第17話 紗那の願い
文字数 2,521文字
『D(H)-E(KA)118503222400』
『時の氷穴』は深夜、もとの1185年の屋島の戦いのあった月へと真白たちを運んだ。
ワタカは助かり未来へ。
弁慶は紗那を見守るために、この時代へ残った。
エアバイクも未来へと返してきた。
そして真白は――
「弁慶、真白はいっときこの時代を離れた方がいいんじゃないかな」
紗那が『時の氷穴』でそう言った。
「え、どうして? 紗那を置いて自分だけ元の時代になんて帰れないよ」
「元の世界には俺も帰る。でももっと先の話だ」
そう紗那は真白に言うと、弁慶に向き直った。
「弁慶。俺は1189年の衣川の館まで、この歴史を紡いでいくつもりだ。それが義経の最期だから。そして、俺を慕ってくれる重清と義盛を――この時代から過去の、頼朝や梶原の手が届かない時代へ行かせてやってほしいんだ」
「前にも言ったがそれは駄目だ。人間はその時代を生きなければ、大きな歴史的矛盾が生まれてしまう」
「どうしても駄目か?」
「ああ」
むっと弁慶は押し黙る。
「真白も、この時代から俺が帰ろうと思っている日、1189年の4月29日の朝に飛んでほしいんだ」
1189年4月……それは義経が藤原泰衡 の軍勢に攻められたときだ。
真白が一番初めに紗那を死なせてしまった歴史。
それを、今度は覆すのだ。
二十九日なら泰衡の襲撃よりも一日早い。
やはり紗那も一日早い時点で現代に帰ることを計画しているのだ。
でも、そんなにすんなりと事が進むだろうか。
一度、紗那を死なせてしまった歴史を体験した真白は、何か手を打たないと紗那はまたあの運命をたどるのではないかと思った。
そのとき、真白は天啓がひらめいた。
頭の中でその計画を反芻してみると、上手くいく様な気がした。
これなら紗那を死なせずに現代へ帰せる。
「ねえ、弁慶に頼みたいことがあるんだけど――」
真白は弁慶に向き直ると、その頼みごとをつぶやいた。
「なんと……」
「ああ……」
弁慶と紗那は、それを聞いてなるほどと、首を縦に振った。
「これで準備は万端だな。弁慶、真白との約束をよろしく頼むよ。そして真白、真白は今から1189年に飛んでくれ。これからは志度の戦いと、最後の壇ノ浦の戦いが待っている。それに真白を巻き込むわけにはいかないだろ?」
にこりと笑んで紗那は真白を安心させようとする。
紗那は逞しくなった、と真白は思った。体格ではなく、心が。
真白を危険な目に合わせないよう、自分だけこの時代からあと四年も過ごすというのだ。
それに義経は衣川の館までも、困難な道を歩んでたどりつくのだ。
それをやってみせるという。
並大抵の根性ではない。
真白は紗那のお荷物にはなりたくなかった。
今、自分がすべきことは、紗那が待つという未来へ飛ぶことだ。
「……分かった。1189年に飛ぶわ。でも紗那、絶対に来てね。私は待ってるから」
「ああ、必ず行く」
紗那は真白を自分の腕に引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。
「真白は俺を助けに、時代も超えて追いかけてきてくれた。そんな真白の心を無碍 にはしないよ。必ず生きて一緒に帰ろう」
「うん」
真白はぐっと涙をこらえて、ぎゅっと目をつむった。
かたく抱き合う二人を、弁慶は少しだけ寂しい気持ちで眺めた。
二人とも弁慶にとっては大事な存在だけれど。
真白がワタカを救うといいだしていなければ、弁慶は心の休まる暇はなかっただろう。
感謝とともに、思慕の念が湧き上がってきていた。
しばらくそうして抱き合っていた二人が離れると、我に返った弁慶は自分のやるべきことをする。
『時の氷穴』へ向かって操作を始めた。
「時代は1189年、岩手県の平泉、だな」
「ああ。真白をそこへ送ってくれ」
弁慶は氷壁に表示される緑色の光を指でくるくるとまわす。
『E(KA)-G(I) 118904290600』
字数列が緑色に光る。
「この字数列は、都合よく場所と時代が並ぶよな」
紗那がいえば、弁慶はさらりと答えた。
「ワタカを未来へ送ったとき、ついでに全氷穴を関連付けてプリセットしなおしたからだ」
