第20話 再びの1189年 衣川の館
文字数 3,312文字
まるい月が出ている。
それを衣川の館の縁側で見上げながら、紗那は真白のことを考えた。
紗那は真白との約束をずっと心の支えにしていた。
この衣川の館まで辿り着くまでにも、様々な困難があり、死ぬのではないかという思いもした。
東北地方についてから、奥州当主の藤原秀衡 に助けを求め、奇跡的に紗那は秀衡の保護をうけることに成功した。
世間ではすでに紗那が義経として認知されていたからだ。
しかし、その秀衡が亡くなった。
鎌倉の頼朝は奥州に紗那の首を渡せ、と圧力をかけ、それを秀衡の息子の泰衡 は断れきれなかった。紗那の首をわたせば、平泉は戦場にならなくてすむ。長く栄えた、整えられた奥州の都は、紗那の首一つで守られるのだ。しかも紗那はもともとが義経の替え玉。考える余地などなかった。
「明後日には泰衡の軍が動き出すという、報告が来ています」
伊勢義盛 に黒ずくめの間者が報告する。
衣川の館で紗那 と弁慶、義盛 と重清 の四人はその報告を聞いた。
報告を聞いた亀井重清がいきり立った。
「紗那。紗那は逃げてくれ。わしが紗那の身代わりとなって首を泰衡の軍に差し出す。これでやっと紗那の役にたてるというものだ」
「重清……いいんだよ、そんなことをしなくても」
紗那は意外にも冷静だった。
「もうすぐ、真白がくる。そして、その『首』も来るんだ」
「……は?」
紗那は重清の方を向いた。
「いいか、重清。俺たちはもうすぐ永遠に別れることになる。でも死に別れるんじゃない。違う時代を各々で生きるんだ」
重清は少し悲し気な目をしたが、言葉をはっきりと紡ぎ出した。
「紗那……未来へ帰るということか。そうか、それがいい。それならば紗那は確実に生きられる」
「重清、君も生きるんだよ。もう、俺の為に命をかけるとか、死ぬとか言わなくてもいいんだ。重清の自由に生きていいんだ」
紗那はつよく力を込めて重清に言った。
「義盛も。いままで付き合ってくれて礼を言う。二人とも、よく聞いてくれ」
紗那は二人の顔を見て、そして弁慶の顔を見た。
「二人には、これから100年前に逃げてもらう」
「ひゃ、百年前?」
すっとんきょんな声をあげて重清が目を白黒させた。
「そこでなんとか暮らしていくんだ。この時代では俺の近くにいたせいで頼朝に追われる身となるかもしれない。一応、俺の首も用意してあるけど、百年前なら、頼朝だって絶対に手をだせない。な、弁慶」
紗那が弁慶の方を向くと、彼は顔を下に向けて嘆息し、難しい顔をする。
これまで弁慶と話をして、重清と義盛の身の振り方を二人で考えた。
結果、やはり時間移動が頼朝の目から逃げるのに一番いいということになった。
弁慶ははじめ渋ったが、それしか手がないという事実は、初めからそのような歴史だったのかもしれないと思った。
「仕方がない……。時は収束するというから、まあ、なんとかなるだろう」
時の収束。それは時間の大きな流れ。変えられない事象。
重清と義盛は、最初から過去に飛ぶように運命づけられていたのかもしれない。
「明日には真白がくる。そのときに、オレの弟のワタカもくる」
「ワタカ? なぜ?」
「紗那の『首』を持ってくる予定だ」
いまいち理解に苦しむ義盛と重清に、紗那は自分の計画を事細かに話し出した。
そして翌日、1189年の4月29日。
真白は1185年の屋島から、この衣川 の館 に飛んだ。
円陣が光ると、そこにはすでにワタカが大きな木箱を、浮遊する板に乗せて待っていた。
「久しぶり、真白。真白はすごいことを考えるね。兄さんから聞いた時はびっくりしたよ。でも、とびっきりのを用意してきたよ」
「ありがとうございます、久しぶりですね、ワタカさん」
ワタカのその恰好は、この時代を考慮したものではなかった。
未来の服装であろう、青いつなぎに、白衣を着ていた。
もう、ここでの仕事に和装は必要ないからだろう。
