第七部「猫の目」第3話(完全版)

文字数 11,032文字

 奥田秀一(おくだしゅういち)は地元で一番大きな地方銀行の銀行職員として一〇年以上勤めていた。
 それなりに地元では信頼の厚い銀行だ。歴史もある。
 今では将来も安定した立場だ。
 五年ほど前に結婚したばかりで、まだ幼い娘がいた。
 その日も秀一(しゅういち)は仕事を終え、まっすぐ自宅へ向かっていた。
 日頃から、あまり飲み歩く習慣もない。
 時刻は夕方。
 いつも秀一(しゅういち)は自宅まで街中の大きな公園を抜けて帰っていた。時間的にその公園を抜けるのが最短距離。一人で買い物を楽しむような人間でもなかった。それくらいならば、公園の芝生や木々を眺めていたほうがなんとなく気持ちも安らぐ。仕事の反動なのか、何か日々の中に癒しのような求めていたのだろうか。
 夏場ならまだ明るいその時間も、秋の深まりと共に周囲はすでにだいぶ薄暗い。すでにぼんやりとした街頭も点灯し、元々日陰の多い公園内では感覚だけなら夜。
 そのせいもあるのか、この時期のこの時間になると周囲に歩いている人は少ない。
 その日も、ほとんどいなかった。
 そんな中、秀一(しゅういち)は突然のことに頭が追い付かなかった。背後から猿ぐつわを噛まされ、両腕を背後で押さえられたまま近くの公衆トイレに押し込まれた。
 個室に入れられ、壁の冷たいタイルに押し付けられながら、右目に何かを押し付けられる。それは激痛と共にゆっくりと右目の視界を奪った。
 恐怖と痛みに包まれながら、体が小刻みに震える。
 左目に何かが突き立てられた時、すでに秀一(しゅういち)の意識はなかった。喉に当てられた鋭利な刃物に(あらが)うまでもなく、その体は力を失う。


