第18話 志度から壇ノ浦の合戦へ
文字数 3,148文字
陣に帰った紗那と弁慶は、そこで待っていた義盛 と重清 に作戦が成功した旨を伝えた。
「良かったじゃないか」
「うむうむ」
義盛と重清はワタカが助かったことを自分のことのように悦んだ。
とくに重清は紗那が何事もなく無事に帰ってきたことに心の底から安心したのだった。
それからすぐに。
屋島で敗北した平家は四国の志度へと逃げた。
その際に伊勢義盛は策をめぐらし、四国の豪族である平家方の阿波教能 を味方に引き入れた。
同じく平家に従っていた教能 の父、阿波重能 も味方に引き入れることに成功したのだった。
重能 は、壇ノ浦で平家軍として戦うが、途中で平家を裏切り源氏軍につくという約束をした。
源氏軍は海の戦に備えて、熊野水軍などの多数の氏族の水軍を味方に引き入れることにも成功した。
そうして最後の戦い、壇ノ浦の戦いが始まったのだった。
屋島の戦いから約一か月後、1185年4月、紗那は義経の身代わりとして兵を鼓舞するために源氏軍の前の壇上にたった。つきぬけるような晴天の戦日和、といったところか。
きらびやかな鎧が光を反射し、勇猛な印象を見るものに与えた。
「我ら源氏はここ、壇ノ浦まで平家を追い詰めた。おそらくこの戦で平家との戦いは最後となるであろう。平家は海の戦を得意としているが、我ら源氏も十分な水軍がある! 坂東武者と恐れられた我らのちからを見せつけてやろう! 皆の者、最後の戦、勝ち取ろうぞ!」
おうっという津波のような応 えがとどろいた。
時間は正午、とうとう最後の戦が始まったのだ。
「紗那、紗那は後ろにさがっていろ」
弁慶に言われ、紗那は後ろに下がろうとして、思いとどまった。
「みんなが戦っているときに俺だけ後ろには隠れていられない」
「将は後ろにいるものだ。それに、この戦で前線に出れば、人を殺すことになるかもしれない」
「……俺の刀には刃がついてない。大丈夫だろう」
紗那の刀には、万が一でも人を殺さぬように、刃が付いていなかった。
それは弁慶が、人を殺せばもう戻れない、と言って紗那に持たせた刀だ。
何が戻れないのか、は、推して知るべしだろう。
「甘い! そんなことでは死ぬぞ!」
「……」
それを聞いていた梶原景時が、ふんっと笑った。
「初めから替え玉の将だったが、やはり替え玉は替え玉だな。先陣を切る将など聞いたこともない。しょせん、将の器ではなかったのだな」
あざ笑う梶原に紗那はカッとした。
「みんなを戦わせて俺だけ後ろに隠れてはいられない!」
「ならば勝手にするがよい。勝手に戦って勝手に死ぬがいい」
言いたいことを言って梶原景時はその太い身体をゆすって、自分の乗る船へと引き返して行った。
「紗那……どうしても戦いに出るのか?」
心配げに弁慶が紗那の顔を窺 った。
「……ああ」
「ならば……少しの間にしろ。真白との約束を忘れたか」
「……」
「生きて帰るんだろう?」
「ああ……」
それを聞いていた重清が、紗那の隣にたった。
「紗那は俺が命にかけて守ろう」
「重清……」
「紗那は源氏軍の将、狙われるのは目に見えている。それを守るのは源氏軍の兵であるわしの務めじゃ」
「ならば私も紗那を守る」
どこからか義盛もでてきて、紗那の後ろに陣取った。
「後ろの守りはまかせろ」
にこりと笑った重清と、後ろを守ってくれる義盛、前面を守ってくれる弁慶に、紗那は少し申し訳なく感じた。
紗那にはある考えがあった。
それは前線にでていないと、実行できない作戦。
それを実行すれば、確実に勝てるのだ。
海上に船があふれ、平家軍が源氏軍に迫ってきた。
開戦だ。
