第10話 身代わり

文字数 3,650文字

 紗那(さな)重清(しげきよ)は、伊勢義盛(いせのよしもり)に連れられて、梶原(かじわら)と彼の馬に相乗りになり、訳の分からないまま源氏の陣へとつれて行かれた。
 弁慶はあとからすぐに来るだろう、ということで、弁慶の帰りをまちながら紗那は梶原と義盛にもてなされた。
 源氏の陣では大将各の人物が使う場所へ通されたようで、義盛は紗那と重清に茶をふるまった。

「ありがとうございます」
「いや、いい」

 義盛はそれだけ言うと、梶原と椅子に腰かけた。

「茶を飲み終わるころには、弁慶も帰ってくるだろう」
「そうですか」
「ときにそこの武者はだれなんだ? 紗那殿の従者か?」

 怖い顔で紗那から片時も離れないようにしている重清を見て義盛が言った。

「わしは紗那の護衛じゃ」
「護衛、ね」

 何か納得できない雰囲気で義盛は重清を眺める。

「なんじゃ」
「いや、なんでもない。おぬし、合戦では誰と戦っていた?」
「平家と戦っていた。だが、今は紗那の敵がわしの敵じゃ」

 義盛は紗那を見てくすりと笑う。

「随分と親しまれているな」
「はあ、なんだかそうなんです」

 両手で持ったお茶をふうと吹きながら、紗那も苦笑する。

「紗那と言ったな、少年。お前はこの先、どう生きていくつもりだ?」

 恰幅のいい梶原景時(かじわらかげとき)が、蛇のような目をして紗那の全身を見つめた。
 見れば見るほど紗那は死んだ義経に似ていたのだ。
 それはいままで身代わりをしていたワタカよりもずっと。

「生きていく……と言ってもここがどこかも分からないし……」

 そもそもの時代が違う、ということを紗那はようやく理解し始めていた。
 はじめは信じられなかったが、逢う人がすべて和装であり、電信柱や電線も道路もない世界。
 そして戦の準備をしている鎧を着た男たち。
 すべてここが昔の時代だと物語っていた。
 しかも、聞くところによると源平時代らしい。
 源平時代は平安時代の末期だから、およそ八百年むかしということになる。

 そんな時代に身一つでどうやって生きて行けというのだ。
 難しい顔をした紗那に梶原が舌なめずりをしそうな顔で言った。

「ならばずっとこの源氏の軍にいたらどうだ? 身の保証は約束する」
「源氏の軍に?」

 その話を聞きながら義盛が大きな腕を組んだ。
 やはり、という懸念が顔にでている。
 梶原はつづけた。

「そうだ、そうすれば食うには困らないし、紗那殿もこの戦乱の世の中で安心していられる」
「梶原殿!」

 紗那に甘い毒を注ぎ込むかのように甘言で惑わす梶原を、義盛が一喝した。
 しかし、梶原はやめない。

「紗那殿、いい話だろう」
「……その代償はなんですか? ただでそんなことをしてくれるわけじゃ、ないでしょう」

 紗那が用心深くそういうと、梶原はくはは、と笑った。

「その通り、話が早くて助かる。紗那殿、君には義経殿としてこの軍にいてほしいのだよ」
「義経として……?」
「そう。先ほどのワタカは死んだ。そこにちょうどおぬしが現れた。おぬしを身代わりにしろとの天の采配だと思ったね」
「そんなこと……やるわけないじゃないか!」

