第9話 Madalaine

文字数 2,666文字

 夜の帳が降りる頃、人々がこのクラブに集まってくる。近年のインバウンド景気で国際色豊かだ。その中には多少人間ではないものも混じってはいるようだが……。 
 彼氏の伽羅と連れ立ってマデリンは中に入っていった。その際、入り口に立っていた黒服が彼女を全身舐め回すように見ているのを感じた。まあいつものことだ。身体にぴったりしたシルバーの超ミニのドレスは彼女の褐色の肌によく映えた。痩せてもいないが太くもない、バネがありそうな体つき。彼女がダンサーだと知れば納得できる。そして金髪に染めた長い髪に小さな顔、大きな茶色い瞳、スッと通った鼻筋、肉感的な唇。そのゴージャスな美貌は人目を引く。男たちのなかには無遠慮に口笛を吹く者もいる。そうでなければ感嘆の声を漏らす。彼女の隣にいる伽羅が鋭い目付きで見据えると男たちは目線を反らした。
 切れ長の眼でキリリと整った顔立ちのアジア系男子。170センチは優に越える彼女より頭一つ分高い。髪型は一見長髪のツーブロック、後ろでギュッと一つに結わえられている。長い手足、スラッとした肢体に黒いレザーを纏い、チラッと覗く首や胸は墨絵のような刺青が彫られていて、何とも危ない色気を漂わせている。とにかく目立つ二人だ。VIPルームに入ると、そこにいた男女のグループが慌てて彼に挨拶をして出て行った。伽羅はこのクラブの常連だ。オーナーとも親しいらしい。
 伽羅はタトゥーアーティストで、このクラブで知り合った。日本語があまり得意でないマデリンは英語が堪能な彼には安心して話せた。そのうち彼女は彼に夢中になっていた。美しく冷たい印象の彼だったが、マデリンにはとにかく優しい。でも父親のヴァルカンは彼のことをよく思っていない。
 父とはずっと疎遠だった。父と母とは結婚していない。母親のマリアはアフリカ系の人間の女性だ。モデルをしていた。自分と付き合っている男性が人間ではなくヴァンパイアであると知ると父の前から姿を消した。妊娠は後から判った。一人で産み、子供を人間として育てようとしていた。ところが自分が不治の病となり余命いくばくもないのに、子どもはヴァンパイアの本能に目覚め始めた。そんな事態になり、ヴァルカンを頼るしかなくなった。
 その頃には父親は別の人間の女性と結婚していた。日本人のエツコ。絵画研究者で、美術品コレクターの父とは似合いの夫婦だった。継母は優しかったが、日本での暮らしにマデリンは馴染めなかった。結局、イギリスの全寮制の学校で教育を受けた。父とエツコの邪魔になりたくなかった。居場所がないまま少女時代を過ごした。
 マデリンの父親はヨーロッパ起源の純血のヴァンパイア、古い王家に繋がる血筋ということで、相手がヴァンパイアであっても、ある者には崇拝の対象に、またある者には命を狙われるという面倒な立場にいる。おまけにマデリンは女だ。ヴァンパイアは何故か女性が少ない。まして王族の血を引くマデリンは好奇の的となる。父親はそれを異常に心配していた。
 成長するにつれ、マデリンは段々実の母親の生き写しのようになっていった。自分が美しく人目を引くと気づいてから、心の隙間を埋めるように恋愛を繰り返した。大抵上手くいかない。恋人はすぐ出来る。だが半分ヴァンパイアであることが影を落とす。
 母が彼女に望んだように人間として生きたい。でも人間の血なしには生きられない。いくら愛しても人間の男性とは長く一緒にいられない。いつ正体が判ってしまうか常に怯えている。ヴァンパイアにも人間にもなりきれない中途半端な存在。
 同じ境遇である伽羅と出会ったことで、マデリンは初めてそういう感情を話すことが出来た。彼も父親がヴァンパイアで、人間の女性との間に生まれた。両親の仲はすぐに破綻し、彼は二人の間を行き来していたという。結局、どちらの生活にも馴染めず、親元を飛び出し、世界中を転転としたらしい。親と縁が薄いのも似ていた。伽羅を愛している。父に反対されても別れるつもりはない。 
 そもそもマデリンが日本に来たのは、継母のエツコが体調を崩したことをきっかけに、父親が精神不安定になったからだ。二年ほど前にエツコは乳癌になった。手術は成功したのだが、今度は父が深く沈み込むようになった。エツコに頼まれて、マデリンは父のいる日本に生活の拠点を移した。実の娘がいるとヴァルカンも心強いだろうということだった。
 父は愛する妻エツコが死ぬことが怖くなったのだ。人間であるエツコがやがて死んでしまうとは頭では分かっていた。それが病気をきっかけに、実感を伴って彼の心に重くのしかかった。
 エツコは口には出さないけれど、夫が自殺してしまうのではないかと恐れている。自分が死ねば、彼が後を追おうとするのではないかと……。だからマデリンを呼び寄せたのだ。
 あたしは父の生きる理由になるのだろうか。
 マデリンにはそうは思えなかった。父の一番はいつだってエツコだ。でも父親は父親。放ってはおけなかった。父のために日本に戻って来たのに、ここで伽羅と出会い、彼のことで父と険悪になっているとは、どこまでもしっくりいかない父娘だ。マデリンは父親と恋人の板挟みになっていた。 
今日も京都の別荘で叔父たちを招いた集まりがあるので、顔を出すように言われたが、行っていない。父親の魂胆は分かっていた。叔父の一人とマデリンの仲を取り持ち、伽羅と別れさせたいのだ。今でこそ叔父との結婚など少なくなったが、昔はヴァンパイアの貴族の間では近親婚はよくあることだった。
 今日、父からマデリンのスマートフォンに何度もテキストメッセージが入っていたが、ずっと既読無視にしていた。またメッセージの着信音が鳴った。しつこいので、まだ東京だから無理だと返信しようかと思った。
「お父さんからでしょう?返事してあげなよ」
 伽羅が察して言ってくれた。
「放っておけばいいのよ」
「君のパパは僕のことを束縛が好きな彼氏だと思っているよ。嫌われてしまうと困る」
「パパはあなたを嫌ってなんてないわ」
「今日だって僕は呼ばれてないよね」
「血縁だけの集まりらしいわ」
「ベイビー、君と出会って僕は変わったよ。家族を持つのも悪くないと思ったんだ。だから君のパパに悪い印象を与えたくない。君の将来の計画に僕が入ってるなら、一度正式に挨拶に行かせてよ。さぁ、パパに電話しておいで」
 マデリンの額に軽くキスをして、彼女の腰にまわしていた手を放した。嫌だとも言えずマデリンは電話を掛けるため、VIPルームの外へ出ていった。
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