      ☆


 五人が暮らしているのは市営住宅だった。
 古くからある集合住宅ではあったが、駅からも近く、いまだに抽選会では人気の物件。
 しかし元々立ち退きでそれなりの条件を出されていたにも関わらず、どうして五人が五人共集合住宅に落ち着いているのかが萌江(もえ)咲恵(さきえ)には不思議だった。
「いくら限界集落って言ったって、土地と建物を行政が買い取るようなものでしょ?」
 咲恵(さきえ)のその質問に応えるのは、二人の前を歩く西沙(せいさ)
 三人は駅前から歩いて行ける距離だからと、駅の裏の再開発地区を歩いていた。
「そうだったみたいなんだけど…………何せ家族って言えるのが一世帯の二人だけで、後はみんな独り住まい。用意してくれた物件も断ったみたいだよ。郊外に立派な一軒家なんか用意されたって確かに困るんじゃないかなあ」
「それもそうか」
 そう挟まった萌江(もえ)が続ける。
「でも別にその待遇(たいぐう)で文句を言ってるわけじゃないわけでしょ」
「まあね。年金暮らしの人が一人いるけど、あとは仕事の斡旋(あっせん)までしてもらったみたいだし」
 時間はお昼前、この時間に自宅でアポが取れたのは三人だけだった。職場では迷惑だからと、残りの二人は夕方六時に自宅で。
 古いエレベーターに乗り込むと、西沙(せいさ)は三階のボタンを押す。日中だというのにどことなく暗い。外壁と同じく建物内部の壁も(くす)んだ色に染まっているからだろうか。
 重い扉が閉まると西沙(せいさ)が口を開いた。
「最初の三人は同じ階の単身者用の部屋。で…………最初は洋三(ようぞう)さん。六六才。唯一の年金生活者。ちなみに全員の苗字が同じ田村(たむら)なのは、小さな集落でみんな遠い親戚筋(しんせきすじ)だからってこと」
 部屋のインターフォンを押す。
 カメラがあるような新しい物ではない。壁のあちこちも小さなヒビを修繕した跡が目立った。そんな部分に萌江(もえ)咲恵(さきえ)が自然と視線を送っていたところに、いきなり玄関のドアが開く。
 萌江(もえ)咲恵(さきえ)の予想通り、そこに現れたのは昨夜の居酒屋で見かけた初老の男性だった。
 西沙(せいさ)の顔を見るなり重そうな声。
「……ああ、あんたか…………何の用だ?」
 ()れた(まぶた)から、昨夜のアルコールがまだ抜けていないことが分かった。
 すぐに西沙(せいさ)が返していく。
「えっと、あの…………例の件について、改めてお話を伺いたくてですね────」
「前と同じだ。帰ってくれ」
 それだけ言った洋三(ようぞう)は強めにドアを閉めた。その振動がダイレクトに周囲の壁や空気を揺らす。
 洋三(ようぞう)は集落でも人望の厚い男だったと資料には書かれていた。
 長年連れ添った妻は元々街の出身で、集落へと嫁いできていたが、吸収合併の数年前に自宅で首を吊って自殺している。
 困った顔で振り返る西沙(せいさ)に、咲恵(さきえ)が返す。
「……仕方ないよ。無理強(むりじ)いしてもダメ…………」
「じゃあ…………隣で…………」
 西沙(せいさ)はそう言うと右隣のドアまで歩く。
 軽く肩を落とす西沙(せいさ)の目の前で、インターフォンを押すより早くそのドアは開いた。
 そして驚いた三人の前に現れたのは、昨夜の居酒屋で働いていた女性────恵美(えみ)だった。
 洋三(ようぞう)とのやりとりが聞こえていたのか、その恵美(えみ)が先に口を開く。
「失礼しました……こちらでお話を伺いますので…………どうぞ」
 昨夜とは違い、その表情と口調には(うれ)いが見えた。
 恵美(えみ)はかつて村から街へ嫁いできた過去があった。しかし離婚後に村に戻った時、両親が自宅で自殺しているのを発見する。遺書はなかった。村の吸収合併が決定する一ヶ月ほど前の事になる。
 三人は奥のベランダに面した和室に通された。
 そこの窓際にはすでに一人の若い男性が膝を抱いて座り込んでいる。しかし三人が部屋に入っても顔を上げようともしない。
 すると三人の後ろから恵美(えみ)の声。
郁夫(いくお)さんです…………お一人では難しいかと思いましたので来てもらいました……さ、お座りください」
 郁夫(いくお)は両親を殺害された過去を持っていた。
 元々街の高校に通った。なんとか就職するが、自閉症の影響なのか集団生活に馴染むことが難しく、同僚との喧嘩(けんか)騒ぎを起こして退職。村に帰った直後、両親が自宅近くの畑で刺し殺されているのを見付ける。
 当時はすでに立ち退き要求が激しくなっていた。中には暴力団まがいのチンピラが集落に度々押しかけることもあったことから警察はその線で捜査したが、(いま)だに未解決のまま。
 三人が郁夫(いくお)と距離を取りながらもテーブルの周りに腰を下ろすと、そこにお盆を手にした恵美(えみ)が戻る。テーブルに湯呑み茶碗を四つ乗せると、最後の一つを郁夫(いくお)(そば)に置いてから自分も膝を落とす。
 そして顔を上げた恵美(えみ)は声を上げた。
「えっと……もしかして、そちらのお二人は、昨日…………」
 すると最初に応えたのは萌江(もえ)だった。
「ごめんなさい。まさか昨日あんな所で会うことになるとは思ってなくて…………」
「地元の方では…………」
 それにすぐに応えたのは西沙(せいさ)だった。
「違うんです。最近来てもらったばかりで……何というか、私の仕事仲間みたいな感じでして」
「……そうでしたか…………私は構いませんが、隣の洋三(ようぞう)さんはあの通りの方ですので、最近はもうテレビにも出たくないと言ってますし…………」
「そうですか…………」
「私と郁夫(いくお)さんは元々テレビには出ていませんし、それもあって私たちが強く言うのもどうかと…………」
「私も以前に一度お話を伺っただけですからね。それもあって今日は郁夫(いくお)さんにもお話を伺えたらと思いまして────」
「それは…………ちょっと…………」
 恵美(えみ)郁夫(いくお)の丸くなった背中に手を添えて、続けた。
「前にもお話ししたかとは思いますが、郁夫(いくお)さんは自閉症です…………人混みも嫌がります。あまり重要なお話は出来ないかと思います」
 背中に添えた手の柔らかい動きに、萌江(もえ)咲恵(さきえ)は何かを感じていた。