 断った紗那に、梶原は肉付きの良い顔をゆがませた。

「でもそうしないと、その顔じゃ、生きていけない」

 亀井重清も苦渋の顔を浮かべて項垂れた。

「紗那は義経様に瓜二つなのじゃ。そこらを歩いているだけでも平家方に首を狙われるかもしれん……」

 話を聞きながら義盛は、真白が以前言っていたことを思い出して、動かしがたい歴史の歯車を感じた。

――これからくる紗那という少年が、義経の身代わりとなる

 未来からきたものは、預言めいたことを言ったのだ。

 重清が重みをつけて紗那に言った。

「紗那は義経様に似すぎている。平家の兵に襲われたら、わしとて紗那を守り切れん」
「……」

 絶望で項垂れた重清と紗那を見て、梶原が笑った。

「そうだろう。だから源氏の軍で義経殿の身代わりとして働くのが一番おぬしにとっていいのだ。きまりだな」

 そう梶原がいったとき。
 陣の幕がさっと開いて弁慶が戻ってきた。

「ああ、弁慶、戻ったか」
「ワタカはどうした?」

 梶原と義盛の両方に聞かれて、弁慶は落ち着いた様子で語りだした。

「すべて済ませてきた。あとはオレの仕事をするだけだ」
「オレの仕事、とは?」

 梶原が弁慶を見て言う。

「紗那と真白を未来へとかえすこと」

 たんたんと感情のこもらない声で弁慶は言う。
 梶原はそれを聞いてまた含み笑った。

「ああ、それは暫く無理になった。紗那には義経殿として源氏の軍にいてもらうことになったからな」
「義経として?」

 目を丸くする弁慶は義盛を見る。なぜ、とめなかったと厳しい非難の目を向ける。

「手だてがなかった」

 弁慶の視線を受け止めながら、義盛はぽつりと言った。

「まあ、あと一年、紗那は源氏軍にいる約束だろう。一年は紗那を義経様として保護しようじゃないか」
「……」

 無言で弁慶は義盛を非難したが、他に手がないように思える。

「紗那」

 弁慶が紗那を呼ぶ。

「なんですか」
「お前はそれでいいのか?」

 弁慶に聞かれた質問に紗那はあきらめ声で答えた。

「死ぬよりもマシかもな。他に道はないんだってさ」

 そんな紗那を見て、弁慶は踵を返して幕舎から出ていこうとする。
 そして思い出したように紗那に振り返ってこう言った。

「紗那。お前は義経となっても人を殺さなくていい。俺が前に出て戦うから」
「あ、……ああ」

 それだけ言って出ていく。
 自分の名を呼ぶ義盛の声が弁慶には聞こえたが、無視して馬に飛び乗り、走らせた。
 陣から少し遠ざかった場所へ来ると、馬をおりて、誰にも見られないように林に入る。行き場のない怒りを込めて拳で木を強く叩いた。

「紗那……どうして……お前は……ここへ来たんだ……。お前がこなければ真白だってこなかった。こんなことになるならば……。時の氷穴が直った時点で力ずくでもワタカを未来へ連れ帰ったのに……! 紗那を待っている間、ワタカが戦に出て死ぬこともなかったんだ……!」

 もとはと言えば、『時の氷穴』の管理が甘かったせいで、別の時代の二人を、この時代に転移させてしまった。それは弁慶たちのまいた種だ。
 しかし、その代償が彼の弟、義経の身代わりをしていたワタカの死だとは、あまりに重く、理不尽すぎる。弁慶はワタカを失った直後で、そのことを割り切って考えることが今時点で出来なかった。
 さらに、ワタカがやるはずだった、義経として歴史を生きるということ。
 ワタカが死んだ今、それを紗那にしてもらわないと、歴史が大きく変わってしまう。

 紗那、何故この時代にきたんだ――

 小さく呟いた弁慶の独り言は、誰の耳にも入らなかった。



 翌日、朝おきだした紗那は、ちょうど陣へと帰ってきた弁慶と顔を合わせた。

「紗那。義経の身代わりとなることが、どういうことだが分かっているか?」

 顔を合わせたとたんに弁慶はそう聞いてきた。

「正直言ってよく分からない。でも身代わりにならないと死んじゃうんだろう」

 少し不貞腐れたような物言いに、弁慶は紗那を哀れに思った。

「そうむくれるな。……義経は、1189年の4月30日に、東北地方へ逃げた先で自害する。今は、西暦で1184年だ。いまから5年後といえる」
「は? あ? なに急に。でもじゃあ、俺、結局あと5年しか生きられないのか?」
「義経として生きるなら、そこで義経の人生は終わる。でも紗那の人生はその未来にある」

 紗那は首を傾げた。

「どういうことだ?」
「紗那には義経として1189年の衣川の館まではこの時代に居てほしいと思う。そして衣川の館にある『時の氷穴』でオレが必ず未来へ帰してやる」

 紗那は沈んだ目で足元を見た。
 うなだれた様子が哀れだった。

「どうして1189年まで待たなくちゃいけないんだ」
「ワタカが死んだ今、義経として生きるものは、もう紗那しかいない。紗那がやらなくては歴史が変わってしまう」
「……どっちみち、俺には選択肢はないんだよな」
「すまん、紗那」

 あきらめた様子の紗那を見て、弁慶は良心が痛んだ。

「それと……」

 また何か言い出した弁慶に紗那はうんざりと返事をした。

「なに?」
「これを渡しておく」

 弁慶が紗那に渡したのは、一振りの刀だった。

「受け取れ」
「これは……刀?」

 刀を差し出されたことで、紗那は義経の身代わりとなることを実感した。
 しかし、弁慶は紗那の心配とは逆のことを言い出す。

「この刀には刃がついていない。でも護身用に腰に差しておけ。紗那は人を殺さなくていい」

 差し出された刀に紗那はそっと手を伸ばす。
 そして鞘に納められた刀を握ると、弁慶から受け取った。
 ずしりと、本物の刀の重みが手に伝わってくる。

「抜いてみてもいい?」
「ああ」

 刀を真横にもって、すらりと鞘から抜いてみると、銀色の研いでいない刀身が出てきた。
 刃がついていないというのに、本来ひとを殺す為の武器を渡されたことに緊張が走る。

「紗那。戦いはオレがやる。お前は後ろへさがっていていい」

 真剣な目で弁慶に言われ、実際に武器を手にして緊張した紗那は、こくんと素直に頷いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み