第12話 那須与一と真白

文字数 1,903文字

 陣から出た紗那たちは、海にただよう扇を掲げた小舟を見た。

「紗那、おそらくあれは、あの扇の的を射よ、ということだろう」

 重清(しげきよ)紗那(さな)の後ろから答えた。

「矢で扇を落とせと、そういうことか」

 紗那は大きく顔をゆがめた。

「当然、大将である俺に向かって挑発しているんだろうな」
「いや、紗那。紗那があそこに行けば、平家から矢が飛んでくるかもしれん。しかし、源氏の兵にあの扇を射らせれば、源氏の面目もたつというもの」
「そうか……」

 紗那は大きな声を上げた。

「だれか、あの的を射ることのできる者はいないか!」

 源氏軍に紗那の声が響き渡ったが、だれも返事をするものはいなかった。
 当然といえる。これは源氏軍の面目の問題なのだ。
 重責を背負う上に、失敗すれば源氏軍の恥となり切腹はまぬがれない。

「わしがやろう」

 重清が弓をもって前に進み出た。紗那の為に死ぬと言っているだけあって、危険なことでも彼はすすんでその役を引き受けたのだった。
 しかし。

「いいえ、私がやるわ」

 その声をさえぎったものがいた。真白だ。

「おなごは黙ってみているんじゃ」
「でも、私なら外さない」

 重清と真白の間で、視線がからみあった。

「自分が何を言っているのか分かっているのか! これは源氏の面目がかかっている。外したらおなごといえど切腹なのじゃぞ!」

「それは重清さんだって一緒じゃない。でも私は扇の的を外さないわ」
「なぜ、そう言える」
「『時の収束』っていうんでしょ、ね、弁慶。与一は謎の人物として今でもその詳細が分かってない。憶測としての人物像しかね。ならば私が与一になって的を射る!」

 真白は眉を吊り上げて重清と弁慶を見比べた。

「弓の経験は?」
「弓道をずっとやってたわ」
「……ならば、やらせてみればいい」

 弁慶は重清に言う。

「何を! 弁慶殿まで! それに時の収束ってなんじゃ! わけがわからん。わしは紗那の為ならば死んでもいいのじゃ!」
「ならば無駄死にはしないで! 今は私に任せて大事なときに紗那を守って!」
「なっ……」

 真白の強い剣幕に重清は押し黙った。

「誰か、弓をもってきてやれ」

 弁慶が兵に命じる。
 紗那は心配気に真白を見た。

「真白……。……俺ができればそうしているところなんだが」
「いいえ、大丈夫。時が収束するなら、私が的を外すことはないんだから」

 心配気なのは弁慶も一緒だった。

「たしかに、いま与一となれる人物は真白だけだ。これで真白が矢を当てれば、後世の人々は、真白に与一という名前をつけて、もっともらしく話を作ってくれるだろう」

 真白の元に大きな弓が届けられた。
 的までの距離的にみてもちょうどいい弓の大きさで、張りも良かった。
 矢は鏑矢(かぶらや)という、少し変わった矢だった。先が二股にわかれている。
 弓道と勝手が違い、真白はすこし戸惑ったが、大丈夫だと自分を納得させる。

 扇を射る者が決まった様子を見た両軍は、真白を十五、六歳の袴姿の兵だと思い込んだ。

 身長よりも大きな弓をもって、真白は扇の正面の波打ち際にたつ。
 大きく息を吸い、弓を構える。
 源氏軍も平家軍も、だれも物音ひとつたてなかった。

 北風がびゅうと吹いた。
 扇がその風にふらりふらりと揺れている。
 真白は神経を集中して、弓を引いていく。

 風よ、やんで!

 ぎりぎりと弦を引き絞って、風がやむのを待つ。
 すると、神に祈りが通じたのか、風が一瞬やんだ。

 勢いよく真白は矢を放った。
 びゅうっと大きな音をたてて矢は飛んでいく。
 しかし、矢は扇とは大きくそれた上方へと飛んでいってしまう。
 誰もが的を外した、と思った。
 しかし、またもや吹いた強い風が、矢を扇の方へ流し、失速した矢は下方へ向かった。

 そして、まるで的に吸い寄せられるように、扇へと命中したのだった。


 わっとその場が人の声で沸いた。
 敵である平家の船からも、賞賛の喝采が聞こえる。
 味方の源氏側も、兵は両手を上げてうなりのような喝采をあげた。

「真白、よくやった! 正直、生きた心地がしなかった」

 紗那は真白を抱きしめ、背中をたたいた。真白は緊張が解けてその場で腰が抜けそうだった。それでも気丈に立って紗那を抱きしめ返した。

「大丈夫っていったじゃない」

 力が抜けて紗那の腕によりかかる。

「本当に射るとは……見上げたおなごじゃな」

 重清は感心して真白を見た。

 扇を落とされた平家の小舟に、こんどは女房が出てきて、舞を一つ舞った。
 あっぱれ、という賞賛の意味なのだろう。

 源氏軍も平家軍も、真っ赤な夕日の中で舞うその女房を見て、ひと時の休戦を楽しんだのだった。

 そして女房が一通り舞い終わると、平家の船団は沖へと向かって消えていった。 
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