 ──……まあ、それはプライベートか…………

 萌江(もえ)がそう思った直後、隣から咲恵(さきえ)の声。
「では…………」
 そう言って挟まった咲恵(さきえ)が続ける。
恵美(えみ)さんにはお伺いしてもよろしいですか…………?」
「…………ええ……ですが、まだ何か聞きたいことでも…………総て話したと思いますが…………」
「単刀直入にお聞きします。〝猫神様(ねこがみさま)(のろ)い〟を訴え始めたのは、(ほこら)を壊された…………という理由だけですか?」
 その言葉に、恵美(えみ)咲恵(さきえ)の目を見た。
 僅かに恵美(えみ)の目が細くなる。
 そして言葉を繋げた。
「……他に…………理由があると…………?」
 しかし咲恵(さきえ)は応えない。
 恵美(えみ)はすぐに続けた。
「マスコミの方々が面白おかしく書かれているのは知ってます…………あること無いこと書かれているようですね…………でも、以前にお話ししたこと以上のことはありません。工事で事故が多かったのは事実ですし、私たちが訴えてから……実際に殺人事件まで…………」
「殺人事件が起きるまでは…………今ほどマスコミも騒いではいなかったようですが…………」
 そう言って会話に刺さったのは萌江(もえ)だった。
 その萌江(もえ)が続ける。
「確かにあんな殺され方じゃあ、普通に考えても猟奇殺人だ。まともとは思えない。〝まるで猫が喉を切り裂いたようだ〟と言ってマスコミを(あお)ったあなた方のお気持ちも分かりますよ…………」

 ──…………(あお)った…………?

 反射的にそう思った恵美(えみ)の目が僅かに鋭くなるが、構わず萌江(もえ)は続けた。
「しかも今じゃ連続殺人…………話題は全国区…………それなのに盛り上がっているのはマスコミだけ。行政は動いてくれない。次は………………どうします?」
 すぐに、眉間(みけん)(しわ)を寄せた恵美(えみ)が小さく口を開く。
「私たちは────」
 それだけ返して、言葉を詰まらせた。
 しかし郁夫(いくお)に視線を移してから続ける。
「……新しく(ほこら)を作り直してもらえたら…………それだけで…………」
「それで〝(のろ)い〟が収まってくれますかね…………」
 その萌江(もえ)の言葉には、恵美(えみ)は応えようとすらしない。
 そして、萌江(もえ)が立ち上がった。
「お邪魔しました」
 その声に、咲恵(さきえ)も分かっていたかのように立ち上がる。
 玄関に向かい始めた二人を、西沙(せいさ)が追いかけた。
「────あの……お邪魔しました」
 振り返って言葉を残した西沙(せいさ)に、恵美(えみ)は顔を上げないまま。
 三人はまっすぐホテルに向かった。
 夕方まではまだ時間がある。
 一階のカフェでコーヒーを飲みながら、西沙(せいさ)萌江(もえ)咲恵(さきえ)に噛み付く。
「さっきのは何⁉︎ あれじゃまるで責めてるみたいじゃない」
「まあ……ねえ」
 咲恵(さきえ)は呟くように返しながらコーヒーを口に運んだ。
 西沙(せいさ)が続ける。
「加害者が誰かはまだ分からないんだから────」
「そう?」
 そう言って西沙(せいさ)の言葉を(さえぎ)ったのは萌江(もえ)
「少なくともあの三人は、何か知ってるよ…………」
「……そんな…………何の確証があって────」

