう思った
「ああ、トンネルに水が流れてるシミを見ただけで顔に見えるとかって騒いでるようなヤツでしょ?
「……いえいえ……それより今は謎の声が聞こえるとかのほうが…………」
「トンネルの幅、高さ、長さ、
「はあ…………」
「まさかそんなつまらない話をしに私たちの貴重な時間を割こうと?」
それでも慌てたように返す
「違いますよ。今回のお話は────」
「どうせ山の中の廃墟に行っておきながら周りの林でパキパキ音が聞こえるとか…………当たり前だと思うんだけど……ここも山の中だけど、常に音なんか聞こえるし」
「いえ、今回はそういう廃墟の話ではなくて、教会の廃墟なんですけどね」
「やっぱり廃墟じゃん」
「まあ…………ちなみに場所はここです」
「街中とまでは言いませんけど車なら繁華街からすぐですよ。それでも今は知らない人のほうが多いと思います。忘れられてるって感じですかね」
「ふーん」
──……よりによって教会か…………
やはり最近の夢のことが気になった。
無意識の内に興味の無いような素っ気ない態度をとっている自分がいる。しかしそれは
そんな興味の無さそうな
「前回の話ほどの大きな依頼ではありませんけど、これはこれで────」
「その前回の件ってどうなったの? あれから…………」
その
「あ……すいません…………あの時のお屋敷跡ですか?」
そう応えた
その視線は湯気を通り越してコーヒーの表面へ。
「うん……身の周りに何か……変わったことはない?」
そう続けた
もしかしたら、というより間違いなく歴史の黒い部分に触れた。それを〝負〟と表現してもいいのかどうかは見方によるだろう。少なくとも、
「そうですね……私もさすがに怖くなって手を引いたのであの後は分かりません……お墓はまだ探してますけど…………」
それに返したのは
「一族全員がいなくなったからね…………難しいと思うから片手間くらいでいいんじゃない? まだ監視くらいはあるだろうし」
一度は国家レベルの秘密に触れてしまったのは事実。こちらが手を引いた素振りを見せたくらいで簡単に終わるなら、そもそもあんな問題にはなっていない。
だからこそ
「脅かさないでくださいよ」
「脅しじゃないよ。本来ならここに
「だって近くまで来てたんですもん」
すると再び
「────ってことは緊急の話なの?」
「緊急……でもないんですけど、今までにないパターンというか…………」
「さっきの〝
言いながら
「はい。廃墟とは言っても、そこにいた神父さんが確か一〇年くらい前に入院してからなのでそんなに古いわけではないんですが、形式上は近くの教会で管理しています。そこの教会の神父さんが言うには、取り壊すにしても建て直すにしてもお金がかかるから手を出せないでいるということみたいです」
「なるほどね。その内に勝手に心霊スポットって言われ出した感じかあ……」
──……どうしたの?
しかし、そんな
「そんな感じです。教会の裏に墓地もあるので、そのせいもあるんでしょうね。あまり有名ではないので今回飛びついたんですけど、やっぱり噂は噂でしかなくて諦めてたんですよ…………」
☆
「私たちも困っておりましてね…………」
そう言って
神父が、駐車場から教会の建物までの道を歩きながら続けた。
「最近は心霊スポットとか言われて深夜になると不法侵入が絶えません…………あなたも夜に行かれると危険ですので近付かれないほうがよろしいですよ」
神父の口調と物腰は柔らかい。
キリスト教でも仏教でも、神職の世界に深く関わる人物というのは人格者が多い。仕事でそういう人たちから話を聞くことも多かった
目的の教会は神父のいる教会からは車で一五分。そして駐車場から建物まで少しだけ歩く。
やがて、その廃墟の教会が目の前に現れた。
建物自体は
神父は入り口まで進みながら話を続けた。
「残念なことに中も外も心無い方々に荒らされてしまいましてね…………色々と噂されていることは知っていますが、ここでおかしなことがあったという話は聞いたことがありません。裏に墓地があるので、そのせいで噂が出来るのでしょうか…………悲しいことです…………墓地の管理も私たちのほうでさせて頂いておりますが…………」
「墓地があるんじゃ取り壊しというわけにも…………」
「そうですね。信者の方々にも失礼ですし…………しかし建て直すにもお金を工面しなくてはなりません。何度も協会のほうには掛け合っているのですが…………」
「……お金ですか…………」
二人の歩く
しかし建物の周囲には、不思議と雑草はそれほど見当たらなかった。
それに気が付いた
「雑草とかはあまり…………」
「私たちのほうで出来ることはしておりました」
見ると、壁の落書きにも所々消した跡が見受けられた。
──……どうして、こんなことに…………
よく言われる心霊スポットの廃墟やトンネルにもなぜか落書きが多いというのは定番だ。それを見るたびに
──……子供の自己表現……大人のすることじゃない…………
数段の階段を登り、神父がドアノブに手をかけると、それだけでその大きな扉はグラついた。
すでに鍵は壊されている。
「外の門には鍵があるのですが…………」
そう言って神父が扉を開けた時だった。
決して広くはない聖堂の奥。
キリスト像の前。
膝をついた女性がこちらを振り返っていた。
女性は組み合わせていた両手を解くと、立ち上がって足早に、二人の立ち尽くすドアまで足を進める。
目を伏せたまま、神父の横をすり抜けるように外へ。
「……すいません」
女性は小さく一言だけ。
神父と
状況を理解出来ない
「もし…………信者の方でしょうか…………」
女性は背中を向けたまま、浮きかけた足を止めた。
神父が続ける。
「それでしたら一度……ぜひ私たちの教会へ…………」
「……いえ…………すいませんでした…………」
女性は再び足を前へ。