真白の方は前とかわらずに黒い弓道の袴姿だ。
真白たちがワタカの命を救ったおかげで、今、ワタカは存在している。
真白が最初に見た衣川の館のときは、紗那を死なせてしまったが、その歴史ではきっとワタカも死んでいたのだ。
そのせいで弁慶の気も荒らかった。きっと『時の氷穴』を使ってワタカを救いに行きたかったのだろう。
仮定の過去だが、紗那が衣川の館に残ると言わなければ、さっさと時の氷穴で紗那を未来へ帰し、ワタカを救いに行っていたのだと思う。
真白はワタカが持ってくるものを、四年前の『時の氷穴』で弁慶に頼んだのだった。
今、浮遊する板の上にのった木箱だ。
ワタカはその木箱の中に入っているものを造り、この年1189年のこの日に届けてくれた。
ワタカが未来から持ってきてくれたもの――
それは紗那の死体だった。
といっても精巧にできた人形だ。
人工血液、人工皮膚、人工臓器でできた、人形。
それを、木箱に入れている。
「じゃあ、行きましょう」
「ああ」
真白は紗那のもとへ行くべく、衣川の館の丘陵にある氷穴からワタカと出た。
二十九日の昼頃、真白とワタカは衣川の館の門番をしていた弁慶に会った。
「オトカ兄さん、例のもの、もってきたよ」
「ああ。よくやってくれた」
「だって紗那の命がかかってるからね」
弁慶も真白の方へと向く。
「真白もよく無事でここまで辿り着いたな。あともう少しで紗那と帰れるぞ」
「……うん」
そう言うと、弁慶は真白とワタカを先導して衣川の館へと二人を招き入れた。
あとから箱に入った紗那の人形が、宙に浮いてワタカについていった。
館内 で木箱をあけ、ワタカが紗那の人形をみんなに見せると、みんなはうぐっと黙り込んだ。
それは、切腹をして腹に小刀を刺し、口から血を流している紗那の、精巧にできた人形だ。
「これは……本当に人形なのか?」
そう聞く義盛に重清も同意した。
「紗那が二人いる……しかも一方は死んでいる……。気持ちのいいものではないのう……」
ワタカは紗那の人形を、今まで紗那が座していた場所に置くと、そのまま横に寝かせた。
どうみても死体にしかみえないその人形の首を、きっと紗那の首として泰衡の軍がとっていくだろう。
「これは血も出るし、生ものだから腐っていくよ」
「うげっ」
思わず声をあげたのは紗那だった。
いくら人形でも自分そっくりの死体が腐っていくなんて、考えたくない。
そして人形の周りに瓶に入った血液を少しばらまいた。
とたんに血の臭いが漂った。
紗那はその臭いに口元を手で覆う。
「これも人工血液なのか?」
「ああ、そうだよ。といってもこれは臭いを強くしてあるけど。それに本物みたに時間がたてば、変色するし、凝固もする」
「……へえ」
もはやあまりの凝りように、感心を通り越して呆れる。
「じゃあ、『時の氷穴』に行こうか」
ワタカの声で六人は『時の氷穴』へ向けて歩き出した。
肌寒い緑色に光る氷穴内で、五人は本当の最後の別れを惜しんだ。
「紗那、元気で」
義盛がそういえば、重清は泣きながらしきりに袖で涙をぬぐった。
「もう一生会えないなんて……。しかし紗那よ、わしはいつでも紗那の幸福を祈っておるぞ」
「ああ……」
相変らずの重清に紗那は右手を差し出した。
「なんじゃ」
「握手だよ。知らないのか?」
そういうと、重清の右手を取って、自分の手と絡ませる。紗那が強く重清の手を握ると、彼もきゅっと握り返した。
「義盛も」
「ああ」
「元気でな」
二人と握手をすると、氷穴内の円陣の中に義盛と重清が入る。
「さようなら」
涙でにじむ視界で、紗那は二人をじっと見続けた。
苦楽を共にした仲間との、本当に最後の別れ。
もう、二度と会えない。
ワタカは名残惜しそうに別れを惜しむ紗那たちを十分に待ってくれ、そのあとに『時の氷穴』内に自分も操作の為に中に入った。
「はじめに俺がこの二人を百年前に連れて行く。そこで生きていけるように少しの間様子を見てから未来へ帰るよ」
