第8話 Welcome to the edge of love 

文字数 2,305文字


 綺莉絵はエツコ夫人に呼び出された。綺莉絵の勤務上がりに、「一緒にアフタヌーンティーでもどう?一度行ってみたかったの」と誘われた。美術館近くのカフェの個室を予約したという。そこでは美味しいスコーン、ケーキ、サンドイッチなどが食べられて、もう晩御飯要らないなと思うくらい綺莉絵は堪能していた。
「ここはエリクソンさんに教えてもらったの。彼、紅茶が好きらしいわ。あなたとも来たんじゃないの?」
「でもほとんど彼は食べないんです。そのときは何故か分からなかったけど、彼は……」
 君が食べるのを見てるよと微笑んでいた。
「そうね。彼は人間の食べ物にあまり興味がない。ジョーだってそうよ」 
「ヴァルカンさんは彼のお兄さんだって…」
 百歳以上年が離れているが、彼らは兄弟だという。聞かされたときは綺莉絵も驚いた。エリクソンは女性的な顔立ち、色白で金髪に薄い目の色だが、ヴァルカンは男っぽい精悍な顔つきで色白でもないし黒い目と髪だ。どちらかというと真逆。
「あまり似ていないけれど、二人は血を分けた兄弟よ。サイクスさんともね。ジョーの場合はエリクソンさんよりも徹底してるかも。紅茶だって飲まないわ。純血種はそうなんだって。ジョーったら君が食べるのを見ているのが好きなんだとか言って……」
 兄弟で一緒の言い訳をしている。
「出会った頃の彼、本当に素敵だったの。物知りだし、まあ、六百年も生きているんだから当たり前なんだけども……。彼ったら私の前に別の人間の女性と付き合っていたの」
 エツコは一度だけ彼女に会ったことがある。名前はマリア。ファッションモデルで男の人が好きになる典型的なタイプ。ヴァルカンにはそぐわない感じがした。その予感は当たり、彼女は突然何も告げず彼の前から姿を消した。ヴァルカンはヴァンパイアであることを彼女に気付かれ拒絶されたと思った。相当辛かったが、結局それが彼女の意思だと思って尊重することにした。
 エツコとヴァルカンはその頃は仕事仲間で友人で、彼がヴァンパイアだということは知らなかった。落ち込む彼を慰めているうちに、気付けば好きになっていた。元から好きだったのかもしれない。エツコは綺莉絵に話しながら当時を思い出していた。
「ある時ヴァンパイアだと打ち明けられて……。随分迷ったそうよ。また拒絶されたらって怖かったんだって。でも君の目を誤魔化せない。積み重ねた嘘で、やがて君まで失ってしまうことになるって……。エツコのことを諦めたくないって。わたくしも彼を諦めたくなかった。マリアに対する対抗心じゃないけど、結局わたくしは彼と共に生きると決めた。実際、彼から離れて生きていけなかった。苦労も承知の上で結婚したの。自分で決めたことだから……。色々あったけれど、それでも彼の傍にいられてしあわせだった。一番大変だったのは結婚して十年目、マデリン、義理の娘の名前ね、突然彼女が私たちの前に現れたの」
 マリアはヴァルカンの子を産んでいたのだった。何度も堕胎を考えたけれど、結局できず、最後は産んで人間として育てようと決心したのだという。でもマデリンは普通の子どもではない。周りに正体を知られてはいけない。マリアの心労は相当なものだっただろう。やがて彼女は病に倒れた。
「マリアは自分がもう長くないと分かっていたの。だからマデリンの父親であるジョーを頼るしかなかった。それにマデリンはヴァンパイアの本能に目覚め始めていた。人間には到底理解できない血の渇きよ。それをどうやって抑制するのか、人間に教えられると思えない。同じヴァンパイアでなければ無理だわ。その意味でもジョーが必要だったの」
 そこまで言った後、エツコは寂しげに微笑んだ。綺莉絵は最初その意味が分からなかったが、エツコの次の言葉で胸が締め付けられた。
「マデリンはとてもいい子に育ったわ。あの子がいれば、わたくしがいなくなってもジョーは大丈夫」
 エツコは癌サヴァイヴァーだ。再発の可能性がある。あとどれくらいヴァルカンの傍にいられるかわからない。エツコとヴァルカンが深く愛し合っていることは、綺莉絵もよく分かっていた。ヴァルカンがエツコとの別れに耐えられると思えなかった。寿命の長さが極端に違う。ヴァンパイアと人間が愛し合うと避けられぬ問題なのだ。
 場の空気が重くなったのを察したのか、エツコは急に綺莉絵たちのことに話題を変えた。
「綺莉絵さんが戸惑うのは分かるわ。人間同士でも大変なのに、ヴァンパイアだとか、生まれ変わりとか……。わたくしはあの絵の前であなたを初めて見かけたとき、すごく不思議な気持ちになったの。インスピレーションのようなものよ。それであなたの名前を知ったとき運命だと思った。キリエと綺莉絵。正直、生まれ変わりなんて半信半疑だった。でもあなたとエリクソンさんはお互いに惹かれ合っている」
「彼は良い人だと思います」
「あなたの気持ちが大切よ。彼もそれは理解しているわ。自分の心に正直にね」
「それがよく分からないんです」
 綺莉絵は男の人が苦手なはずが、エリクソンだけには自分から触れることができ、彼に触れられても嫌ではなかったことをエツコに話した。この間の血液アイスの一件も。
「彼を傷つけたんじゃないかと思って……。自分でも落ち込んでしまって。でも受け入れられないのに、中途半端に期待させるようなこと悪いし、どうしたらいいんだろう?」
「まあ、時間はあるわけだし、よく考えて。
わたくしで良ければいつでも話を聞きますよ」
「有り難うございます」
 エツコ以外、誰にも相談できないと綺莉絵は思った。自分を恋人の生まれ変わりと信じるヴァンパイアに愛されているなんて。

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