 ──…………あ…………そっか…………

 西沙(せいさ)は改めて気付く。
 萌江(もえ)は未来、咲恵(さきえ)は過去を見ることが出来る。
 二人でなければ辿り着けない事実があることは、西沙(せいさ)も分かっているはずだった。

 ──……だから二人に助けを求めたはずなのに…………

 萌江(もえ)が淡々と応えていく。
「勘違いしてない? 私たちは警察でも探偵小説の主人公でもないんだよ。私も咲恵(さきえ)も確証を持って動いてる。物語の中心にいる五人には、黒い過去が多すぎる…………誰かに(うら)みを持つには充分だよ」
「……でも…………過去の自殺と殺人は意味が違うよ────」
 その西沙(せいさ)の言葉を咲恵(さきえ)(さえぎ)った。
「最初の……洋三(ようぞう)さん? 資料だとあの人の奥さんは自殺してる。理由は何も書かれていなかったけど…………私の中のイメージが、さっき会った時にやっと固まった。遺書があったの知ってる? 総てを告白した手紙…………奥さんは集落に嫁ぐ前…………ある議員の(めかけ)だった…………その議員の次男が、二階睦夫(にかいむつお)


      ☆


 県議会議員、二階敦敏(にかいあつとし)の次男、二階睦夫(にかいむつお)
 長男と三男は大学を卒業してすぐに議員秘書となっていたが、次男の睦夫(むつお)だけは大学を卒業しても定職に就くことはなかった。
 一部では暴力団との繋がりも示唆され、黒い噂が絶えない。
 当然地元では道楽息子と呼ばれ、議員である父親から煙たがられていた。夜に自宅に帰ることなどほとんど無い。それでも昼前には一度帰っていた。
 しかしその日は、その前に自宅に警察からの電話があったことで家中が騒然となる。
 繁華街の裏路地。ほとんどビルとビルの隙間のような場所から大量の血が流れ出していた。
 死亡推定時刻は発見された早朝の直前と見られた。
 寒い時期の早朝は、まだ暗い。
 殺害方法は先の三人と同じ。
 警察の発表では、殺害時、被害者は泥酔状態だったという。


      ☆


「どういうことなの……?」
 半ば呆然とした表情でそう言って聞き返す西沙(せいさ)に、咲恵(さきえ)はゆっくりと返していった。
洋三(ようぞう)が遺書で知ったのは、睦夫(むつお)が〝(めかけ)だった過去〟を理由に妻を恐喝していたこと…………これ以上迷惑はかけられないからと、妻は首を吊って自殺した…………」
「…………それが……見えたの?」
 その西沙(せいさ)の言葉に、咲恵(さきえ)は視線を落としてカップを手に取って応える。
「嫌な能力でしょ? 見えるものはその人の過去だけじゃない…………その人の人生に絡まるもの…………」
 咲恵(さきえ)は珍しくミルクポットのミルクをコーヒーに少しだけ注ぐと、ティースプーンで軽くかき混ぜる。微妙に混ざりながら回転するコーヒーの表面を見つめた。
 向かいの西沙(せいさ)は、静かに椅子の背もたれに体を預け、視線を下へ。
 そして、ゆっくりと、咲恵(さきえ)の隣の萌江(もえ)が呟いた。
「……たまに思うよ…………誰かのためになるならと思ってこんなことやってきたけど…………もしかしたら…………その逆なんじゃないかなって…………今回の件だって、私たちが答えを出さないほうが、幸せな人たちがいるのかもしれない…………」
 西沙(せいさ)が何も返せないまま、時間だけが過ぎていく。