ワタカがそう言うと、弁慶はああ、と頷いた。
「真白と紗那は兄さんにまかす」
「まかせろ」
「じゃ」
そういうが、ワタカは『時の氷穴』を作動させた。
緑色に輝く円陣が三人を包み込み、あっという間に消えていった。
それを衣川の館の縁側で見上げながら、紗那は真白のことを考えた。
紗那は真白との約束をずっと心の支えにしていた。
この衣川の館まで辿り着くまでにも、様々な困難があり、死ぬのではないかという思いもした。
東北地方についてから、奥州当主の
世間ではすでに紗那が義経として認知されていたからだ。
しかし、その秀衡が亡くなった。
鎌倉の頼朝は奥州に紗那の首を渡せ、と圧力をかけ、それを秀衡の息子の
「明後日には泰衡の軍が動き出すという、報告が来ています」
衣川の館で
報告を聞いた亀井重清がいきり立った。
「紗那。紗那は逃げてくれ。わしが紗那の身代わりとなって首を泰衡の軍に差し出す。これでやっと紗那の役にたてるというものだ」
「重清……いいんだよ、そんなことをしなくても」
紗那は意外にも冷静だった。
「もうすぐ、真白がくる。そして、その『首』も来るんだ」
「……は?」
紗那は重清の方を向いた。
「いいか、重清。俺たちはもうすぐ永遠に別れることになる。でも死に別れるんじゃない。違う時代を各々で生きるんだ」
重清は少し悲し気な目をしたが、言葉をはっきりと紡ぎ出した。
「紗那……未来へ帰るということか。そうか、それがいい。それならば紗那は確実に生きられる」
「重清、君も生きるんだよ。もう、俺の為に命をかけるとか、死ぬとか言わなくてもいいんだ。重清の自由に生きていいんだ」
紗那はつよく力を込めて重清に言った。
「義盛も。いままで付き合ってくれて礼を言う。二人とも、よく聞いてくれ」
紗那は二人の顔を見て、そして弁慶の顔を見た。
「二人には、これから100年前に逃げてもらう」
「ひゃ、百年前?」
すっとんきょんな声をあげて重清が目を白黒させた。
「そこでなんとか暮らしていくんだ。この時代では俺の近くにいたせいで頼朝に追われる身となるかもしれない。一応、俺の首も用意してあるけど、百年前なら、頼朝だって絶対に手をだせない。な、弁慶」
紗那が弁慶の方を向くと、彼は顔を下に向けて嘆息し、難しい顔をする。
これまで弁慶と話をして、重清と義盛の身の振り方を二人で考えた。
結果、やはり時間移動が頼朝の目から逃げるのに一番いいということになった。
弁慶ははじめ渋ったが、それしか手がないという事実は、初めからそのような歴史だったのかもしれないと思った。
「仕方がない……。時は収束するというから、まあ、なんとかなるだろう」
時の収束。それは時間の大きな流れ。変えられない事象。
重清と義盛は、最初から過去に飛ぶように運命づけられていたのかもしれない。
「明日には真白がくる。そのときに、オレの弟のワタカもくる」
「ワタカ? なぜ?」
「紗那の『首』を持ってくる予定だ」
いまいち理解に苦しむ義盛と重清に、紗那は自分の計画を事細かに話し出した。
そして翌日、1189年の4月29日。
真白は1185年の屋島から、この
円陣が光ると、そこにはすでにワタカが大きな木箱を、浮遊する板に乗せて待っていた。
「久しぶり、真白。真白はすごいことを考えるね。兄さんから聞いた時はびっくりしたよ。でも、とびっきりのを用意してきたよ」
「ありがとうございます、久しぶりですね、ワタカさん」
ワタカのその恰好は、この時代を考慮したものではなかった。
未来の服装であろう、青いつなぎに、白衣を着ていた。
もう、ここでの仕事に和装は必要ないからだろう。
真白の方は前とかわらずに黒い弓道の袴姿だ。
真白たちがワタカの命を救ったおかげで、今、ワタカは存在している。
真白が最初に見た衣川の館のときは、紗那を死なせてしまったが、その歴史ではきっとワタカも死んでいたのだ。
