・詰め詰めりんご(くるりんご)

文字数 1,939文字

 くるりんご。
 という名を外に出て老若男女に訊ねたら、そのうちの何人が「知っているよ」と言うのだろうか。
 答えを言うと、歌わせるための音源装置(?)ボーカロイドを使って自作曲をこしらえる、いわゆる「ボカロP」の一人である。それはもう数々の曲をこしらえて、動画投稿サイトにアップしては人気を(はく)していた。
「いた」と過去形になるのが淋しい。くるりんご氏は一度引退し、その後別名義で「犬丸芝居小屋」という四人組ユニットのメンバーの一人としてなおも曲を作っていたが、しばらくして全てのオリジナル動画は削除されてしまった。
 理由はよく分からない。このエッセイを書くために少しだけ調べたが、いわゆる「ネットの良くない側面」に絡まれて、一部の悪口雑言に曲作りの意欲を失ってしまったらしい。
 さて、私の手元にはそのくるりんご氏のアルバムがある。四枚組のそのアルバム、予約注文して、たしか4400円くらいだったか。
 しばらくしてもう一度自分のレビューをチェックしにいくと、その時点で値段は5万円に跳ね上がっていた。そして数日前、「もしやそろそろ動画の方も、DVDになってやしないか」と淡い期待を持って「くるりんご」をアマゾンで検索した。するとDVDはなく、何となしに見返した手持ちのアルバム「詰め詰めりんご」の出品の値段。
 14万9980円!!
 自分の目が壊れたのかと疑った。何度もなんどもパソコンの画面を見返して、それでも信じられない思いでシャットダウンして、大きく息を吐き出した。
 翌日まだむぐむぐする胸を抱えて、今度は「犬丸芝居小屋」のCDを検索した。こちらもえらい値段の跳ね上がりようである。
 父親に報告したら、「早く売れ!!」と笑いながら冗談を言われた。いやいや、売る気などむろん無い。今ここで手放してしまったら、こちとらにはもう二度と手に入らないではないか!
 それほどにこの曲たちが好きだ。
「詰め詰めりんご」の中でも、特に好きな一曲がある。「幸福な少年」という歌だ。
『ある少年のおはなし』という機械の声で曲は始まる。「白い部屋の白いベッドの上」で少年は語り出す。
「急に足出しひっかけてせせら笑ったり」「操りすぎでその声を出せなくさせてしまったり」人間はいろんなことをする。
「『お先まっくらだ』と放ちゆるりと風吹く屋上から ダイブしてみたり」……この言葉で意志の(こぶし)を胸に食らったように息が詰まる。そんな聴き手に向かい、少年は「生きるのは良いことだよ」「もっと優しく生きようよ」という意味のことを変わらず淡々と語りかける。
 歌詞の二番目でも、やはり人間はいろいろ後ろ向きのことをする。
「人の良さそうな顔して近づき裏切ってみたり」「きれいに咲いた花畑キャタピラで潰したり」
「明日ある少年少女に中古の機関銃持たせ 引き金引かせたり」。
 もう「胸に拳」ではすまない、涙腺に爆撃を受けたようだ。泣きながら曲を聴く自分に、少年はなおも語る。「三度の食事が出来るから何にも問題ない」「雨風を(しの)いでぐっすり寝られるから(なお)良し」と。
 そして最後のさいごになって、「お医者様手を貸して ちょっとバランスが取れない」と、少年は生きるのもやっとの病人であることを明かすのだ。
 曲を聴きながら、涙しながら、どこかで「甘いねおぼっちゃん」と思っていた自分の胸は、ここで一発で打ち砕かれた。そう心づいて聴き返せば、序盤から少年は「自分はちょっと特殊な環境にいてね」とさりげなく明かしていた。
 完敗である。満ち足りたおぼっちゃんが語れば、「ただの甘ちゃんの思い込み」と一蹴(いっしゅう)されそうな理想の歌は、明日も知れない重病人の少年が語ることで美しい物語に花開いた。
 そうして、私の受けた衝撃と感動は、実は動画で初めて曲を知ったところが大きい。決して「うまい」とは言えないくるりんご氏本人の絵柄だが、何とも言えない他の人には決して出せない味がある。
 そうして、だんだんと歌詞が明らかになる表示であるから、世界観が分かってくる衝撃も感動も、正直CDとはケタ違いなのだ。動画があってこそ、CDの素晴らしさも改めて理解出来るのである。
 だから、この先どれだけ「CDの希少価値」が下がろうとも構わない。どうかくるりんご氏と犬丸芝居小屋のメンバーの皆さんに、オリジナル動画の数々をあげ直していただきたい。そうしてぜひ、CDも再販していただきたい。
 14万9980円。
 2021年1月24日、現在のこの数字は、断じて「これを売るともうかるぞ」という下衆(げす)な意思だけが形になったものではない。
 それだけ曲を聴きたい人がいる、それだけのお金を手放してでも、自分の部屋に大事に置いておきたいと……。そのひたむきな熱い願いが、形となったものなのだ。(了)
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