      ☆


 その夜、警察官の小林豊(こばやしゆたか)にとっては休日の前の夜。
 四〇才の小林(こばやし)には離婚歴があった。結婚後二年で離婚したためか、子供はいない。それも一〇年以上も前のことだ。
 それでも独りでいることに寂しさもあったのか、何年か前から一人で飲み歩くことも多くなっていた。そしてそれが習慣付くようになると、今夜のような休みの前の日となるとやはり我慢は出来ない。もっとも夜勤明けだと休みの前の晩に店に行くことも出来ないので、今夜は久しぶりに楽しみにしていた。
 そのためか、その夜は自分でも分かるほどに少し呑み過ぎたようだ。
 時間ももうすぐ日付が変わる頃。
 繁華街から少しの距離にある小さな公園。自動販売機で買った温かい緑茶を飲みながら、ベンチに腰を降ろして酔いを覚ましていた。
 小さいとは言っても池やランニングコースもある公園だ。朝は近所の人たちで賑わうような場所だが、平日ということもあってか、夜になると静かな空気が流れる場所。
 すぐにでも雪が降りそうな気温のこの季節。さすがに軽くアルコールが抜けてきたのか、その寒さを背中に感じた小林(こばやし)が立ち上がろうとした時だった。
 突然背後から口を塞がれる。
 直後、喉に何かが押し付けられた。
 胸に暖かいものを感じながら、同時に呼吸が出来ない。
 片目に激痛を感じた時、それは恐怖から絶望に変わる。


      ☆


 時間は過ぎ、すでに夜。
 萌江(もえ)咲恵(さきえ)西沙(せいさ)の案内で再び集合住宅を訪れていた。
 そこは昼に訪れた単身者用の三階の上、四階からはファミリー向けに少し広い部屋が並ぶ。
 五人の中で唯一の夫婦。
 夫の修一(しゅういち)は五八才、妻の幸恵(さちえ)は五一才。
 洋三(ようぞう)と共にメディアの前に出ていた三人の内の二人。
 秀一(しゅういち)は集落にいた頃、畑仕事の(かたわ)ら土木関係の出稼ぎに出ていたことがある。その経験から現在は林業の下請け企業で働いていた。幸恵(さちえ)は専業主婦。
 一人息子がいたが、街の大きな会社に就職した翌年、交通事故で亡くなっていた。一〇年ほど前のことだ。
 三人が通されたリビングのテーブルに幸恵(さちえ)が暖かい湯飲み茶碗でお茶を置くと、秀一(しゅういち)が話し始める。
「で? 今更あんたたちは何を聞きたいんだ?」
 すでにその態度に歓迎の意思は無い。おそらく恵美(えみ)から連絡をもらっていたのかもしれないと西沙(せいさ)は判断していた。
 応えたのはその西沙(せいさ)だった。昼間とは違い、毅然(きぜん)とした態度で応えていく。
「今回の連続殺人と〝猫神様(ねこがみさま)(のろ)い〟を結び付けるものを調べています」
「結び付けるも何も…………(ほこら)を粗末にするからあんなことになるんだ。現にあんたら霊能力者なんか何も解決出来ていないじゃないか」
「ごもっともですね」
 そう口を開いたのは萌江(もえ)
 萌江(もえ)は両手で持った湯呑み茶碗でお茶を(すす)ると、続けた。
「あの(ほこら)安土桃山(あづちももやま)の……いわゆる戦国時代から守られてきた歴史のある物…………それを神社も介さずに取り壊すなど…………あの集落に暮らしてきた人たちに対する冒涜(ぼうとく)です」
 その萌江(もえ)の言葉に、秀一(しゅういち)意気揚々(いきようよう)と飛びつく。
「そう……そうだ。だからこそ俺たちは新しく(ほこら)を作ってくれと訴えてるんだ。それなのにマスコミの奴らが適当に有ること無いこと話を膨らませて幽霊話にしやがって…………」
「まあ…………あんな殺人事件が続けばね…………」
 萌江(もえ)は小さく溜息を()いて続けた。
「〝まるで猫が喉を切り裂いたようだ〟と皆さんが言わなければ、ただの猟奇殺人で終わっていたかもしれない…………」
 すると秀一(しゅういち)の目付きが変わる。
 そして返した。
「なるほど…………そう言って昼間に恵美(えみ)を責めたのはあんたか…………」
 そう言って軽くのけぞるようにソファーの背もたれに体を押し付けた。
 萌江(もえ)は顔色一つ変えずに平然と応えていく。
秀一(しゅういち)さんは……あの(ほこら)の歴史を知っていますか…………?」
「そんなもの…………猫に案内された落武者が村人に感謝して────」
 その秀一(しゅういち)の言葉を萌江(もえ)が素早く(さえぎ)った。
「昔から貧しい村でした…………周りを山に囲まれて孤立した村…………当時はそんな村は全国にたくさんあったことでしょうね。今より生き残るのが大変だった時代。落武者を捕まえたと奉行所に駆け込めばかなりのお金がもらえた場所もあったみたいですよ…………〝落ち武者狩り〟ってやつなんですかね」
「……随分(ずいぶん)な言い方だ……あんたみたいな部外者に何が────」
「本来ならば村の(おさ)(ほこら)を守っていたはず。しかしあの村では(おさ)ではなく村人が直接守っていた。(おさ)は誰ですか? どこに行ったんでしょうね」
「……なんだと?」
「本当に〝(のろ)い〟や〝(たた)り〟があるなら、先に(のろ)われて(しか)るべきなのは落武者を(だま)したあなたたちの先祖だ。あの(ほこら)は猫への感謝のためのものではない。猫の〝(のろ)い〟を(しず)めるためのものだ────」
「帰れ!」
 そう叫んだ秀一(しゅういち)は、いつの間にか立ち上がっていた。
 体を震わせる秀一(しゅういち)を鋭い目で見上げたまま、萌江(もえ)はゆっくりと立ち上がる。
 その横で、咲恵(さきえ)西沙(せいさ)も続いた。
 そこに、台所からの幸恵(さちえ)の声が挟まった。話を聞きながらシンクで洗い物をしていた幸恵(さちえ)は、エプロンで手を拭きながら近付く。
「変わった方々ですね…………」
 それはその場に似つかわしくないような柔らかい声。
 その声が張り詰めた空気に溶け込んでいく。
「形だけのお(はら)いをする人たちとは違うようですね…………まあ、あんなものに効果があるとは思っていませんけど」

