第12話 今昔聖

文字数 3,338文字

 その夢の中では白い羽織袴姿の女性が日本刀を構えている。流星刀だ。どんな魔物でも祓うことのできる伝説の刀。
 女性の白く整った顔は冷たく表情に乏しい。だが全身からは凄まじい闘気が立ちのぼり、その艶やかな黒髪もゆらゆらと上へ上へと揺れている。
 その刀で自分も殺されてしまうかもしれないのに不思議と恐怖はない。むしろそれを期待している。
 これで三度目だ。それにしても何故この夢をまた見るようになったのか?
 スズケンは何かの兆しではないかと思った。
 一番初めに見たときはまだ元号が大正だった頃。そしてムーアが現れた。彼は美術商で、ある刀を探しており、古い文献に当たっているうちに鈴木家にたどり着いたらしい。
 十七世紀に魔物祓いに使われた『流星刀』、鈴木家の先祖は刀鍛冶でその刀を造った。当主は何も知らなかった。だが、吸血鬼であるスズケンを匿っているような感じになっているため、ムーアを警戒していた。屋敷に出入りさせて家に伝わる古い文献を見せても大丈夫だろうかと、スズケンに相談があった。
 刀の夢を見ていたので、それは仏の導きではないかとスズケンはムーアの申し出を受けるようにと当主に伝えた。当主はスズケンがそう言うならと申し出を受けた。
 そのうち当主がまたスズケンのところに相談にやって来た。外国人のムーアが日本語の文献を読み解くのは難しく、当主の娘が手助けをしていたのだが、どうも二人が恋仲になってしまったらしく、許していいものかという内容だった。まだ国際結婚など非常に珍しかった時代だ。
 当主は予知夢さながらの不思議な夢を見るスズケンを、まるで神仏に近い存在と思っていた。鈴木家の経営する会社の事業から親族の健康問題や縁談まで相談される。面倒見のいいスズケンは親身になって助言する。それが不思議といい方向に向かう。
 娘についての夢は見なかった。それならばと、彼の人間性を見極めてほしいと当主に頼まれ、彼と会った。
 一目で人間ではないと分かった。スズケンはそのことを当主に教えるべきか随分迷った。ムーアは誠実そうで好感が持てたが、吸血鬼だ。当主の娘はそのことを知らない。
 そもそも流星刀を探す目的は何なのか?スズケンは徐々に探ろうと思っていた。場合によっては手荒いこともせねばならぬと覚悟をしていたが、交流するうちに彼の人柄が分かってきて友情のようなものが芽生えた。そのうち、お互い腹を割って話をするときが来た。そして彼の真意を知ることになる。
 ムーアが流星刀を探す目的は自殺だった。彼は純血種、なかなか死ねない。事情があり血族とも縁を切っているため、孤独感も深い。仕事で関わった日本の超絶技巧の美術工芸品が彼の心の慰めになった。本物の果物や植物と見紛うような牙彫の安藤緑山、宝石にもひけをとらない七宝の並河靖之などに魅了された。いつか日本に行きたい。そして日本の美術工芸品を研究してみたい。彼自身も職人だったからだ。そして彼は伝説の『流星刀』の復活を夢見るようになる。その刀さえあれば自分で自分の命を終わらせることができる。同じ吸血鬼として、長い長い時を孤独に生きなければならない辛さは、スズケンにも十分理解できた。スズケンも文献を読み解く手助けを積極的に買ってでた。
 半年以上の時間は掛かったが、流星刀は隕石から造られたことが分かった。そこからがまた大変で、隕石探しに時間が掛かった。そして試行錯誤を重ね、ムーアが苦労して復活させた。時はすでに二十年以上経過していた。何本も造ったが満足の行く出来だったのはたった二本。一本はムーアが持ち、残り一本は鈴木家に渡された。
 ところがその刀は、当時の当主の息子が出征時に持ち出し、彼の戦死によって失われてしまった。
 そして鈴木家の人々も戦死や空襲で次々亡くなり、朋友ムーアも戦争の影響で出国せざるえなくなった。スズケンは鈴木家の分家筋に身を寄せることになった。