船は入り乱れ、そこを兵が行き来し、刀をふりあげ敵を討つ。
紗那の後ろでは義盛が刀を抜いて敵を斬っていた。
血の臭いが充満し、紗那は気分が悪くなりそうになる。
弁慶も紗那の前方の敵を斬り、血にまみれている。
重清は紗那の前で敵をけん制していた。
海上は源氏にとっては向かい風で、潮の流れもそうだった。
源氏の舟が平家の船団に押されていく。
いくら水軍をそろえた源氏でも、もともと強い水軍を持っていた平家には勝てないのか、と源氏軍は思った。
そこに。
戦に出ていた紗那が大声をあげたのだ。
「敵の舟の水主 を矢で射れ!」
と。
それを聞いた源氏軍は、平家軍の舟をあやつる水主 を射始めたのだ。
紗那の作戦、それは平家軍の水主を射るというものだった。
紗那の声に反応した兵は、次々に水主を射始めた。
声をあげて何人もの水主が、血を流しながら海に落ちていく。
平家軍の舟は迷走し、兵は源氏軍に討たれていった。
水主を射られた平家軍は、総崩れになって、戦場は混乱した。
さらに今度は、平家軍の舟を押し返すように源氏軍の舟が押して行ったのだ。
「潮の流れが変わったんだ……」
それは源氏軍にとっては天の助けだった。
平家軍を後方へ押し進めると、その後方の陸では義経の兄である範頼 軍がいたのだった。
さらに、平家軍から悲鳴のような声が上がる。
「阿波重能 の軍が裏切ったぞー!」
前もって源氏と約束をしていた重能が、源氏の味方になったのだ。
平家軍は総崩れになり、将もやけくそになって源氏軍に迫って切りかかってくる。
前線に出ていた紗那は、その平家の将である平教経 に目をつけられた。彼は大柄な筋肉質な身体に、戦うもののふの目をしていた。刀をふって紗那の前に仁王立ちになると、大声をあげる。
「源氏軍の将の一人とお見受けする!」
そう言って切りかかってきた教経に、紗那は刃 のついてない剣をすばやく抜き、教経の剣を受けた。
ぎりっと刀がきしむ。
剣が重い。
命のやりとりを初めて身近で感じ、紗那は大きく息を吸って、その剣を力の限りはじき返した。
「やるな!」
さらに追撃しようとする教経をかわし、大きく後ろに跳躍する。
紗那が勝てる相手ではなかった。
教経 と紗那の間に重清 が入り、また刀を交わしあう。
「紗那、もういい、後方へ! あとはわしにまかせるんじゃ!」
重清と教経が激しく打ち合う。
しかし、重清は大きく教経に押されていた。
何合が打ち合い、防ぎきれない角度で刀が迫ってくると思ったとき。
ふいに平家の後方から大声がかかった。
「教経 よ。もう、そんなに罪深いことをするな」
見事な鎧に身を包み、錦 の直垂 をはいた、平家の将だった。
それは、平家の大将である平知盛 の声だ。
戦の行方が明確になった今、無駄に殺生 をすることもないと教経をいさめたのだ。
教経は刀をひく。
「ちっ」
大きく舌打ちをすると、重清の剣を大きくはじいた。
剣を手放さなかったのが、奇跡のような強い力だった。
「命拾いしたな、小僧」
重清はしびれる腕を片手でかばう。痛みで呆然としていると、教経は刀を捨てて舟の淵にうしろ向きに立ったのだった。
そこへ教経に切りかかった源氏の兵二人をねじり伏せて両方の脇に挟み込んだ。
「そこの小僧に死出の旅の供をしてもらおうと思ったが、お前らでいい。俺の供をせよ」
教経は源氏の兵を両脇に挟んだまま、重清の目の前でうしろから海に向かって身を投げた。
紗那は重清が盾になってくれたおかげで、弁慶に先導されて後方へと退却した。
弁慶が平家の兵を斬るたびに、血を噴き出しながら人間が人形のように舟から落ちていく。海の色は血の赤で染まり、血の臭いがあたりに充満している。