 ──……(たば)ねていたのは、こいつか…………

 萌江(もえ)がそう思った直後、幸恵(さちえ)が続ける。
「あなた方の言うことが正しかったとして…………〝猫神様(ねこがみさま)(のろ)い〟は現実に起きています。違いますか?」
 しかし萌江(もえ)毅然(きぜん)と応えた。
「〝(のろ)い〟は起きるものじゃない。人が作るものだ────」
「では…………」
 幸恵(さちえ)の目付きが変わる。
 そして言葉が続いた。
「あなたは…………私たちが殺人を起こしているとでも?」
 萌江(もえ)は首の後ろに手を回した。
 ネックレスを外すとその水晶ごと左手に巻きつける。
 そして口を開いた。
咲恵(さきえ)…………(ささ)えて」
 直後、素早く動いた萌江(もえ)幸恵(さちえ)(ひたい)を左手で(おお)っていた。
 同時に咲恵(さきえ)幸恵(さちえ)の体を支える。
「なにを────!」
 叫びかけた秀一(しゅういち)を右の(てのひら)を向けて制したのは、鋭い目の西沙(せいさ)だった。

 ──……私は、二人を信じる…………

 萌江(もえ)が呟く。
「……自己催眠(じこさいみん)か…………咲恵(さきえ)!」
「だめ! 壁がある」
 咲恵(さきえ)も釣られるように声を上げていた。
 萌江(もえ)が素早く返す。
「このままじゃ()けない…………せめて(おさ)える…………」
 やがて、萌江(もえ)は左手を降ろした。
 そして小さく息を吐く。
 幸恵(さちえ)はそれまでとは別人のような目で、不思議そうに周囲を見渡すだけ。
 その幸恵(さちえ)萌江(もえ)が声をかける。
「これで少しは……楽になりますよ…………」
 その声は柔らかい。


