第1話 日曜の朝

文字数 1,092文字

 駅前の小さな商店街にある喫茶店。一階はお店、二階が住まいになっている、そこが僕、深沢悠斗(ふかざわゆうと)の家だ。
 キッチンに向かうカウンターの、入り口から一番遠い席が僕の特等席だった。
 祖父の入れてくれた温かいココアを少しずつ飲みながら、マンガや小説を読んだり、宿題をしたり、夕飯もこの席で。
 時折、やってくるお客さんがドアを開けるたび、カラコロとひびくカウベルの音。
 店の中に流れる曲は、古びた祖父のお気に入りのレコード。
 それに、気まぐれに流すラジオ。
 漂う入れたてのコーヒーの香り。
 まだ小学生だったころ、友だちと遊んで帰ってきてから、寝るまでの時間はここで過ごした。

 中学生になると部活動をしたり、友だちとの会話についていくためにテレビを良く見るようになり、店にいる時間はグッと減った。
 それでも一日に一度は、必ずカウンターで祖父と向き合った。
 特に話しはしなくても、目の前に祖父がいるだけでホッとできるから。
 休みの日には店の掃除や仕込みの手伝い、コーヒーのおいしい入れ方を教わり、僕の毎日は充実していた。

「悠斗、今日はおもてのランプを磨いてくれ」
「はい」

 祖父が僕に向かって雑巾を投げる。
 日曜の朝、まだ人通りの少ない白樺並木の下で、僕は丁寧に大きなランプを拭きあげる。
 小学生のころに手伝いをすると決めてから、毎週日曜日のランプ磨きは僕の仕事になった。
 背丈よりも大きなランプの形をした電灯は、裏側のフタが開くようになっている。
 中にある丸い電球も奇麗に拭いてから立ち上がり、ため息をもらした。

「はぁ……」

 なにしろ大きいうえに線路沿いにあるものだから、案外、砂埃で汚れがつく。
 夏は暑さでヘトヘトになるし、冬には寒さで手がかじかんで動かなくなる。
 何度か店の中と外を行き来してバケツの水を換え、雑巾を洗っては拭く作業を繰り返し、最後に脚立を使っててっぺんの部分を拭き終えるころには、数十分が過ぎてしまう。

「爺さま、ランプ拭き終わったよ」
「そうかい、ご苦労さん」

 夏にはアイス、冬にはホットでお駄賃代わりに出してくれるココアが、いつのころからかコーヒーへと変わった。
 それを手に外へ出ると、ランプの横に置いたままにしておいた脚立へ腰かけ、飲み終えるまでの短い時間、ぼんやりと線路を眺めた。
 商店街の端にある踏切がカンカンと鳴り、カーブの向こうから電車が姿を現す。
 少しずつスピードを落とし、駅へと入る電車からは誰も降りてはこない。
 こんな、なにも無い田舎町に、朝から訪れる人間など、そうはいないのだから。
 特に待っているわけではないけれど……。

「父さん……」

 僕はぽつりとつぶやいた。
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