紗那はそれを吐き気がする思いで見ながら、彼のあとをついて後方へと下がって行った。
『人を殺したら、もう戻れない』
みんなにばかり戦わせるのは悪いと思っていた紗那だが、認識が甘かった。
弁慶が言っていたことを紗那は改めて理解した。
紗那が後方の自陣へと下がったそのころには、もう戦局は初めとは大きく変化し、源氏軍の勝利はゆるぎないものとなっていた。
「良かったじゃないか」
「うむうむ」
義盛と重清はワタカが助かったことを自分のことのように悦んだ。
とくに重清は紗那が何事もなく無事に帰ってきたことに心の底から安心したのだった。
それからすぐに。
屋島で敗北した平家は四国の志度へと逃げた。
その際に伊勢義盛は策をめぐらし、四国の豪族である平家方の
同じく平家に従っていた
源氏軍は海の戦に備えて、熊野水軍などの多数の氏族の水軍を味方に引き入れることにも成功した。
そうして最後の戦い、壇ノ浦の戦いが始まったのだった。
屋島の戦いから約一か月後、1185年4月、紗那は義経の身代わりとして兵を鼓舞するために源氏軍の前の壇上にたった。つきぬけるような晴天の戦日和、といったところか。
きらびやかな鎧が光を反射し、勇猛な印象を見るものに与えた。
「我ら源氏はここ、壇ノ浦まで平家を追い詰めた。おそらくこの戦で平家との戦いは最後となるであろう。平家は海の戦を得意としているが、我ら源氏も十分な水軍がある! 坂東武者と恐れられた我らのちからを見せつけてやろう! 皆の者、最後の戦、勝ち取ろうぞ!」
おうっという津波のような
時間は正午、とうとう最後の戦が始まったのだ。
「紗那、紗那は後ろにさがっていろ」
弁慶に言われ、紗那は後ろに下がろうとして、思いとどまった。
「みんなが戦っているときに俺だけ後ろには隠れていられない」
「将は後ろにいるものだ。それに、この戦で前線に出れば、人を殺すことになるかもしれない」
「……俺の刀には刃がついてない。大丈夫だろう」
紗那の刀には、万が一でも人を殺さぬように、刃が付いていなかった。
それは弁慶が、人を殺せばもう戻れない、と言って紗那に持たせた刀だ。
何が戻れないのか、は、推して知るべしだろう。
「甘い! そんなことでは死ぬぞ!」
「……」
それを聞いていた梶原景時が、ふんっと笑った。
「初めから替え玉の将だったが、やはり替え玉は替え玉だな。先陣を切る将など聞いたこともない。しょせん、将の器ではなかったのだな」
あざ笑う梶原に紗那はカッとした。
「みんなを戦わせて俺だけ後ろに隠れてはいられない!」
「ならば勝手にするがよい。勝手に戦って勝手に死ぬがいい」
言いたいことを言って梶原景時はその太い身体をゆすって、自分の乗る船へと引き返して行った。
「紗那……どうしても戦いに出るのか?」
心配げに弁慶が紗那の顔を
「……ああ」
「ならば……少しの間にしろ。真白との約束を忘れたか」
「……」
「生きて帰るんだろう?」
「ああ……」
それを聞いていた重清が、紗那の隣にたった。
「紗那は俺が命にかけて守ろう」
「重清……」
「紗那は源氏軍の将、狙われるのは目に見えている。それを守るのは源氏軍の兵であるわしの務めじゃ」
「ならば私も紗那を守る」
どこからか義盛もでてきて、紗那の後ろに陣取った。
「後ろの守りはまかせろ」
にこりと笑った重清と、後ろを守ってくれる義盛、前面を守ってくれる弁慶に、紗那は少し申し訳なく感じた。
紗那にはある考えがあった。
それは前線にでていないと、実行できない作戦。
それを実行すれば、確実に勝てるのだ。
海上に船があふれ、平家軍が源氏軍に迫ってきた。
開戦だ。