      ☆


 夜の二三時を回ったところで、西沙(せいさ)萌江(もえ)咲恵(さきえ)の部屋に呼び出された。
 その服装を見て最初に口を開いたのは萌江(もえ)
「まさかあんた寝る時までゴスロリ?」
 西沙(せいさ)はとても寝る前とは思えないような真っ白なゴスロリ風パジャマ。
「い、いいじゃない、私はこれじゃなきゃ寝れないのよ。それにこれなら、このまま廊下にも出られるし」
「ま、いいけど…………杏奈(あんな)ちゃんからデータ来たよ」
 すでに萌江(もえ)咲恵(さきえ)はタブレットを覗き込んでいる。
 そこに西沙(せいさ)が加わった。


 洋三(ようぞう)(六六)
    妻は吸収合併前に自殺。
    妻は若い時に街から嫁いできた。
    地方議員の(めかけ)だった妻は、逃げるように集落に嫁いできた。
    そのことは夫には秘密にしていたが、そのことで恐喝されていた。
    恐喝をしていたのは議員の次男である二階睦夫(にかいむつお)(四人目の犠牲者)。
    妻の自殺はそれを苦にした可能性が高い。

 修一(しゅういち)(五八)
 その妻、幸恵(さちえ)(五一)
    街で就職した息子が交通事故死。
    交差点での出会い頭の事故とされたが、息子は青信号で進んでいた。
    そこに信号無視をした車にぶつけられる。
    その車を運転していたのは地方議員の息子、二階睦夫(にかいむつお)(四人目の犠牲者)。
    事故の捜査をしたのが警察官の小林豊(こばやしゆたか)(五人目の犠牲者)。
    小林(こばやし)のせいで被害者としての割合を低くされた可能性が高い。

 郁夫(いくお)(二三)(自閉症)
    街の高校を卒業してお菓子工場に就職。
    同僚と喧嘩をし、退職して村に帰る。
    しかしそれ以前に職場でイジメを受けていた。
    その中心的な人物は吉田春子(よしだはるこ)(二人目の犠牲者)。
    仕事を辞める原因になった喧嘩騒ぎにも関わっていた可能性が高い。
    村に帰ってからは立ち退き要求に連日悩まされていた。
    その最中に両親が殺されるが事件は未解決。
    当初から立ち退きに関与していた地元暴力団の可能性が疑われていた。
    しかし暴力団を扇動していわゆる地上げをしていたのは地元銀行。
    その中心にいたのが銀行員の奥田秀一(おくだしゅういち)(三人目の犠牲者)。

 恵美(えみ)(三五)
    街の地主の長男に見染められて嫁いだが、離婚して集落に戻る。
    帰ってきた日、自殺した両親を見付ける。
    恵美(えみ)の両親も他の家と同じように立ち退き要求に苦しんでいた。
    地元暴力団による他殺説も出たが、警察としての発表は自殺。
    暴力団を扇動していわゆる地上げをしていたのは地元銀行。
    その中心にいたのが銀行員の奥田秀一(おくだしゅういち)(三人目の犠牲者)。
    恵美(えみ)が嫁いだ先で息子を一人産んでいる。
    久宝隆史(くぼうたかし)(一人目の犠牲者)。


 萌江(もえ)は缶ビールを飲み干すと、そのまま缶を握り潰していた。
 立ち上がると、冷蔵庫で二本目の缶ビールを取り出して栓を開けた。
 咲恵(さきえ)は冷静にベッドに腰掛けていたが、やがて手にしていた缶ビールを飲み干す。
 そのすぐ(そば)で、西沙(せいさ)はタブレットを見下ろしたまま体を小さく震わせている。
 しばらく、誰も口を開こうとはしなかった。
 やがて、ベッドから立ち上がりかけた西沙(せいさ)が膝から崩れ落ちる。
 咲恵(さきえ)が素早くその体を支えると、床に西沙(せいさ)の涙が(こぼ)れ落ちた。
 そして、絞り出されたその声は、小さく震える。
「…………おかしいよ…………こんなの…………」
 そこに聞こえてきたのは萌江(もえ)の声。
「いずれは警察も辿り着く…………その前になんとかしないと…………」
「なんとかって────」
 顔を上げた西沙(せいさ)に、萌江(もえ)が続けた。
「あの五人は確かに今回の犠牲者と繋がりがあった…………(うら)みもあった…………動機は間違いなくある…………でも、そんな簡単に人って殺せるかな…………しかもいずれはバレて当然の繋がり…………しかも恵美(えみ)は自分の息子まで殺してる…………なんのため? まだ幼い息子を(うら)む理由ってなんだろう…………」
 そこに挟まるのは咲恵(さきえ)
「黒幕は、まだいるね」
「……うん…………裏はまだ、総て見えてるわけじゃないよ…………」


