最終話 すべての事象は収束す

文字数 2,934文字

 三人が消えた『時の氷穴』では、真白と紗那、弁慶が残っていた。

「やっと帰ることができるな、真白、紗那。いままでよく頑張ったな。そして俺たちの研究に巻き込んでしまって申し訳なかった。紗那に至っては何年もこの時代に囚われることになってしまった」

 弁慶が真面目な顔で真白と紗那に言った。

「もう、言ってもしょうがないから言わなくていいよ」

 紗那が眉を寄せて苦笑する。

「それに弁慶は俺や真白のことを守ってくれた。俺は源氏の大将だったのに、人を直接手にかけて殺すことは最後までなかった。それはみんな弁慶のおかげだし」

 真白も弁慶の目を見て言った。

「そして、今ちゃんと未来へ帰してくれる。『時の氷穴』はこのあと、どうするの?」
「研究を見直してもっと安全なものにする。取り敢えず今時点では一時停止する」

 弁慶は、その高い頭の位置から紗那と真白を優しく見下ろす。

「紗那、ちょっと真白を借りていいか?」

 そういうが、弁慶は真白の手を引いてぎゅっと抱きしめた。
 驚く真白の髪に顔を埋めて、大事なものを扱うように背中に手を回す。

「つらい思いをさせて悪かった。でもこれでもう、真白は元の生活に戻れるだろう。そしてオレとは二度と会うことはないだろう。『時の氷穴』は停止させるからな。だから、さいごに言わせてくれ。今までありがとう」

 そういうが、ぱっと離れて、真白に白い紙に書かれた書簡を渡した。

「あとで読めたら読んでくれ」
「うん……」

 どきどきとしてそれを受け取り、弁慶の顔を見ると彼はいつも通りの彼だった。

「じゃあ、行こう」

 そう言うと、『時の氷穴』を作動させる。

 緑色の円陣が、三人を包み込む。
 行先は2017年、9月17日、12時、真白が紗那を探して旅立ったその日の昼頃。
 真白と紗那は二人で現代へと帰ってきたのだった。



 1189年の衣川の館では。
 たった一人で自害している紗那を、藤原泰衡(ふじわらのやすひら)から派遣された軍の将は見た。
 館はもぬけの殻で、紗那の遺体以外は誰もいない。
 軍勢を率いてきた泰衡軍は、あっけにとられた。

「なんだ、これは……すでに自害しているではないか」

 将は驚いて、衣川の館に誰かいないかを部下に細かく調べさせた。
 しかし、下女さえいなかった。

 誰もいない衣川の館で、たった一人自害して果てている紗那の亡骸を見て、将は眉間に皺をよせる。何事がおきたのか、推し量ることはできなかった。
 ただ、将は泰衡に紗那の首を取ってこい、と言われていた。 
 なので、自害している紗那の首を小刀で切り落とすと、それを(しるし)として泰衡のもとへと持って帰って行った。

 将は泰衡に事の次第をすべて話すと、泰衡はうん、と唸った。

「これは、激しい戦いの末に紗那も従者もすべて殺した、ということにしておこう。幸い紗那の首がある。鎌倉への言い訳はいくらでもできる。逃げたものたちを無駄に殺すこともなかろう」
「はっ」

 将は泰衡に頭を下げ、紗那の首は鎌倉へと送られることになったのだった。



 現代に帰ってきた紗那と真白は、それから普通に高校へと通っていた。 
 といっても紗那は現時点で21歳であり、急に背も伸びてしまった印象を受けるが、もともと童顔だった彼は夏休みで成長したのだろう、という事にして押し切った。

 八月の初めから九月の半ばまで行方不明だった紗那は、それまでどうしていたのか、と人に聞かれたが、覚えていない、の一点張りで通した。そしてそっとしておいてほしい、と言って、元の生活に戻って行ったのだった。

 学校の部活が終わると真白は紗那と一緒に下校するようになった。

「ねえ、紗那。私、あの時空の旅の一件で、今まで気が付かなかったことに気が付いた」
「俺も」

 自転車をこぎながら、二人は夕日の中の舗装された道を並んで走る。
 街路樹が両脇に植えてあって、まだ緑色が濃かった。

「それはね、紗那が私にとって大事な人だってこと。いなくなって初めて分かるなんて、私も鈍いよね」

 そう言って真白は照れながら少し赤くなった。
 彼女は、なんとしても紗那を連れ帰るためにと、あの時代を動き回った。
 それは、そうしないと本当に紗那を失うのではないかと不安であったし、行動していないと落ち着かなかったからだ。

「俺だってそうだ。真白が追ってきてくれなかったら、俺は死んでたかもしれない」

 少しの間、二人は無言で自転車を走らせた。

「なあ、あの最後にもらった弁慶からの手紙は、なんて書いてあったんだ?」
「それがね、読めないのよ」

 困った様子で真白が言えば、紗那は驚いた顔をする。

「読めない? なんで?」
「昔の字と書体で読めないの」
「俺が読んでやろうか」

 弁慶が真白に託した手紙を紗那に見せるのはどうかと思ったが、少し考えて読んでもらうことにした。あの時代の文字を読める人に心当たりがなかったからだ。

 家に着くと、真白は紗那を部屋にあげて自分の机に座ってもらい、弁慶からもらった書簡を見せた。
 紗那が書簡を開くと、みみずがのったくったような、達筆すぎて現代人にはよめない字が書かれている。
 紗那はそれに一通り目を通すと、「ふうん」と唸った。

「真白、これは俺がこの手紙の内容をいま言うよりも、訳してあげるから自分で調べてみなよ」
「うん? どうして?」
「訳せば分かる。紙とペンかして」

 そういうが、紗那はさらさらと真白の出したノートへとペンを走らせた。
 それをぱたんと閉じると、インターネットでも調べられるよ、と言って帰ってしまった。

 逃げるように去って行った紗那を不審に思いながら、わざわざ閉じられたノートを開くと、そこには和歌が一首書かれていた。

『陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに  
                          田所 緒十加より』 

 訳してもらってもさっぱりと意味が分からなかった。
 なので和歌の方を、パソコンを立ち上げてインターネットで調べてみる。
 すると、あの源平時代からはもっと前の時代の源氏である、(みなもとの) (とおる)という人の書いた和歌だと分かった。百人一首にも載っている有名な和歌だ。

 署名の方は、「たどころ おとか」と読める。弁慶の本名なのだろう。
 弁慶、今の世では大柄ないかめしい人物像として伝わっている。
 しかし、真白から見るとそれは、義盛と弁慶を足して二で割ったような印象だった。
 英雄義経に仕えた一番の腹心、人々は弁慶にそのような印象を授けて後世に伝えたのかもしれない。

 弁慶のことを考えつつ、パソコンに表示された和歌の意味を読んでみて、真白は頬に涙が流れた。

『誰かのために心を乱すような私ではないのに、あなたのことを思うと私の心は乱れ始める』

 静かに弁慶の心内(こころうち)が、真白に語り掛けてくるような歌だった。



 あの時間の旅は、真白に紗那の大切さを認識させてくれた。
 それと同時に、想ってくれた人の大切さも認識させてくれた。
 もう、永遠に会えない仲間たちとの思い出も。

 その晩、真白はカーテンを開けて、秋の満月を見ながら月が消える朝まであの源平の世を懐かしんだ。
 あの時代から唯一、変わらないもの。
 月はきっとあの源平の世を照らしたように、今も変わらずにこの日本を照らしているだろうから。


 END
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