船は入り乱れ、そこを兵が行き来し、刀をふりあげ敵を討つ。
紗那の後ろでは義盛が刀を抜いて敵を斬っていた。
血の臭いが充満し、紗那は気分が悪くなりそうになる。
弁慶も紗那の前方の敵を斬り、血にまみれている。
重清は紗那の前で敵をけん制していた。
海上は源氏にとっては向かい風で、潮の流れもそうだった。
源氏の舟が平家の船団に押されていく。
いくら水軍をそろえた源氏でも、もともと強い水軍を持っていた平家には勝てないのか、と源氏軍は思った。
そこに。
戦に出ていた紗那が大声をあげたのだ。
「敵の舟の
と。
それを聞いた源氏軍は、平家軍の舟をあやつる
紗那の作戦、それは平家軍の水主を射るというものだった。
紗那の声に反応した兵は、次々に水主を射始めた。
声をあげて何人もの水主が、血を流しながら海に落ちていく。
平家軍の舟は迷走し、兵は源氏軍に討たれていった。
水主を射られた平家軍は、総崩れになって、戦場は混乱した。
さらに今度は、平家軍の舟を押し返すように源氏軍の舟が押して行ったのだ。
「潮の流れが変わったんだ……」
それは源氏軍にとっては天の助けだった。
平家軍を後方へ押し進めると、その後方の陸では義経の兄である
さらに、平家軍から悲鳴のような声が上がる。
「
前もって源氏と約束をしていた重能が、源氏の味方になったのだ。
平家軍は総崩れになり、将もやけくそになって源氏軍に迫って切りかかってくる。
前線に出ていた紗那は、その平家の将である
「源氏軍の将の一人とお見受けする!」
そう言って切りかかってきた教経に、紗那は
ぎりっと刀がきしむ。
剣が重い。
命のやりとりを初めて身近で感じ、紗那は大きく息を吸って、その剣を力の限りはじき返した。
「やるな!」
さらに追撃しようとする教経をかわし、大きく後ろに跳躍する。
紗那が勝てる相手ではなかった。
「紗那、もういい、後方へ! あとはわしにまかせるんじゃ!」
重清と教経が激しく打ち合う。
しかし、重清は大きく教経に押されていた。
何合が打ち合い、防ぎきれない角度で刀が迫ってくると思ったとき。
ふいに平家の後方から大声がかかった。
「
見事な鎧に身を包み、
それは、平家の大将である平
戦の行方が明確になった今、無駄に
教経は刀をひく。
「ちっ」
大きく舌打ちをすると、重清の剣を大きくはじいた。
剣を手放さなかったのが、奇跡のような強い力だった。
「命拾いしたな、小僧」
重清はしびれる腕を片手でかばう。痛みで呆然としていると、教経は刀を捨てて舟の淵にうしろ向きに立ったのだった。
そこへ教経に切りかかった源氏の兵二人をねじり伏せて両方の脇に挟み込んだ。
「そこの小僧に死出の旅の供をしてもらおうと思ったが、お前らでいい。俺の供をせよ」
教経は源氏の兵を両脇に挟んだまま、重清の目の前でうしろから海に向かって身を投げた。
紗那は重清が盾になってくれたおかげで、弁慶に先導されて後方へと退却した。
弁慶が平家の兵を斬るたびに、血を噴き出しながら人間が人形のように舟から落ちていく。海の色は血の赤で染まり、血の臭いがあたりに充満している。
紗那はそれを吐き気がする思いで見ながら、彼のあとをついて後方へと下がって行った。
『人を殺したら、もう戻れない』
みんなにばかり戦わせるのは悪いと思っていた紗那だが、認識が甘かった。
弁慶が言っていたことを紗那は改めて理解した。
紗那が後方の自陣へと下がったそのころには、もう戦局は初めとは大きく変化し、源氏軍の勝利はゆるぎないものとなっていた。
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