そのせいで弁慶の気も荒らかった。きっと『時の氷穴』を使ってワタカを救いに行きたかったのだろう。
仮定の過去だが、紗那が衣川の館に残ると言わなければ、さっさと時の氷穴で紗那を未来へ帰し、ワタカを救いに行っていたのだと思う。
真白はワタカが持ってくるものを、四年前の『時の氷穴』で弁慶に頼んだのだった。
今、浮遊する板の上にのった木箱だ。
ワタカはその木箱の中に入っているものを造り、この年1189年のこの日に届けてくれた。
ワタカが未来から持ってきてくれたもの――
それは紗那の死体だった。
といっても精巧にできた人形だ。
人工血液、人工皮膚、人工臓器でできた、人形。
それを、木箱に入れている。
「じゃあ、行きましょう」
「ああ」
真白は紗那のもとへ行くべく、衣川の館の丘陵にある氷穴からワタカと出た。
二十九日の昼頃、真白とワタカは衣川の館の門番をしていた弁慶に会った。
「オトカ兄さん、例のもの、もってきたよ」
「ああ。よくやってくれた」
「だって紗那の命がかかってるからね」
弁慶も真白の方へと向く。
「真白もよく無事でここまで辿り着いたな。あともう少しで紗那と帰れるぞ」
「……うん」
そう言うと、弁慶は真白とワタカを先導して衣川の館へと二人を招き入れた。
あとから箱に入った紗那の人形が、宙に浮いてワタカについていった。
それは、切腹をして腹に小刀を刺し、口から血を流している紗那の、精巧にできた人形だ。
「これは……本当に人形なのか?」
そう聞く義盛に重清も同意した。
「紗那が二人いる……しかも一方は死んでいる……。気持ちのいいものではないのう……」
ワタカは紗那の人形を、今まで紗那が座していた場所に置くと、そのまま横に寝かせた。
どうみても死体にしかみえないその人形の首を、きっと紗那の首として泰衡の軍がとっていくだろう。
「これは血も出るし、生ものだから腐っていくよ」
「うげっ」
思わず声をあげたのは紗那だった。
いくら人形でも自分そっくりの死体が腐っていくなんて、考えたくない。
そして人形の周りに瓶に入った血液を少しばらまいた。
とたんに血の臭いが漂った。
紗那はその臭いに口元を手で覆う。
「これも人工血液なのか?」
「ああ、そうだよ。といってもこれは臭いを強くしてあるけど。それに本物みたに時間がたてば、変色するし、凝固もする」
「……へえ」
もはやあまりの凝りように、感心を通り越して呆れる。
「じゃあ、『時の氷穴』に行こうか」
ワタカの声で六人は『時の氷穴』へ向けて歩き出した。
肌寒い緑色に光る氷穴内で、五人は本当の最後の別れを惜しんだ。
「紗那、元気で」
義盛がそういえば、重清は泣きながらしきりに袖で涙をぬぐった。
「もう一生会えないなんて……。しかし紗那よ、わしはいつでも紗那の幸福を祈っておるぞ」
「ああ……」
相変らずの重清に紗那は右手を差し出した。
「なんじゃ」
「握手だよ。知らないのか?」
そういうと、重清の右手を取って、自分の手と絡ませる。紗那が強く重清の手を握ると、彼もきゅっと握り返した。
「義盛も」
「ああ」
「元気でな」
二人と握手をすると、氷穴内の円陣の中に義盛と重清が入る。
「さようなら」
涙でにじむ視界で、紗那は二人をじっと見続けた。
苦楽を共にした仲間との、本当に最後の別れ。
もう、二度と会えない。
ワタカは名残惜しそうに別れを惜しむ紗那たちを十分に待ってくれ、そのあとに『時の氷穴』内に自分も操作の為に中に入った。
「はじめに俺がこの二人を百年前に連れて行く。そこで生きていけるように少しの間様子を見てから未来へ帰るよ」
ワタカがそう言うと、弁慶はああ、と頷いた。
「真白と紗那は兄さんにまかす」
「まかせろ」
「じゃ」
そういうが、ワタカは『時の氷穴』を作動させた。
緑色に輝く円陣が三人を包み込み、あっという間に消えていった。
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