 二回目に夢を見たときは太平洋戦争後の混乱期、実際に彼女が現れた。日本刀を携えた若い女性に純血種が一刀両断にされたと聞き、流星刀だとあの夢が現実になったとすぐに思い当たった。どういうわけか、鈴木家から流出した刀が、吸血鬼狩りの手に渡ってしまったのだろうとスズケンは推察していた。
 彼女の存在は一年も経たぬうちに吸血鬼たちの間に知れ渡った。無敵だと思われていた純血種も彼女に次々倒されていった。人間を襲おうとした現場に彼女が現れる。神出鬼没で東京にいたかと思えば、数時間後には大阪、名古屋、福岡、神戸とあちこちに出没する。複数いるのではないかとも思うほどだ。彼女は何者なのか、人間なのか、吸血鬼なのか、それともそれ以外の何かなのか、スズケンは見当もつかなかった。純血種の吸血鬼たちは密かに集まり対策を練った。しかし今まで無敵だった純血種が十人掛かっても、彼女を止められない。スズケンの昔の仲間も数人殺された。
 それでも彼は彼女と闘う気がしなかった。自分たちのように呪われた存在は滅ぼされた方がいいのかもしれない。そうは言っても身を隠した方がいいと当時の鈴木家の当主に説得され、この地にやって来た。鈴木家が代々所有するこの山で、毎日欠かさず読経、山道の整備などをし、今でも一人、静かに暮らしている。山で彼に出くわすことがあっても、剃髪し、墨染めの衣を身につけた姿なのでどこか近くに山寺があり、そこのお坊さんなのだろうと思われるくらいだろう。ただ筋骨隆々、かなり大柄で目立つ男ではあるが……。まあ、この山で鈴木家以外の人間に会うことはまずない。時々、ムーアが訪ねて来てくれるが……。そう、二人はまだ付き合いがあるのだ。彼は今はヴァルカンと名を変えている。
 昨日彼から急に連絡が入った。スズケンのところに来たいと言う。足の悪い彼は夫人のエツコが運転する車でやって来た。車から降りたヴァルカンとスズケンは軽く会釈を交わした。エツコが慌ててヴァルカンに手を貸す。
 エツコは相変わらず美しい。知的で透明感がある。スズケンはセツ子のことを思い出した。ヴァルカンは本当に幸運な男だ。
「スズケン様、ご無沙汰しております」
「エツコ、ヴァンミア展は首尾よくいったのであろう。良かったな。体調はどうだ?」
「お陰様で。有り難うございます。身体の方も変わりありません」
「それは良かった。今日はゆっくりしていきなさい」
「折角なのですが、わたくしはお屋敷の方に呼ばれておりまして、これからすぐ参ります。奥様方の茶会の着物の着付けを頼まれました」
「そうか、残念だな」
 いつもならエツコとスズケンの会話に入ってくるヴァルカンがずっと黙っている。
 エツコがまた車に乗って去っていったあと、ヴァルカンがやっと口を開いた。
「私のところに日本刀の鑑定依頼が来たのだよ」
「ほう……日本刀とな」
 スズケンはそう言ったきり、ヴァルカンの次の言葉を待った。
「……不動という名前に聞き覚えはないか?」
「……ないな。聞いたことがない」
「不動正宗という人物から手紙が来たのだ。所有の日本刀をこの私に見て欲しいそうだ」
「妙だな……」
「そうだろう?このジョー・ヴァルカンに絵画ではなく日本刀の鑑定だぞ?」
「そういうことか……」
 それであの夢を見たのだ。ヴァルカンの周辺で流星刀絡みで何かが起きようとしている。
「夢を見たのだな」
 スズケンのその様子を見て、ヴァルカンは納得したらしい。
「鈴木家から流出したあの刀だったら取り戻さねばならぬ。あれは使い方一つ間違えば、我々全体に悪影響を及ぼす。死ぬ者も出かねない」
 スズケンの表情が曇る。
「この頃、私の身辺を嗅ぎ回っている者がいるようだ」
「警戒した弟殿の仕業かも知れぬと言っていただろう?」
「ハーキュリーズではない。会って話してそう確信した。何者かは分からぬ。不動という者も気になる。スズケン、そなたの力を借りたい。エツコや娘に知られて心配を掛けたくはない」
「あいわかった。流星刀が関係するなら、我も無関係ではおられぬ。その不動という者のこと調べてみよう」
 久々に山を降りることになる。人間の世界は今どんな感じなのだろう?人間に紛れて暮らしている昔の仲間にも会いたいものだとスズケンは考えていた。
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