「プリセット?」
言葉の意味がいまいちわからなくて、紗那はおうむ返しに弁慶に聞いた。
「前もって設定して調整してあるということだ。もともとある程度のプリセットはしておいたが、未来へ帰ったときに設定しなおしておいた」
「じゃあ、ある一定の場所と時間にしか、移動できないのか?」
紗那が心配すると、弁慶はにこりと笑った。
その顔は武士のそれではなく、研究者としての相手を安心させる笑みだった。
そういう顔を見ると、彼は本当にこの時代の人物ではなく、また自分たちの時代の人物でもないのだな、と改めて紗那は思うのだった。
「手動で細かく字数列を並べれば、どの時代、どの時間でも行ける。ただ、場所だけはある特定の場所にしかいけないな」
「特定の場所って?」
「義経にまつわる場所だ」
なぜ、義経にまつわる場所なのか。聞かなくても分かる。
それはワタカと紗那が義経の身代わりとなっているからだろう。
弁慶はその二人の守護者なのだ。
その自分の使命の為に都合のいいように『時の氷穴』をプリセットしたのだ。
「さあ、準備はできた。真白、行け」
弁慶の言葉に紗那が真白の手を放す。
二人の手は名残惜しそうにゆっくりと離れて行く。
真白が紗那の手を離して、『時の氷穴』の円陣に一人で立つと、紗那と弁慶は頬笑んでいた。
「じゃあ、四年後に」
紗那が静かに言う。
「真白、『時の氷穴』を作動させて、時空移動するんだ」
「紗那! 絶対に生きて! そして一緒に帰るのよ! 約束して!」
これからたどる義経の過酷な人生を、真白は知っている。
図書館で借りた、『義経の一生』という本である程度読んだから。
だから、なんとしてもくじけないで欲しかった。
「ああ、約束する」
紗那の落ち着いた声に真白は泣きそうになる。
「約束よ……そのときに一緒に帰ろう……」
涙がまたあふれてくる。
せっかく会えたのに、また離れてしまう。
真白は『時の氷穴』の円陣の外にいる紗那に抱きつきたいのをぐっと堪えた。
そして、緑色に光る文字列の並んだ氷壁に両手をついて、『時の氷穴』を作動させた。
『時の氷穴』は深夜、もとの1185年の屋島の戦いのあった月へと真白たちを運んだ。
ワタカは助かり未来へ。
弁慶は紗那を見守るために、この時代へ残った。
エアバイクも未来へと返してきた。
そして真白は――
「弁慶、真白はいっときこの時代を離れた方がいいんじゃないかな」
紗那が『時の氷穴』でそう言った。
「え、どうして? 紗那を置いて自分だけ元の時代になんて帰れないよ」
「元の世界には俺も帰る。でももっと先の話だ」
そう紗那は真白に言うと、弁慶に向き直った。
「弁慶。俺は1189年の衣川の館まで、この歴史を紡いでいくつもりだ。それが義経の最期だから。そして、俺を慕ってくれる重清と義盛を――この時代から過去の、頼朝や梶原の手が届かない時代へ行かせてやってほしいんだ」
「前にも言ったがそれは駄目だ。人間はその時代を生きなければ、大きな歴史的矛盾が生まれてしまう」
「どうしても駄目か?」
「ああ」
むっと弁慶は押し黙る。
「真白も、この時代から俺が帰ろうと思っている日、1189年の4月29日の朝に飛んでほしいんだ」
1189年4月……それは義経が
真白が一番初めに紗那を死なせてしまった歴史。
それを、今度は覆すのだ。
二十九日なら泰衡の襲撃よりも一日早い。
やはり紗那も一日早い時点で現代に帰ることを計画しているのだ。
でも、そんなにすんなりと事が進むだろうか。
一度、紗那を死なせてしまった歴史を体験した真白は、何か手を打たないと紗那はまたあの運命をたどるのではないかと思った。
そのとき、真白は天啓がひらめいた。
頭の中でその計画を反芻してみると、上手くいく様な気がした。
これなら紗那を死なせずに現代へ帰せる。
「ねえ、弁慶に頼みたいことがあるんだけど――」
真白は弁慶に向き直ると、その頼みごとをつぶやいた。
「なんと……」
「ああ……」
弁慶と紗那は、それを聞いてなるほどと、首を縦に振った。
