第5話 兄弟の再会

文字数 3,513文字

「ヘファイストス。兄上……」
 顔を上げると、長い間会わなかった弟がそこにいた。やはり父親によく似ている。美男なのは変わらないが、顔相が柔らかくなって歳を重ねた魅力が出ている。それに比べると自分は良い歳の取り方をしているだろうかとヴァルカンは思った。
「ハーキュリーズ……。そなたはますます父上に似てきたな。息災だったか?」
「その名前で私を呼ばないでくれ」
 今でもハーキュリーズと呼ばれるのを嫌うのか、初めて会ったときもそうだったとヴァルカンは思い出していた。四百年以上経つ。恐ろしく昔のことだ。そしてヴァルカン自身もヘファイストスとは呼ばれることはなくなっていた。
「ではお互い呼んで欲しい名前で呼び合おうか?ヴァルカンと呼んでくれ。ジョーでもいい」
「私を日本に呼び寄せた目的を教えてもらおうか?」
 ヴァンパイアの社会も複雑になり、純血種の貴族ですら今は統率が取れていない。長らくの王の不在、あまたの新勢力の台頭、人間も交え、ヴァンパイア同士が殺し合う。自分の情報が漏れると致命的になる。たとえ血を分けた兄弟であっても油断できない。エリクソンの警戒ぶりは当然のことだとヘファイストスは思った。
 それにしても、エリクソンの貫禄ときたら、拒まれることなど一切想定していない、その威厳、威圧感、父親譲りだと思う。同じ父親を持ちながら、何故こうも違うのだろう。
 ヴァルカンは生まれつき足が悪かった。彼の母親はヴァンパイアの貴族であり、純血種なのだから身体能力だって図抜けて高いはずなのだが、足のせいで他の兄弟たちに劣等感を抱いていた。エリクソンは母親こそ人間だったが、誰よりも父の能力や強さを引き継いでいた。あの事件が起こるまでは後継者として考えられていた。キリエが死んでから、仲の良かったこの兄弟の状況はすっかり変わってしまった。
 もし、自分の足が悪くなければ、あのときキリエを守れただろうか?とヴァルカンは何度罪の意識に苛まれたことだろう。彼ですらこうなのに、恋人であったエリクソンの苦しみは計り知れない。キリエを殺され、正気を失った彼は村一つを壊滅状態にしてしまった。罪のない者が死んでいった。手のつけられなくなったエリクソンを最後は父が強力な雷を落として失神させた。その後、エリクソンは追放されたと聞いた。詳細は父から明かされたことはなかった。伯爵からも異母弟の消息を聞くこともなくなった。
 そして兄弟は今日まで会うことがなかった。
「キリエを守ってやれず、すまなかった。そのことをずっと謝りたかった」
「あれは兄上のせいではない。悪いのはあの女だ。そして私が彼女を守れなかったんだ」
「ユヴェントスがしたことは許されない。お前に殺されてもしかたないと思っている。同時に兄として妹を殺されたくないと思ってしまっている。すまない」 
 キリエが死ぬことになったのはユヴェントスが裏で複数の人物を操ったせいだ。エリクソンにとっては八つ裂きにして殺しても足りないほど憎い相手だろう。複雑なのは、ユヴェントスがエリクソンにとっても腹違いの姉ということ。
「兄上、あの綺莉絵という女性が理由で私を呼び寄せたのか?」
「綺莉絵に会ったのだな?やはりキリエの生まれ変わりなのか?」
「ああ、間違いなく彼女だ。外見は全く違っている。だが、私には分かる。本当に生まれ変わってきたんだ」
 エリクソンは感に堪えないという感じで目を閉じた。ヴァルカンはエリクソンの手を掴んだ。伝えておかなければと思った。ヴァンミアのあの絵の前で、妻のエツコが綺莉絵と出逢ったこと。キリエと同じ名前を持つ綺莉絵。偶然とは思えなかった。ヴァンミアがエリクソンであることをその時点でエツコは確信していたこと。ヴァルカンはもっと以前からヴァンミアの正体に気づいていた。『約束』を手に入れたのも、今回の展覧会を企画したのも、エリクソンを呼び寄せるためだった。綺莉絵に会わせたかった。そのためにヴァンミアとエリクソンを結びつける者がいて、結果的にエリクソンを困難な状況に追いやる可能性があったとしてもやる価値はあると思った。
 一気に話してから、ヴァルカンは自分達以外の気配がすることに気づいた。
「サイクスだ。我々の一番下の弟になる。どうしても一緒に行くと言ってきかなかった」