五〇代くらいだろうか、あまり小綺麗な印象でもなく、地味な雰囲気。他人の目から逃れるためか、目立たないためか、人との接触を好むタイプには見えない。
間違いなく
その
「…………
「そうですね…………どんな理由があるのかは分かりませんが、あの方は神に手を合わせていらした…………私たちは、あの女性が救われることを祈りましょう」
教会の噂に関しては総てがその域を出ないものばかり。ほとんどの心霊スポットと同じだった。教会の心霊スポット自体が珍しいことと、まだあまり有名でないことを理由に興味を抱いたが、
教会の立場に立てば真実を書いたほうがいいのだろうとも考えたが、それでネットの読者が満足するとも思えない。
記事そのものをボツにすることも考えたが、締め切りまでに次のネタを探すのも難しい。
そして
──……もしかしたら、定期的に通ってないかな…………
正直、興味もある。
その予測は的中した。
門の近くで張り込むと、女性は毎日午前一〇時頃に教会を訪れていた。
──……だからあの壊れた柵の所を知ってたんだ…………
いつも女性は一〇分ほどで帰る。
わざとなのか、この間の神父があの壊れた柵を直しに来る様子もない。
一週間ほどの張り込みの末、
ドアノブにかける手が、少しだけ震えた。前回の光景が頭に浮かぶ。同時に、女性が逃げようとすることは想像が出来た。前回の態度から、突然話したがると考えるほうが不自然だろう。
そこには想像していた光景。
背中を向けていた女性が頭だけを回し、鋭い目を
女性は
「すいません……お話を聞けませんか?」
すれ違いざまの
「…………すいません」
「別に責めてるわけじゃないんです。あなたがここに来る理由を知りたいだけで…………ホントです。あなたがここで
しばらく黙っていた女性が小さく呟く。
「……わたしは…………」
微かに顔が
女性はそれだけで立ち去った。
──……何かを……聞いてほしいの…………?
翌日、
──……良かった……今日も来てくれた…………
女性の自宅は古いアパートの二階。
一週間ほど探ってみるが、午前中に教会に向かう以外は近くのスーパーに買い物に行くだけ。他の人の出入りもなければ働きに出ているようにも見えない。
──……在宅の仕事かもしれないしなあ…………
そして、明らかに中年女性の独り住まい。
その女性から、どうにかして教会に通う理由を聞き出したかった。
必ずそこには〝ドラマ〟があるはず。
しかし直接問い正しても断られるだけなのは予想が出来た。
──……あの二人なら…………
☆
「それでここまで来たの?」
「…………はい……」
──……何か、感じてるのかな…………
そう思った
やがて、
そして口を開いた。
「……記者ねえ…………」
「……あ……はい…………」
「そんなくだらないジャーナリズムしかないなら、さっさと辞めたほうがいいよ」
そう言った
「…………え?」
混乱した。
「心霊トンネルでも取材してればよかったのに…………他人の人生に土足で入り込みすぎ。あなたにそんなことをする権利なんかどこにもない。誰にもない。人にはそれぞれ人生がある。人に知られたくない生き
そう語る
口調だけではなく、総てが強く見えていた。
その気迫のようなものに、
それでも
「何かを聞いてほしい? 笑わせないで。何様のつもりで言ってるの? 勝手な思い込みで正義感を作り上げて…………そんな押し付けなんかいらない……
「
その
「あんたがその人の過去を知ってどうするのよ…………ストーリーテラー気取り? そっとしておいてほしい人だっているの…………自己満足のために他人の人生を引っ掻き回さないでよ…………」
「…………
「…………ごめんなさい……」
「……帰ります…………」
小走りな足音が切なく響き、やがてそれは車のエンジン音へと変わる。
ゆっくりとその音が遠ざかっていった。
そして、先に口を開いたのは
「…………ごめん……」
その声は明らかに
その
「どうしたの? 嫌な夢でも見た?」
その柔らかい声を聞きながら、
「……ごめん」
まだ、
すると、
何かが、ゆっくりと
そして
「────
「分からない…………断片でしかないけど…………感情的になっちゃった…………」
「だって……さっき話を聞いただけで名前すら…………」
元々、場所や物から〝念〟のようなものを感じ取ることは出来た。しかし今回は名前すら知らない。
しかし、どこかから
断片的なものに過ぎなかったが、そのイメージは暗かった。分かるのは余程の重い過去であるということだけ。一気に
「……関われってことかな…………関わるなってことなのかな…………」
か細い声。
どう判断すればいいのか、
続くのは
「…………誰か……仲介者がいる…………もしかしたら、今までもそうだったのかも…………」
☆
教会。
上から見ると、そこは十字架のような型の建物。
中心の
そこから差し込む光で照らされるキリスト像。
その聖堂の天井は高い。
聖堂の四隅には背の高い細い台。
その上には丸いライト。
ベンチ状の木製の長椅子が左右に分かれて四本ずつ。
聖堂の中心には初老の神父。
その側には、まだ幼い、男の子と、女の子。
聖堂の中が、無数の光の粒で覆われていく。
眩しい。
☆
火曜日。
全身が汗で濡れ、シーツもタオルケットもしっとりと体に張り付く。
──…………だれ………………
カーテンで
ベッド脇のスマートフォンを手に取る。
時間は九時を過ぎたばかり。
そして、すぐに電話をかけた。
「建物って十字型?」
スピーカーから返ってくるのは
『……えっと……はい…………そうです』
「中央に高い塔があって…………一番上に鐘がある?」
『……はい』
「聖堂の四隅の上に丸いライト…………」
『……はい……そうです……間違いありません』
「
そして
「かなざくらの古屋敷」
〜 第六部「鐘の鳴った日」第2話(完全版)へつづく 〜