「これで準備は万端だな。弁慶、真白との約束をよろしく頼むよ。そして真白、真白は今から1189年に飛んでくれ。これからは志度の戦いと、最後の壇ノ浦の戦いが待っている。それに真白を巻き込むわけにはいかないだろ?」
にこりと笑んで紗那は真白を安心させようとする。
紗那は逞しくなった、と真白は思った。体格ではなく、心が。
真白を危険な目に合わせないよう、自分だけこの時代からあと四年も過ごすというのだ。
それに義経は衣川の館までも、困難な道を歩んでたどりつくのだ。
それをやってみせるという。
並大抵の根性ではない。
真白は紗那のお荷物にはなりたくなかった。
今、自分がすべきことは、紗那が待つという未来へ飛ぶことだ。
「……分かった。1189年に飛ぶわ。でも紗那、絶対に来てね。私は待ってるから」
「ああ、必ず行く」
紗那は真白を自分の腕に引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。
「真白は俺を助けに、時代も超えて追いかけてきてくれた。そんな真白の心を
「うん」
真白はぐっと涙をこらえて、ぎゅっと目をつむった。
かたく抱き合う二人を、弁慶は少しだけ寂しい気持ちで眺めた。
二人とも弁慶にとっては大事な存在だけれど。
真白がワタカを救うといいだしていなければ、弁慶は心の休まる暇はなかっただろう。
感謝とともに、思慕の念が湧き上がってきていた。
しばらくそうして抱き合っていた二人が離れると、我に返った弁慶は自分のやるべきことをする。
『時の氷穴』へ向かって操作を始めた。
「時代は1189年、岩手県の平泉、だな」
「ああ。真白をそこへ送ってくれ」
弁慶は氷壁に表示される緑色の光を指でくるくるとまわす。
『E(KA)-G(I) 118904290600』
字数列が緑色に光る。
「この字数列は、都合よく場所と時代が並ぶよな」
紗那がいえば、弁慶はさらりと答えた。
「ワタカを未来へ送ったとき、ついでに全氷穴を関連付けてプリセットしなおしたからだ」
「プリセット?」
言葉の意味がいまいちわからなくて、紗那はおうむ返しに弁慶に聞いた。
「前もって設定して調整してあるということだ。もともとある程度のプリセットはしておいたが、未来へ帰ったときに設定しなおしておいた」
「じゃあ、ある一定の場所と時間にしか、移動できないのか?」
紗那が心配すると、弁慶はにこりと笑った。
その顔は武士のそれではなく、研究者としての相手を安心させる笑みだった。
そういう顔を見ると、彼は本当にこの時代の人物ではなく、また自分たちの時代の人物でもないのだな、と改めて紗那は思うのだった。
「手動で細かく字数列を並べれば、どの時代、どの時間でも行ける。ただ、場所だけはある特定の場所にしかいけないな」
「特定の場所って?」
「義経にまつわる場所だ」
なぜ、義経にまつわる場所なのか。聞かなくても分かる。
それはワタカと紗那が義経の身代わりとなっているからだろう。
弁慶はその二人の守護者なのだ。
その自分の使命の為に都合のいいように『時の氷穴』をプリセットしたのだ。
「さあ、準備はできた。真白、行け」
弁慶の言葉に紗那が真白の手を放す。
二人の手は名残惜しそうにゆっくりと離れて行く。
真白が紗那の手を離して、『時の氷穴』の円陣に一人で立つと、紗那と弁慶は頬笑んでいた。
「じゃあ、四年後に」
紗那が静かに言う。
「真白、『時の氷穴』を作動させて、時空移動するんだ」
「紗那! 絶対に生きて! そして一緒に帰るのよ! 約束して!」
これからたどる義経の過酷な人生を、真白は知っている。
図書館で借りた、『義経の一生』という本である程度読んだから。
だから、なんとしてもくじけないで欲しかった。
「ああ、約束する」
紗那の落ち着いた声に真白は泣きそうになる。
「約束よ……そのときに一緒に帰ろう……」
涙がまたあふれてくる。
せっかく会えたのに、また離れてしまう。
真白は『時の氷穴』の円陣の外にいる紗那に抱きつきたいのをぐっと堪えた。
そして、緑色に光る文字列の並んだ氷壁に両手をついて、『時の氷穴』を作動させた。
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