 エリクソンが言うと、ヴァルコニー側の窓が開き、ふっと人影が現れた。エリクソンに、いや彼らの父親に良く似た面差しの若者が眼光鋭くこちらを伺っていた。
 ヴァルカンにとっては初めて見る弟だった。でも間違いなく父の子だと思った。
「アドメトスだな?」
「その名で俺を呼ぶな」
 サイクスもエリクソンと同じく本名で呼ばれることを嫌う。サイクスは人間である母の方の姓だ。エリクソンも母方の姓で呼ばれる方を好んでいたから、二人は自然にお互いの母方の姓で呼び合っている。
「父上はこの子が産まれてしばらくは一緒に生活していたらしいが、そのあといなくなった。私が親代わりで育てた」
 エリクソンが言った。まるでセントジャーメイン伯爵とエリクソンの関係のようだ。
「俺には親父なんていないと思っている。記憶がないし、家族と呼べるのもエリクソンだけだ」
 サイクスはヴァルカンのすぐ前までやってきた。
「血が繋がっているのに殺し合ったり陥れたり、あきれた連中だぜ」
「サイクス。兄上は奴等と違う。聞いていただろう?」
「一度エリクソンを殺そうしたんだろう?こんな奴の言うこと信用できるのか?」
「あれは違う。私は生まれつき足が悪いんだ。エリクソンを殺せると思うか?アレスがエリクソンを殺しに行こうとしたのを止めようとしただけなのに巻き込まれたんだ」
「アレスって誰だよ?」
 サイクスは初めて聞く名前らしく戸惑っていた。ヴァルカンが答える。
「アレスは私の上の兄だ。母親が同じでな。ユヴェントスも同じ母親だ」
「つまり、アレス、お前、ユヴェントスはあの正妻の子ってことか?きょうだいが多すぎて混乱する」
「そうだな。あと父上と人間の女性たちとの間に子がいるが、多分もうこの世にいない。私が把握しているのはお前たち二人だけだ。そもそも無事に生まれてくる子の方が珍しい。たとえ無事育っても母上が刺客を送って殺してしまう」
「お前の母親、俺のことも殺そうとしたよな?俺が覚えているだけで三回は刺客送ってきたぞ。その度にエリクソンが助けてくれたんだ。そうじゃなきゃ俺も死んでた」
「すまない」
「純血種の女ってのは揃いも揃って恐ろしいな。親父が人間の女に走るのが分かる気がする」
「サイクス。やめろ。私たちにとっては敵でも兄上にとっては実の母親なんだ」
「俺はエリクソンと違って物分かりがよくないんだ」
 サイクスがそう返したときだった。部屋のドアがノックされた。「あなた?」と呼び掛ける女性の声がした。
「妻だ」
 ドアが開いて、着物姿の女性が中に入ってきた。美しい人だった。
「エツコだ。二人に会うのを楽しみしていた」とヴァルカンが言うと、エツコが優雅に会釈した。その気品に圧倒されて、エリクソンたちも思わずそれに倣った。
「お二人ともようこそ日本へ。エリクソンさん、あなたを日本へお招きしたのはこのわたくしです。ヴァンミアの研究者として是非とも日本で展覧会を開きたかったんです。ジャン・ヴァンミアご本人にお目に掛かれて光栄です」
 流暢な英語だった。ヴァルカンとエリクソンは日本語を解するが、そうではないサイクスのために英語にしたのだろう。
「エツコは私達の和解のためにやったんだ」とヴァルカンが言った。エツコは優しい笑みを浮かべ夫を見て、またすぐエリクソンに視線を戻した。
「綺莉絵さんにお会いになったでしょう?彼女とわたくしはあの絵の前で出会ったんです。やはりあの人はキリエの生まれ変わりなのね」
「ええ、前のキリエと容姿は違っているが、私には分かる」
「やはり彼女を愛していますか?」
「私が彼女を愛さないはずがない。彼女は約束通り生まれ変わってきてくれた。私だって四百年彼女を探し続けたんですよ」
「そうですよね。愚問でした。わたくしだってあなた方が惹かれあうようになって欲しい。でも今の綺莉絵さんがあなたを愛さない可能性だってありますよ。そのときはどうなさるおつもりですか?」
「キリエは私の全てです。彼女が望まないことを私がすると思いますか?再び彼女に逢えるだけでいい。彼女ともう一度話したい、笑顔が見たい。それだけで十分だ」
「あなたが彼女を大切に思う気持ちは分かりました。日本にいる間、傍にいられるように取り計らいます。綺莉絵さんをあなたの通訳としてつけましょう」
 そう言うエツコは嬉しそうだった。
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