      ☆


 前嶋雄一(まえじまゆういち)
 それが家庭教師の名前だった。
 雄一(ゆういち)仁暮(にぐれ)家の屋敷に来ると、車の音ですぐに分かる。家のどこにいても聞こえるような大きな音の車だった。
 少なくとも仁暮(にぐれ)家の車よりはうるさいその音に使用人の多くは眉間(みけん)(しわ)を寄せたが、なぜか志筑(しづき)は、その音を聞くといつも笑顔になる。
 しかし車自体は音の大きさに反して小さい。しかも志筑(しづき)が見たことのない独特な形だった。安っぽいブリキのオモチャに見えたほど。
「先生の御車は、だいぶ変わった形をされているんですね」
 そう聞いたことがあった。
「ああ、私は車が好きでしてね。しかも古い外車に目がない。故障は多いですが、最近の車とは違って味があって…………まあ、(まわ)りからは変わり者扱いですよ」
 そう言って笑顔を見せる雄一(ゆういち)に、志筑(しづき)が聞き返す。
(まわ)り…………ご家族ですか?」
「家族もですが、友達にも笑われますよ」
「……友達…………」
 この頃には、志筑(しづき)も様々な本を読んでいた。多くは文豪と呼ばれるような作家の古い物ばかりだったが、それでもその中にはたくさんの世界があった。志筑(しづき)の知らないことで溢れていた。
 そして、自分には〝友達〟という存在がいないことも知っていた。
「……友達ですか…………私にはよく分かりません…………」
 その寂しげな声に、雄一(ゆういち)は気持ちのどこかを揺らされたのだろう。もっと志筑(しづき)に世の中を見せてあげたいと思うようになっていった。
 世の中にはもっと楽しいことや美しいものが溢れている。
 それを見せてあげたかった。
 そういう意味では、雄一(ゆういち)自身も自分が変わり者であることは自覚していた。
 誰かを嫌ったことがない。
 (うら)んだことがない。
 〝(にく)しみ〟というものが存在するとしたら、少なくとも雄一(ゆういち)にはその意味が分からない。
 子供の頃からどんなに親に怒られても、どんなに職場である学校で他の教師に虐められても、誰に対しても憎しみを抱いたことがない。
 どんなに親から気持ちが悪いと家を追い出されても、どんなに職場である学校で気持ちが悪いからと辞職を(うなが)されても、誰も(うら)んだことがない。
 自分が間違っているとも感じない。
 不幸という言葉は文字としての知識だけ。
 明らかに、一定の範囲で、一定の感情が欠落していた。
 しかし雄一(ゆういち)は、志筑(しづき)に対して初めての感情を抱いていた。

 ──……不幸というものが存在するなら……この人のことを言うのかもしれない…………

 しかし志筑(しづき)にとっては、そんな雄一(ゆういち)の存在が心地よかった。
 志筑(しづき)にとって他人は誰しも〝一人〟ではない。その中に何人もの、いくつもの顔を持っていた。完全に〝裏の顔〟を持っていない、本当の意味でその人本人でしかないのは雄一(ゆういち)だけ。
 だからこそ、初めて他人と触れ合おうと思えた。
 他人と、誰かと、心を通わせたいと思えた。

 そして数年。
 志筑(しづき)は一八才になっていた。
 家庭教師を()てがわれる最後の歳。
 志筑(しづき)は両親から、仁暮(にぐれ)家の過去を聞かされる。




          「かなざくらの古屋敷」
      〜 第七部「猫の目」第4話(完全版)へつづく 〜
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