第2話 謎の氷穴

文字数 2,628文字

 真白は木々の間を通り、山の中腹にある氷穴の入口にたった。
 ここを見たら、もう帰ろう。
 そう思って中に入る。
 とたんに、中から冷気が吹いてきて、真白の身体を包み込んだ。
 氷穴だけあって、吹きつける風は冷たい。
 九月の上旬である今時点、外気はまだ暑いがここだけは特別に寒かった。
 一歩ずつ中に入ると、肌が冷えていくのを感じる。

 六、七メートルほど進むと、薄暗くなっていき、太陽の光が届かなくなる寸前で氷の壁が見えた。
そこで行き止まりになっている。

「紗那、紗那、どこかにいるの?」

 ぽつりとそう言えば、真白の声が反響して氷穴内に響いた。
 前を向いて氷を見ると、そこに何かが書きつけてある。
 いや、光る文字が浮かび上がっている。
 何だろうと思って、真白はカバンを降ろしてその数字に魅入った。

『X(S)―D(H)118403211200』

 アルファベットと十二ケタの数字が氷の奥で緑色に発光していた。

「な、なに? これ」

 警察の発表にもなかった現象が、そこではおきていた。真白自身も紗那が失踪してから初めてこの裏山に入ったが、失踪前にはこんな字数列は無かったのではないかと思う。少なくとも、真白が最後にここに来たときには、無かった。

 それにしても不思議だ。ヒカリゴケを並べたのだろうか。
 それが氷で閉じ込められたのだろうか。
 そっとその表示の表面を指で撫でると、くるんと数字が動き出す。
 真白はびくりと腕をひっこめた。
 恐る恐るもう一度触ると、またくるんと数字がうごく。
 まるで指で動かしたように、真白が数字の上を撫でると表示が変わって行った。
 不思議に思いながら適当に動かしていて、不意に真白は我に返った。

「なんだか字数列がめちゃになっちゃった……」

 珍しがって動かしたせいで、最初の字数列からはまったく違うものになってしまった。

『X(S)―G(I)118904300600』

 今は最初とは全く違う配列の字数を見て、真白は首を傾げる。
 このアルファベットと数字はなんなのだろう。
 何気なく氷に両手をついて、何か変化がないか確かめた。
 氷穴に一際冷たい風が舞った。

 くらりと眩暈がした、と思った。
 足元に円陣が緑色に光り、身体が浮く感覚がした。
 気が付くと、太陽の光が氷穴に深く差し込んでいた。

「あれ?」

 おかしい。さっきは氷穴の半分ほどしか差していなかった太陽の光が、奥深くまで差し込んでいるなんて。氷穴の冷気も手伝って、真白の肌に鳥肌が浮いた。

「帰ろう」

 急いで脇に置いてあったカバンを手に取り、誰に言うとでもなくそう呟いて氷穴の外に出た。
 淡い色の()()があたりに萌えていた。
 さっきと様子の違う山の様子に、真白はさらに不安になる。
 それに山に入る前と比べて外の気温がぐっと下がっていた。
 太陽の位置も来た時よりもずっと下だ。今は夜が明けたばかりのようだった。

「うっそでしょう……。さっきは九時ごろだったのに」

 時計を見るとちょうど六時を指していた。
 山を下りようとして、この山がさきほどの裏山でないことに気が付く。
 この山は紗那の家の裏山よりも、もっと大きい山だった。山の下にはわりと大きな川が流れているのが見える。
 丘陵といった感じの山で、見晴らしがいい。

「ここ、どこ?」

 さっきまでの裏山ではない、肌寒い山に一人でいると色々なことが思い浮かんだ。

 ここは、さっきまでの場所とは違う。
 わたし、神隠しにあったんだ。

 だから、きっと、紗那はここにいる。

 真白は確信をもってその丘陵を歩き出した。山道がある程度踏み分けられている。
 人が踏んだ硬い道に沿って丘陵を下って行くと、途中に純日本風の瓦屋根の館が見えた。

 周りを黒い木の塀で囲まれ、大きな黒い門には一人の美丈夫な男が館の外の見張りをしている。
 背が高くて、美形という言葉の意味が良くわかる男だった。長い黒髪を後ろで一本に結わえ、ほりの深い少し吊り目気味の二重の目に、形のいい唇、ほどよく焼けた素肌もきめ細かい、細身の男だ。
 博物館などで見る昔の鎧を着ていて、その長身よりも長い薙刀(なぎなた)をもって、腰にも二本の刀を差していた。
 きれいな顔だが、目がとても鋭くて、口元も厳しく引き締まっている。話しかけたら斬られそうだと真白は思った。
 真白は数秒、身体を固くした。緊張でごくんと喉を鳴らす。山鳥が彼女の上できい、と鳴いた。

 その鳥の声で男が真白の方へ向き、彼女を目でとらえた。
 館へと向かう道を歩いて下っていった真白は、すぐに男に見つかった。彼は薙刀をもって、真白へと向かって大股で歩いてくる。

「だれだ。間者か」

 厳しく問われ、真白は怯んだ。
 男のもつ殺気が、真白をすくませる。
 真白はかすれる声を振り絞った。

「紗那をしりませんか? 桜井紗那っていう男なんですけど」

 だめでもともと、紗那のことを聞いてみた。 
 そういうと、男の殺気が消え、目元が少し緩んだ。

「紗那の……、ああ、よく見れば真白じゃないか。服が違うから分からなかった」

 その男は真白に近づきながら、知り合いに話すように砕けた調子で彼女に対しはじめた。
 服……彼女が着ているのは、高校の制服であるブレザーだ。
 それが違う?

「は……? 私のこと知ってるんですか」
「知ってるもなにもオレたちは知り合いだろう。オレを忘れたか。それともからかっているのか」

 男は形のいい目を胡散臭そうに細めた。

「からかってなんて無いわよ。そっちこそ誰なの?」

 真剣にそういう真白に男は首を傾げる。
 不思議そうに真白を見ると、口元に手をあてて考え込むような仕種をした。

「お前は水成真白だよな」
「そうよ」
「他人の空似ではないなら、なぜオレのことが分からない。ああ、そうか、今時点で初めてここへ来たんだな」
「……言ってる意味が分からない」

 その男のいうことは全くもって意味が分からず、真白は少し怖くなった。
 そんな気持ちを込めて弱々しく返事をすれば、男は溜息をつく。

「紗那を助けにきたのか」
「助けに? やっぱり紗那はここにいるのね。いるのなら連れて帰りたいよ。紗那は今そんなに大変なの?」

 男はくっと含み笑う。
 謎の男は紗那の知り合いらしいのに、何か冷たい雰囲気が漂っていた。

「貴方は誰なの」

「オレ? オレは武蔵坊弁慶だ。ついでに言うと今はとても切羽詰まっている。早くここから逃げることをお勧めする。そうしないとお前、死ぬぞ」

 弁慶と名乗った男は、真白の目を見て厳しく言い放った。
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